骨が土に還るまで
秘境と言われる僻地のダンジョンで出会ったのは、ボロボロのスケルトンであった。
全体は微細に罅が入っていて、その動きはかなりゆっくりしつつぎこちない。眼窩は歪んでいて情けなく、肋骨などは一部途中から折れている。動くたびにさらさらと砂のようなものが落ちる。風化が進んでいるようだ。
寿命間近のスケルトンだろう。一部の高等種は魔法で風化を防いでいるものの、どこにでもいるような下等種はその例にない。あと数年もすれば動けなくなり土に還る。
「動くな、スケルトン。お前ではどうしようもなかろう。素直に通せ」
寿命まで生き残るスケルトンはそう多くない。さほどの強さを持たないから退治されやすく、いくらでも代えが利くから乱雑に扱われる。多くの場合は足止め役として肉壁ならぬ骨壁とされる程度の運命だ。ある意味で、この爺めいた老骨は貴重だ。
俺が倒さなくても誰かが倒すかもしれない。だが今見逃したところで数年もすれば朽ちていく。そう思ったのは感傷だろう。さながら自分の未来を幻視したか。
冒険者という稼業だ。いつ死んだところでおかしくもないし文句も言えない。
だが時々、たまに、気まぐれで、詩を思うぐらいはいいのではないだろうか。
魔物を見逃すなどというのは明らかな悪行だ。冒険者として風上にも置けない。だが、その哀れさに免じることぐらいも許されないものか。
――かたかた。
スケルトンのガタついた顎が揺れた。無理して動かしたのか歯が一本ころりと落ちる。体からこぼれ落ちる砂は白く細かい。手に持つ刃はいかにも重々しく、その重みだけで文字どおり骨が折れそうだ。本来の用途よりも杖としての役目を果たしていそうに思える。
その剣をスケルトンは構えた。ぴしぴしと軋む骨で。さらさらと風に舞う砂で。
ぶれる切っ先は、あと一分もそうしていれば自然と地を刺すだろう。
「もう一度だけ言うぞ。そこを退け、スケルトン」
あるいは、すでにそこから一歩も動けないのかもしれない。どう見たって残り少ない寿命をすり減らしている。刃を構えるだけでそうなのだ。椅子に座っていようと寝ていようと大した差はないだろう。だがスケルトンには、永く生きたい――死んでいるが――という願望はないのか。
心臓が一〇も跳ねる永遠にも似た時間が過ぎる。そのあいだにあったのは逡巡か覚悟か、くたびれた眼窩が睨むようにこちらを覗く。
――かたかた。
ぽろりぽろりと歯が落ちる。剣を保つ尺骨の一部が限界を迎えて剥がれ落ちた。白い砂はもはや一掴みほどもその足元に煙る。刃ががくりと角度を落とした。その瞬間、全身のあらゆるちからを振り絞ってスケルトンは刃を正眼に戻した。もはや猶予は一刻もないだろう。
「そうか」
勘違いをしていた。
スケルトンは緩慢な死を迎えることを覚悟していたのだろう。俺がこの場に現れなければ、数年もして平穏に土に還っていたに違いない。だが来てしまった。スケルトンが、スケルトンとして死ねる機会が。
彼はすでに永いあいだ待っていたのだ。どれだけの時間この場にいたのだろう。彼が生まれてからずっと、もしかしたら冒険者は訪れなかったのかもしれない。だからこそ寿命に近いほど存在できたのだろう。だけれど誰も訪れない場所で、役目も果たせないままで、それは、生きていたと言えるのだろうか。
ふたたびスケルトンに自分の未来を幻視する。
冒険者として生まれて、生きて、そして老いさらばえたからといって無視される。それは死ぬよりも恐ろしい。
一生を無為に生きて、最後の最後にやってきた機会が俺だ。彼が生まれた理由を与えてやれるのは、ここには自分しかいない。
「あと一秒保て、スケルトン」
腰から刃を引き抜いた。かたかたとひびが入った顎が揺れる。
上段に振りかぶり一歩踏み出した。ぱらぱらと表面の剥がれ落ちる大腿骨がわずかに動く。
「ハァッ!」
かつん、と刃に軽い感触。それこそ木の実の殻より脆く、右肩口から左腰までを両断した。
情けなく歪んでいた眼窩が、最期の瞬間にはどこか満足気に見えたのは、気のせいだろう。
刃を腰の鞘にもどして、足元を見る。
そこには土に還るのを待つ白い砂があるばかりだった。




