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第2章「招かれた者」

 白く広がる雲海を下方に、何処迄も澄んだ蒼い空を渡

る太古の巨大な白亜の円盤・・空中城塞都市ラデュレー

は、ハブリット海を離れ、何処とも知れぬ大洋の上空を

漂っていた。

 ラデュレーのかつての大神殿の大広間で、レウ・ファ

ーは次のレイライン集束点の場所の分析を行っていた。

 巨大な肉と機械の管が絡まり合い、平面的な眼の浮き

出た肉質の花弁がそれらと奇怪な融合を果たし、ヒトの

身体らしきものを成すレウ・ファーの周囲には、世界各

地の地図や大量の文書の映像が次々に空中に映し出され

ては消えていった。

 ・・レイライン集束点の確定迄、後九十秒。

 一つの文章がレウ・ファーの白磁の仮面の前に現れ、

八十九、八十八・・・と、時計の数字が残り時間を刻み

始めた。

 前回の「神々の森」に続く次のレイライン集束点の位

置の分析は、もうすぐ終わろうとしていた。

 ・・!!!

 そこに突然、集束点の分析とは全く無関係の突発的な

出来事の情報が、偵察衛星から神経回線を通じてレウ・

ファーの意識の中へと入って来た。

 ・・小規模な空間歪曲の発生。次元の穴が開かれた痕

跡が・・・。

 ・・場所はメル=ロー大陸、ダイナ山脈中部・・・ソ

エリテ。

 レウ・ファーの支配下にあるコンピュータの一つが、

すぐにその情報の分析に取りかかった。

 レウ・ファーはひとまず、その空間歪曲についてはそ

のコンピュータに任せ、最優先事項である集束点の位置

の分析結果を待った。

 小さな電子音と共に、集束点の分析が終了し、その結

果が白磁の仮面の前に映し出された。

 メル=ロー大陸、ダイナ山脈の立体地図と、幾つかの

数値や文章が現れ、コンピュータはレイライン集束点が

ソエリテという小さな町に存在する可能性が高いと結論

付けていた。

「ほほう・・・。」

 レウ・ファーは白磁の仮面を僅かに下げ、感心した様

な声を漏らした。

 仮面の切れ込みから覗く眼の先にある地図では、ソエ

リテの位置で赤い光が点滅していた。

「さて・・次元の穴の向こうが何処につながっていたも

のか・・・。」

 レウ・ファーの言葉が終わるや否や、先刻の空間歪曲

の分析をしていたコンピュータが、仮の分析結果を提示

した。

 ・・言魂の力による空間歪曲の発生。使用された言魂

は不明。

 ・・地上世界と、「虚空の闇」表層下部第三七層(推

定)とが次元の穴によって連結し、魔神一柱が地上世界

へと出現。魔神の名前は不明。

「念の為、判る限り迄分析を続行させるか。・・何者か

は知らんが、集束点の占拠の邪魔にならなければいいが

・・・。」

 注意深い言葉の中にも何者の邪魔だても意に介さない

尊大さを滲ませ、レウ・ファーは空中にただれた火傷を

連想させる皮膚に覆われた腕を伸ばして、分析結果を知

らせる立体映像を掻き消した。

 レウ・ファーが腕を下ろしたところで、偵察衛星から

今度は「神々の森」へ侵入させていた邪神についての報

告が入った。

             ◆

「何だって・・・!?」

 鳥神・鵬は自らの神殿を訪れた巨樹の神々の遣いと名

乗る小柄な老婆の姿をした精霊からの報告を、激しい驚

愕と共に受け取ったのだった。

 「神々の森」のレイライン集束点・・三重の結界によ

って守護されていた筈のそこが、つい三時間程前に邪神

によって占拠されたというのだった。

 バギルやレックス、ティラルによって辛くも邪神を撃

退してから二日と経っていない内の出来事だった。

「そんな・・・。鵬様・・・。」

 白銀の翼にも動揺の震えがはっきりと伝わり、力無く

板の間に膝を突く鵬の傍らで、小雪がか細い声と共に鵬

の背中へといたわりの手を伸ばした。

「・・そんな事が・・・。集束点に邪神が定着してしま

うなんて・・・。そんな馬鹿な・・・。」

 鵬の驚愕に満ちた表情は俄に血の気を失い、小さな呟

きを漏らした。

「私達の神霊力では、あの邪神には対抗できませなんだ

・・・。鵬様に助けを求めようにも邪神の出現から休眠

迄二十分足らずしかなくては・・・。」

 悲しみと憎しみを湛えて、精霊の老婆は黒い瞳を潤ま

せた。

 鵬は精霊へと静かに声をかけ、謝罪の感情を込めて頭

を下げた。

「・・報告を有り難う。森の奥の神々には、私の力不足

の詫びを伝えてくれ。・・・とにかく神国神殿にこの事

を伝えて助けを求めてみる。」

 いつ迄も嘆きに膝を屈している事は、「神々の森」の

番神たる鵬には許されてはいなかった。

 遣いの精霊を帰らせるとすぐ、鵬は神国神殿に、邪神

出現によるレイライン集束点の占拠の報告をするべく通

信球のある自室へと向かった。

「・・ロウ・ゼームはこの事を知っているのでしょうか

・・・?」

 板張りの廊下を急ぐ白銀の翼の背に、小雪の慎ましや

かな声がかけられた。

 第一の結界の前で、自ら邪神を倒したロウ・ゼームな

らば、一応はレウ・ファーの下に居ようともこの事態に

再び助けの手を差しのべてくれるのではないか?

 小雪の声には、そんな、祈りにも似た感情が滲んでい

た。

「・・・。」

 鵬は無言のまま小雪を振り返った。

「判らない・・・。だが、その前に私達のしなければな

らない事をしよう・・・。」

 集束点占拠という恐ろしい事態に戸惑い震える小雪へ

と優しく言葉をかけ、すぐに鵬は厳しい表情に戻って歩

き始めた。

             ◆

 「虚空の闇」の流れの中から地上世界へと、一柱の魔

神が呼び寄せられた。

 その事が、「虚空の闇」と地上世界との調和を司るフ

ィアンの知覚を逃れられる筈が無かった。

「・・この神霊力の感じは・・・ルフォイグね。」

 神国神殿本殿の中にある自室で、フィアンは金糸銀糸

を織り込んだソファに身を横たえながら、地上へと召喚

された魔神の名をた易く看破した。

 黄金の美しい艶を帯びた睫毛に彩られた瞼をそっと伏

せ、フィアンは暫くの精神集中の後、呆れた様な溜息を

漏らした。

挿絵(By みてみん)

 何処でどの様にして次元の穴が開かれたのか。

 どの様にしてルフォイグを地上世界に定着させ・・そ

して大胆にも、下僕として制御下に置いたのか。

 虚空神たるフィアンの知覚は、僅かな精神集中の時間

の内に、それらの内容の全てを知り得たのだった。

「・・また、「奥の院」の誰かなのね・・・。「虚空の

闇」の魔神を召喚するなんて、命知らずもいいところね

え・・・。」

 何処か嘲笑めいた笑みに紅い唇を歪め、フィアンは小

さな溜息をつきながら、ルフォイグの始末をどうするべ

きかと思った。

挿絵(By みてみん)

            ◆

 翌朝早く。再び招集を掛けられたレックス、バギル、

ティラル達の前で、紫昏からまた不幸な報告がもたらさ

れた。

「先日、午後4時頃、「神々の森」のレイライン集束点

が・・・。」

 紫昏の「神々の森」についての報告は、重厚な古木で

出来たテーブルの砕ける音で中断された。

「レウ・ファーの野郎ぉぉっっ!ふざけた真似しやがっ

てッ!」

 怒りに握り締められたバギルの拳は、テーブルを木屑

へと粉砕しても尚飽き足らないかの様に白熱した光を発

していた。

「・・しかし、邪神はロウ・ゼームが完全にレウ・デア

ごと破壊してしまった筈なのに。一体どうして三重もの

結界を越えて森の中心部に・・・?」

 ティラルはなだめる様にバギルの肩を軽く叩き、紫昏

から報告書を受け取った。

「それはこれから調査する。・・・とにかく、神国本部

で結成された神員が今日、邪神の調査と破壊の為に「神

々の森」へ向かう。出来れば君達にも・・・。」

 紫昏の言葉の終わるのを待たず、バギルは拳を振り上

げて、

「言われる迄もねえぜ!もう一度行くぜ!今度こそ邪神

をぶっ潰してやる!!」

 バギルの勇ましい言葉を聞きながら、しかしティラル

は微かな溜息をついた。

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

 活動中ならばともかく、休眠して極度に硬化した邪神

の破壊は、今迄神国の名だたる戦神、武神達が挑んでも

未だ成功していない事だったからだった。

「とにかく、荷物をまとめようか。」

 勇ましく拳を振り回すバギルに声を掛けながら、ティ

ラルはふと、ソファに深く腰を下ろしたままのレックス

へと目を向けた。

 いつもならばバギルに負けず劣らず勇ましく騒ぎ立て

るこの火の神が、今日は何事か物思いに耽っているかの

様に押し黙ったままだった。

「・・レックス。お前も出発の用意を・・・。」

 ティラルの呼び掛けに、ああ、とレックスが顔を上げ

て気の無さそうな返事をしたところに、遠慮がちに鳴ら

されるノックの音が割り込んだ。

「入りたまえ。」

 紫昏の許可を受けて部屋に入って来たのは人間の青年

だった。

 衣の胸元に付けられた真円に磨き上げられた紅い宝石

と、それに刻印された紋様が灼熱神の神官である事を表

していた。

「お前は・・・!」

 バギルは驚いた様に見覚えのある人間の青年を見た。

 彼はダイナ山脈のバギルの神殿に仕えている神官で、

今は、神官の研修の為に神国神殿に滞在している内の一

人だった。

「お話し中、誠に申し訳ございません・・・。バギル様

宛に神殿から緊急の連絡があり、報告させて頂く次第で

す。」

 青年は床の上に散乱するテーブルだった木屑を見て一

瞬言い淀んだが、すぐに視線をバギルへと戻してバギル

の神殿からの手紙を渡した。

 受け取ってすぐ手紙にざっと目を走らせると、バギル

は悔しげに歯噛みした。

「どうした?」

 バギルの悔しげな様子にティラルとレックスが尋ねる

と、バギルは彼等の前に手紙を広げて見せた。

「すまん・・・。「神々の森」へは行けなくなっちまっ

た。」

 手紙には、昨夜から突然、ダイナ山脈中部にあるソエ

リテという町で神や人の不審な衰弱死が続き、またそれ

とは別に以前から怪物の頻回の出現があり、この度、本

格的に事件の調査と解決に乗り出す事を決めた・・・と

あった。

 若輩といえども、ダイナ山脈の現主神たるバギルには

神殿に戻った上で、先頭に立って事件を解決してもらい

たい・・と、バギルの父母神の依頼、と言うより、命令

で手紙は締めくくられていた。

「そうか・・。そんな事情なら仕方が無いさ。「神々の

森」へは私とレックスが行く事にしよう。」

 「神々の森」へと行きたくて仕方の無いバギルへと、

なだめる様に言葉をかけ、ティラルは手紙をバギルに返

した。

「畜生・・・!」

 バギルは未練気にティラル達を見ると、苛立たしげに

手紙を握り潰した。

「仕方がねえ・・・。後は任せたぜ。」

 そう言い残すと、バギルは神官の青年と共に部屋を退

出していった。

「・・・バギルの事は残念だが、取り急ぎ、君達だけで

も「神々の森」に急行してくれたまえ。」

 力のある神が一神抜けてしまった事を残念に思いつつ

も、紫昏は気を取り直してティラルとレックスへと声を

掛けた。

             ◆

 空中城塞都市ラデュレー。

 レウ・ファーの座す大広間は、コンピュータが全ての

分析を終えて、レウ・ファーの腕の一振り二振りで立体

映像や文章の画面が次々に掻き消されていった。

 様々な透過光や極彩色で構成された映像の数々が消滅

すると、水晶の天窓から降り注ぐ陽光の下で、大広間は

元の白々とした色彩を取り戻した。

 「神々の森」に侵入した邪神は、無事レイライン集束

点に定着し、休眠状態に入ったという結果をレウ・ファ

ーは確認し終えたところだった。

「まずは一つ、占拠おめでとう・・・。」

 ぱち、ぱち、と、およそ気の入っていないのんびりと

した拍手の音と共に、ヒウ・ザードが忽然と大広間に姿

を現した。

 自らの花弁の一枚の下に、ゆっくりとした足取りで歩

み来るザードを、レウ・ファーは無言のまま見下ろして

いた。

 最早驚く事ではなかったが、幻神達には未発表の「神

々の森」に定着した邪神の情報を、ザードは既に知って

いた様だった。

 ・・ザードの体内に結合したレウ・ファーの神霊石の

力による。

 ザードの情報収集についてのコンピュータの分析を冷

静に受け取り、レウ・ファーはザードを無視してパラや

ファイオ達他の幻神達を大広間に呼び集めた。

 レウ・ファーの無視を意に介する事も無く、ザードは

相変わらず、傲慢な空気をレウ・ファーの花弁の近くで

発していた。

「・・あの戦闘のどさくさに結界の中に侵入していたと

は、全く大したものだ・・・!!」

 大広間に入ってすぐ、開口一番、ゼームは真正面から

レウ・ファーを睨み据えた。

 ゼームの言葉の意味を判りかねているゼズやパラ、フ

ァイオ達をよそに、レウ・ファーとザードはそれぞれ冷

淡な視線をゼームへと送っていた。

 ザード以外にも「神々の森」のレイライン集束点の占

拠を知っていた者が居た・・。しかしレウ・ファーはゼ

ームに対しても殊更に驚きの感情を抱く事は無かった。

 ゼームもまた、知っていて当然の能力を有していたの

だった。

「それで、どうするんだい・・・?」

 レウ・ファーに代わってゼームへと、ザードから、か

らかいの声が掛けられた。

 嘲笑に更に細められたザードの目に、いつもの様に穏

やかに大広間に佇むゼームの姿が映っていた。

「・・別にどうもしない。邪神が森を破壊しない内は、

な・・・。」

 邪神やレウ・ファーのやり口に対して僅かに怒りの感

情を言葉の端に滲ませながらも、いつもの様に、ゼーム

は静かな口調で植物に基づく価値観を反映させた言葉を

発した。

「・・へえぇ?」

 ゼームの言葉に、ザードはただ、嘲笑の表情を浮かべ

ただけだった。

 休眠中の現在はともかく、邪神が活動を再開すれば森

が破壊されない訳が無い。そんな事も判らないのか?

 ザードの表情には、そんな嘲りの感情が現れていた。

 ・・いや。

 幻神達の中でゼズだけが、固唾を飲んでゼームの背に

畏怖の視線を注いでいた。

 ・・いや。このゼームがこのまま邪神を見過ごす筈が

無い。邪神が活動を再開した時に、一体ゼームはどの様

な行動を取るのか。

 ゼームの心の内を推し量りかね、ゼズはただ成り行き

を見守るしかなかった。

「・・私も、今暫くはどうもしない事としよう・・。」

 レウ・ファーの抑揚の無い電子音声と、花弁の隙間か

ら立ち上がった細い触手の一本が、同時にゼームの頭上

へと落とされた。

「!!」

 突然の事にファイオとパラは驚きに息を呑み、ゼズは

その場に立ちすくんでしまった。

 ザードだけが、いい気味だと言いた気な表情で、レウ

・ファーの神経繊維の浮き出た近くの壁にもたれ掛かっ

ていた。

「・・流石のお前も、神霊力を消耗しているぞ。」

 レウ・ファーの声には何の感情も込められてはいなか

った。

 が、ゼームが辛うじて緑葉の長剣でレウ・ファーの触

手を受け止めている姿を、侮蔑を以って見下ろしている

のは明らかだった。

 長剣を持つゼームの手は震え、その額には汗の玉が滲

み出していた。

 シエゾ地方と「神々の森」で振るった神霊力が強力過

ぎた為、ゼームは今、疲労の極みにあったのだった。

 数秒の間、緑の長剣と赤黒い触手が互いに押し合った

まま硬直し、またすぐに引っ込められた。

 レウ・ファーが触手を体内に戻すと、ゼームもまた、

長剣を元の葉の姿に返した。

「レウ・ファーよ。お前が今、何もしない事を感謝しよ

う・・・。」

 疲労の汗を拭いもせず、ゼームはいつもの穏やかな調

子でレウ・ファーの仮面を見上げた。

 僅かな時間、何の表情も現れる事の無い白磁の仮面に

視線を留めた後、ゼームは大広間の扉の方へと足を向け

た。

 しかし、悠然とした態度の中にも疲労の色は強く、ゼ

ームの呼吸は少し乱れ、その足取りもやや重そうな様子

だった。

「・・・部屋迄送ろう・・・。」

 その様子に見かねたゼズがゼームへと手を貸しても、

「そうか・・・。」

 ゼームはいつもの様に静かな返事をしただけだった。

 ゼームとゼズが扉の向こうへと去っていく様子を一顧

だにせず、レウ・ファーは残った幻神達に対して、ダイ

ナ山脈付近の立体地図を示した。

「・・次のレイライン集束点はここだ。」

 レウ・ファーの尖った指が、空中の立体映像の一点を

指し示した。

 ダイナ山脈中部の小さな町・・ソエリテ。

 ダイナ山脈という馴染みの深い地名に、ザードは不愉

快そうに微かに眉をひそめた。

「じゃあ、今回もアタシが行くわネ。」

 先刻迄のレウ・ファーとゼームの対峙に何の感情も考

えも持っていないという訳ではなかったが、ファイオは

黒髪を掻き上げながらレウ・ファーの前へと進み出た。

「・・それではお前に、出発時にこの邪神を与えよう・

・・。」

 レウ・ファーの爛れた掌上で、一つの邪神の立体映像

が形を取った。

 基本的な形は五体を備えたヒトに近く、陶器の様な光

沢の肌には電子回路の様な模様が走っていた。

 ファイオは頷くと、紫衣の小さなマントを翻して足早

に広間を後にした。

 それからすぐにパラもザードも退出していった後で、

レウ・ファーはファイオに与える予定の邪神に、取り急

ぎの強化処置を施す様に支配下のコンピュータに指示を

出した。

 今回の邪神は、前回「神々の森」に派遣した邪神より

は遙かに小柄だったが、その能力は外見に似合わず数段

上のものだった。

 その邪神を更に強化するレウ・ファーの意図は、ソエ

リテの空間歪曲によって「虚空の闇」から地上に召喚さ

れた魔神への対策の為だった。

 「虚空の闇」の中から何者が召喚されたのかは、未だ

分析中で、流石のレウ・ファーにも知る術は無かったの

だった。

              ◆

「大した田舎町ねン・・・。」

 ソエリテの町を見下ろす丘の上に立ち、ファイオは呆

れた様に溜息をついた。

 町が火山帯に位置するせいか、辺りを吹く風には濃い

硫黄臭が含まれ、丘に生えている草木にも何処となく生

彩が欠けている様でもあった。

 周囲を山々に囲まれたソエリテの町は、その殆どが火

山や温泉に関する観光の為の建物ばかりだった。

「ついでに温泉に入っていこうかしらネェ・・・。」

 白い顔を撫でながら、ファイオは眼下に見える小さな

温泉旅館の看板の幾つかを物色した。

「・・まあ、その前に集束点を探さないとネ・・・。」

 ファイオの言葉を待つ迄もなく、連れて来た二体の邪

神は肩から伸びる角と薄膜の翼を大きく伸ばし、集束点

の探索に取りかかった。

 邪神の身長自体はファイオより二、三十センチ程高い

だけだったが、細かい回路図の様な模様の走る陶器の様

な表皮の角と翼は、一杯に伸ばすと数メートルにも及ん

でいた。

 自動で集束点の分析を行っている邪神達の様子に、こ

れでは自分と邪神のどちらが主従か判らない、とファイ

オは溜息を漏らした。

 暫くして角と翼が縮み、顔面に縦に一つ見開かれた目

から光線が放たれ、大まかな分析結果が空中に映写され

た。

 ソエリテの町の中とその周囲の山の地図が、レイライ

ンの強弱によって何色かの色で塗り分けられていた。

 それによると、レイラインの反応の一番強い場所はソ

エリテの町の中だった。

「あらまァ!意外ネェ!てっきりどっかの火山の方が強

いかと思ってたのにィ・・・。」

 「神々の森」の様に人里離れた場所を想像していたフ

ァイオは、意外な分析結果に驚きの声を上げた。

「・・ケド、町の中に入るにはちょっと困ったワネ・・

・。」

 ファイオの言葉を理解したのか、邪神達は角と翼を体

内に収納し、背丈もファイオとさほど変わらない迄に縮

め始めた。

 そして、ファイオの見守る中、首の部分に小さな穴が

開き、そこからガスが噴出した。

 ガスは粘土をこね回す様な動きを見せて邪神の体にま

とわり付き、数秒の後には厚い布の材質感を備えたマン

トへと変化した。

「便利ネェ。」

 ファイオは感心しながら変装を終えた邪神達を眺め、

自らもまた用意していたマントを羽織ってフードを被っ

た。

 顔も判らない程深くフードを被ったマント姿の旅行者

は、どの地域でも珍しいものではなかった。

 ありふれた旅行者に変装し終えたファイオ達は、町を

目指して丘を下りていった。

             ◆

 硫黄の煙に薄く汚れた石造りの建物の立ち並ぶ通りに

は、湯の流れる音と、湯治客の賑やかな話し声が溢れて

いた。

 ただ、客や町の住人達の話題の大部分は、最近頻繁に

出現する怪物の事だった。

 だがそんな話もファイオには関係無く、邪神がレイラ

インのエネルギーを感知する方向に従って、ひたすら歩

き続けていた。

 やがて夕暮れも迫り、小さな旅館やホテル、土産物屋

等の明かりが次第に灯されていった。

 そんな通りを過ぎ、ファイオは今度は「火山博物館」

「火山帯周遊ロープウェイ乗り場」といった施設の並ぶ

広場の一角へとやって来た。

 既にそれらの営業時間は終わっており、広場は閑散と

して人通りも殆ど絶えていた。

 「火山博物館」の更に向こうに小さな飲食店街へと続

く道が見え、風に乗ってそこから湯治客達の賑やかな声

がファイオの耳に届いて来た。

「・・?随分と賑やかなのネ・・・。・・!?」

 広場に入ってすぐ、人々の声の中に悲鳴や助けを求め

る叫びが混じっている事にファイオは気付いた。

 聞こえてくる声の殆どがそうしたものに変化する迄さ

ほどの時間はかからなかった。

 飲食街の方面から建物の石材が崩れる音と、何かの爆

発音が人々の悲鳴に続いて響き、太い火柱が幾本か噴き

上がっていった。

「逃げるわヨ!」

 何かの火事か事故か?いずれにしても、そんな現場に

居合わせるのはファイオにとって好ましい事ではなかっ

た。

 ファイオはすぐにこの場から離れようと後退したが、

邪神達はファイオの命令にも動かなかった。

 レイライン集束点と予想される場所は、火柱の立ち上

る飲食街のすぐ向こうだったからだった。

「・・嫌ぁぁっっ!」

「!!!誰かっ!」

「消防を呼んでぇぇっっ!!」

「・・・怪物が出た!」

「またなのっ!?」

 混乱と恐怖に満ちた人間と精霊の絶叫が通りの向こう

から怒濤の様に迫り、立ち尽くすファイオと邪神達の周

囲を我先にと全力で走り去っていった。

 人間達が逃げ去った後、炎はますます勢いを増して、

ファイオ達の居る広場の博物館やモノレール乗り場の建

物や植え込みにも燃え広がっていった。

「・・・怪物?」

 少しずつ赤い炎の中に呑まれていく博物館の灰色の石

材を眺めながら、ファイオは逃げ惑う人間達が何度も繰

り返した言葉に首をかしげた。

 火事の上に怪物の騒ぎだなんて。これ以上面倒な事に

なっては、集束点の探査がやりにくくなってしまう。

 しかし邪神は、ファイオの何度かの退却の命令も聞か

ず、ファイオが困り果てている内にも、駆けつけた消防

士達が慣れた動きで消火活動を開始した。

「早く逃げなさい!」

 消防士の一人がファイオ達に気付き、遠くから注意の

声を掛けた。

「・・・判ってるワヨ・・・。」

 動かない邪神に苛立ちながら、ファイオは小さな声で

言い返した。

 しかし、消防士達の消火活動にも関わらず、周囲の火

炎は勢いを失わず、今度は消防士の何人かが飲食街の方

角から防火フードの下から必死の形相を覗かせて疾走し

てきた。

「!」

 邪神の肩が僅かに動き、フードの下の眼が炎の向こう

の何かを捉えた様だった。

 消防士達の消火活動も空しく勢いを増す炎の中から、

やがて二体の怪物の姿が現れた。

 その姿は半ば女性の顔や肢体を連想するものの、その

体の大半は、赤黒い肉の管や水膨れの様な瘤に覆われて

いた。

 怪物の女の下半身は足らしきものを残してはいたが、

その歩行の機能は幾本かの太い肉の管の寄り集まりが担

っていた。

 表情は空ろで、顔の皮膚も殆どが自らの放った火炎の

熱で焼け爛れていた。

 田舎の小さな町の事でもあり、この怪物に対抗する術

を消防士達は持っていない様で、彼等はただおろおろと

右往左往するのみだった。

「ああン、もォ。グズグズしてるからァ!」

 ファイオはややヒステリックな調子で邪神達を怒鳴り

つけた。

 自我や知能を持たない邪神には、元よりファイオの怒

りの感情など通じる訳も無かったが。

 邪神達はゆっくりとした動きで軽く両手を上げ、怪物

達の到来に備えた。

 先刻からファイオの命令を無視して邪神達がこの場に

留まり続けていたのは、怪物達の存在を察知していたか

らだった。

 レウ・ファーから与えられた集束点探索や占拠に当た

ってのプログラムには、探索の邪魔者を排除する事も含

まれていたのだった。

 怪物達はどうやら、ある程度人間等に狙いを付けて火

炎を放っている様だった。

 のたうつ肉管から発射される火炎弾は、混乱に立ち尽

くす消防士の何人かを次々に火だるまにしていった。

 ・・そして、火炎弾はファイオへも迫って来た。

「全くッ!しょうがないわネン!」

 素早く火炎弾をよけ、ファイオは鞭状の幻獣バオ・エ

ヒを召喚し、自らの片手に巻き付かせた。

 しつこく繰り出されてくる火炎弾を幻獣の鞭で叩き伏

せると、ファイオは仕方無くこの怪物達の相手をする事

にしたのだった。

 火だるまになった消防士達は、お互いに手持ちの消火

器を掛け合って炎を消し、即座に逃げ出してしまった。

「ホラァ!アンタ達、ちゃんとこのアタシを守りなさい

ヨォ!」

 ファイオの野太い声が火事場に響いた。

 今度はファイオの命令が届いたのか、邪神はマントを

脱ぎ捨てると、肩から伸びた角と翼を持つ元の姿を露に

した。

 ある程度の知能はあるのか二体の怪物達は、火炎弾を

叩き伏せて目の前に立ち塞がるファイオと邪神達を敵と

認識した様だった。

 怪物達は体を屈め、うねる肉管の全てをファイオ達へ

と向けた。一体はファイオへ。もう一体は邪神達へと。

「嫌ネエッ!」

 炎の熱のせいで流れ出る汗の不快感を気にしながら、

ファイオは自らに放たれた火炎弾に向けて、バオ・エヒ

の巻き付いた手を突き出した。

 レックスと戦った時の屈辱は忘れてはおらず、炎に対

する幻獣の耐性は飛躍的に高められていた。

 バオ・エヒは叩きつけられた火炎弾の全てをその体内

へと吸い込み、体の一部を袋状に膨らませていった。

「お返しヨ!」

 バオ・エヒの鞭を一閃し、ファイオは怪物の体へと鞭

を食い込ませた。

 吸い込んだ火炎弾は圧縮され、鞭の内部を通じて怪物

の体内へと一度に送り返された。

「・・・!!!!!」

 如何に火炎を操る怪物とは言え、高熱の塊を体内へ一

度に送り込まれては、なす術も無く爆発するしかなかっ

た。

「全くもォ、汗で汚れちっゃたじゃないのォ!」

 紫衣のポケットからフリルのハンカチを取り出し、フ

ァイオは苛立たしげに汗を拭き取った。

 それから邪神達の方を振り返ると、そちらも既に決着

は付き、邪神達の陶器状の拳の数打で、怪物は肉塊と化

して広場の煉瓦舗装の地面にちぎれ飛んでいた。

 レウ・ファーが施した強化処置は伊達ではなかった。

「こいつら、一体何なのかしらネェ・・・。」

 火の手の上がる町並みと、崩れて潰れた女の顔をした

怪物の残骸を見比べながら、ファイオは溜息をついた。

 この怪物の正体は何なのか?この地上の世界の片隅を

徘徊する魔物や魔獣、邪悪な精霊にも思い当たるものは

なく・・むしろ、幻獣や邪神の様な何者かの創造物の匂

いをファイオは感じ取っていた。

 眼球や脳のはみ出た頭蓋の肉片にまとわりつく美しい

金髪に、何処か見覚えがある様な気もしたが、ファイオ

にはそれをゆっくりと吟味する時間は無かった。

「ほら!何やってんのヨ。とっとと逃げるわヨッ!」

 野太い声を張り上げ、ファイオは邪神の腕を力任せに

引っ張った。

 これ以上ここでぐずぐすしていては、先刻逃げ去った

消防士達も態勢を立て直して戻って来てしまうだろう。

 これ以上、町の人間達の目に触れては、集束点の探査

も何もあったものではなかった。

 怪物達を排除して、ようやく邪神達もファイオの命令

を聞く様になったのか、翼と角を折り畳むとマント姿へ

と戻った。

「早く!退却ヨ、退却ッ!」

 消火の指示や、負傷者の救助の命令やその返事などが

次第に近付いて来るのを感じ、ファイオは邪神達と共に

慌てて広場を立ち去ったのだった。

             ◆

 神国神殿・本殿。

 バギルは本殿の中に与えられた自分の部屋で、簡単に

荷物をまとめると、手紙を持ってきた神官の青年と共に

出発する事にした。

 正面玄関に向かう一歩一歩が、何となく、ザードを連

れ戻す事からどんどん遠ざかっていく様な気がしてしま

い、バギルは二、三度憂鬱な溜息を漏らした。

「・・明日の昼には神殿に着きますね・・・。」

 傍らを歩く神官の言う事を半ば聞き流しながら、白亜

の床に巨柱の並ぶ正面玄関へとバギル達はやって来た。

 一つの柱の横に並ぶ三つの影がふと目に入り、バギル

の憂鬱な歩みは止められた。

「何だ・・・。どうしたんだ?」

 バギルは少し不機嫌そうに、玄関で待っていた紫昏や

ティラル、レックスを見た。

 バギルの問いに、紫昏は若草色の背広のポケットの中

から一枚のメモ用紙を取り出した。

「ほんのつい先刻、護法庁へソエリテの駐在から連絡が

あった。・・幻神リウ・ファイオがソエリテに現れたそ

うだ。」

 怪物と戦うファイオ達を目撃した消防士達の証言を元

に、ソエリテに駐在の警官から護法庁の紫昏の所へと寄

せられた情報だった。

「そうか・・・!」

 不謹慎と諌められようとも、紫昏の知らせにバギルは

思わず笑みを浮かべた。

 故郷へ向かう憂鬱な歩みは、再び、ザードの手掛かり

へと続く歩みへと変わったのだった。

「何でも、ヒト型の怪物が現れ、それをファイオと別の

怪物・・多分、邪神だろう・・が倒したと言う事らしい

・・・。」

 紫昏はメモ用紙をポケットに仕舞い込んだ。

「「神々の森」の方には別の者を行かせる事にしたよ。

君達は、レウ・ファー達の最新の行動を追い掛けてほし

い・・・。」

 ソエリテ行きの荷物を収めた小さなトランクやリュッ

クを携えて、ティラルとレックスがバギルの前に進み出

た。

「ま、オレ様が行かなけりゃ話にならねえからな!」

 レックスは傲然と胸を張って笑った。

「よぉし!行くか!ファイオをとっ捕まえに!」

 バギルはレックスへと笑い返し、正面玄関の扉へと向

けて足を踏み出した。

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