3/Saide→S
《天上界》において、《天使》とは《神に仕えるもの》であり《天上界》を支える種族である。神を頂点として、生まれた時から八階位のいずれかに振り分けられる。主に金色系統の髪に青色系の瞳、白い肌、純白の翼を持つ。稀に異なる色彩を持つ天使もいるが、上級になるほどその数は少ない。
他にも死後、《天上界》に招かれた《元聖人》、《元聖女》、《元預言者》———元人間を総称して《元聖》と呼ばれる存在もいるが、《天使》と比べると絶対的に数が少ない。
中級天使第四位、主天使———「統治」、「支配」を司り、神の威光を知らしめる天使。
神より賜った知識や技術を持ち、その全てを磨く事に情熱を傾ける。良く言えば特殊能力特化型の天使で、従順で清らかな、使徒としての天使ではない。どちらかと言えば研究者的で職人気質な、変わり種の天使ばかりである。その知識や技術に関しては他の天使の追随を許さないが、天使としてそれはちょっと・・・な、良くも悪くも微妙な認識をされている。その知識、技術を買われて神の私的な意向を聞く事も多い為、神の使いっ走りをさせられている天使でもある。
その中で、主天使のシェズリエルといえば、その名と存在を知らぬ者はいないと言われる天使である。稲穂の様な色合いの、緩く波打つ淡い金の髪に、深く澄んだ湖水の瞳。理知的に整った顔立ちの青年姿の天使である。自分の知識と技術をより高みへ誘う事に誇りと生き甲斐を見出しているところは主天使の鑑ではあるが、それ以外は必要最低限で淡白と評される。しかし、その冷静さから、神の起こす御業を「統治」し、その力を「支配」する大きな一角を担う天使として、神より絶大な信頼を得ている。神を止められはしないが、限りなく抑止力になりえる存在として。彼が力を神の思うがままに奮えば神の奇跡の御業の規模すら変わると言われる程。
それよりもなによりも、当人の性格でもって天使達の間でも決して怒らせてはいけない存在として畏怖されている。
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「はぁ・・・」
当のシェズリエルは、ここ数ヶ月通っている《鳥籠》の敷地から、自分の研究室兼私室に戻ったところで大きな溜め息を吐いた。陽はすっかり落ち、部屋には柔らかな月明かりが差し込んでいる。見慣れた部屋なのに、どこか意識が遠い。
気が重い。その一言に尽きる。
義務となった白い磁器の仮面が、白衣の隠しポケットの中で妙に重く感じた。
脳裏に浮かぶのは、優しい色合いの、暖かみのある瀟洒な館に押し込められた少女。木々が生い茂り、外からは中を窺い知る事が出来ない造りをした檻。しかし、万が一にでも彼女が外から見られでもしたら、と思うと背筋が寒いどころか頭から血の気が引く。いっそ気絶したい。彼女が誰かの眼に触れることを思えば、そう思えば、過剰な措置すらまだ手緩いと思えてしまいそうで、そんな自分につい自嘲する。いくら彼女の近くに居たからと、影響され過ぎやしないか、と。
《天上界》においては《元聖人》以外ではあまり見ない黒茶色の髪と瞳の、女性になりかけた少女。
神の御業によって召還され、人間の身で誰よりも濃く神の影響を受けた人の子。神の子である彼の方よりも、神に近い存在。信仰を持たない故に、誰よりも神に近い存在。そんな存在に仮面を隔てているとは言え、一番傍近くに侍っていることは大変な誉れなのだが。
「ーーー」
彼女の、《天上界》に召還された頃の声無き慟哭が、眼からも耳からも離れない。
無邪気に自分を見る、あの眼が、もの言わぬ唇が騒ぐでも無く自分を責め立てているようで、とても居たたまれない。
「ーーーなぁーに?溜め息なんか吐いちゃってさァ」
だからか、私室に無断侵入した目の前にいるこの男に怒る気力すら沸かないのだろう。
燃え盛る炎のような赤毛を背中に流した、軍服に身を包んだ男。やや垂れ気味の切れ長の、深い緑色の瞳が皮肉気に歪んだのが印象的な。
能天使のシャエル。神の力を象徴する破壊の天使。権天使を率いる天使の軍勢の指揮官の一角である。天使にしては珍しい赤毛の持ち主で、その攻撃的な性格から天使らしくないと言われている。戦場、もとい指揮官としては心強いのだが。
「シャエルですか。何ですかこんな時間に」
もう真夜中と言って良い時間帯だ。そんな時間に他人の部屋に居座れる神経は尊敬に値する。
しかし、目の前の男はどうだっていいのか、カラカラと笑うばかりだ。
「えー?今日休みだって聞いてたんだけどー?てかナニ、そんなシケた面してサ?どうしたワケ?」
「休みは明日です。私がどんな顔してたって関係ないでしょう。用が無いなら出てって下さい」
「用があるから待ってたんだけどね!?定時はとっくに過ぎてるんだけど!!これだから主天使達は!!」
「研究者に定時上がりを求めないで下さい。馬鹿ですか」
生粋の研究者や職人に定時がある分けないだろう。己の道を突き進む馬鹿ばかりなのだから、捕まえようと思えば根性で待ち構えるしかない。もしくは自分の命を掛けて研究途中に特攻を仕掛けるか。そんな命知らずは中々居ない。
「・・・まぁいいや、いつもの事だし?こっからが本題」
シェズリエルは何も言わず部屋を突っ切り、奥の机に鞄を置き、シャエルに背を向けて上から羽織っていた白衣を脱いだ。話しているシャエルも気にしていない。脱いだ白衣を椅子に掛け、その椅子に腰掛ける。次いでに髪を纏めていた結い紐を解き、雑な仕草で掻き上げた。鬱陶しい、と言わんばかりの態度。肘掛けに頬杖を付き、冷たい湖水の眼差しを僅かにシャエルへ向けた。
「最近、悪魔達の動きが活発化してきてるのサ。それで」
「ケガ人を増やすのは止めて頂けますか?こっちの仕事を滞らせるなら実力行使しますよ」
「最後まで聞いてくんない? 悪魔どもの動きの活発化に、上級どもの力の付き方がおかしいんだけど、何か知ってんじゃないの?」
上級ーーー《天上界》では天使は三つのヒエラルキー、上級、中級、下級に大別され、さらにそれぞれの特性から三つに分類される。上級天使なら、神の信仰と情熱の炎を司る熾天使、《楽園(エデンの園)》の番犬である動物の姿をした智天使、神の侍従を務める《正義》の座天使の三つである。神への絶対的信仰心、もとい忠誠心が厚く、端から見れば狂気的な集団である。
反対に、能力特化型の中級天使達は神への信仰心は結構薄い。探究心とは神をも省みない心がなければ意味が無いと宣った神のせいである。そのせいか上級と中級の仲は果てしなく悪い。
しかしながら、能力特化である中級が上級に勝てるわけが無いので、表立って表面化していない、というのが現状である。お互いに争ってもそれなりに痛い思いしかしないからだ。
「ーーーおかしい、とは?具体的に何かあったんですか」
「元々、上級どもの戦い方は爆弾みたいなもんだってのは知ってんだろう。一撃離脱っつーか、一撃で全部吹き飛ばしてく感じでサ?そもそも戦闘天使じゃねぇから、力の扱い方は下手。それが俺たちみたいに、力の使い方を覚えてきたやつの戦い方になってきた。それに触発されてんのか知らねぇけど、悪魔どもの戦い方が最近は特に狂気じみてる」
悪魔ーーー《天上界》と対をなす、《魔界》の住人。生まれながらの悪魔、かつて神に逆らい、地上に堕ちた元天使、元人間の大罪人に、妖魔や妖怪と言った魔物で構成されている。
昔から、《天上界》と《魔界》では小競り合いと呼んでも良い争いが永遠に続いている。これはもうそれぞれの世界の性質によるのだろう。主張の違いと言ってしまえばそれまで、永遠に相容れない存在だ。しかし、お互いに人間によって成り立っている存在で、対をなしている現状、どちらかが滅べば残された方も存在し続ける事は出来ないのだ。正義があるから悪があるのか、悪があるから正義があるのか、卵が先か鶏が先かという問いに集結する。しかし、お互いが気に食わないという感情は確かに存在する為、ストレス発散の如く小規模な小競り合いを繰り返しているという。何とも不毛な関係である。
シェズリエルは、天使と悪魔の小競り合いなど下らない。主天使である自分にとって、自らの技術を磨くこと、それ以外に一体何が重要か?と戦闘天使全てを的に回すような発言をしている。いかにも主天使らしい、と神には笑われたが。
「今までは、悪魔は天使を倒す事だけ考えてた。こっちだって悪魔を殺す事だけ考えて戦ってたんだから別に構わないけどサ」
「全く、生産性の無い戦いですね。無意味極まりない」
「否定はしないけどせめて何か包めヨ。その悪魔が、《天上界》へ入ろうとしてる感じがするんだよネェー」
「悪魔が、《天上界》へ?」
「そ。なんとなァくだけど、天使を倒しながら奥へ、奥へってカンジ?何でかは知らないケド、侵略したって意味無いからわかんないけどネ」
悪魔から情報入って来る訳でも無いしーとシャエルは気楽に言う。
《天上界》と《魔界》の境界は、明確ではないがはっきりしている。お互いに何となくここら辺だろうという認識だ。明快に線引きされている場所もあるにはあるが、大概侵攻仕掛ける方も仕掛けられる方もそんなところから来ない。そして、文字通り世界が違う《天上界》と《魔界》では侵略は意味をなさない。
「だからサ、何か知らない?ーーー悪魔達が、《天上界》の奥に入ろうとしてる理由の心当たり」
天使の中に在って、珍しい緑色の瞳がシェズリエルを貫いた。お前なら何か知ってるんだろう?と言わんばかりの口調と表情。これだから、半ば本能で生きてる奴は嫌なんだ、と溜め息を吐きたくなった。
「知りません。むしろなんで私が知ってると思ったんですか」
「え、だから何となくの勘ダヨー」
本当に、本能で生きている奴は嫌だ。
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