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誕生石へのエチュード  作者: なつ
第二章 トパーズに希望と幸福を
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 2

 甲斐雪人は図書棟の前で、篠塚桃花が出てくるのを待っていた。8月も末だというのに、残暑の厳しさは異常なほどだ。慣れない正装をしているからかもしれない。上着は手に持ち、ネクタイを少し緩めて、暑い、とつぶやきながら額の汗を拭う。

 図書棟から伸びる時計塔の先に見える時計は12時を過ぎたところ。約束の時間まではまだ少しある。図書棟から芹沢雅が住んでいる屋敷までどれくらいかかるのか、甲斐には分からない。敷地内にあるのだから、それほど時間がかかるとは思わないが。それにしても改めて考えると、なんとも広大な施設なのだろう。これだけのものを作り出すのに、一体どれだけの苦労と、資金とが必要なのだろうか。並みの資産では足りないだろう。神田隆志の家も大きかったが、それとは規模が違う。桁が違うのは確かだ。果たして何桁違うのか。そのような場所に招かれるなんて、なんとも身分不相応なことだ。

 しばらく待っていると、図書棟から見慣れた顔が現れた。が、その姿に甲斐は言葉を失う。

 胸元に輝くハート型のブローチから、リボンが柔らかい風に舞うように流れている。ピンクを基調にした丈の長いスカートにはスリットが入っていて、半ばを覆った足先でひらひらと揺れている。髪をアップにまとめていて、そこにもピンクのリボンが巻かれている。もし、これで篠塚の身長が甲斐よりも高ければ、甲斐でなくとも膝をついて頭を下げてしまうだろう。

「なんだ、その顔は?」

 近くに来ると、篠塚は下から甲斐を見上げる。

「やはり似合わないか? 私もあまり好きではないのだがな、せっかくの誕生日だから多少は着飾らないとな」

「いや、うーん、よく似合ってると思うよ」

 ぱぁーっと篠塚の顔が明るくなる。

「本当か?」

「少なくとも僕よりも」

「甲斐はもっと身なりを整えたほうがいいと思うぞ。いつものダサい服よりも今日は幾分かましだ」

「それはありがとう」

「今、私は褒めたか?」

「違うの?」

 眉を捻りながら、篠塚はそんなつもりはなかったのだけど、と続ける。

「ここからすぐ着くの?」

「当たり前だろう。図書棟のすぐ裏の道を進めばいいのだから」

「それじゃあ、少し早いけど向かおうか」

 二人は並んで歩き出した。図書棟の前は少し開けた広場になっている。そこから多方に道が伸びている。それぞれ小等部、中等部、高等部に繋がる道に、運動場へと続く道もある。そのどれにも該当しない道が、北から伸びていて、篠塚はそちらへ甲斐を案内した。左右の並木は、この暑さを若干でも和らげてくれているだろうか。

 少し進むと、先にひときわ立派な門が見える。頑丈そうなそれはしっかりと閉じられており、その先が見えない。正面には、何人かの人間が彫られており、一つの完成された芸術品のようだ。

「まだ少し早かったかな、開いてないや」

「そこに呼び鈴があるであろう。それを押せばいい」

 篠塚が指差した先に、門の柱のところにこれまた立派な呼び鈴がある。ボタンがいくつもついていて、どれを押せばいいのか分からなかったが、とりあえず甲斐は音符のマークのついているボタンを押してみた。

 ビーっという機械音が聞こえ、しばらくするとそこに付いているモニターの電源が着く。かなり解像度は悪いが、そこに女性の姿が映る。

「はーい、どなたかしら?」

 音にもノイズがあり、ときどき画像が乱れることもある。映っている女性は何かベールのようなものを顔に覆っていて、表情が分からない。

「これ、このまましゃべればいいの?」

「ええ聞こえてますわ」

 篠塚に聞いたつもりが、モニターから返事が聞こえる。

「えっと、本日雅様の誕生日に招いていただきました、甲斐雪人です」

「あら、そうよねぇ、外から見えるお客様で、そんな格好をしているんですもの。他にありませんわ。今門を開けますから、ちょっと待って下さいね」

 少しモニターから女性が動くと、それと同時に、閉まっていた門が音を立てながら動き始める。

「これは、すごい設備だな」

「セキュリティーは万全だからな。第三者がこの敷地内に踏み入れるのは並の能力では不可能なのだ」

「並以上の能力なら可能ってこと?」

「私ならできる、ということだ」

「桃花は第三者じゃないでしょ?」

「まあそうだがな」

 しばらく待っていると、門は完全に開く。それからモニターから再び声が聞こえる。

「お待たせ。すぐに門は閉まってしまいますから、どうぞ入って下さいな。まっすぐ進むと玄関がありますから、そちらでまた呼んでください。ふふふ、ごめんなさいね、わずらわしくて」

「いえいえ、とんでもないです」

 甲斐は篠塚と一緒に門の内側へ入る。それと同時に再び門が動き始め、すぐに閉じてしまう。確かに、これだけ頑丈な門だと破るのは大変そうだ。高さも甲斐の二倍ほどある。それに、おそらく上を越えたとしても、何らかの対処はなされるのだろう。

 門からまっすぐ先に、屋敷は見えている。神殿、というとさすがに大げさだがありえない大きさの建物だ。明らかにまだ距離があるというのに、その先にその大きさが異様な姿を見せている。神田の家が日本風だとするならば、圧倒的なまでに西洋な様式にのっとっている。門の内側に広がる庭には、いわゆる園が広がっている。

「これは、すごい、僕はこんなところにいていいのかな」

「甲斐も、そういうことは気になるのか?」

 横から篠塚が甲斐のそでを引っ張る。

「なんか身分違いじゃない?」

「それを雅の前で出すなよ」

 めずらしく篠塚の声はすごく真剣に聞こえた。けれど、その真意を甲斐には理解できなかった。

 しばらくまっすぐ歩いていると、屋敷の正面にある扉が開くのが見える。わざわざ開けてくれたのだろうか、と思っていると中から人が出てくる。それが手を大きく振り、こちらに合図をしているようだが、甲斐には誰か分からない。

「誰?」

「遠くて分からない。とりあえず手を振り替えしておけばいい」

 篠塚から適当な返事が戻ってきて、仕方なく甲斐は言われたとおりに手を振り返す。と思っていると、次は向こうからこっちに走ってくる。甲斐と同じように正装に身を包んでいるところを見ると、誕生日に招かれた人だろうか。けれど、向こうから来るということは内輪の人なのかもしれない。

「やあやあ、君が甲斐くんかい」

 少し離れたところから大きな声をかけてくる。それが俳優のように非常に通っていたため、甲斐は驚く。髪を短く立てていて、その額のところには手術で縫ったのであろうか、傷が斜めに走っている。甲斐があいさつを言いよどんでいると、その男はさらに近づいてきて続ける。

「ああ、悪い悪い。俺は蘇芳。雅の兄だ。わざわざ悪いな、あいつの誕生日に付き合ってもらってしまって」

「えっと甲斐雪人、です。こちらこそ、招いていただいてなんと感謝してよいか」

「それから桃花も。よく来てくれたな」

 篠塚は返事をすることなく、首を一度倒す。

「なんだ、今日は機嫌が悪そうだな。パーティーの準備はもうできているから、遠慮する必要ないぞ」

 芹沢蘇芳に導かれながら、甲斐と篠塚はアプローチを進んでいく。篠塚の機嫌が悪いとは甲斐は思わないが、それに比べると圧倒的に蘇芳は上機嫌のようで、ぺらぺらと何度も甲斐が来てくれたことに感謝の言葉を表す。その都度甲斐は恐縮してしまう。

 玄関にかなり近づいたところで、ふと甲斐は視線を感じ、上を向いた。窓から、こちらを見下ろしている女性の姿が一瞬見える。甲斐があれ、と声を出そうとしたときには、すでに隠れてしまっていて、もしかして見間違いだろうか、と甲斐は思う。一瞬見えたその姿は、先ほどのモニターに映った女性のように顔をベールで覆っていて、なぜか寂しげに思えた。同一人物かもしれない。

「あそこの部屋って?」

 甲斐が指で今女性がいた部屋を指差す。

「あん、どうした?」

「今こちらを見ていたような気がしたので」

「ははは、それはチェックをいれようとしたんじゃないか。何と言っても雅の誕生日に招かれた男性だからな。父上の厳しい視線が光ったというわけだ」

「父上?」

「まだ現役バリバリだけどな。なかなか譲ってくれない。それに雅には甘々だからな」

「でも今女性だった気がしたけど」

「うん? あそこは仕事部屋だからそれはないと思うぞ? 見間違いじゃないか?」

 そう言われると自信がなくなる。確かに、一瞬しか姿は見えなかったし、顔をベールで覆っていた。もしかしたら、男性だっただろうか?

「甲斐よ、お前は目ざといな」

 左を向くと、下から篠塚が甲斐を睨みあげていた。



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