4/Saide→A
私は元聖女のアグネス。
ローマ生まれの、純潔、少女、夫婦、強姦被害者の守護聖人でございます。
人間として、何ともまた理不尽な理由で首を落とされて死んだ後に《天上界》で受け入れられた、元人間でございます。人間界では列聖されなければ聖人としては認められない、ということですが《天上界》では人々の信仰の対象になった時、《元聖》として迎え入れられるのだそうです。
正確な数は分かりませんが、天使の方々と比べればその数は微々たるものではあります。
《天上界》で心穏やかに、神の御子・イーサー様のお住まいの宮にてお仕えしておりました。《元聖》の傾向として、人間であった頃は苦しみの中を歩んだ方々が多いせいか、《天上界》では穏やかに過ごしたいという方が多くいらっしゃいます。いえ、勿論例外の方もいらっしゃるので、一概には言えませんが・・・大多数は、と申し上げます。
しかしながら天使の方々と比べて立場としては、中級天使の方々の下、恐れおおくも下級天使の方々より若干上、といった所でしょうか。永遠に続く悪魔との戦いにより、特に下級の方々は入れ替わりが激しいのでそういう位置づけに落ち着いたのです。これは一重に、人間であった頃の経験の差を、主が鑑みて下さった結果でございます。私も《元聖》の中では、それなりに名を知られておりますので、女性のお姿をしていらっしゃる天使の方々には、親身になって下さる方も多いのです。
そうして過ごしていたおりましたら、中級天使・主天使のシェズリエル様より極秘のお召しがございました。主天使のシェズリエル様と言えば、《天上界》においてその御名を知らぬ者はいないと言っても良いお方でございます。主より《医術》の技術を賜り、その御力を《統治》し《支配》なさる、主の御業の片鱗を司るお方。私もお会いしたのは、《天上界》に迎え入れられた際の一度きりでした。
そんな方のお召しとは、一体何故?とその時は疑問しかありませんでした。
「申し訳ありませんが、御子様の宮を辞して、別の宮での仕事をお願いしたいのです。貴女の守護聖人としての力を貸して頂きたい」
シェズリエル様は、白い上着を羽織られた、男性のお姿をしていらっしゃいます。小麦色のような、柔らかい色合いの金色の御髪を一つに纏められ、深く澄んだ湖のような青い瞳に白い肌。知的に整っていらっしゃるお顔は、少々近寄りにくく感じてしまいますが、情の深い方だとお聞きしています。
極秘でのお召し、ということでお会いしたのは私がお仕えする御子様の宮の一室でした。
ご挨拶を済ませ、何か御用でしょうか、とお尋ねすれば、そのように仰ったのです。
私の他にも、守護聖人と呼ばれる方は数多くいらっしゃいます。縁が深い、もしくは関連するイメージと言ったものがある場合、守護聖人と呼ばれる事が多いと思われます。《天上界》においては、その方面に才能ないしは影響がある、と言った程度の力しか持たないものです。守護聖人の力は天使の方々がお持ちの様な、自らの意思を持って奮う力ではありません。
しかし、私の場合は《天上界》では不要であるべき、役に立ってはいけない守護聖人だと思います。
「私の、守護聖人としての力でございますか?」
「ええ、貴女の力が必要です。宮の事に関しては、御子様より貴女が了解するのであれば、と許可を頂いております」
お仕えしている方が許可しているのであれば、その時点で私にそのお願いを拒否する理由はありませんでした。純潔、少女、夫婦、強姦被害者の守護聖人が必要だなんて、よっぽどの事情があるのでしょう。
事実、確かにとんでもない、私が必要と仰る理由も痛感致しました。
何と、主に直接召還された女性に仕えて欲しいという無いようでした。しかも、《元聖》では無く、本当に普通の、いえ、私達からみれば異教徒とよんで差し支えない女性だと。言葉を失うとはこのこと、とシェズリエル様の御前であるというのに暫く呆然としてしまいました。
「彼女は被害者です。何故、主に召還されたのか、私達は何者なのか、自分が一体どうなるのか、一切何も知りません。精神的にも肉体的にも、不安定です」
「私がすべきことは、その女性の身の回りのお世話、ということでよろしいのでしょうか?」
「はい。基本的には物質的な事をお願い致します。肉体的に安定すれば、精神も自ずと安定するでしょう。ですが、他にも幾つか取り決めがございます。何せ前例が無い事態ですから、手探りでして頂く事が多いと思われます」
「畏まりました。お手数をお掛け致しますが、日毎にご報告とご相談の時間を頂けますでしょうか?」
「勿論です。私も出来るだけ顔を出しますが、やはりお任せする部分が大きいと思いますので」
用意する宮の中に、直接シェズリエル様とご連絡がとれる器具を置いて下さるとお約束頂けました。
何といいますか、やはり男性の天使でいらっしゃるせいか、女性の扱いは苦手でいらっしゃるようです。研究者でいらっしゃるせいかもしれません。特に主天使の方々は、今で言うコミュニケーション能力が不得手なようにお見受け致します。もちろん私の主観による感想ですが。
その後、十日ほどかけて仕事の引き継ぎをし、また新しい宮に持って行くものを揃えました。
まさかシェズリエル様に直接ご案内されるとは思わず、少々挙動不審になってしまいました。新しい宮は少々特殊な造りをしている為だとお聞きしましたが、傍目からは普通に見えました。きっと天使の方特有の技術なのでしょう。宮の大きさは今までと比べるととても小さめでしたが、ほぼ自分一人で回さなくてはならない事を考えればぎりぎりの大きさでした。まずは宮仕えを入れて、宮を整えなければいけない事を考えると本当にぎりぎりでした。
有り難かったのは、お仕えする宮に《元聖》の方をもう一人入れて下さった事です。私とは違う場所にいらっしゃった方なので、初めましてでしたが、存外、仲良くしています。
「初めまして、《元聖》のヴァルヴァラと言います。宮仕えは初めてなので、これからよろしくお願いします」
ヴァルヴァラは、大人の女性と言った雰囲気の方です。赤茶色のたっぷりとした髪が印象的で、豊麗な身体付きは同じ女性としても少々羨ましいと思ってしまう程です。その、私は《天上界》に迎えられた時はおよそ十代の半ば程でしたので、天使の方々には幼く見られてしまうことも多かったのです。
彼女は元々どこかの宮に仕えていた訳ではなく、下級天使の方々の詰め所で働いていらっしゃったそうです。宮仕えの仕事は初めてらしいのですが、守護聖人としてこの宮は必要だということで引き抜かれたとか。
「わたしは、建築家、爆弾、そして囚人の守護聖人でもあります。この宮の守護の為に必要だと言うことでお声を掛けて頂きました」
新しい宮の主がいらっしゃるまでに、宮を整えておく様にとシェズリエル様からお言葉を頂き、私とヴァルヴァラは一足先に宮の中に入ることになっていたそうです。この件は極秘だそうなので、一人ずつの移動になったのだと、そしてこの宮なら二人で回せるだろうとの判断だったそうです。しかし、元々はお忍び用の離宮らしく、一通りのものは揃っていますがそれでも日常的に住むには少々足りないものがありました。さらに日常的に使う消耗品等は、宮の警護に権天使を置いておくから彼らに預けろと仰られるとは思いませんでした。この宮の事に関しては、関わる数を出来るだけ減らしたいという理由だからだとお聞きし、納得はしました。
ですが、本来権天使は天使の軍勢に名を連ねる方々。天使の軍勢では部隊長を務められる、悪魔、悪霊に対抗する戦天使の方々です。一介の《元聖》には、少々馴染みの薄い方々です。実際お会いしたところ、とても気さくな方々でいらっしゃいました。護衛、とお聞きして身構えてしまいましたが、女性の方もいらっしゃったのでとても安心致しました。
その様に、新しい主を迎える準備をしておりましたが、ヴァルヴァラも、この宮にいらっしゃる女性について私以上には知りませんでした。
主に召還された、異教徒の女性であること。守護聖人として傍に居て欲しいこと。
不安が無かったとは言いません。ですが、《元聖》として、生前は理不尽な暴力に晒されて来た者同士、少しでも力になれれば良いとヴァルヴァラとも話をしていたのです。
そう言った意味では、その異教徒の女性に同情すらしておりました。
その三日後、シェズリエル様がその女性を連れていらっしゃるまでは。
「彼女が、身の回りの世話をお願いしたい女性です」
彼女ーーーもしお呼びする際は、巫女姫様と呼ぶ様にと言われておりましたーーー巫女姫様は、真っ白いブルカに御身を包まれ、シェズリエル様の腕に抱かれていらっしゃいました。巫女姫様がいらっしゃった時には必ず付ける様に言われた仮面を付けていて尚、畏怖に、身体が震えました。
何故、巫女姫様が我らが主と同じ気配を御身に纏っていらっしゃるのか。
ブルカに包まれてお姿ははっきりとお伺いした訳ではありませんでしたが、まるで人形のようにシェズリエル様の腕に抱かれて、そのまま主寝室の寝台に降ろされました。私はヴァルヴァラと二人、顔を青ざめさせながらシェズリエル様の後ろに控えているしか出来ませんでした。
巫女姫様を寝台に降ろされ、続きの客間に入ったところで勇気を振り絞って口を開きました。
「恐れながら、ご質問がございます。お許し頂けますでしょうか?」
「勿論です。私も、口で説明するよりも実際にお会いした方が良いと判断して今まで黙っておりました」
そこで、シェズリエル様は付けていた仮面を取られました。私達も取る様にと促されましたので、仮面を取り、そのまま椅子に腰掛けてお話をする事になりました。本来ならばお茶の一つも用意するべきなのでしょうが、そのような余裕は全くありませんでした。
そこで、私たちのは巫女姫様の事を聞かされたのです。
対悪魔との戦争の為に巫女姫様が≪兵器≫として召されたこと。
主の御力を宿すことの出来る存在は、天使の中でも争いの種になる為、この宮に隔離されること。
主のご意向で、全て極秘に行われたのです。
「彼女の存在を知るものはこの宮に仕えてもらう貴女方と、護衛の権天使三名、加えて私を含む若干の天使のみです」
この宮には、天使の御力で結界が張られているそうです。許可された者しか認識出来ず、辿り着けないようになっているのだと。
「上級天使の方々は、ご存知ではないのですか?」
「これも主のご意向です。上級天使は、主以外を決して認めません。そんな存在が、主の御力を宿す存在を許すはずがありません。なので、主は上級天使に彼女の存在を知らせるつもりはないそうです」
知られた場合、最悪この宮ごと上級天使達に燃やし尽くされる。冗談ではなく、やるだろうという確信にぶるりと背筋が震えました。信仰により《天上界》に召された身とはいえ、上級天使の方々の信仰は自ら身を引いてしまう程激しいものです。狂気、と言ってしまえる程に。
「ですが、《元聖》とは言え本来貴女方は主に仕える存在ではありません。それは上級天使の仕事です。上級天使は、主の傍に侍れる程に耐性が強い、彼らだからあの程度で済んでいると言って良いでしょう。なので、この仮面を用意しました。貴女方だけではなく、権天使にも渡してあります」
先ほどまで付けていた、白い仮面。磁器のようなつるりと硬質な質感のそれは、巫女姫様がまとう主の御力へ意識を保つための補助具だそうです。基本的には直接お姿を拝見しない限り、理性を飛ばすような事態にはならないだろうとシェズリエル様は仰られました。しかし保険はいくつもあった方が良い、付け加えて長い時間を巫女姫様のお傍近くに控える私たちに一体どんな影響が出るか予測もつかない為、こうした処置が講じられることになったそうです。加え、巫女姫様の纏われているブルカにも、主の御力を漏れさせないための処置が幾つも施されているそうです。
「一番重要なのは、この《珠》を彼女に一日一回、眠る前に吞ませて下さい。これだけは、彼女本人にも徹底して伝えてありますが、渡すのは貴女達にお願い致します」
シェズリエル様が懐から取り出されたのは、小瓶に詰められた丸い青い石でした。小指の爪程の大きさの、飴玉のようにも見えるそれが、僅か四粒。からり、と硬質な音が妙に耳に残ります。
「私は基本的に四日に一度がベースになると思われます。そう何度も訪れて、この場所が露見する訳にもいかないので」
そう仰られてたシェズリエル様は、宮を後にされました。
唯一の神たる主のお力を宿す巫女姫様に、全く心が動かなかった訳ではありません。ですが私は元より御子様にお仕えしていた身、気持ちの切り替えはヴァルヴァラよりも早く出来ました。
つまり、巫女姫様は御子様、聖母様と同列でいらっしゃると思えば良いのです。
シェズリエル様が巫女姫様をお連れになった際は、心構えもできない状態だったので取り乱してしまいました。ええ、いきなり何の前触れも無く我らが主のお力の片鱗を目の当たりにして取り乱さないものは、《天上界》にはいらっしゃらないでしょう。シェズリエル様への責任転嫁ですが、文句は言わせません。
覚悟さえ決めてしまえば、男性よりも女性の方が強いのです。
「ヴァルヴァラ、誠心誠意、巫女姫様にお仕え致しましょう」
我らが主に、間接的ながらお仕えできるのであれば、《元聖》として誉れでございます。