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第7章「邪神創成」

 夕暮れ時、人目を忍んでザヘルとルフォイグはソエリ

テの町に住む著名な音楽神の家を訪ねた。

 人目を忍ぶ・・と言っても、ルフォイグの力で姿を消

していたので、町をパトロールしているバギル達に勘づ

かれる事は無かったが。

 若い青年の音楽神は、丁度夕食を終えたばかりで、ピ

アノに向かっていたところだった。

 物音一つ立てずにザヘルとルフォイグは家の中へと侵

入し、彼の背後へと忍び寄った。

 鍵盤を叩こうと彼が片手を伸ばしたところで、ルフォ

イグの細い片腕が後頭部を貫いた。

 すぐにルフォイグは腕を引き抜いたが、頭からは一滴

の血も流れず、小さな傷跡すら無かった。

 しかし音楽神の変貌は瞬く間に始まり・・すぐに終わ

った。

 音楽神はその元の形を失い、三本の薄い羽を背中から

垂らした、黒い結晶状の肌を持つ邪神へと変わっていっ

た。

「ほお・・・。」

 一部始終を見ていたザヘルは、その手際の良さと邪神

化の能力に感嘆の声を漏らした。

 古い時代に地上の世界に存在していた時、ルフォイグ

はその力で神や人間を邪神に仕立てて使役していたのだ

った。

 ベナトの言魂の制御下に置かれてはいたが、ルフォイ

グの邪神化の能力は健在だった。

「・・それと、これをお前にやろう。」

 ザヘルに差し出されたルフォイグの細長い指の周囲で

ざわざわと、どす黒い炎とも煙ともつかないものが小刻

みに蠢き、揺らめいていた。

 それはルフォイグの掌で握り潰されるとすぐ、小さな

棒状の結晶片と化してザヘルの足元へと転がり落ちてい

った。

「これは・・・「心の深い闇」・・・?」

 恐る恐るザヘルは足下の暗黒の結晶を拾い上げた。

「・・この神から取り出したものだ。それを材料に、お

前の娘とやらを再生してみるがいい。」

 ルフォイグはザヘルの方を見もせずに、全くおざなり

な口調で説明した。

 だがその言葉に、「心の深い闇」の結晶を手にしたザ

ヘルの双眸にぎらぎらとした輝きが宿った。

 そんなザヘルの様子を一顧だにせず、ルフォイグは出

来上がった邪神を率いて、ザヘルの神殿へと戻る事にし

た。

            ◆

 神殿に帰還するや否や、ルフォイグや邪神の事は後回

しにして、ザヘルは「心の深い闇」の結晶を手に研究室

へと飛び込んだ。

「・・まずは、一体目の邪神が出来上がったな。」

 研究室の扉の中へと消えたザヘルを横目で見ながら、

ベナトは広間でルフォイグとその後に付き従う邪神を迎

え入れた。

「その邪神は奥の間で保管しておこう。」

 ベナトは広間の奥へと続く扉を指差した。

「勝手にするがよい。」

 ルフォイグは忌々し気にベナトを一瞥し、それだけを

言い残すと何処へともなく姿を消した。

 広間の奥の部屋に連れていかれた邪神は、レウ・ファ

ーの邪神達と同様に卵状に丸まり、休眠状態に入った。

「・・おお!!何と素晴らしいっっ!!」

 邪神を休眠させ、ベナトがザヘルの研究室の前に差し

かかったところで、ザヘルの歓喜の絶叫が廊下に迄響き

渡った。

「出来た様だな・・・。」

 ベナトが独り言を漏らし、研究室の扉を開けると、す

ぐに涙すら浮かべて喜びに震えるザヘルの姿が目に入っ

た。

 培養液に濡れた体を大判のバスタオルで覆い、アロー

ザは虚ろな表情でザヘルの前に立っていた。

 白く透き通る様な柔らかな肌。その上を流れる豊かな

輝きを持つ黄金色の髪。深い海の色合いを留めた紺碧の

双眸・・・。全てはザヘルの望み通りの完全なアローザ

の姿だった。

「もう暴走もしないし、怪物化もしない・・・!」

 まだ培養液に湿ったアローザの顔を、ザヘルは愛し気

に撫でた。

 ・・それは当然の事だった。「心の深い闇」の結晶か

ら創造されるのは邪神であり・・・装置に放り込まれた

アローザの細胞と融合し、邪神がアローザの姿をしてい

るだけでしかなかったのだった。

 ベナトはその事実を伏せ、ただ冷淡にアローザとザヘ

ルを見比べていた。

 失敗続きのザヘルに、この辺りで良い思いをさせてお

き、より一層の協力を得易くする為の・・全てはベナト

の計算だった。

 ・・そして。アローザの再生実験が失敗する様に、中

途半端な知識と技術をザヘルに教えて絶望を味合わせ、

より深い狂気の実験に傾倒する様に仕組んだのもまた、

ベナトの思惑だったのだった。

「こんな人形一つで、そんなにも嬉しいものなのか?」

 いつの間にか研究室に姿を現したルフォイグが、ふわ

りと気紛れにアローザの前に降り立ち、無造作に長い指

先を伸ばした。

「娘に触るなっっ!!」

 凄まじい剣幕でザヘルはルフォイグを怒鳴りつけた。

 相手が恐るべき「虚空の闇」の魔神だという事も、ザ

ヘルはその一瞬、忘れ果てていた。

「・・!!」

 ザヘルの怒りに無条件に同調し、アローザは虚ろな表

情のままルフォイグの指先を払いのけ、部屋中を焼き尽

くす火炎の渦を掌から放出した。

 数千度を越す白光が研究室を駆け巡り、四つの神影を

残して室内の全てのものが塵一つ残さず劫火の中に消滅

していった。

「おお・・・。」

 ザヘルはアローザの放った炎の力に、感嘆の息を吐い

た。仮にも火神のはしくれだった為、辛うじてザヘルは

軽い火傷だけで済んでいた。

 ルフォイグと、元々分身体でしかないベナトが無傷だ

ったのは言う迄も無い事だった。

「・・この力ならば、レックスの奴めを充分傷めつけら

れる・・・。」

 表情一つ変えず裸身で佇むアローザの髪に手を触れ、

ザヘルは邪悪な笑みに顔を歪めた。

「散々に傷めつけ、重傷を負わせてからレックスを邪神

にしてやるか・・・。のう、アローザ・・・。」

「・・邪神にする神の選択は任せる。好きにするがよい

・・・。」

 ベナトの横に浮かびながら、何の興味も無さそうにル

フォイグが言った。

「ソエリテ近辺の小集束点に据える邪神は、後五体必要

だ。くれぐれも急げ・・・。」

 焦げ目一つ付いていない灰色のフード越しに、ベナト

はザヘルへと声を掛けた。

「はい。分かっております・・・。」

 ザヘルはそう答えて、レックスへの復讐の成就を空想

し、歯を剥いて笑った。

挿絵(By みてみん)

 ・・が。それはそのまま、次の瞬間、引きつった笑み

のまま硬直した。

 突然に・・余りにも突然に、研究室の内にひたすら黒

く昏い空気が充満していくのを、ザヘルは知覚した。

「仲々・・・面白い実験をしているな。お前達も、レイ

ライン集束点をいじり回そうとしているのか・・・。」

 そんな声と共に、ばさ、と厚手の布が翻る音が、何処

か遠い所からザヘル達の耳へと届いた。

 焼き尽くされた研究室の外から・・或いはザヘル達の

すぐ背後から。

 遠くに、近くに、足音と衣擦れの音が響き渡り、不意

にやんだ。

「な・・・?」

 何者だ?・・ザヘルの問いは得体の知れない悪寒に妨

げられ、最後迄言葉にはならなかった。

「エアリアルか。・・・何をしに来た?」

 あのルフォイグでさえ、緊張に身を固くし、高熱で変

形した研究室の扉の辺りの空間へと声を掛けた。

「なぁに、ただの気紛れだ・・・。」

 その返答と共に、妖美な縹色の神影は忽然とザヘル達

の前へと現れた。

挿絵(By みてみん)

 薄い菫青色の髪はぼさぼさの伸ばし放題で、大判の薄

汚れたぼろ布をマントの様に羽織って安サンダルをつっ

かけた相変わらずのエアリエルの姿は・・しかし、ザヘ

ル達にねっとりとまとわりつく様な寒気を放っていた。

「・・成程。「悪しき創造と激情を司る神」の称号は伊

達ではないな。我等の企みが、貴殿の御気を惹かれたか

・・・?」

 ベナトはフード越しに傲然とした口調で言い、エアリ

エルの昏い翳りを帯びた貌を見据えた。

 「虚空の闇」の魔神ルフォイグを平然と召喚して使役

する傲慢さは、太古の「神国」で大殺戮を行った縹色の

悪霊を前にしても失われてはいなかった。

「お前達の実験など、児戯に等しいが、それなりに面白

そうではあったしな・・・。それと、少々注意を与えに

やって来た。」

 ベナトの傲慢さをせせら笑う様に、エアリエルの薄紫

に彩られた唇の端が釣り上がった。

 違う。この神には自分達の危険な実験を諌める様な感

情などありはしない・・。今にもこの場を逃げ出してし

まいそうに震える足で立ち続けながら、ザヘルはそう直

感していた。

 そんなザヘルの目の前で、ゆらり、と一瞬エアリエル

の姿が揺らぎ、次の瞬間にはアローザの横に立ってその

金髪の先を指でつまんでいた。

 ザヘルからは何の命令も無い為に、アローザは変わら

ない虚ろな表情で立ち尽くすばかりだった。

「レイラインに、死者のクローン再生、か・・・。分を

わきまえない実験はしない方がいい。」

 フードの下に隠されたベナトの目を、真っ直ぐに射抜

く様なエアリエルの視線・・その美しく、恐ろしい縹色

の残酷な輝きを、その場の誰もが忘れる事は出来なかっ

た。

 流石のベナトの傲慢さも、この一時は何処かに消え去

ってしまっていた。

 ただ、黙ってベナトもエアリエルの視線を受け止める

事しか出来ないでいた。

「私が注意を怠ったせいで、この地上が滅びてしまった

ら、後で、レクセンダーにどんな目に遭わされるか・・

・。考えただけでも恐ろしい・・・。」

 大きく息を吐き、エアリエルは軽く頭を振った。

 余りに人間染みた恐妻家の仕種と言葉が付け足されて

も、それを額面通りに受け取る様な者はここにはいなか

った。

「神の忠告は素直に聞いた方がいい。・・・諸君等も神

のはしくれならば、よく分かるだろう。」

 エアリエルはアローザの髪からそっと白い手を放し、

扉の方へと歩き始めた。

「では、ご機嫌よう・・・。」

 現れた時と同様に、全く突然に、扉の前でエアリエル

の姿は掻き消えた。

 暫くしてエアリエルの気配が消え去っても、長い間、

誰も口を開く者は無かった。

              ◆

 幸い、その日の昼間はバギル達のところに怪物が現れ

る事は無かった。

 パトロールに回ったソエリテの町の様子も、特に不審

な場所も無く、焼けた家や道の復旧作業があちこちで行

われていたのを目にする位だった。

 バギル達は日が暮れてから、ザヘル神殿から暫く離れ

た小さな食堂で落ち合い、お互いにパトロールの様子を

報告し合った。

 火事を免れた小さな店内の一隅に席を取りながら、テ

ィラルは周囲の気配の変化に気を配り、厳しい表情を崩

す事は無かった。

「本来なら、食事もアローザの別荘で取るべきだったな

・・・。」

 次々と運ばれて来る大皿に盛られた料理へと手を伸ば

しながら、ティラルは少し咎める様な目をバギルに向け

た。

「・・いや、悪ィ。確かにそうだけど・・・。」

 がつがつと、大盛りの肉料理をレックスと張り合う様

に頬張りながら、バギルはすまなさそうにティラルを見

た。

 自分達がこうして食事をしている間にも、例の怪物は

それこそ、食堂の壁を破って飛び込んできかねない状況

ではあった。

 ティラルがそれを危惧するのも尤もな事だった。

 それに、無関係の者を戦いの巻き添えにする事は、テ

ィラルの最も嫌う事だった。

「・・取り敢えずもう一回、ザヘルのおっさんに会おう

と思ってるんだ・・・。」

 粗末な木製のテーブルの上には、空になった大皿が次

々に積み上げられていく中で、バギルは頬杖をつきなが

ら言った。

 バギルがザヘル神殿に近い食堂を合流場所に選んだの

は、そういう理由からだった。

「ま、どうせあの剣幕だし、会いはしないだろうけど、

何か気になるしな・・・。」

 バギルがぐびぐびと水を飲み干す横で、レックスは空

になった皿の上にフォークを置き、

「・・・俺も同感だ・・・。何となく、だけどな。」

 具体的に何か証拠がある訳でも、関連性がある訳でも

無かったが、バギル達の直勘が、怪物騒ぎの事について

ザヘルと会う必要性を漠然と告げていたのだった。

 食事中に怪物の襲撃が無かった事を感謝しつつ、バギ

ル達は席を立つと、ザヘル神殿の「謁見殿」へと向かっ

た。

             ◆

「・・ザヘル様はもうお休みだそうですが・・・。」

 「謁見殿」の受け付けの人間の老女は、申し訳無さそ

うにバギル達に伝えた。

「ええ?こんな宵の口にか・・・?」

 初めから期待は薄かったとはいえ、老女の答えにバギ

ルは落胆した。

「まぁ、仕方がねえさ。それに、多分ホントに寝ちまっ

てんじゃねえのか?俺達相手なら堂々と面会拒否を伝え

るだろうしな・・・。」

 肩を落とすバギルの背を、レックスは慰める様に叩い

た。

 夜間は交代で町を見回ろうか、などと話をしながら、

バギル達は「謁見殿」の門を後にし、町へと続く石段を

下り始めた。

 ザヘル神殿の本殿は、宵闇の中で仄かな町の明かりに

照らされてぼんやりと浮かび上がっていた。

 神殿本殿は町とは直接つながってはおらず、「謁見殿

」の奥から渡された橋からのみ行く事が出来た。

 その橋も既に灯火が落とされ、星と町からの些やかな

光に仄かに白く影の様な姿を見せるだけだった。

「まあ、また明日にでもザヘルの方は出直そう。」

 レックスとバギルの後ろを歩きながら、石段の途中で

ティラルはふと足を止め、闇の彼方に見えるザヘル神殿

の本殿を眺めた。

 堅固な石材の壁で囲まれた神殿からは、小さな明かり

一つ漏れてはいなかった。

 本殿を取り囲むかつての大堀はその底も知れず、ただ

闇だけを満たして本殿と町とを隔て続けていた。

「今夜の町のパトロールは、誰が行く?なんなら俺が・

・・。」

 小さな道路に下りるところで、バギルはティラルを振

り返った。

「・・今夜のパトロールは必要無さそうだぜ!!」

「え?」

 レックスの突然の声に、バギルは前を見た。

 既に立ち止まっていたレックスの背にぶつかってバギ

ルは足を止めた。

 悪ィ・・前に回ってそう言いかけたバギルの言葉は、

忌々し気に歯噛みするレックスの険しい表情の前に呑み

込まれてしまった。

 強く睨み据えるレックスの視線の先・・石段を下りき

った場所には、三つの人影があった。

 どれもフード付きの黒いマントをすっぽりと被り、豊

かに波打つ金髪だけがフードの中から溢れていた。

 炎熱剣の柄にレックスが手を掛けるより早く、中央に

立つ者がフードを取り、するりと黒いマントを脱ぎ捨て

た。

「・・!!」

 レックスの手が剣の柄に触れる直前で強張り、緊張に

汗ばんだ。

 夜目にも赤いドレスをまとい、虚ろな表情で佇む金髪

で碧い眼の女は・・・。

「アローザ・・・ッ!?」

 レックスは驚きに目を見開いた。

 フィアン?という驚きの言葉は、バギルとティラルの

口の中に呑み込まれて消えた。

 アローザにそっくりなフィアンを慕っていたのか・・

と、バギルは恋慕の情に疎いなりに、今迄のレックスの

フィアンに対する行動の風聞を、漠然とひとり納得した

のだった。

「・・レックス、会イタカッタ・・・。」

 焦点の定まらない碧い眼がゆっくりとレックスへと向

けられ、ルージュを引いた紅い唇が何処かぎこちない言

葉を紡いだ。

「レックス・・・!」

 ようやく炎熱剣の柄を握ったレックスを庇う様にその

横に立ち、ティラルは先に自分の剣を抜いた。

「騙されるな!この邪気は・・・あの女からのものだぞ

・・・。」

 静かに注意を促すティラルに、レックスは吠えかかる

様に答えて炎熱剣を抜いた。

「判ってるぜっっ!!ふざけた真似しやがってッ!外ヅ

ラだけ完璧に化けやがって!!」

 かつて想い合った女神の姿を、死後も弄ぶ何者かへの

レックスの怒りに反応し、炎熱剣の刃に瞬時に炎が走っ

た。

「レックス・・・。アナタモ邪神ニナッテチョウダイ・

・・。」

 偽アローザが地面を蹴ると同時に、両脇のマント姿の

者達もそれに続いて跳躍した。

 彼等が自らはぎ取ったマントの下にあったのは、今迄

ソエリテの町を蹂躪してきた炎を操る半妖半女の怪物達

だった。

「クソォッ!ふざけやがって!」

 そう怒鳴るレックスからアローザを庇うべく、ティラ

ルはアローザへと鎌鼬を放ったが、今迄の怪物達とは段

違いの素早さで躱されてしまった。

 アローザはそのままの勢いで、燃え盛るレックスの炎

熱剣へと素手で挑みかかった。

「クソ!」

 レックスは怒りに歯を剥きながらも、その剣さばきや

体の動きにも、いつもの柔軟さが見られなかった。

 やはり、完全な姿のアローザを前にしては、レックス

も冷静ではいられなかった・・。

 それを気遣い、偽アローザの相手を引き受けようとレ

ックスの前に割り込もうとしたティラルの目論見は、半

妖半女の怪物達の放つ火炎弾によって悉く妨げられてし

まった。

「・・オ前ノ相手ハコイツ。」

 アローザは虚ろな目でティラルの焦燥の表情を見つつ

レックスへと続け様に火炎弾を叩きつけた。

 石段が瞬く間に炎の舌を噴き出し、レックス達を取り

囲んだ。

「邪神になれって・・・。一体どういうこった?」

 怪物の一体と両手で組み合い、バギルは、レックスへ

と肉薄するアローザを横目で見た。

 怪物達とアローザは、今迄出現した怪物達とは比べも

のにならない力でバギル達を追い詰めていった。

「このッ・・・偽物がぁっ!」

 叩きつけられた火炎弾を炎熱剣で力任せに叩き伏せ、

レックスはアローザめがけて剣を振り立てた。

「!!」

 剣自体の刃は届かなかったが、レックスの神霊力を受

けた炎の帯は鋭く伸び、後ろに飛びのいて逃れようとす

るアローザの腹部を貫いた。

「やったか!?」

 怪物との取っ組み合いの姿勢のまま、バギルはアロー

ザの様子を横目で見たが、アローザは虚ろな表情を崩す

事は無かった。

 アローザの腹部を貫いた炎熱剣の炎は無意識のレック

スの迷いの為に、今一つ火力が足りず、アローザの身を

焼き尽くす迄には至らなかった。

 炎を操る身のこなしや技の数々・・それらが完全に生

前のアローザと同じものだと、戦う中でレックスだけに

は分かった。

 このアローザは本物なのか?

 ・・いや、そんな筈がない。

 幾ら炎の女神とはいえ、レックスの放った炎に充分力

が入っていなかったとはいえ、炎の刃に刺し貫かれた腹

が血を出さない訳がない・・・。

 そんな迷いと混乱とが、一層レックスの動きを鈍らせ

て、絶え間無く火炎弾を放つアローザによって少しずつ

レックスはザヘル神殿の外堀を囲む金網へと追い詰めら

れていった。

「・・レックス!」

 怪物の肩越しに跳躍し、ティラルはレックスに助太刀

しようと石段を駆け降りた。

 だが、先端に炎をまとった幾本かの触手がティラルの

背を目掛けて襲いかかり、レックスへと近付く事を許さ

なかった。

 振り向き様に、ティラルは触手の全てを神速の抜刀で

薙ぎ払い、仕方無く怪物と対峙した。

 このままではレックスが危ない。

 その焦りを深呼吸と共に鎮め、ティラルは剣を構える

と、滑らかな動きで振りかぶった。

 「謁見殿」の小さな外灯の光を受けて、剣の先端が仄

かに青味がかった輝きを返した。

 ティラルの圧倒的な精神の集中に、怪物は暫くの間身

じろぎ一つ出来ないでいた。

 しかしその頭脳に入力された、ティラル達を襲え、と

いう命令はいつ迄もその場に立ち尽くす事を許さず、怪

物は再びティラルへと両腕を振り上げて襲いかかった。

「・・!!」

 ぶん、と言う空を裂く鋭い音と。

 ・・どん、と言う重い音が続け様に生じ、次の瞬間に

は、鮮やかな切り口を見せて粉砕された怪物の肉片が石

段の上に散乱していた。

 ティラルは己の剣に神霊力を込めた風を溜め、それを

一気に怪物へと叩きつけたのだった。

 瞬時に互いのつながりを断たれた細かな肉片は、それ

以上の再生を始める様子も無く、次第に異臭を放ちなが

ら腐り始めていった。

「レックス!」

 腐敗し、溶け始めた怪物の肉片には最早構わず、ティ

ラルは再び石段を駆け下りた。

「・・そっちは任せたぞ。」

 石段の途中でもう一体の怪物と組み合ったままのバギ

ルの横を駆け抜け様、ティラルはバギルの方をちらっと

見た。

「おう!こっちもすぐに片付けてやるさ!」

 バギルの返事はすぐにティラルの背後へと遠のいた。

 ティラルは石段を蹴り、外堀を囲む金網へとレックス

を追い詰めたアローザの背後へと舞い降りた。

 アローザの背へティラルが剣を振り下ろすより早く、

アローザはあり得ない筈の曲がり方で腕を後ろに伸ばす

と、ティラルの剣を素手で受け止めたのだった。

「なっ・・・!?」

 ティラルは一度剣を引こうとしたが、アローザの細く

白い指の何処にそんな力が潜んでいるのか、剣は微動だ

にしなかった。

 アローザは虚ろにレックスを見つめたままその場を動

かず、その右腕だけが奇怪な回転をしてティラルの剣を

押さえ続けていたのだった。

「アローザ・・・。!・・・ティラル!」

 暫しレックスもその様子に呆然としていたが、すぐに

炎熱剣を構え直し、ティラルへと加勢しようと足に力を

入れた。

 ・・が、前へと足を踏み出そうとしたところで、その

まま硬直した様にレックスは動けなくなってしまった。

 生前の姿のままの、完全なアローザの顔を前にして、

レックスの迷いや混乱はやはり治まってはいなかった。

「・・しっかりしないか、レックス!!」

 ティラルの厳しい声に打たれた様に、レックスは一瞬

体を震わせた。

「そんなに迷うのなら、本物かどうか、捕まえて確かめ

るんだ!!」

 ティラルはアローザの背中に蹴りを繰り出し、アロー

ザがよろめいた隙に剣を引くと、素早くレックスの隣へ

と回り込んだ。

「お前らしくもない!迷いながらむざむざ殺されるつも

りかっ!?」

 すぐに態勢を立て直し、片手に炎球を溜め始めたアロ

ーザに、ティラルもまた剣を構え直して対峙した。

「・・・ああ・・・。」

 レックスも炎熱剣を構えてアローザを見据えつつも、

まだ迷いは晴れず、剣の輝きにはいつもの気迫がこもっ

てはいなかった。

「!」

 アローザが無造作に手を振り下ろし、二神めがけて炎

球を叩きつけた。

 至近距離にも関わらず、ティラルの剣の神速の一閃で

火炎は烈風の中に四散し、見当外れの道や柵を焼き焦が

していった。

 ティラルはレックスへと厳しい言葉を続けた。

「・・普段の自信は見せかけなのか?この程度の相手を

生け捕りにする実力も無いのか?」

 ティラルの言葉に、ようやくレックスの心に熱い気迫

が甦ってきた。

「・・・なんだとぉっ!?」

 歯を剥き、レックスは怒りを露に、突進して来るアロ

ーザの拳を片手で真正面から受け止めた。

 アローザの掌中に溜められ燃え盛る火炎の塊を素手で

受け止めながら、レックスは炎熱剣を鞘に戻した。

「上等じゃねぇか!ティラル!こいつを捕まえて白黒は

っきりさせようじゃねぇかっ!!」

 相変わらず虚ろな表情で、だが俊敏な動きでレックス

の手をすり抜けてアローザは背後へと退き、再度火炎弾

を叩きつけた。

 しかしその力も、本来の気迫を取り戻したレックスの

敵ではなかった。

「アローザ・・・。火傷は後で医者に診せてやるからな

ぁっ!!」

 突き出されたレックスの拳から迸る火炎の奔流が、紅

蓮の色彩の帯を夜の闇に飾った。

 素早く跳躍し、アローザは炎の直撃を免れたが、その

後を追ってレックスは次々に炎を叩きつけた。

 炎にあぶられ柵は変形し、石段や道路の表面も焦げて

変色していった。

 高熱を帯びた道の上に下りたアローザのドレスの裾が

発火し、ぶすぶすと音を立てて小さな炎と黒煙を上げ始

めた。

「凄ぇ・・・。」

 何とか怪物を倒し、加勢しようと石段を下りて来たバ

ギルが、剣以外のレックスの戦いぶりに感嘆の声を上げ

た。

 既にティラルの助力も要らず、レックスは独力で今度

はアローザを外堀の金網の柵へと追い詰めたのだった。

 ドレスのあちこちが次第に焼け崩れ、アローザの白い

肌が剥き出しになり始めていたが、そこには火傷一つ付

いてはいなかった。

「・・レックス。邪神ニデキナクテ残念。」

 自らの劣勢を理解し、アローザはレックスの放った火

炎の帯を躱すと、熱で変形した柵の上に跳び乗った。

「クソ!逃がすか!」

 レックスが駆け出してアローザの足首を掴もうとする

寸前、アローザは背後に広がる深い闇の谷間へと身を躍

らせた。

「アローザァァァっっっ!!」

 柵から身を乗り出し、思わずレックスは絶叫したが、

アローザの姿は瞬く間に、外堀の中を満たす暗黒の中に

溶け込んでいった。

「レックス、バギル!照明を頼む!」

 レックスの横を突風を身にまとったティラルが駆け抜

けた。

 柵を飛び越え、ティラルはアローザの後を追って、ア

ローザの落ちたとおぼしい方角を目指して飛び下りてい

った。

「照明って・・・。おい、ティラル!?」

 ティラルの言葉を俄には理解しかねるバギルに構わず

に、レックスはアローザとティラルの飛び下りた辺りの

空間から少しずれた位置へ火炎を放射した。

 僅かの時間、外堀の闇は破られ、降下し続けるアロー

ザとそれを追うティラルの姿が炎の中に照らし出されて

いた。

 炎が尽きるとすぐ、レックスは続けて次の火炎放射を

行った。

「・・何・・・?」

 周囲の風を操りアローザめがけて飛翔するティラルの

目に、明らかに体が変形したと思われる翼や触角の様な

ものが映った。

 ティラルやアローザを撃ち落とさない様に手加減され

たレックスの炎では充分には判らなかったが、その姿は

レウ・ファーの造り出す邪神の姿をティラルに容易に想

像させた。

 アローザもまたその翼で、落下ではなく飛翔を行って

いた様だった。

 広げられた翼の力で、アローザは容易にティラルの追

跡を振り切ってしまったのだった。

 辛うじて、堀の底へ真っ直ぐに放射された火炎の帯が

何かの穴らしき物を目指して飛ぶアローザの姿を映し出

し・・炎が途切れ、次の炎が放たれる一瞬の内に、ティ

ラルはアローザを見失ってしまった。

             ◆

 レックス達の所に戻ると、ティラルは手の甲で汗を拭

い大きく息を吐いた。

「すまない・・・。後・・・少しのところ・・・で、見

失って・・・しまった。だが、何かの・・・穴の様な・

・・入り口があって・・・、アローザはそれを・・・目

指していた様だった。」

 風を操って自らが飛翔する術は、かなりティラルの体

力を削っていた。

 ぜいぜいと息を切らしながら、ティラルは再び闇に包

まれた外堀の底の方を指し示した。

「穴・・・か。なら、それは多分、この神殿で昔使われ

ていた排水口か何かだと思うぜ。」

 父神から聞いた昔のザヘル神殿の様子を、ふと思い出

し、バギルはティラルの指差す方向を見た。

 確か、排水口は神殿の奥――堀の深さから言えば、神

殿本殿の地下の部分に続いている・・・と、父神が言っ

ていた事も思い出し、バギルの頭の片隅を嫌な予感が掠

めた。

 本物かどうかはともかく、アローザは怪物達を率いて

自分達を襲撃して来た。

 その怪物達は、今迄ソエリテの町に出現して暴れ回っ

ていたものと同一の種類のものだった・・・。

 ・・やはり、ザヘルが何か関わりを持っているのだろ

うか・・・?

 口に出される事は無かったが、バギルの思いはティラ

ルやレックスも同様だったらしく、暫くの間、誰もが押

し黙って立ち尽くしていた。

 彼等の視線の先には、深い闇を湛えた外堀があった。

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