消えた田中
「荒神!」
「ええ…」
同時刻、田中城にて荒神と辰子の表情が強張る。
近くに居た、ネネとカイザルが何事かと二人に近づく。
「パパの気配が消えた…」
驚愕の表情を浮かべ呟いた辰子の一言で、周囲の魔族に緊張が走る。
いや、もしかしたら消えたといっても単純に転移でどこかに行ったのかもしれない。
そんな淡い期待を打ち砕く現実がすぐに訪れる。
「はあ、はあ…タナカはんが…タナカはんがナカノに捕まった」
荒神と辰子が異変を察知してから暫くして、以前にルカが田中に手渡された転移石を使ってその場にいた者達が城に帰還したのだ。
そして、シャッキの第一声に今度こそ、その場の全ての配下たちの表情が青ざめる。
自分達が旗頭として、なかば強制的に配下に加えられた者もいるが、付き従ってきた主導者が相手の手に堕ちたのだ。
そして、相手にとって自分達は裏切り者でしかない。
粛正は免れない。
「大丈夫…田中様の匂いは残ってる」
ボクッコが何やら怖い事を言っているが、彼女は田中に何かあったとしても問題無いと憮然とした表情を浮かべている。
そして荒神と辰子もまた。
「まあ、まさか田中様を捉える事が出来る程の力を持っていたのは驚きですが、だからといって田中様を殺すことはまず無理でしょうね」
「パパの事だから、たぶん捕まったら捕まったで、なんかイヤらしい事考えてる」
3人から絶大な信頼を寄せる田中…いや、単純に油断して気を抜いていただけだ。
所詮中野…たかが中野…曲がりなりにも大魔王に対して侮り過ぎだ。
「ふん、偉そうな事を言ってた割に大した事無いな」
「そうだね…こんなんじゃ、タナカが言ってた荒神と辰子だっけ?あと屋敷や木が僕たちより強いってのも怪しいもんだね」
「二人…黙!」
新参の二人が田中を乏しめる発言をして、テュークに睨まれる。
この男、見事なまでの掌返しである。
「彼ノ者…魔力…無限…被倒…否!」
影に隠れ、魔力を目印に移動するテュークには田中の底知れぬ魔力が分かったのだろう。
出会って、すぐの彼にとっても田中が中野にどうこうされるというのは考え難いものらしい。
だが…
「んなこと言ったって、即行で捕まってやんの」
「うんうん、偉そうなのは態度だけで、ダメダメじゃん?」
2人には中野の方が上に見えたらしい。
「ヒッ!」
「なっ!」
言い過ぎだ。
マヨヒガが一瞬で2人を掴み異空間の中に閉じ込める。
5分後…
『すいませんでした…』
マヨヒガにペッと吐き出された2人は、満身創痍といった体で一瞬でボロボロにされていた。
その姿を見て、荒神と辰子以外の魔族が身震いをする。
「おい…将軍達が一瞬であんなにズタボロに」
「マヨヒガ様の中で、一体何が…」
「俺…部屋、掃除するっす」
「うん、私も今日は大掃除なのですね」
「私も、部屋綺麗にしないとね」
「えっ?俺、部屋に画びょうとか、くぎいっぱい刺したんだけど…」
各々が、自分達がこの屋敷に対して何か失礼が無かったか心配になる。
すでに、田中が捕まった事など、どうでもよさげな雰囲気だ。
「さてと…取りあえずカイン殿に報告と、あとは各々スカウトを継続してくださいね。田中様が戻られた時に何もしてませんでしたじゃ洒落にならないので」
荒神がいつもと変わらない様子で、魔族達に指示を出す。
この状況でも、自分たちの業務が無くならなかった事に全員が死んだ魚のような眼になる。
まさか、自分が田中が普段受けている視線を受ける日が来ると思って無かったため、荒神が少し嬉しそうにする。
この男も大概である。
「私はポーク殿と、この地の人間に渡りをつけます。カイン殿に間を取り持ってもらうとして…そうだ、辰子殿は防衛をお任せしましょう。人間の子らだけで、対応できるはずですよ」
「うん、任せて!レベッカ達と一緒なら簡単なお仕事だね」
これから来るであろう、熾烈な大魔王軍の進撃に対して人間の少年少女たちと一緒なら簡単なお仕事と言ってのける。
辰子も田中に似て来たようだ。
「ブルータス、シャッキ、オウガはもう少し精進してもらいましょうか…こんな事もあろうかと、田中様より万が一戻れなくなった時の強化カリキュラムを頂いてますので」
「…」
「…」
「…」
3人の表情から、生気が抜け落ちる。
ちなみに、シャッキとブルータスはカインの助手を外され、いまはピンキーが傍に付いてる。
「返事がありませんね?」
「はい!」
「ああ…」
「っす」
3人に対して柔らかな笑顔を向ける荒神。
笑っているのに笑っていないという言葉が、これほど似合う表情があっただろうか。
ここにあった。
そして、3人の表情も笑みがこぼれている。
一周回って笑うしかないというやつだ。
「なあ…俺たちはなにしたらいいんだ?」
テルモトが荒神に問いかける。
すぐにドカッという音がして、テルモトが少し跳ね上がる。
どうやら、口の利き方が気に入らなかったようだ。
マヨヒガがオコである。
「ひっ…あの、俺たちは何をしたら宜しいのでしょうか?」
すぐに正座して丁寧な口調に直すテルモト。
さっきの5分で、マヨヒガの教育は完璧に終わったらしい。
横でヨシツネがガタガタと震えている。
これはいけない…トラウマになっているようだ。
「そうですね…うちに居る人間の子供たちの戦闘訓練の相手をしてもらいましょうか?」
「えっ?人間の?そんな簡単な…いや、相手は人間の子供だし手加減間違えたら殺しちゃうかも…そしたら、次は俺達がマヨヒガ様に殺される?」
一瞬、子供の相手とか馬鹿にされてるのかとも思ったが、よくよく考えたら第一線に立たなくていいというのはラッキーかもしれないと判断したらしい。
しかし、相手は子供だ…慎重に相手しないと、うかつに大怪我させたりしたらと違う心配が出てくる。
「えっ?間違えて殺す?」
「ん?まあ、会った事も無いわけだし、仕方あるまい」
「あーあ、可哀想に…」
「子供ってしつこいからねー…」
「百人衆の方々は、まだ強いからいいじゃないですか…ただの兵卒の自分なんて…」
しかし、自分達に向けられる周囲の哀れみを込めた視線を感じて、テルモトとヨシツネが言いようの無い不安に駆られる。
大丈夫…子守だ。
ただの子守だ…
自分に言い聞かせるように、何度も心の中で呟いている。
うん…とうとう、誰も田中の心配をしなくなってしまった。
むしろ、田中が居なくても何も問題無く、事が進むようだ。
北の世界と違って、優秀な参謀を作り出したお陰だろう。
当時も、荒神のような右腕が居れば、田中の苦労も減ったかもしれない。
「北の世界には伝えなくてよいのか?」
「この程度の事で、騒ぐことのものでも無いでしょう」
王が相手の手に落ちたのがこの程度なら、どんな事が起こったら慌てるのか不思議に思うグレズリーであった。
だが、田中に対して絶対の信頼を寄せる彼も、これ以上いう事はない。
「ホーク大佐と、ネネ殿は空を飛べる魔族を纏めておいてください。田中城は空中要塞です。もし敵の襲撃があるとすれば空中戦になるでしょうから」
優秀な男である。
田中なんかより、よっぽどいい指揮官をしている。
この状況で、一人で切り盛りしている荒神をいっそ、大将にすればいいのにと思う一同であった。
そして…
「さてと、早速お客様が来られたようですが、時間が惜しいので私が出ましょう」
誰よりも早く、異変を察知した荒神が転移で城の結界の外に出る。
一応敵からの発見を防ぐ仕掛けや結界等は張ってはいるものの、少しでも相手の空中戦力を落としておきたいという考えもあるのだろう。
このままやり過ごすよりは、たまたま近くを偵察に来た部隊を落としておこうという考えだ。
以外と好戦的である。
さらに…
「手伝うよ!」
辰子もまた、父親が敵の手に落ちて暫く会えないという事で、若干のフラストレーションがあったのだろう。
八つ当たりである。
「なっ!お前ら!いつの間に」
中野の命令で田中城を探していた部隊の1つ。
それを束ねる蝙蝠族の魔族の前に二人が突如現れる。
実際は結界から外に出ただけだが、城が完全に隠れているため突然現れたように見えても不思議ではない。
たまたま、音波の反射がおかしいという理由でこの辺りを重点的に探していたのだが、そのたまたまで目的の城の近くまで来てしまうこの魔族…運が良いのやら、悪いのやら。
所詮は偵察…他には梟や蛾の魔族10人程度しか連れていない。
「見つかるとやっかいなので消えてくださいね」
荒神がそう呟くと、手に持った蛇鉾から無数の稲妻が伸びる。
その場に居た10人の魔族が一瞬で口と目と鼻から血を吹き出して絶命する。
全身が真黒に焦げ、身に着けた金物類は全て溶けている。
「あっ!荒神ズルい!でも死体が残ったら不味いよね?」
そして、辰子の正面から放たれる火球により、炭化した体が完全に灰となって消え去る。
容赦ない攻撃である。
そして、それを大広間で映像して見ていた魔族達から溜息がもれる。
いい意味ではなく、悪い意味の溜息だ。
この二人が居たら、たとえ田中が死んだとしても裏切る事は出来そうもないという事実を知ったからだ。
そして、テルモトとヨシツネもこの時初めて、田中の言葉と自分達の置かれている立場というものを理解した。
上には上が居る…そしてこの2人よりも強いだろう田中なら、もしかして無限回廊から逃げ出す事も出来るのではないだろうかと。
それまでに、どうにかして2人に取り入らないと…そう思うのであった。