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第17章「決着」

「ルフォイグ!いい加減にしろ!私の下に使われる身の上

を忘れたか!?」

 ルフォイグの突然の行動に危険なものを感じ取り、

ベナトは思わず怒鳴りつけた。

 強力な魔神であるルフォイグはまだ色々と使い道が

あり、ベナトとしてはこのまま使役し続けたいところだった。

 だが、いよいよとなれば呪詛の発動を――と、ベナトは

身構えた。

 バギルはルフォイグの細い腕の一振りで床の上に

殴り倒されて気絶してしまった。

 その手から短剣を奪い取り、ルフォイグは初めて生々しい

歓喜の感情を露わに笑い声を上げた。

「フハハハハハハッハッ!! これでこのうっとおしい

呪詛も消滅よ!!」

「何だと!?――それではフィアンが唱えた言魂

と言うのは!?」

 フードの下でベナトの顔からは一切の血の気が

消え失せた。

 ルフォイグは自らの体の刻印に短剣をずぶりと一気に

突き刺して、ベナトへと邪悪な声音で答えた。

「「無効還元呪詛」――他の言魂の力を無効に

する言魂じゃ。お前が知らぬのも当然。虚空神や

「虚空の闇」に住む神々しか知らぬ代物……。」

「ルフォイグッッ!貴様ァッ!」

 呪詛が解除される恐怖に駆られたベナトの怒号が

ルフォイグへと施した呪詛の発動を促した。

 二つの言魂の発動は殆ど同時に起こり、相反する

エネルギーの衝突が激しい閃光を生じさせた。

 眩しさに思わず目を閉じたレックス達の耳に、

苦痛に咆哮するルフォイグの声が届いた。

 しばらくして光が退き、レックス達がルフォイグの

方へと目を向けると、ふらふらと後ずさるベナトの

姿があった。

「最悪だ……。」

 愕然と呟き、ベナトは今度こそ躊躇い無く「奥の

院」へとテレポートした。

「…全くうっとおしい呪詛であった。」

 ぶくぶくと泡立ち溶解しかけている頭の甲殻を

細い手で押さえながら、ルフォイグはエネルギーを

失って抜け殻となった水晶の短剣を引き抜いた。

 ルフォイグに壊死をもたらす言魂と、それを無効

にする言魂――二つの力はそれぞれほぼ同時に

発動した為にルフォイグの肉体へと中途半端な

影響を残したのだった。

 ルフォイグの体の半分はずたずたに切り刻まれ

その傷口はぶくぶくと強い異臭を放ちながら泡

立ち溶解していた。

 本来ならばそれは全身に及び、僅かな時間で

ルフォイグを死に至らしめる筈だった。

「…おお…強い神霊力を感じるぞ……。」

 ザヘルの知覚がルフォイグの解放された

神霊力を認め、それを自らに取り込むべく

触手を伸ばし始めた。

 あらゆるエネルギーを吸収し、自らのもの

として同化する――。

 「虚空の闇」から創り出された魔神の本能

的なものに命じられるまま、ザヘルの意識は

ゆっくりと蝕まれていった。

 幾つかの強烈な思念だけが、彼の行動を

支配し始めていったのだった。

 ――アローザを愛で、レックスを殺す。

「下衆な紛い物の魔神の分際で、このワシを

取り込むつもりか!!」

 ベナトに掛けられた呪詛の影響で、体の半分

が腐ったまま回復も出来なかったが、ルフォイグ

は無事な方の手を翳してザヘルへと衝撃波を

放った。

 ザヘルは瞬時に肉管の塊が横たわる床を

壁の様に盛り上げて硬化させた。

 だが衝撃波は難無く肉塊の壁を突き破り、

ザヘルの本体の一部へと円形の穴を穿ったの

だった。

「……ぅぅッッ。」

 しばらくの間ザヘルは苦しげに呻き、消し飛ん

だ体の一部を埋めるべく薄赤い肉片を分泌して

再生を始めた。

「――久方振りの地上。今迄の腹いせに地上を

踏み荒らして虚空の闇に帰るとするか。」

 溶解して滴り続ける体の半分を押さえながら、

ルフォイグは楽しげに呟いた。

 ルフォイグの言葉に呆然と――しかし次第に

恐怖の色を浮かべるゼズ達や、為す術も無いまま

険しい顔付きで身構えるレックス達を一瞥し、

ルフォイグは片手を振り上げた。

「…お前達には何も出来ぬさ。」

 言い終わらない内にルフォイグの掌中に超高温

の白光を漲らせる灼熱の光球が溜められた。

 大した殺意や憎悪も無く、むしろ足下の虫や

小動物を楽しげに蹴散らす様な感情を滲ませて

ルフォイグは笑いながら光球をレックス達へと

叩き付けた。

「――!!」

 何一つ出来ず立ち尽くして目を見開くレックス

達へと迫る光球は――しかし、横合いから投げ

込まれた小さな水晶片によって爆風一つ残さず

掻き消えてしまった。

「フィアンめ!! 余計な事を!!」

 ルフォイグの疎ましげな声にレックス達が顔

を向けると、フィアンは先程の場所で二、三の

水晶片を手に佇んでいた。

「エンフィールドの神霊具か……。成程、夫の

霊具に頼らねばならん程お前の力は衰えている

のだな!」

 ルフォイグの嘲笑が周囲に垂れ込める邪気を

巻き込み、鋭い矢と化してフィアンへと走った。

 だが、黒いドレスを揺らめかせて佇むフィアン

にそれらは微塵も傷を付ける事が出来ず、忽ち

掻き消えてしまったのだった。

「レックス。今の内にザヘルを…。」

 フィアンの冷厳な声にはっと顔を上げ、レックス

は大きく息を吸って吐き、気合を入れ直した。

 レックスの視界の片隅で、今迄気絶していた

バギルはゼズによって抱え起こされ手当てを受け

ていた。

「大丈夫か?」

 ゼズの問い掛けにバギルは頭を軽く押さえつつ

立ち上がった。

「ああ、何とかな。」

 にやりと笑って答え、バギルは身構えた。

 いつ迄も怯んでばかりもいられないと気合を入れ

直したのはバギルも同様だった。

「――レックス……。」

 ルフォイグに穿たれた体の再生を終え、ザヘルは

ざわざわと本体の周囲の肉管を波立たせると、憎悪に

狂った視線をレックスへと放った。

「今度こそ……今度こそ、レックスを殺すんだ!アロー

ザ!」

 肉管の一本をアローザの体の上に滑らせ、ザヘルは

愛しげに偽りの娘の体を撫でた。

 アローザはただ無表情に立ち、父神の命令をその偽

の脳へと焼き付けた。

 父神の命令を実行すべくアローザはするりと肉管から

離れ、レックスを目指して跳躍した。

「……。」

 偽者とは言えアローザとの対決を今のレックスが出来

るのだろうか。ティラルはレックスのすぐ傍らに立ち、少し

気遣う様に先に剣を抜いた。

 だが、レックスは片手でティラルを制し、

「ここは任せろよ。」

 いつに無く穏やかに笑って前へと出た。

「!!」

 火炎を纏うアローザの拳を真っ向から素手で受け止め、

レックスはアローザの体を投げ飛ばした。

 軽やかに宙を舞って体勢を立て直したアローザは、再び

襲い掛かる間合いを計りつつ身を屈めた。

 その間にレックスはフィアンから与えられた言魂の短剣を

バギルへと素早く放り投げた。

「アローザは俺が引き受けた。ザヘルの方は頼んだぜッ!」

 レックス目掛けて駆け出したアローザを引き付けてけて後

方へと跳び、レックスはティラルやバギルから遠ざかった。

 火炎の塊を溜めたままレックスへと振り下ろされるアローザ

の両手を、レックスは炎熱剣を抜いて受け止めた。

 炎と炎の衝突が周囲の空気を焼き、紅蓮の飛沫が所構わ

ず弾け飛んだ。

「しゃあねぇな。」

「――油断するな。」

 バギルとティラルは短く言い残し、アローザとレックスの炎

を躱しながらザヘルへと向かって駆け出した。

 レックスへと容赦無く火炎の猛攻を浴びせ掛けるアローザ

は、何処迄も無表情だった。

「――お前らもさっさと逃げとけよ!」

 レックスは怒鳴る様にゼズ達へと声をかけ、またすぐに

アローザへと剣を構え直した。

 アローザの繰り出す火炎の弾を寸前で躱しながら、

レックスもまた片手で火炎弾をアローザへと叩きつけ、

二度三度炎熱剣を斬り付けた。

 アローザは身に刃の触れる寸前で飛び退いたが、

レックスの気迫に呼応して剣から噴き出る火炎が

怒涛の様に疾駆し、アローザの体を瞬く間に包み込んだ。

 レックス達の戦いを遠巻きに見守りつつ、ゼズ達は

再び幻獣を召喚して跨ると、辺り構わず撒き散らされ

る火炎を避けて広間の隅へと後退した。


              ◆

 

 ルフォイグの放つ光球や衝撃波は、全てフィアンを

取り囲む結界の前に呆気無く消滅した。

 老い衰えた女神だとフィアンを侮るルフォイグの心に

は、自らの力の通じない事への苛立ちや焦りが湧き起こ

り始めていた。

 そんなルフォイグの様子をフィアンはただ冷ややかに

見つめるだけだった。

「――お前はそうして神霊力を誇示して、この地上で

何をしたいというの?」

 ただ冷たく、何の感情もこもっていないフィアンの問

いに、ルフォイグは怒りに体を震わせながら答えた。

「下らぬ質問よ!地上の物差しで虚空の魔神たる

この私を測るつもりか!?」

 傲慢な感情を隠しもせず、ルフォイグは巻貝の様な

頭を震わせた。

 だがフィアンは変わらず冷たい眼差しのまま、美しい

紅の差す唇を開いた。

「身の程を知りなさい。お前もまた、「虚空の闇」の中で

は取るに足らない無数の神の内のひとつに過ぎない

と言うのに……。」

 地上の神々を見下すルフォイグを一言の下に見下す

フィアンの言葉に、ルフォイグはしばらくの間沈黙した。

 レックス達を圧倒し、「奥の院」のベナトでさえ呪詛無

しには従える事の出来なかったルフォイグもまた、

フィアンの前では「虚空の闇」を徘徊するただの魔神

の一柱に過ぎなかったのだった。


              ◆


 偽者のアローザの姿に惑わされる事無く、本気で炎熱

剣を振るうレックスによって、大広間の半ばは火炎の赤

と焼け焦げた肉管の炭の色の二つへと塗り替えられた。

 だが、肺腑が呼吸するかの様に天井の換気口から突

風を伴って地下の広間の空気は入れ替えられ、肉管の

あちこちから泡状の物質が噴出し、炎は僅かの時間で

鎮められてしまった。

 広間は既にザヘルの体の一部として統合されている

様だった。

 噴き出す泡にごく僅かにレックスが足を取られた隙を

見て、アローザは後方へと跳躍した。

 レックスから一旦離れ、次の攻撃の間合いを測る僅か

の時間、アローザもまたレックスに負わされた火傷や

太刀傷の再生を行ない始めた。

 邪気によってもたらされた先刻の夢の中と――今と。

 アローザの姿をした者との対決は同じだったが、あの

息苦しい……胸の奥底で疼く様な鈍い痛みが遠くなりつ

つある事にレックスは気付き始めていた。

 数秒で再生を終えたアローザは、再び拳に火炎を溜め

て火炎弾をレックスへと叩きつけてきた。

 本当によく出来た、アローザにそっくりな姿だと、レックスは

不可思議な感傷を胸に抱きながら、向かって来る全ての

火炎弾を瞬時に炎熱剣で斬り伏せていった。

 今迄アローザや仲間達と過ごして来た多くの冒険の旅と

時間。アローザ達と共に戦い、挑み、旅して来たそれらは、

アローザが居たからこそ輝いていたのだった。

 だが、アローザ達との旅はもう終わってしまったのだった。

「――!!」

 炎熱剣の一閃が、飛び掛ってきたアローザの片腕を斬り飛

ばした。

 宙に弧を描いて飛ぶ白く細い腕は、炎熱剣の切り口から

生じた炎に包まれて――すぐに微かな灰燼を残して消え去った。

 体勢を立て直したアローザは、痛みを感じた様子も無く

すぐに片腕の再生を始めた。

 ザヘルと同様に赤黒い肉片を分泌し、数秒の内に腕の形が

戻ろうとしていた。

 完全に再生する時間を与えまいと、レックスは炎熱剣を

握り締めアローザへと突進した。

 レックスの精神集中に呼応し、炎熱剣は紅蓮の帯を引きつつ

アローザの胸元へと迫った。

「アローザ……ッ!!」

 朱熱の色を纏う刃はアローザの胸へと深々と突き刺さり――

レックスの気迫と共に一気に内部へと秘めていた火炎を解放した。

 ――フィシテ島からレックスは命からがら逃げ出し、ずっと心の

何処かで幻想を抱いていた。

 もしかしたら、あの怪物神と同化しつつも、何処かでアローザは

生きているのではないか、と。

 他愛の無い幻想と自嘲しながらも、過去のアローザの幻影に

すがっている事は、ザヘルと大差無いのかも知れなかった。

「――レ…ック……ス……。」

 爆炎に呑まれ焼け崩れていくアローザの唇から、最後に……

不思議と柔らかな響きを持った声が発せられた。

 ザヘルの得た魔神の力は、生前のアローザの笑みと優しげな

呼び掛けを見事に再現したのだろうか。

 けれどもレックスもまた、劫火に包まれ崩れいくアローザへと

優しい微笑を返した。

 アローザや仲間達との冒険の旅は終わってしまったけれども。

 ――レックスの旅は終わってはいない。

 邪気の夢の中で聞いたアローザの言葉は、いつ迄も消えない

熱いものをレックスの胸の中に刻み込んでいた。

「…アローザ…。」

 別れの言葉の囁きと同時に、アローザの体は完全にまとまりを

失い焼け崩れていった。

 美しい炎の女神の皮膚の下には、周囲の床や壁と同様の

赤黒い肉管の塊があるだけだった。

 レックスは炎熱剣にまとわり付いていた肉管の炭を、一振りの

下に払い落として鞘へと収めた。

 レックスの周囲に散らばった、先刻迄アローザの姿を形作っ

ていた肉管の炭化物は、やがてひとりでに粉塵と化して消滅

していった。


                 ◆


 レックスとアローザの戦いの最中に放たれた火炎の一部は

ルフォイグとフィアンの対峙する場所まで届いていた。

 数千度の火炎が空気と床を焼く只中にありながら、ルフォイ

グとフィアンは火傷一つ負わずに立っていた。

「お前は私に殺されるか、「虚空の闇」に帰るか…どちらかし

か選べないわ。」

 勢いを失いつつある火炎の朱い色がフィアンの白い顔の

上で揺らめいた。

「ふ……ッ、ふざけるなッ!!」

 ルフォイグはまだ無事な体の半分を怒りに震わせ、掌中

から衝撃波を放った。

「若い最盛期のお前ならともかく、地上で生きてまともに

年を取ったお前如きに殺されるものか!!」

 しかしルフォイグの放った衝撃波は片手を軽く振った

フィアンの眼前で、何の余韻も残さず掻き消されてしまった。

 ただ冷たく、静かな声でフィアンは言葉を続けた。

「――ルフォイグ。お前が地上で生きる事を望むなら、

神国は拒みはしないわ。」

 どんな神であっても共に生きる事を許し、認め合う郷

――神国の理法は、「虚空の闇」の魔神ルフォイグにも

適用されるのだった。

「でも、お前が無闇に他の者の命を脅かすのなら、

おのずとその報いを受けるわ……。」

 再びフィアンの繊手が上がり、指輪の一つがきらめいた。

「――こんな風に。」

 その言葉と共にルフォイグの足下には様々な紋様と

文字の並ぶ菱形の魔法陣が浮かび上がった。

「何ィィッッ!!」

 体中を駆け巡る激痛と、再び呪詛が発動した事への

驚愕に、ルフォイグは半ば悲鳴の様な叫びを上げた。

 フィアン以外にはこの場の誰もが為し得ない「虚空の

闇」の魔神への仕打ちを、広間の上空に避難している

ゼズ達は半ば恐怖と共に見下ろしていた。

 ルフォイグの体の無傷の部分へも切り傷が広がって

いき、その後を腐敗と溶解が追った。

「おのれぇぇッッ!!」

 怒りに任せてルフォイグは周囲に漂う邪気を凝集さ

せてフィアンへと叩きつけたが、元よりフィアンに通じ

る筈も無かった。

 そうする内にも呪詛によって開かれた傷口からは目

に見える黒い血や煙と言う形で、ルフォイグの神霊力

の流出が続いていた。

「……おのれ、ベナトめ…。」

 死への恐怖や苦痛は「虚空の闇」の魔神にも存在し

た。

 すぐ目前に迫っている死に、逆恨みや錯乱に荒れ

狂うルフォイグの感情の矛先は自分を地上へと召喚

したベナトへと向けられた。

「せめて…ベナト達を道連れに…。」

 頭の甲殻の一部が幾らか形を残しながら、ぼとりと

音を立てて床の上へと垂れ落ちた。

 残り少ない神霊力を振り絞り、ルフォイグはベナトの

逃亡先――神国神殿の「奥の院」を目指してテレポー

トを行なった。

 フィアンはそれ以上は深追いする事も無く、ルフォイ

グが逃げ去ってしまうと、小さく息を吐いて床の上へと

膝をついた。

 身に着けていたイヤリングや指輪、ブレスレット等、

その霊具の殆どが輝きを失い、またひび割れ砕けてい

た。

 ルフォイグとの対峙に消費された神霊力がどれ程

莫大なものだったかは、それらが物語っていた。

 そんなフィアンの様子を気遣いつつも、レックスは

再び炎熱剣を構え直すと、ティラルとバギルの援護

の為に駆け出していった。


              ◆


「――何故ッ、何故だッ!? 何故アローザが殺された

のだッッッ!!!」

 ザヘルの悲痛な絶叫が広間の空気を震わせた。

 あれ程完璧に再現されたアローザがレックス如きに

敗れ去るとは――。

 自分はベナトの言う「世界を生み出し、形作る力」を

手に入れたのではなかったのか?

 ザヘルはただ混乱し、喚き散らし、自らに向けて駆け

出して来るレックスへと憎悪の視線を放つばかりだった。

「もう一度! もう一度、アローザよ!!」

 ザヘルは肉管の塊と化した片手を突き出し、再びアロ

ーザを創り出そうと精神集中を始めた。

「そうはさせるかよ!」

 しかしバギルが火炎弾を放ち、ティラルが真空の刃を

叩き付け、ザヘルの精神集中は悉く掻き乱されてしまっ

た。

「アローザ…!! アローザ!!」

 バギル達への反撃もそこそこに、ザヘルはただアローザ

の創造の為に肉管を寄り合わせ続けた。

 四肢の形を成しかけた所をティラルの放つ真空の刃が

粉砕し、ザヘルの怒りは尚も高まった。

 のた打ち叩き付けられるザヘルの肉管をかいくぐり、次

第にザヘルへと迫りつつあるバギルとティラルの前で、

ザヘルは血走った目を剥いて絶叫した。

「何故だッッ!! 力を…力を得た筈なのに、何も変わらない

と言うのかッッ!?」

 自らの手や体と言うには余りに変わり果てた赤黒い肉管

を見つめ、ザヘルは喚き続けた。

 バギルとティラルの背後に追いついたレックスは、ザヘル

の隙を見てザヘルの本体目掛けて飛び出した。

 錯乱し、娘の再生ばかりに気を取られていたザヘルは、

レックスの接近をた易く許してしまったのだった。

「レックス!!!??」

 ザヘルの血走った目がやっと懐に潜り込んだレックスを

映し出した時には、炎熱剣の刃はザヘルの体を貫通して

いた。

「うぉぉぉっっっ!!!!」

 アローザとの戦いで疲労しながらも、レックスの渾身の一

刀は炎熱剣の朱色の刃から青白い光の迸る火炎を噴き上

げた。

「レックス…!! 貴様ァッ!!」

 噴き上げる炎に全身を焼かれながら、ザヘルは限り無い

怒りと憎しみに染まった目をレックスへと向けた。

 レックスは炎熱剣の柄を握る手に力を込め続け、ザヘル

の視線を真っ向から受け止めた。

 目の前のレックスを睨み付けながらも――ザヘルの目は

アローザを求めてより遠くを見つめている様にも見えた。

 自らの放つ炎に焙られるレックスの表情に、ふと哀しみの

陰が掠めた。

 自分もまた、一つ間違えばこうしてアローザを求めて妄執

の世界に足を踏み入れていたのかも知れなかった。

「――ティラル! バギル! 急げ!」

 自らの胸中に湧き起こる沈鬱な影を振り払う様に、レックス

はティラルとバギルに呼び掛けた。

 レックスの呼び掛けに応え、ティラルはフィアンに与えられた

水晶の短剣へと持ち替えてザヘルの本体へと跳躍した。

「下がれ! レックスっ!」

 ティラルの声と同時にレックスは炎熱剣を引き抜いて真横

へと飛び退いた。

 青白い火炎に焼かれる空気を鋭く裂いて、ティラルの手か

ら放たれた短剣はザヘルの額へと突き刺さった。

 それに少し遅れてバギルの投げた短剣もまた、ザヘルの

胸元へと届いた。

「――――――!!!!!!」

 短剣がザヘルの体に命中するとすぐ、ザヘルの体の動きが

火炎の中で止まった。

 ふたつの短剣を中心に、不可思議な円と紋様と流線から成

る巨大な魔法陣がザヘルの周囲の空間に展開した。

 ザヘルの傷の再生だけでなく、広間中に侵食した肉管の

脈動や邪気の流れまでもが止まり――ベナトやルフォイグの

言魂によって引き起こされた現象の全てが次第に崩壊を

始めていった。

 ザヘルの体を形成していた床や天井に食い込んでいた

肉管は、次々にタールやヘドロを思わせる粘塊へと変化

し腐っていった。

 きつい腐敗臭を伴ったガスを吸い込んでしまい、レックス

達は思わず咳き込んだ。

「おのれ…! 手放してたまるかッ!! 折角得た力を…!!」

 短剣の中に込められた言魂の力に押え付けられ硬直

しながらも、ザヘルはぱくぱくと口を開き、喘ぐ様に言葉を

絞り出した。

「…力を…手放すものか…ッ!」

 だが、身動き一つ叶わず、ザヘルが得た魔神としての

力は次第に剥ぎ取られていった。

 肉管の寄り集まりと化した本体もまたずぶずぶと音を立て

て崩れ始め、元のザヘルの姿を取り戻しつつ――元に戻っ

た肉体もまた腐った肉管の中に押し潰され、溶けようとして

いた。

 魔神としての力も姿もゆっくりと失い、それと同時に、ザヘ

ルの心の闇もまた、次第に剥がれ落ちようとしていた。

「――――……。」

 長い間ザヘルの心に淀み渦巻いていた暗く黒い感情が、

少しずつ霧散していくのをザヘルは感じた。

 血走っていたザヘルの目に光が甦っていくのをレックス達

も気付いた様だった。

「……アローザ……。そうだ……そうだった……。」

 静かに呟かれるザヘルの声からは、怒りも憎しみも消え去

ろうとしていた。

 無効のものとして還元されていく魔神の神霊力を振り絞り、

ザヘルは腐って崩れかけた自らの手に、もう一度アローザの

姿を創り出した。

 柔らかな金髪が腐敗臭に満ちたガスの中になびき、胸元

から上を辛うじて形作ったアローザの姿は、僅かな時間の

後に再び腐敗した肉管へと戻っていった。

「…アローザ…。」

 タールの様に腐って崩れていく自らの手を見つめるザヘル

の眼差しにも声にも……先刻迄の狂った感情は潜んではい

なかった。

「ザヘル……。」

 脱出を促しに降下して来たゼズやパラ、ファイオの気配を

背後に感じながら、レックスは普段の彼からは想像も出来な

い程穏やかな声で呟いた。

 ザヘルの最後の力で創造された胸像が、却って不出来な

故に、そこに込められた父神の愛情の深さを際立たせてレッ

クスの胸を打ったのだった。

「――「世界を生み出し、形作る力」を……。」

 ザヘルは息も絶え絶えに小さく呟いた。

 その声からは怒りと憎しみに狂う激しい感情は消え失せ、

ただ、些やかな祈りにも似た感情が滲んでいた。

 魔神の力や狂気迄もが無に帰っていく今になって、ザヘ

ルはアローザを失ったばかりの頃の気持ちを鮮やかに

思い出していた。

 ――ただ、もう一度娘と暮らしたかった。

 自分の力量ではアローザのクローンを作っても、赤子の

状態に仕立て上げるのがやっとだと、自分の限界を知った

時――ザヘルは確かに一つの世界を思い描いていた。

 もう一度、アローザを新しい娘として育てている自分自身

の姿を。

 今度はアローザはどんな神生を送るのかと楽しげに思案

し、育児をする父神の姿を……。

 ザヘルは、本当はそんな世界を創り出したかったのだった。

 些やかな幸せの中で暮らす父と娘の生きる世界を……。

「……生み出し、形作る力…を…。」

 ザヘルの声は溶解していく自身の肉に潰され、呑み込まれ

てしまった。

 広間中にガスや体液が噴出し、ザヘルであったものは腐

敗と共にその輪郭を失い、溶けた腐肉の山と化していった。

 ザヘル本体の死と共に広間の崩壊が加速され、溶け崩れた

石材と肉管の塊が次々に落下し始めた。

「――早く逃げなさい。」

 幻獣に乗ったまま、脱出しようと焦る幻神達やレックス達に

フィアンの声が掛けられた。

「逃げるったってよ…。」

 バギルが思わず上げた声に、フィアンは一つの宝珠をドレ

スの胸元から取り出した。

「ここの神殿上空にテレポートさせるから、後は自力で逃げな

さい。」

 フィアンの精神集中に反応し、強い輝きが宝珠から生じ始

めた。  

「――フィアン、あんたは…?」

 まだこの場に留まろうとするフィアンの様子に、レックスは

訝しげに声をかけた。

「私の仕事はまだ終わっていないわ……。」

 フィアンはそう答えると、優美な手付きでそっと宝珠を

レックス達へと放った。

「まだって……おいっ!?」

 レックスの声は宝珠に込められた言魂の発動に呑み込まれ

てしまった。

 宝珠から青白い光が辺り一面に迸り――光の退いた次の

瞬間にはレックス達の姿はそこには無かった。

「フィアン――!?」

 レックスの呼び掛けは、薄雲の広がる空へと響いた。

 ザヘル神殿に乗り込んでからどの位の時間が経過していた

のか、既に太陽は西へと傾き始め、薄紫と茜の光に空と地上

は包まれつつあった。

「フィアンの事だ。大丈夫だろう……。」

 ゼズ達と幻獣に同乗し、ゆっくりと地面へと降下しつつ、

レックスを宥める様にティラルが口を開いた。

「そうだな……。取り敢えず街に戻って……っ!?」

 レックスはティラルへとそう言葉を返しかけ、ソエリテの街を

見て言葉を詰まらせた。

「……やだァ!! ナニこれ」

「……これは…!?」

 眼下の街並みを目にしたファイオやパラ、他の者達の間

にも驚愕と絶句があった。

 夕焼けの空の下に広がっている筈のソエリテの街は、

その全てが腐った肉管の塊に融合され、変わり果てていた。

 ザヘルの侵食は既に街全体に及んでいたのだった。

 ザヘルの死によって、その肉体と化した民家や神殿は

ゆっくりと腐敗して崩れ落ちていき、街の全ては腐肉と泥

の堆積物へと変貌していきつつあった。



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