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第6章「魂の行方」

 空中城塞都市ラデュレー・・その神殿の一室で、レウ

・ファーは新しい邪神の製造に取りかかっていた。

 レウ・ファーの細胞の力で、何かの内蔵の内部の様な

質感へと変化した部屋の壁からは、幾本かの触手が伸び

て室内に並べられていた邪神達に絡み付いていた。

 触手に覆い尽くされた邪神達は一度形を失い、不定型

の赤黒い肉の塊へと変化した。

 それらはうごめく触手にこね回される様にして形を変

え、他の塊と混ぜ合わされ・・二、三体分の邪神が、一

体の邪神として造り直されていった。

 ・・邪神の再製造による、能力の向上については。

 神経回線を通じて、出来上がった邪神の性能について

の資料がレウ・ファーの頭脳へと送信されて来た。

 体力や攻撃力、防御力など、数字の上ではそれなりに

向上は見られてはいたが、何体かの邪神を融合して一体

の邪神に仕上げる方法は、余りレウ・ファーの満足のい

くものではなかった。

「・・・まあ、仕方が無い。時間が足りない・・・。」

 製造された邪神の情報を吟味しながら、レウ・ファー

は独り言を漏らした。

 今回は、レイライン集束点を占拠する事自体よりも、

「虚空の闇」から召喚された魔神や、ソエリテに出没す

る怪物達への対抗の為に、邪神の能力を出来るだけ高く

しておく必要があった。

 取り敢えず使い物になりそうな邪神を三体選抜し、大

広間へと移動させた。

 邪神達が広間に着いたところで、レウ・ファーは幻神

達を呼び集めた。

 幻神達が広間にやって来たところで、

「・・ソエリテのレイライン集束点は、土地神ザヘルの

神殿地下である事が判明した。」

 主の命令を待って広間の中央に佇む三体の邪神の頭上

に、ソエリテの地図とレイラインの解析結果をレウ・フ

ァーは映し出した。

 ソエリテでバギル達に破壊された邪神達は、解析した

全ての情報を既にレウ・ファーへと送信していたのだっ

た。

 肉管の絡まり合った腕を伸ばし、レウ・ファーは邪神

達を指し示した。

「ファイオよ・・・。新しい邪神を与える。再度ソエリ

テに行き、集束点の占拠を行うのだ・・・。」

 レウ・ファーの言葉が終わると同時に、邪神達はゆっ

くりと動き始め、ファイオの目の前迄やって来るとその

場に跪いた。

 今回の邪神も、全身を陶器の様な光沢を持つ表皮に被

われ、ファイオ達よりもやや大柄な程度の体格をしてい

た。

 両肩と肩甲骨の辺りからは三十センチ程の長さの紐状

の触手が伸びている程度で、これと言った武器になりそ

うな爪や翼などは見当たらなかった。

 これで、前回ソエリテに連れて行った邪神よりも強い

のだろうかと、ファイオや他の幻神達も少し疑問に思っ

た。

「判ったワ・・・。仕方無いわネ・・・。」

 溜息をついて答えるファイオの横で、パラは不満気な

表情で邪神達を眺めていた。

 またも集束点占拠の任から漏れた事が気に入らない様

子だった。

 そんなパラの頭上に、不意にレウ・ファーの声が降っ

て来た。

「・・パラよ。お前にはまた新たに「心の深い闇」の採

集に行ってもらいたい。」

「・・・はい。」

 パラは眉を寄せ、露骨に不愉快そうな表情を浮かべた

まま頷いた。

 集束点の占拠を巡っての「神国」の戦神達との華々し

い戦闘の遣り取りに憧れ・・またそれが、「神国」の神

々への復讐を実感出来る行為に違いないと言う思い込み

が、パラの心の中にあった。

「「深い闇」の採取による邪神の製造こそが、集束点占

拠の基礎となる事だ。それをないがしろにして、占拠の

成功はあり得ない・・・。」

 レウ・ファーの付け加えた言葉に、一応はパラの不満

も幾らかは和らいだ様だった。

 だが、そうした言葉も、決してレウ・ファーの思い遣

りから出たものではない事を、パラ以外の幻神達は知っ

ていた。

 パラの不満という心の動きもまた、レウ・ファーは一

つの情報として分析し、レウ・ファーにとって扱い易く

する為に不満を和らげる言葉を掛けたに過ぎなかったの

だった。

 広間の宙の一隅に映写された邪神の頭数を示す情報へ

目を向け、パラは黙って頷いた。

 強力な型の邪神の製造を、今回は既製の邪神の融合と

合体で間に合わせた為に、手持ちの邪神の数はかなり減

ってしまっていた。

 ファイオもまた、その画面を見た後、不審気な眼差し

で目の前に跪く邪神達を見た。

「こいつら、ホントに強いんでしょうねエ・・・。また

バギル達に引っかき回されンのは嫌よォ!」

 野太い声で上げられたファイオの抗議に、レウ・ファ

ーは白い仮面を頷かせて答えた。

「数値的には全く問題無い。この三体で充分だ。」

 何の感情も感じ取れないレウ・ファーの合成音声を聞

き流しながら、ゼズは宙の片隅に映し出されているソエ

リテに出現したという半妖半女の怪物の映像を見つめて

いた。

 一応の分析はその怪物に対しても行われていたが、レ

ウ・ファーの有する莫大な量のデータベースにも該当す

る種類の怪物は見られなかった。

 何者かによって作り出された可能性が極めて高い、と

レウ・ファーは一応の結論を付けていた。

 一体誰が、何の為にこの様な怪物を作り出したのか?

 ゼズのその疑問にはレウ・ファーも未だに解答を得て

おらず、幻神達には何の情報も示されてはいなかった。

「・・気になるか?」

 ゼズの視線の先にあるものに気付き、レウ・ファーは

肉管の腕を伸ばし、怪物の立体映像をゼズの目の前へと

移動させた。

 実物大の立体映像は、今にも動き出しそうな精密さで

表現されていた。

 半妖半女の怪物の姿に嫌悪感を催しながらも、一方で

作品としての出来映えに、ゼズは知らず興味を掻き立て

られていた。

「・・恐らく、これを作ったのはソエリテの土地神ザヘ

ルだろう・・・。」

 レウ・ファーの言葉がゼズの頭上に響くと同時に、怪

物に立体映像の横に土地神ザヘルやその娘アローザの大

まかな資料が浮かび上がった。

 ファイオやパラ、ザードはそんな資料には全く興味を

示さず、ゼズだけが無言のまま空中の資料に目を走らせ

ていた。

 一体誰が、何の為に怪物を作り出したのか・・その答

えを既にレウ・ファーが出していた事に、ゼズは今更な

がらに戦慄した。

 レウ・ファーの判断の根拠としては、ザヘルが生物実

験に精通していた事や、怪物の女の顔の部分や邪神に付

着した細胞の遺伝子が高い確率でアローザと一致してい

た事などが挙げられていた。

 だが、何気無く付け加えられている、顔の部分が一致

していると思われる二、三柱の神々の名前の中に「フィ

アン」という名を見かけ、ゼズは何故か漠然とした寒気

を感じたのだった。

「・・それじゃあ、ボクはこれで。」

 そう言って広間を出て行こうとするザードに、ゼズ達

は訝し気な視線を向けた。

「ちょっとォ、アンタ何処行くのよォ!」

 ザードの勝手な振る舞いには慣れたものの、何となく

胸騒ぎを感じてファイオは思わず問い掛けた。

 広間の扉の前でザードは立ち止まり、歯を剥いた禍々

しい笑みをファイオ達へと返した。

「バギルを殺しにソエリテに行くに決まってるじゃない

か!・・・他に、このボクが動く理由があるのかい?」

 そう答えながら、ザードはバギルの殺害を空想しなが

ら嬉しそうに細い目を更に細め、握り締めた拳を震わせ

た。

「あの辺一帯を丸ごと消滅させてもいいねえ・・・。町

も山もバギル毎ふっ飛ばそうかあ。・・・ゼームはまた

森林が無くなるって怒るだろうけどね。」

 ザードの狂気に満ちた独白を、幻神達はただ呆然と眺

めているしかなかった。

 今の狂気の化身の様なザードならば、言葉通りの事を

平然とやってのけるに違いない。しかし、ゼズ達にはそ

れを止めるだけの力など無かったのだった。

 レウ・ファーやザードに対抗出来るだろうゼームはも

うずっと自室で、瞑想とも昏睡ともつかない状態で眠り

に就き、ひたすら神霊力の回復に専念していた。

 彼女がいつ目を覚ますかなど、誰にも判りはしなかっ

た。

「・・勝手にするがいい。だが、集束点の占拠に支障が

あった時には容赦せんぞ・・・。」

 白磁の仮面から冷厳な声が発せられ、ふらふらとした

足取りで扉の向こうに立ち去ったザードを見下ろしてい

た。

 「神国」の秩序に、混乱と破壊を与える・・レウ・フ

ァーのその目的については、ザードは充分に役立ってい

た。その限りに於いてはザードの勝手な行動も、レウ・

ファーにとっては許容範囲の内だと言えた。

 ザードが去ってすぐ、レウ・ファーは空中の資料映像

を消し去り、ファイオとパラへもう一度命令を繰り返し

た。

「・・それも消すぞ。欲しければデータカードに記録し

て後で与えよう。」

 レウ・ファーはゼズの眼前のザヘルやアローザ、怪物

の資料を指差した。

「・・・はい・・・。」

 レウ・ファーへの屈辱感から、僅かな逡巡の間を置い

て、ゼズは微かに眉を震わせながら頷いた。

 幻神達が全員広間を去った後、ゼズに与えるソエリテ

の怪物に関する情報をデータカードディスクに記録しな

がら、レウ・ファーはそれと並行して半ば気紛れにザヘ

ルに関する情報を覗いてみた。

 百五十年前に娘を失った事。それ以来他の親族との関

わりを断ち、自分の神殿にこもり続けている事。そこで

一つの実験を繰り返している事・・・。

 ・・死んだ娘恋しさに、禁忌の実験をも厭わない父親

の情愛、とでも言ったところか。

 娘への親の心の細やかな動きもまた、レウ・ファーの

前では一つの分析されるべき情報に過ぎなかった。

             ◆

 翌朝。バギル達の泊まっていた宿の火事は無事に治ま

り、焼け出された宿泊客もその殆ど全員が朝の内にソエ

リテを出立していった。

「ふつーはよ、非常事態宣言なり、「神国」本部に詳し

い報告や、救援を求めるなりの連絡をするもんだよなァ

・・・。」

 ひどい目に遭ったと怒り、また、怪物の記憶に怯えな

がら次々に立ち去っていく観光客の後ろ姿を見送りなが

ら、バギルは焼け残った庭園の庭石に腰を下ろした。

「そうだな・・・。何か、おかしい。」

 ティラルもまた、バギルの言葉に頷き、首をかしげて

いた。

 この連日の怪物騒ぎにも関わらず、町の長でもある土

地神ザヘルは事件に対する然るべき処置を殆ど何も講じ

てはいなかった。

 町に駐在する護法庁の警官や、消防隊員達の一層の努

力を期待する・・。

 そんな形式めいた言葉が辛うじてザヘルから発せられ

ただけだった。

「とにかく次の宿を探そうか。」

 溜息をつき、バギルは隣で焼け残った自分達の荷物の

確認をしていたティラルに声を掛けた。

 煤や消火用水などで汚れてはいたものの、ティラルの

甲冑の入ったトランクを始め、耐火耐水の処置を施され

ていた三神の荷物はほぼ無事だった。

 ティラルはトランクを閉めて立ち上がると、バギルの

方を向いて軽く頭を横に振った。

「いや・・・それはやめた方がいい。今回の怪物達は明

らかに私達を狙っていた。この調子だと、また次の宿で

同じ事が起きるだろう・・・。」

「そうか・・・。そうだよな・・・。」

 バギルはまた溜息をつき、何とか半焼で残った宿の建

物を振り返った。

「・・それなら、確か町外れに空き家があった筈だぜ。

まだ使えるかどうか判らんけどな。」

 そう言って、焼け残った調理場から朝食用のパンとス

ープを三神分調達してきたレックスが、ティラルの横に

あった自分の荷物の側にどっかと腰を下ろした。

「空き家か・・・。」

 レックスからパンとスープを受け取りながら、バギル

とティラルは呟いた。

「そうだな。そこなら町の奴を巻き込む事も無いだろう

しな・・・。」

 がつがつとパンを齧りながら、バギルはレックスの話

に賛成した。

 そうして、取り急ぎの朝食を済ませて三神がやって来

たのは、町の中心部から随分離れた山に近い場所にある

古い小さな一軒家だった。

 辺りに人家はまばらで、別荘地と書いてある看板が途

中の道に立っていた。時々見かける無人の家屋は、長期

に滞在する湯治客が使う別荘らしかった。

 どの別荘も手入れが行き届いており、小奇麗に整った

印象を与えていたが、怪物騒ぎの今は利用する者も無く

管理者棟の小屋すらも無人となっていた。

 レックスの案内で着いたのは、随分と傷んだ古い丸木

組の小屋だった。

「ここ・・・かよ。」

 バギルが半ば感心した様にぼろぼろに傷んだ小屋の屋

根を見上げた。

 かつては簡素なログハウスだったのだろうが、今では

背の高い雑草やその枯れ葉にまみれ、木材の至る所に虫

食いの穴や染みが見られた。

「・・まあ、まだ何とか形はのこってるな。」

 レックスは足で枯れ草を左右に踏み分け、ひび割れた

小さな石段を上がっていった。

「随分傷んでいるな・・・。しかし、勝手に使っていい

のか?一応は誰かの持ち物じゃないのか?」

 レックスの後に続いて段を上がりながら、ティラルは

何気無く尋ねた。

「ああ・・・。アローザの隠れ家だ。」

 意外にあっけらかんと、レックスは感慨深い筈の女神

の名前を口にした。

 小屋のドアノブもぼろぼろに錆び付き、既に鍵も用を

なさなくなっていた。

 アローザの名に、ティラルとバギルが当惑の表情を浮

かべている間にも、レックスは半ば押しやぶる様にして

古びた木のドアを開けた。

「これなら何とか使えそうだな。」

 埃とカビの臭いの充満する玄関から内部を見ながら、

レックスは満足気に呟いた。

 玄関から入るとすぐ、小さな居間兼台所があり、短い

廊下の先がすぐ寝室になっていた。

 板敷きの床には、外の眺めと同様にあちこちに破れ目

や虫食いがあり、レックス達が歩みを進める度にみしみ

しと頼り無い音を立てた。

「当分はここに寝泊まりだな・・・。」

 荷物を床に投げ下ろすと、レックスは居間の窓を開い

た。

「ちっとは掃除しねえか?すげえ埃じゃねえか!」

 床を踏み外さない様に、そろそろとバギルが小屋中を

歩き回る様子を背後に感じながらも、レックスは適当に

相槌を打って済ました。

「・・ああ。適当に頼む。」

 窓から差し込む、昼にはまだ間のある白々とした陽光

の中で、ふと、レックスはアローザの事を思い出してい

た。

 ・・秘密の隠れ家なの・・・。レックス、あんたにだ

け教えてあげるわ!

 父親と喧嘩した時に、秘密の隠れ家としてこの小屋を

よく使っていたと、アローザはかつて他愛の無いお喋り

の中でレックスに教えてくれた事があった。

 時には半年近くもこの小屋で暮らして、ザヘルから独

立した生活を送っていた事もあったという。

 やがてレックスとの出会いの中で発揮されるその冒険

心は、ここでの生活で育まれていったのだろうか。

 アローザはこの隠れ家で・・この町で、レックスと出

会う迄の間、どんな生活を送り、どんな人生を送ってい

たのだろうか。

 ・・レックスがアローザと出会ったのは、ソエリテか

ら少し離れた小さな町だった。

 今では覚えてもいないちょっとした宝物を巡ってのい

ざこざの中で、彼女と出会い・・そして仲間になった。

 アローザはレックス達と共に旅を続ける事を選び、家

出同然にソエリテを飛び出し・・二度と帰る事は無かっ

た。

「・・・そうしたら、昼迄に一度、パトロールと食料調

達も兼ねて町迄戻ろうか。」

 不意に掛けられたティラルの声が、レックスの物思い

を破った。

「あ、ああ・・・。そうだな。腹も減るしな。」

 レックスはのろのろと振り返り、真紅のマントにまと

わり付いた綿埃を払いのけると、ティラル達と共に小屋

を出て行った。

            ◆

 町の中心部に来るとすぐ、バギル達はそれぞれ別行動

を取った。

 ティラルの指示で、無差別に暴れ回る怪物と、自分達

を狙う怪物のどちらが出現しても、すぐに対応出来る様

に、それぞれ通信球を持って連絡を取れる様にした。

 どちらが現れるのか・・或いは現れないのか、今のと

ころバギル達には全く見当もつかなかった。

「・・あーあ。」

 何時間か当ても無く町を歩き回った後、バギルは溜息

をついて適当な石材の土台の上に腰を落ち着けた。

 火事の後の瓦礫の横でも、復旧作業に励む者達を相手

にした屋台が何軒か出され、逞しく商売に励んでいるの

がバギルの目に入った。

 今のところ怪物らしきものの活動する様な気配は全く

無く、消火後の焼け焦げた瓦礫の上には澄んだ青空が広

がっていた。

 怪物を恐れて住人達は、昼間から外出を殆どやめてい

た。

 幾らかは残っていた観光客も、昨日の、バギル達の泊

まっていた宿の中に迄怪物が侵入して来た騒ぎが起きる

に至って、ほぼ全員が今朝の内にソエリテを出立・・い

や、脱出してしまっていた。

 しかし一方で、町の住人達の間には、あの「神国」と

ダイナ山脈の神殿から事件解決の為の神員が派遣された

という知らせが行き渡っており・・「神国」の神々が来

たから大丈夫だという無責任な安堵感と、未だに根強い

怪物への恐怖感とがないまぜになっている様な、中途半

端で緩慢な緊張感が町には満ちている様だった。

 そのせいか、瓦礫を片付ける人々や屋台の商人達は、

バギルの方をちらちらと見ては、互いに安堵の微笑みを

交わしていた。

 あれがダイナ山脈の主神様だとさ。腕が立つっていう

から安心だな・・そんな会話も、時々バギルの耳に届い

て来た。

「・・参ったな・・・。」

 バギルは暫く休んだ後、やれやれと溜息をついて立ち

上がった。

 怪物の出現に備えて町をパトロールした方がいいに決

まっているものの、自分達を狙う方の怪物が町中に現れ

てしまった場合、確実にまた町の人々を巻き込んでしま

うだろう。

 そんなジレンマから、バギルは何となくパトロールに

も身が入らずにいたのだった。

「・・まあ、何とかなるか・・・。」

 沈みがちになる考えをひとまず放り出し、バギルはま

だ無傷で残っている小さな公園へと足を踏み入れた。

 普段ならば町の住人や、通りすがりの観光客の姿があ

る筈のその公園も、全く人気が無く静まり返っていた。

 バギルは薄汚れた木の小さなベンチに腰を下ろすと、

懐の中から小さな巾着袋を取り出した。

 その中から小さな水晶玉・・通信球を取り出すと、精

神を集中させて起動させた。

 掌の上でバギルの念を受けて、薄青い光を放ち始めた

球体は、バギルの目の前に一柱の神の姿を映し出した。

 眼前に存在するかの様な鮮明さで、純白の髪と黒い長

衣が揺らめいた。

「・・バギルか。何の用だね?」

 昏い輝きを宿した額の瞳と、切れ長の目と・・三つの

黒瞳が深い夜の様な冷たさを湛えてバギルを見つめた。

 額の瞳は幻神のものとは違い視力も担っている為、そ

の眼差しには何者をも射抜くかの様な力が潜んでいるか

の様だった。

 冥界主神ヴァンザキロル・・死者の魂を導き、その安

寧を司る冥界を統治する神だった。

 立体映像とはいえ、地上に顕現する事は通常はまずあ

り得ない神だったが、特例として武術の弟子であるバギ

ルの連絡には応じる事になっていたのだった。

「・・いや、まあ、一応、定期的な連絡はするっていう

約束だったしな。修行も無理言って休ましてもらってる

しさ・・・。」

 笑いながらバギルはヴァンザキロルにいつもの調子で

話し掛けた。

挿絵(By みてみん)

 相手が死者の王たる冥界主神といえど、バギルの屈託

の無さは変わる事が無かった。

「そう頻繁に連絡せずともいいと言った筈だが・・・。

全く君は律儀な弟子だよ。」

 薄い微笑を浮かべ、ヴァンザキロルは小さく溜息をつ

いた。

 以前、「神国」で神々の制作した映画に出演した時に

共演したヴァンザキロルの強さに憧れたバギルが、無理

矢理冥界に迄押しかけ、強引に弟子入りをしたという経

緯があった。

「まあまあ、こういう事は、きちんとケジメを付けない

と。」

「・・そうだな。・・・それで、そちらの様子はどうだ

ね?」

 決して冷たいばかりではないが、しかし静かな口調で

ヴァンザキロルはバギルへと問い掛けた。

「・・えーと、今はソエリテに来てるんだ。怪物騒ぎの

調査で・・・。」

 バギルはここ二、三日の出来事をかいつまんで説明し

た。

挿絵(By みてみん)

 ソエリテに現れた怪物の事や、レックスとアローザの

事、土地神ザヘルの事等・・。

「・・・。」

 ザヘル父娘の事に思い至った時、バギルはふと言葉を

詰まらせた。

「・・どうしたね、バギル。」

 ヴァンザキロルは訝し気に尋ねながらも・・この若者

に相応しい直情的な想いがバギルの表情に現れたのを感

じ取り、小さな溜息をついた。

 この弟子の質問は、いつでも熱い想いと共に真っ直ぐ

に向けられて来るのだった。

「・・アローザの事だけど。」

 何の前置きも無くバギルは切り出した。

「ふむ。」

 バギルの質問を、ヴァンザキロルは真面目な表情で受

けた。

「レックスを庇って死んでしまったっていう彼女は、一

体どうなったんだ?」

「・・死んでしまったじゃないか。」

「いや、そうじゃなくて・・・。」

 冥王の即答に、バギルは暫くの間困惑し、絶句した。

 例えば霊魂というもの。死者の世界・・例えば天国と

か地獄とかいうもの。生者と死者を隔てるという幽境の

大河・・・。

 例え神と呼ばれる身であっても、地上に生きる限りあ

る命を持つ存在である以上、どの様な神々も、その死後

の事をはっきりと知る事は出来なかった。

 確かに神国神殿を始め、世界各地には地上世界から冥

界へと通じる次元の穴は存在しているし、現にバギルは

それを通って冥界に修行に行っていた。

 生者と死者の境界の世界に住む神々や精霊を、バギル

はそこで見かけた事もあった。

 だが・・それでも、その生死の境界を超えた彼方の世

界については、地上の誰一人はっきりと体験し、見聞き

した者は居ないのだった。

 厳然と超え難い生死の境界の下、微かな夢物語の様な

知識の中で、冥界の主神たるヴァンザキロルとその統治

する世界の有り様が地上の神々と人間達に知らされるだ

けだった。

「・・いや、レックスがさ・・・。アローザとかいう奴

の事を気に病んでるみたいだから・・・。」

 視線を落として困った様に頭を掻きながら、バギルは

もごもごと口ごもった。

 せめてアローザの魂が安らかな境地にあるのならば、

レックスも少しは元気になるかも知れない・・そんな単

純な思い遣りから出たバギルの質問だった。

「ほら、死者の魂は冥王が管理してんだろ?」

 もう一度ヴァンザキロルの方へと顔を上げたバギルの

耳へと届いた言葉は、信じ難い答えだった。

「バギル・・・。死者の魂など、何処にもありはしない

し、何処にも行きはしない・・・。」

 冥王の三つの黒瞳は深く澄んだ輝きを宿し、驚きと呆

気に取られるバギルの表情を静かに映し出していた。

 黒衣に覆い被さる純白の髪が、ヴァンザキロルの吐息

に微かに揺れた。

「・・・バギル。友を思い遣る心は素晴らしいものだ。

しかし、お前のその問いは、安易に私に尋ねていい事で

はないよ・・・。」

 穏やかな口調で子供を諭すかの様なヴァンザキロルの

言葉だったが、その中に潜む厳しいものはバギルの背筋

に冷たいものを走らせた。

 初めてバギルは・・「冥王」としてのヴァンザキロル

を、目の当たりにした様な気がしていた。

 死者の永遠の静寂と安寧の眠りを司る神。

 死の闇の彼方に立って、死者の魂の行方を見守る神。

 ・・神々への古い讃歌の一節にある冥王の部分を思い

出しながら、バギルはいつの間にか冷や汗をかいていた

事にやっと気が付いた。

「・・まあ、君達の友情に免じて、一つだけ「神託」を

与えよう。」

 先刻迄の昏く冷厳な貌が幻の様に消え去り、ヴァンザ

キロルは柔らかな笑みを浮かべた。

 仰々しい「神託」と言う言葉も、何処か冗談めいた軽

い笑いと共にヴァンザキロルの口に上っていた。

「レックスは本当は、アローザの魂の行方よりも、アロ

ーザの死を悼む・・いや、自分の痛む心の行方に囚われ

ているのではないのか・・・?」

「え?」

 それ以上ヴァンザキロルは言葉を続ける事もなく、一

方的に通信を打ち切った。

「あ!」

 まだ話をしようとバギルは声を上げたが、何の余韻を

残す事も無く、瞬く間にヴァンザキロルの立体映像は掻

き消えてしまった。

「アローザの魂よりも、自分の心って・・・。一体何な

んだよ・・・?」

 自分の単純な頭では理解に余るヴァンザキロルの「神

託」に、バギルは暫くの間、何度も首をかしげていた。

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