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潜在意■識

作者: 咲宮 柊一

File1.【真実のジレンマ】




晴れた土曜の昼下がり。

校庭からは野球ボールの飛ぶ音が聞こえる。



僕は中庭のベンチに腰掛けた。



学校が休みの日は誰も居ない場所。



時折 事務の人が僕に気が付くけど、あまり気にせずにいてくれる。



非常に有難い。



昨日の昼休み。校庭でサッカーをしているグループに入れてもらおうとしたら、石を投げられた。



どうやら学校に僕の居場所はあまりないようだ。



だからこそ、僕は人気の少ない土日にここへと赴く。



平日の虐められる恐怖は一変し、温かい日差しと柔らかい静けさが僕を歓迎してくれる。




ピチャッ




向かいに設けられた水道の蛇口から水滴が落ちた。



同時にふわりと揺れる空気。



知り合いのモネが来たようだ。



「やあ 今日は何をしに?」



「うん ちょっと死のうと思ってね」



カサカサとホームセンターの買い物袋が揺れた。



「また盗んできたのかい?やめなよ」



彼女はとても清々しく、芸術家のように魅力的な雰囲気を兼ね備えているにも関わらず。物を盗む癖がある。



「堂々と商品をレジ袋に詰めて毅然とした態度で店を出れば店員は驚いて瞬時に対応できないのよ」



モネは当たり前のように早口で言い切った。



「危ないよ」



僕の忠告に返答する素振りさえ見せずに、モネは福袋を弄り長めのナイフを取り出した。



「あら 2本ある あなたもどう?」



モネはガムを渡すような表情で"死"を提供してきた。



「なぜ君はそんなにも死にたがるんだい?」



一際強い風がモネの髪をうねらせた。残像によって空中に描かれる抽象画。



「私ね 知ってしまったの 己の儚さに」



ー1ー



「この星の膨大な歴史に対して健全な人間の寿命は僅か80年程度よね。しかも私達は更に短い。つまり、私達の人生なんて地球の歴史に比べればほんの一瞬なの そう….」



モネは僕から視線を外し向かいの蛇口を見た。



「水滴が落ちる時間ように」





ピチャッ





「その一瞬を全力で生きる気力は私には無いの。犯罪を犯す事に恐怖を感じない。夢を成し遂げる事に喜びを感じない。良く言えば気負いしない。悪く言えば投げやり。その二つだけでできた形 それが私 なの」



モネは指先でナイフを器用に回している。




プチュ




不意に指をかすめたナイフ。

滴る血液。




「ね 一瞬でしょ?水滴が落ちる間にあれがやりたいとか。あの子と付き合いたいとか。あいつが恨めしいとか。辛くて自殺したいとか。そんな事を考えても無駄なのよ。すぐそこに終わりがある以上 感情なんて無意味。私はただ….虚しいから"次"へ行きたいだけ。悲劇の主人公だと自負して死を望んでいる訳じゃない。勿論 輪廻に基づいて何かに生まれ変われる確信はないけれど 今を懸命に生きるよりはずっとましよ」



つまり、僕がサッカーに交ざりたいとか、仲間になりたいとか、そんな感情も無価値なのかな?



「お腹が空いている時って料理が来るのが待ち遠しいわよね?でも食べ終えてしまえばそんな感情は消えてしまう。 待ち時間は長いのに終わりは一瞬。満足した時点で望んだ感情は薄れてしまう。これも同じね。過去は未来よりも圧倒的に早く"弱い"それは同時に過去の価値観的皆無さと同じね」



モネの口から、白い肌に似つかわしく無い黒い言葉が飛び交う。



ー2ー




「例えば物凄く愛おしくて仕方がない人が居るとして。その人と付き合いたいと願うから無理して高いお金を費やしたり、デートにまで持ち込むプランを考えたとしても。付き合ってしまえばそれまでの純粋な懸命さやトキメキは消えてしまう。勿論 付き合えた瞬間は喜びでいっぱいになると思うわ。でもね、付き合うと同時に安心してしまうの。感情にストッパーをかけてしまうの。付き合う前の結ばれるか結ばれないかの瀬戸際を全力の愛で貫いていた頃の感情はなくなってしまう。私はそう思うの。欲しくて仕方がないブランド品を手に入れた後よりも、その物を手に入れる前の過程の方が楽しかったりしない?

未来はね 現在と言う名のトンネルを通った瞬間に過去に変わるけど、差は激しい。今目の前にある事が最もリアル。とても濃密なの。だから…トンネルを潜り終えた瞬間に薄くなるの。『感情の濾過』ね。しかもそれは一瞬。1秒後に今は過去になってしまう。今は一瞬なの。寿命さえ一瞬なのに今は更に速い一瞬。そんな今を…」



モネは何処か遠くを見る目で僕を見た。



「本気で生きる価値なんてある?」



僕とモネの間に冷たい風が。

線を引く様に走った。



「モネ」



僕はその線を超える様に強く彼女を見た。



「逆だよ」



「えっ?」



「世の中の仕組みの真実に対して 君の考えは 全くの逆説だ。君は気付いていない。命は一瞬じゃない……」



僕はモネをより一層力強く見つめた。




「命は狂おしい程に"永遠だ"」




ピタリと。

風が止んだ。



ー3ー




「今まで誰にも話さずにそっと胸の奥に潜めておいた考えがあるんだ。モネ。君になら話してもいい。いや、話す必要がある。君は自分で説いた命の儚さの理論に対して過信しすぎだ」



モネは怪訝な表情を浮かべている。が、その裏で興味を宿した瞳。



僕は続けた。



「さっき君が指を切って"落とした"血。君はそれを指先から地面に落ちるまでの間が血の寿命だと比喩したね。落ちた瞬間に死ぬ、と」



僕はモネから落ちた血の痕を指で擦った。



「はたしてそうだろうか?地に着いた瞬間が死?水滴の形状を失う事が死?そもそも死の定義とは何なのか。仮に君の考えが正しいとしたら、僕らはあらゆる物を殺している事になる。例えば….呼吸」



僕は大きく深呼吸した。



「この瞬間 大半の酸素は死んだ。空気中の酸素は僕の肺を通して二酸化炭素と言う名の死体になった。酸素は酸素としての寿命を全うした事になる。つまり、モネ的思考では死を意味する訳だよね。他にも、言葉や食事。言葉は発して相手に伝えた瞬間にその必要性を無くし、食事は必要な栄養になった瞬間に味としての意義を無くしてしまう。その養分でさえ一呼吸した瞬間に消費されてしまう。酸素も養分も死ぬ。死の連鎖。僕達は生きる為に死を補給し 死を作り 死を死で紡いでいる。言葉は伝達の死。食事は主に風味の死。僕らは日常で頻繁に尚且つ排他的に様々なものを殺している。つまり、僕らは常に何かを殺し続けている事になるんじゃないか?」



「うん」




モネの返答に僕は少し驚いた。

考え過ぎ。おかしい。そんな答えが来ると懸念していたが、モネは納得する訳でも、呆れる訳でもなく。然も当たり前のような表情をしている。



想定内。



ー4ー




寧ろ僕は安心した。

モネの考えがここまで来ているなら続きが話しやすい。



「ここまでは僕も感じていた。けれど僕は更に先まで感情と思考が進んだんだ」




モネ。




「さっき言った通り。全く逆の考え」




君は。




「僕らは常に何かを殺し続けていない」




どうして。




「僕らは常に何かを生み続けているんだよ」




死にたがるんだ。




「二酸化炭素は死体じゃない」




僕の気持ちも知らないで。




「僕らから生み出されているんだ」




知ろうともしないで。




「呼吸をしなければ酸素は二酸化炭素や他の物質にはならない」




モネ。




「言葉だってそうだ。伝えれば相手の中で感情や思考が生まれる」




僕は。




「食事だってそうさ。養分となり、次の瞬間の僕を生む」




僕は君を。




「呼吸や言動。日常で無意識に行っている事は全て、何かを生み出している事に繋がっているんだ」




一度正確に殺したいんだよ。



僕の手で。






モネ….






「僕らは一瞬の間に無数の命を生んでいるんだ。生み続けているんだ」



ー5ー






「モネ、君は言った。今は一瞬にして弱々しい過去になってしまうと。今を懸命に生きても、過ぎ去る今の薄さや儚さに虚しさを感じていると。けど違うじゃないか!君の言う一瞬の間にどれ程の何かが生まれている?空気中に散らばる粒子。日光によって活性化する身体。花粉を飛ばし、命を拡散させる花々。地を這う雨水は命の根源に手を伸ばしている。今、今この一瞬は薄くなんかない。物凄く濃密なんだ」




僕は一呼吸置き。

再び続けた。



「確かに地球と比べれば生き物の寿命はかなり短い。けれど、身体が死ぬ事はイコール死になるだろうか?」



僕はその場にしゃがみ。

堅いアスファルトの地面に手を添えた。



「僕が今死んだとしても、僕の死体は軈て土となり 命を生む。僕の身体が、肉が、地に溶けて……浸透するんだ。ゆっくりと。だってそうだろ?例え火葬されて空高く舞ったとしても、地球からは出られない。物理的に大気圏を越える事はできない。つまり、僕らは"永遠に地球の中で存在し続ける定なんだ"」




僕は今、アスファルト越しに無数の死体を見ている。



「地球に比べれば人間の寿命は一瞬?当たり前じゃないか。地球は亡くなって行った生き物達によって創られているのだから」



僕はゆっくりとモネを見上げた。



「地球が僕ら生き物を生み続けている限り、地球は死なないんだよ。命は….狂おしい程に"永遠"で 痛々しい程に"美しい"んだよ」



だから、モネ。

今すぐ死を選ばないでくれ。


僕と一緒に与えられた命を全うする事によって『正確に死を迎えて欲しいんだ』生きる事に虚しさを抱かないでくれ。


だから僕は君とは全く違う考えを伝えたんだ。



一度"今の君"を殺すために。



目を覚ましてくれよ。モネ。



ー6ー



真実のジレンマ (7/10)


モネは僕と同じ様にしゃがみ込み、地面を見つめた。



「この地の下には無数の死体があるのね……私たちは常に何かを生み出しているのね」



頂上まで上がった太陽の光がモネを包んだ。



「そうだよ。モネ」




「逆だよ」




モネの声が響いた。

酷く冷えた声が。



「えっ?」



"逆だよ"



5分前の僕の言葉が再び再生された。

モネの口から。



「ようするに命は永遠にリンクしているって事よね?それってつまり、私達は常に何かを殺し続けているの逆、私達は常に何かを生み出している。永遠ならここで終わらない。繋がっている。つまり……逆に私達は常に何かを生み出した後に殺し続けているって事よね」




雷が落ちた。

僕の心に….落ちた。

僕の心が….堕ちた。




モネの言葉は、破滅的に正当な答え。




今まで何かを生み続けていると思っていたけど、違う。


殺して生み出して….再び殺している。



殺すために生み出している?



僕が身体を動かせば、必要なエネルギーが生まれ、直後 消費と言う名の死を迎える。筋肉を動かす事だって、まず小脳で特殊に生成された信号が大脳へと送られる。そして神経と筋肉はシナプスの一種である神経筋接合部を介して刺激の伝達を行う….。

神経末端から発生したアセチルコリンは筋肉側のアセチルコリン受容体で結合。その後もいくつかの過程を通して行く内に、やがて筋少胞体から放出されたカルシウムをシグナルにしてアクチン繊維とミオシン繊維の間の滑った瞬間にようやく動く事ができるんだ。


つまり…


親指を動かしたり。

背伸びをしたり。

瞬きをした瞬間に….






首筋に嫌な汗。






それらは全て消費される。

死んでしまうんだ。



ー7ー




僕はこの事実が怖くなり、頭を抱えた。頭を抱える動作を行った。



つまり、この瞬間に僕はアセチルコリンやカルシウムを生み出し、筋少胞体を起動させ、その他諸々の必要な動作を生み出し。




一瞬にして殺した。




僕がこの事実に恐怖を覚えなければ。頭を抱えなければ。わざわざ殺す為に生み出す必要なんてなかったんだ!



動かなければ良かったんだ。

動かなければ。



いや!ダメだ!



呼吸をした瞬間に肺の筋肉が伸縮される。脳信号を生んでしまう。そして命令が伝わった瞬間にそれら全ては生理的意義を無くして死んでしまう。



いや、そもそも心臓が動いている限り血管が動いてしまう。



ドクンッ



こうしている間にも僕はあらゆる物を生み出し消費してしまっている。



腕や脚や瞼や口や、自分で動かせる動作を限界まで抑えたとしても….心臓や脳は勝手に動いてしまう。




つまり、僕は無意識の内に残虐的行為を繰り返しているのか!?




生きる為にありとあらゆる物を生殺しにしている。殺す為だけに生み出している。



気が付くと僕はモネが盗んできたナイフを手に持っていた。



怖い。



生きている事が。

呼吸をする事が。

心臓が働く事が。



僕はもう何も殺したくない。




「やっと"ここ"まで辿り着いたようね。一緒に死にましょ」



モネの声を最後に。

ナイフが身体に入る瞬間を最後に。



僕の視界か暗くなった。





『僕の身体は土となる 命は狂おしい程に永遠なんだ』





いつかの僕の声が脳裏を過った。




僕は一体







ー8ー




月曜日の朝。

滴る雨空の下。



怪訝な表情で中庭の中心を見つめる教師達。



「生徒の悪戯でしょうか?」



「まさか!こんな酷い事を生徒がするはず….」



「なら自らやったと?器用にナイフを持ち、自らの意思で刺したとでも?常識的にありえませんね」



「とりあえず事を大きくしない様 十分配慮した上で生徒達に聞きましょう。あくまでも間接的に、です」



「わかりました」



各々が自らの教室へと向かい、教育指導の教師が一人。



中庭に残った。



「……」



無言のまま手を合わせ、自らの腹部に刺さったナイフを器用に握りしめている一匹の猫と犬の亡骸を丁寧に埋葬した。




シトシトと淡く降り続く雨。




その雨水に身を委ねるように、2匹の血はゆっくりと地中に溶けていった。



ゆっくりと。




ゆっくりと…….



ー9ー




冬が終わり。

春の訪れが香る頃。



一人の事務員が美術準備室で備品の整理を行っていた。



来年度予算案を元に、現時点で不要になった物を処分する為のチェックである。



手際良く作業を進める事務員。



リストの大半が埋まり、作業が佳境をむかえる頃。



ふと、事務員の手が止まった。



棚の上。



埃が被った石膏像達の中、似つかわしくない程に白さを際立たせている石膏像があった。




クロード・モネの石膏像。




男性であるモネの石膏像からは、なぜか女性らしく清らかな雰囲気が感じ取れる。



本来なら来年度に使う予定がない備品は処分する必要がある為、リストに品名を書き加える必要があるのだが。



事務員は柔らかい表情でにっこりと微笑み、モネの石膏像をリストに記載する事なく部屋を後にした。



廊下に出ると、校庭で遊んでいる子供達の声が聞こえてきた。



その中心で一際大きな声を放ち、元気に走り回る生徒がいた。



冬休み明けにやって来た転校生である。



「ナイッシュー!ケン!」



華麗にシュートを決める転校生を見つめながら、事務員は呟いた。




「やっと仲間に入れてもらえたのだね」




私は毎週君が中庭に来ている事を知っていたよ。


仲間に入れてもらえて本当に良かった。








中庭には、春が来るよりも一足早くタンポポが咲いていた。





寄り添うように、『二人』のタンポポが。






咲いていた。









ピチャッ









水滴が落

   ち

   ま

   し


   た













end ー10ー


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