第3章「帰り往く道」
「奥の院」・・それは「神国」の様々な組織や機関、
分野等で長を務め、或いは多大な功績を残した者達で構
成される集まりだった。
何事かを決定したり、強制する様な権限は建前上無か
ったが、「神国」成立以来の伝統と長老格の神々の助言
や監督は絶大な影響力を持っていた。
「・・「神々の森」の集束点の占拠が終わったそうだね
え・・・。」
「ほほ。ゼバエノも気の毒な事よ。千三百年近くの研究
が実らず終い・・・。」
「レイライン集束点か。「神国」の下等な神々めが、ケ
ウ・ファー一神の為に大騒ぎじゃのうし・・。」
「奥の院」・・地下のドーム状の大広間で、集まった
神々は口々に「神々の森」の集束点占拠の件について喋
り合っていた。
そこに、地下の広間の中に満たされていた薄明かりが
ふと掻き消され、神々の姿は深い闇の中に沈んだ。
それ迄好き勝手にあちこちから上がっていた神々の喋
り声も、一気に静まり返った。
一片の光も無い暗黒の空間に浮遊し、また佇んでいる
神々の視線が、緊張と畏怖と共に広間の一点へと集中し
た。
「・・夢と幻の原初、我等は輝ける一つであった。」
誰からともなく、何処からともなく、詩を吟ずる様な
声が上がり、集まった全ての神々がそれに和して詠唱を
続けた。
・・世界は我等であり、我等は世界そのものであった
・・今、世界に生み出され、我等は世界から隔てられ
てしまった
・・我等は余りに卑小で、世界は余りに偉大である
・・我等は願う
・・輝ける原初への還元 麗しき始原への合一 無限
なる世界との融合
・・我等は願う
・・世界に生み出された我等が 今度は世界を生み出
す事を
・・再び世界が我等となり 我等が世界そのものとな
る為に
・・「世界を生み出し 形作る力」を!!
・・創造神イジャ・ヴォイの「力」を我等に!
神々の詠唱が終わると、大広間の床の上に仄かな光が
灯り、巨大な紋様が現れた。
一つの眼から広がる六枚の花弁。それぞれの花弁には
不可思議な文字とも模様ともつかないものが刻印されて
いた。
その紋様の眼の部分に、青いマントに包まれた神の姿
が忽然と出現した。
それと共に、ドーム状の天井からくるくると回転しな
がら球状の体に二つの顔を持つ神が青いマントの神の傍
らへと降下し、集まった神々を見回した。
「皆に報告があるというが、何事か?ベナトよ。」
球状双面の神の呼び掛けに、朧ろ気な明かりと闇の入
り混じった薄暗い闇の彼方から、灰色のマントをまとっ
た神が姿を現した。
それは、ソエリテの土地神ザヘルの許を訪れていた神
だった。
ベナトはマントのフードを取り、鱗に覆われた素顔を
現すと、居並ぶ神々に向かって口を開いた。
「私の研究は皆も知っての通り、「世界を生み出し、形
作る力」を得る事。今回、その「力」を使いこなすに当
たって、情報収集の為の模擬実験を行う事とした。」
「世界を生み出し、形作る力」・・その言葉に、集ま
った多くの神々はざわめき立った。
「奥の院」の多くの神々は、その「力」についての研
究を行っていたのだった。
「・・模擬実験と言うが、どの様にして・・・?」
「・・そもそも当のレウ・ファーは既に生まれ、今、独
自の活動をしているではないか。」
「・・奴は我々の当初の理論が予測した通り、独自の自
我を発現させた。下手な制御を行えば・・・。」
口々に騒ぎ立て始めた神々を手で制し、ベナトは細か
な鱗に覆われた人指し指を上げ、宙空にレウ・ファーの
立体映像を映し出した。
「現在、「神国」に造反した機械神・・いや、「虚空の
闇」よりヌマンティアの御業によって生まれ出た魔神・
レウ・ファー。奴こそが我々に「力」を与え、我々の目
的を叶える為の道具となる神・・・。勿論、私とて奴に
直接下手な手出しをするつもりも無い。」
そこへ、ベナトの言葉を少し遮る様に、双面の神は背
後から冷たい声を掛けた。
「それは当然の事だ。<レウ・ファー>の誕生は・・・
いや、創成の成功は、今回の例が初めてだからな。お前
如きの下手な実験の為に<レウ・ファー>を使う訳には
いかん。」
その言葉にベナトは頷いた。
「奥の院」の多くの神々は、現在に至る迄各自が何千
年も何万年も、「虚空の闇」の中から一つの魔神を生み
出す実験を重ねてきた。
だが、そうして生み出された魔神のどれもが出来損な
いや生まれ損ないだった。
また、運良く成功し地上の世界に生まれかけたとして
も、過去と哀しみの女神・ゴレミカやその他の地上の有
力な神々の妨害に遭い、実験の悉くが失敗に終わってき
たのだった。
「確かに<レウ・ファー>は我々にとって貴重な一体。
だからこそ、失敗を避ける為、本番に備えて出来る限り
の情報を収集する必要がある・・・。」
ベナトはそう言って鱗に覆われた手を軽く上げ、宙に
浮かぶ立体映像を切り換えた。
次に映し出されたのはダイナ山脈・・ソエリテの町の
地図と、二柱の神の写真だった。
「ソエリテという町には管理者が置かれた大きなレイラ
イン集束点がある。そこのエネルギーを利用して、<レ
ウ・ファー>型の魔神の創成実験を行う事とした。管理
者であり土地神でもある火神ザヘルを、百年程掛けて洗
脳し、先日より本格的に実験の準備に・・・。」
「・・おい!ザヘルとやらの隣の写真っ!こやつ、ルフ
ォイグではないかっっ!!」
説明をしていたベナトの言葉を、甲高い老女神の声が
遮った。
彼女の声には明らかに、ルフォイグに対しての嫌悪と
恐怖の感情が現れていた。
薄闇の空間に影の様に佇む他の神々からもまた、様々
な感情の入り混じった視線がベナトへと注がれていた。
ある者からは同様に嫌悪が。ある者は蔑み、またある
者からは嘲りの感情が視線に込められていた。
「・・・その通り。「虚空の闇」を扱うに当たって、助
手として手頃な魔神を召喚したのだ。」
ベナトは他の神々からの非難の視線を、むしろ優越感
を以って心地良く受け止めていた。
「・・な、何が手頃な神ぞよ!「虚空の闇」の魔神を舐
めて掛からぬ事じゃ。いづれはお主の手にも余る事にな
るぞよ・・・っ!」
低く唸る様な老女神の声が、ベナトへと投げつけられ
た。
しかしベナトは尊大な口調を隠しきれずに、
「破壊神ラエ=ノイやヌマエヘ・・・。ヴァルディヌス
など、名だたる「ヌマンティア」の魔神や邪神ならいざ
知らず、ルフォイグ如きの制御で弱気になる様ならば、
<レウ・ファー>の本番での制御など、永遠の夢物語で
はないですかな・・・?」
ベナトに賛同する者、反対する者、成り行きを楽しむ
者・・それぞれの発する意見や話し声が、暫くの間、薄
闇の大広間を埋め尽くした。
「・・ベナトよ。今回のソエリテという町のレイライン
集束点にも、当のレウ・ファーが目を付けた・・・。」
青い神影から発せられる冷たく硬い声が瞬時に、居並
ぶ神々の舌を凍り付かせた。
「レイラインについての行動をしている以上、ゼバエノ
の様に、互いの行動が重なってしまうのは充分あり得る
事だな。」
青いマントの神の周囲をゆっくりと漂いながら、双面
の神はベナトへと片面の顔を向けた。
瞬時に静まり返った空気の中で、ベナトは驚きに身を
固くしたまま、青いマントの神の姿を凝視した。
前回ゼバエノは、レウ・ファーが「神々の森」のレイ
ライン集束点を占拠した為に、自分の研究の一方的な無
期限中止を宣告されてしまったのだった。
ベナトもまた、同様の理由で実験の中止を言い渡され
てしまうのだろうか?
「奥の院」の神々にとって、自分の研究や実験の挫折
や中止は、何物にもまして耐え難い苦痛だった。
「私の実験を・・・中止、せよ・・・と?」
そう問い掛けるベナトの気持ちを、何処か弄ぶかの様
に暫くの間、青いマントの神は黙考し・・それから漸く
重々しく口を開いた。
「・・それには及ばない。本番に備えての情報収集もま
た重要な事だ。だが、ソエリテでの実験・・充分気を付
ける事だ。」
それだけを言い置くと、ゆらゆらと青いマントの翻る
余韻を後に、青い神影は大広間から姿を消した。
青いマントの神の許しを得たものの、ベナトは暫くの
間、気が抜けた様にその場へと立ち尽くしたまま長い時
間を過ごしていた。
◆
澄んだ青空を背にしたダイナ山脈の峻厳な連なりも、
遠くに見える見慣れた自分の神殿も、バギルにとって気
を急く今は何の感慨を催すものでもなかった。
「おいおい、ちったぁゆっくり歩けよ!」
灰白色の岩山の斜面を削り取った階段を、バギルは半
ば駆け上がる様にして先を急いでいた。
その背後からレックスの怒鳴り声が追い掛けてきた。
仮にも戦神を名乗るレックスとティラルは、決してバ
ギルの歩みに遅れを取っている訳ではなかった。それは
既に体力の尽きた神官の青年を気遣っての呼び掛けだっ
た。
如何に鍛えた人間と言えどバギル達の足にかなう筈も
なかった。
ぜいぜいと呼吸も荒く、青ざめた青年はティラルに背
負われていた。
「あ・・・ああ、悪い・・・。」
やっと気付いたかの様に、バギルはレックス達を振り
返った。
レックスとティラルは顔を見合わせ、呆れた様に小さ
な溜息をついた。
バギルにとってはかなりペースを落とした足取りで、
それから暫くの時間をかけて彼等は階段を上り切った。
長い階段を上り詰めた場所には、周囲の岩山と同質の
薄い灰色がかった石材で造られた巨大な神殿の数々が聳
えていた。
岩盤の露出した山肌に建ち並ぶ神殿は、ダイナ山脈に
関係する主立った神々のものだった。
ダイナ山脈の主神として本来バギルが坐す神殿は、今
階段を上り切ったレックス達の目前に聳える一際大きな
建物だった。
「へえ・・・。お前にしては仲々いい神殿を持ってるじ
ゃねえか。」
「お前にしては、は余計だよ。」
レックスのからかいの一言に、バギルは少し不愉快そ
うに眉を寄せて振り返りながらも、すぐに前を向いて足
早に歩き始めた。
バギル達がガラス張りの神殿の正面玄関をくぐるとす
ぐ、長い廊下が続いていた。
すれ違う何人かの神官や参拝客への挨拶もそこそこに
バギルはペースを落とす事無く歩き続けた。
やがて、長い廊下の果てに一つの堅牢な石造りの扉が
現れ、その近くをバギル達とすれ違った老人の神官が軽
く会釈した。
「・・お帰りなさいませ、バギル様。中でジェガル様が
お待ちですよ・・・。」
「ああ。判ってる。・・それと、こいつを頼む。」
バギルはそう言ってティラルの背負っていた青年の介
抱を老人に頼むと、石の扉を開けて中の応接間へと足を
踏み入れた。
レックスとティラルも老人を見送ると、バギルの後へ
と続いた。
間取りを広く取った空間に、細かな模様を刺繍した真
紅の絨毯が広がり、火山岩で出来た彫刻の数々が部屋中
に不規則に配置されていた。
誰の趣味なのか、逞しい男神像や美しい女神像がある
かと思えば、螺旋や角錘体を組み合わせた不可思議なオ
ブジェもあった。
応接間の中央にはソファがあり、バギルの両親はそこ
に腰を下ろし、息子の帰殿を待っていた。
「・・やっと帰ったか。今日はここ迄来るのに随分時間
を食ったな。」
筋骨逞しい大柄な中年の男神が、からかう様にバギル
へと笑いかけた。
彼がバギルの父神・・前のダイナ山脈の主神・ジェガ
ルだった。
「うるせえよ。神官と一緒だったんだ。いつもみたく走
って来れる訳ゃねえだろ。」
父神の向かい側の席へと、バギルは不機嫌そうにむっ
とした表情を浮かべて腰を下ろした。
バギルの言葉に少し吹き出しそうになってしまうのを
レックスは堪えた。
「・・ようこそ。ダイナへ。どうぞお掛け下さいな。」
燃える様な紅い色の長い髪を後ろに結い上げ、飾り気
の無い簡素な白い長衣を纏った婦神が、レックスとティ
ラルに微笑みかけた。
バギルの母神・ルシェネに勧められるまま、二神は軽
く会釈してバギルの隣に腰を下ろした。
「「神国」からのお客神なんて何十年ぶりかしらねえ・
・・。どうぞくつろいでいって下さいね。」
にこやかに話し掛けるルシェネに、レックスは珍しく
曖昧な笑みと丁寧な口調で言葉を返した。
「いや、どうかお気遣い無く・・・。」
他神の神殿の応接間というのは苦手らしく、レックス
は何処か落ち着かない様子だった。
「くつろいでる場合じゃねえだろっ!おい親父!用件は
手紙で判ってんだから、さっさとソエリテの状況とか乗
り込む段取りがどうなってるか教えろよ!」
「あらまあ、バギルったら。」
鼻息も荒く父神に詰め寄るバギルを、ルシェネはのん
びりと微笑みながら眺めていた。
ジェガルは黙って座したままいきなりバギルの首根っ
こを押さえると、そのまま無造作にぶん、と振り回す様
にして自分の隣へと座らせた。
息子へと笑いかけながらも厳しい光をその紅い瞳に宿
して、ジェガルはバギルの顔を見据えた。
流石のバギルも、父神の眼光に呑まれてソファの上で
硬直した。
「いいからくつろげ!お前のやらなきゃならん事は、今
すぐソエリテに行って、すぐに片付く事か?」
息子の長らく晴れる事の無い焦りと苛立ちを見抜き、
父神は低い声で諭した。
バギルのやらなければならない事・・何よりも、成し
遂げたいと熱望している事は。
「・・。」
ザードののんびりとした笑顔が、同じ様にバギルとジ
ェガルの脳裏をよぎっていった。
それはルシェネもまた同様だったのか、僅かの間、誰
かを見つめているかの様に宙に視線を定めていた。
それからすぐに少し溜息を漏らし、ルシェネはバギル
へと話し掛けた。
「・・・バギル。あなたは知らないでしょうけど、百五
十年位前から、ソエリテのザヘル兄さんとはややこしい
事になっているのよ・・・。」
ソエリテの町を治める土地神ザヘルは、ルシェネの年
の離れた兄神だった。
彼は百五十年前にたった一神の愛娘を亡くして以来、
親族や他のダイナ山脈の神々や精霊達との交流を殆ど断
ち、もう百年近くも兄妹達の前にも姿を現していないの
だった。
「・・・!」
ザヘルと言う神の名に、一瞬レックスの顔がひどく強
張ったが、その場の誰も気付く事はなかった。
「一応、今はお前がこのダイナ山脈の主神だが、ザヘル
は取り合いもしないだろう。俺の性には合わないが、ダ
イナの主立った奴等の名前を連ねた命令書みたいなもん
を、今作らせてる。ザヘル自身は相手にしなくても、ソ
エリテでは動き易くなる筈だ。それ迄少し待ってろ・・
・。」
ジェガルはそれだけを言うと、やっとバギルの首根っ
こから手を離し、大股で応接間を出て行った。
「親父・・・。」
父神の気遣いに有り難さを感じながら、バギルは痛む
首をさすった。
「・・さあさあ、折角おいで下さったのだし、良かった
ら少し神殿を案内しましょうか。観光客に開放している
場所も多いのよ。」
人なつっこい笑みを浮かべ、ルシェネはティラルとレ
ックスの手を引いて立ち上がった。
余程、久し振りの来客が嬉しいといった様子だった。
「さ!バギルもお友達を案内してあげて!」
母神に促され、バギルはやれやれと溜息をついて立ち
上がった。
◆
「・・あの絵は私が描いたもので・・・。それから、こ
の先の中庭にはね・・・。」
神殿の回廊に掛けられた絵や、幾つかの部屋の由来な
どをにこやかにルシェネは説明していた。
少し疲れた様な表情を浮かべながらも、ティラルはル
シェネの説明に一つ一つ相槌を打って付き合った。
それに勢いを得てルシェネは、ますます楽し気に神殿
の案内を続けた。
ほどほどに返事をしておけばいいのに、とその後ろで
バギルは気の毒そうにティラルを眺めていた。
レックスもまたバギルの横で、さほど面白くもなさそ
うに頭の後ろで手を組み、のろのろと歩いていた。
「悪いな。付き合わせちまって。」
バギルは母の様子を呆れた様に見ながら、ティラルと
レックスに謝った。
「いや・・・。構わないとも。」
ティラルは律儀に、回廊に掛けられた風景画を一つ一
つ鑑賞していきながらバギルに微笑み返した。
「・・まあ、いいさ。どうせ、時間はあるんだしな。」
レックスもふっと笑い、ティラルに倣って幾つかの絵
を気紛れに見上げた。
そう答えながら、何処か物思いに耽っている様にも見
えるレックスの様子に、バギルは少し訝しげな目を向け
た。
「・・そうそう、この右手の廊下の先にはバギルとザー
ドが子供の時に使っていた部屋があるのよ!」
廊下が分かれた場所に差し掛かり、ルシェネはぽん、
と手を叩いた。
「へぇ?ザードもここに住んでいたのか!?」
レックスが意外そうな声を上げて、右に折れた廊下の
先へと顔を向けた。
「そうなのよ。だから、私にとっては二神、子供が居る
みたいなものかしらねえ・・・。」
我が子等の思い出を懐かしむ一方で、「神国」に反乱
を起こしている今のザードの境遇を想い、ルシェネの顔
には悲し気な影が差していた。
バギルの子供時代の部屋に続く廊下の片側には大きな
窓が並び、中庭からの日の光が穏やかに注いでいた。
「・・あいつとは、ずっと一緒だったもんな・・・。」
廊下の先にある部屋の扉を眺め、バギルは優し気な表
情と共に口許を綻ばせた。
「へえ・・・。」
レウ・ファーと共に行動している今のザードしか知ら
ないレックスとティラルには、バギルとザードが仲良く
暮らしていた子供時代の事など想像もできなかった。
「・・バギルが七歳位の時にあの子がやって来たのよ・
・・。」
誰に言うとも無しに、ルシェネはバギルとザードの子
供時代の事を話し始めた。
この神殿からそう遠くない山の一つで当時、地震と山
崩れが起きた。
その山には小さな村があり、ジェガルは神官達を率い
てその村へと救助活動に向かったのだった。
その崩れた山の中で、ジェガルは幻神の子供を助け出
した。子供は大人用のリュックサック等の荷物を持って
いた事から、恐らくは山崩れの際にその大人とはぐれて
しまったのだろうと思われた。
持っていた荷物から、その子供の名前はヒウ・ザード
という事が判ったが、何処から来たのか・・また、ザー
ドに同行していたと思われる大人が何処へ行ってしまっ
たのか、或いは生死がどうなったのか等は何も判らない
ままだった。
その子供・・ザードに尋ねても小さな子供の事でもあ
り記憶も曖昧で、ザード自身の事すらも殆ど答える事は
出来なかった。
幻神の死体は死後すぐに灰塵と化して消滅する為、同
行していたと思われる大人が死んでいたら尚の事、ジェ
ガル達にはその大人の行方も、彼等が何処から来たのか
も探しようがなかった。
結局、ジェガルはザードを引き取り、バギルと共に育
てる事に決めたのだった。
「・・ずっとそのまま、ザードはここで暮らしていたの
ですか?」
ふと掛けられたティラルの問いに、ルシェネは悲し気
に目を伏せて首を横に振った。
「いいえ・・・。・・私達はあの子が幻神だというこだ
わりは無かったんですけどねえ・・・。」
ダイナ山脈やジェガルの親族の神々・・特に、以前に
幻神の居る盗賊団の襲撃を受けた事のあるダイナ山脈の
南部を治める者達からの反対や嫌悪感は並大抵のもので
はなかった。
勿論、当時のダイナ山脈の主神であるジェガルの意思
を翻す事など、誰も出来はしなかったが。
しかしザードは自らに向けられる大人達からの侮蔑や
嫌悪感を敏感に感じ取り、十五歳になると同時に独立し
て暮らすと言い立ち神国神殿内へと居を構え、ダイナを
去っていったのだった。
その後は時々、密かにバギル達に会いに帰って来てい
たが、バギルが冥王ヴァンザキロルに弟子入りして後は
ますますダイナに帰る足は遠のいてしまっていた。
「・・・本当に、優しくて賢い子だったから・・・。」
ザードへの憐憫の情に涙声になるルシェネの姿は、我
が子を想う親の姿と何処も変わりは無かった。
「必ず、レウ・ファーの洗脳を解いて、あいつを連れ戻
すよ・・・。」
強く言い切るバギルの真っ直ぐな紅い瞳に、ルシェネ
は涙を拭いながら頷いた。
◆
翌朝、バギル達はジェガルの作った命令書を携えて、
新しく「神国」から支給された飛翔板でソエリテへと出
発した。
前の飛翔板はシーボームや「神々の森」で、土地神ラ
ンタや邪神と戦った際に故障してしまったのだった。
空路を取ったお蔭で、バギルの神殿から小一時間程で
ソエリテの町へと到着した。
ソエリテの町中に降下したバギル達は、早速土地神ザ
ヘルの神殿へと向かう事にした。
バギルがジェガルから聞いた話の通り、ここ最近頻繁
に出現する怪物の騒ぎで、温泉旅館や飲食店の並ぶ通り
や広場には火事の焼け跡や半壊した建物が多く目に付い
た。
湯治客もいないではなかったが、怪物騒ぎの為に緊張
に強張った顔や興醒めてしらけた顔をした者達も多かっ
た。
「ソエリテか・・・。変わらねえな・・・。」
ザヘルの神殿へと続く大通りを歩きながら、レックス
は何処か浮かない表情で呟いた。
「・・・?ここに来た事があるのか・・・?」
ふと漏らされたレックスの呟きに、ティラルは何気無
く問い掛けた。
「あ、いや・・・。知ってるヤツが、ここの出身なんだ
よ・・・。」
レックスは口ごもり、慌てた表情で言葉を濁した。
「そうか・・・。」
ティラルもバギルも大して気に留める事も無く、すぐ
に前を向くと土地神の神殿へと急いだ。
先を歩むティラルとバギルの向こうに小さく見える、
土地神の神殿の灰白色の屋根へと苦い感慨のこもった眼
差しを暫く向けた後、レックスは気を取り直して歩き始
めた。
◆
古い時代、「神国」の重鎮を務めたと言われる火神が
引退後この地方に坐していた名残の為に、田舎の小さな
温泉町にしては不釣り合いな程、ソエリテの土地神の神
殿は大規模だった。
バギル達がまずやって来たのは、町役場や公共施設と
して現在も使われている「謁見殿」と呼ばれる建物だっ
た。
「謁見殿」は昔も今も、来客が土地神に拝謁する際に
招じ入れられる場所だった。「謁見殿」だけでも他の地
方の土地神の神殿に相当する大きさだった。
「謁見殿」のすぐ後ろには巨大な外堀と壁とに囲まれ
た円形の建物があり、そこが土地神の住む神殿の本殿だ
った。
外堀に沿って円形に神殿本殿を取り囲む堅固な壁が聳
え立ち、その内部の様子は外からは判らない様になって
いた。
バギル達が通された「謁見殿」の広間に待っていたの
は、痩せこけて顔色の悪い初老の男だった。
それが、バギルにとってはおじに当たるソエリテの土
地神・ザヘルだった。
バギルの母神ルシェネよりもかなり年上の兄神とは聞
かされてはいたが、彼から立ち上る陰気な空気がより一
層、彼が老いているという印象を見る者に与えていた。
「・・歓迎はせんぞ。ダイナ山脈の主神を名乗る小僧よ
・・・。」
ザヘルの紅い瞳が更に血走って、異様な輝きを放って
バギルを射た。
この男が、あの朗らかな母神ルシェネと兄妹だとは、
バギルにはとても信じる事が出来なかった。
「・・・先日起こった、町の人間が変死したという事件
や、最近、この町で頻繁に怪物が出現するという事件が
続いているという事で調査に来ました。それから、「神
国」に反乱を起こした、機械神レウ・ファーという者に
関わりのある者が、ここで目撃されたという情報があり
・・・。」
バギルの型通りの挨拶とソエリテへの来訪の説明も、
ザヘルは半ば聞き流している様な様子だった。
ダイナ山脈の主神という肩書を背負って来訪している
のでなければ、聞いてもいない奴への挨拶なんかやって
られるか、と怒鳴り散らしてとっくに出て行くところだ
ったが、バギルは何とか堪えながら言葉を続けた。
「・・それで、今回「神国」から派遣された・・・こち
らが西方位神の火神レックス。そして東方位神の風神テ
ィ・・・。」
「西の・・・レックスだとぉぉっっ!!!!」
バギルが隣に立っているレックスとティラルを紹介し
かけたところで、突然ザヘルの憎悪に満ちた叫びが上が
った。
「お前が・・・レックスかッ・・・!!」
ザヘルの血を吐く様な怒声が、瞬時に広間の空気を焼
いた。
痩せこけて細い体の何処に潜んでいたのか、ザヘルの
体からは灼熱の怒気が奔流の様に溢れ出し、骨と皮だけ
の様な拳から火炎弾をいきなりレックスへと叩きつけた
のだった。
「なっ・・・?」
突然のザヘルの乱心に、バギルは呆気に取られてしま
った。
反射的に飛びのいて火炎弾を躱したのはバギルとティ
ラルのみで、レックスだけは黙したまま立ち尽くし、掌
の一閃で火炎弾をやり過ごした。
「お前のせいで!!お前のせいで私の娘は・・・!!ア
ローザは・・・!!」
火炎弾を弾かれてしまった事でザヘルの怒りは更に燃
え上がり、その両拳が灼熱の輝きを放ち始めた。
「いっ、一体何事だよ!レックスが何をしたってんだよ
!?」
バギルは慌ててザヘルの側へと駆け寄り、怒りに体を
震わせるザヘルの腕を掴んで制止した。
「アローザの代わりにお前が死ねば良かったんだっ!」
バギルの腕力にかなう訳もなく、両腕を掴まれたまま
身動き出来なくなったザヘルは、歯を剥いて尚もレック
スへと罵声を叩きつけた。
「何が宝探しの旅だ!何が新しい世界の王だ!?世間知
らずのクソ若僧がっ!!お前如きに何が出来た?この、
ろくでなしめがァッッ!!」
赤く血走ったザヘルの瞳から流れ出る涙は、血が流れ
る様を思わせた。
ザヘルの憎悪と怒りに満ちた罵声と眼差しを、レック
スは俯いたまま、ただ黙って受けていた。
そんなレックスの姿に、バギルとティラルはこの二神
の間にただならぬ事情がある事を察した。
怒りはまだ周囲の空気を焼きつつも、ザヘルは握り締
めた手の力を緩めた。
「・・・もうよい。放せ・・・。」
低く唸ると、ザヘルは緩められたバギルの手を振り払
った。
「・・ソエリテでの事件は、ソエリテの者達で何とかす
る。レウ・ファーだか何だか知らんが、お前等はさっさ
と「神国」へ帰ってしまえ!目障りだッ!!」
それだけを一気にまくし立てると、ザヘルは多少ふら
ふらとした足取りながらもさっさと広間を出て行ってし
まった。
ここまで激しいザヘルの拒絶はバギルも予想しておら
ず、困った様にバギルはティラルの方を見た。
帰れと言われて、はいそうですか、と帰る訳にもいか
ず、ティラルも当惑したまま小さな溜息をついた。
どうしたものかと、見るともなしに広間の入り口の方
へとバギルとティラルが顔を上げたその視線の先で、レ
ックスは拳を握り締め、唇を噛んだまま立ち尽くしてい
た。




