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第14章「騎虎」

 吹きすさぶ邪気が嵐の様に、ザヘル神殿の地下の大広

間を駆け巡っていた。

 「虚空の闇」へと続く次元の穴の中に注入された疑似

魂は、ゆっくりとそれらの邪気を吸収して成長を続けて

いった。

 憎悪、怨念、殺意、憤怒と言った、邪気の素となった

神々や人間達の様々な感情。

 また、そうした感情に滓の様に付随していた、それら

の感情の発する背景となった神々や人間達の思考や知識

等・・。

 ばらばらの泡沫の様にして「虚空の闇」の流れの中に

淀んでいたそれらは、疑似魂に吸収されていく内に、一

つの神の自我を形成する素材として統合されていった。

 混ざり合い、溶け合う内に、疑似魂は本物の魂に近い

機能を持ち始め、その自我と意識の覚醒を果たそうとし

ていた。

 ・・生まれたい・・・。・・生きたい・・・。

 新しい「虚空の闇」の魔神として誕生しつつあるその

神の呟きを、その場に居並ぶ誰もが耳にした。

 どす黒い邪気の塊は、魔神の魂へと限り無い凝集を続

け、黒い粘塊はついに・・一柱の神の姿をとって次元の

穴からこの地上へと生まれ落ちたのだった。

 無数の血走った眼球が浮き出た巨大な一つの脳。

 それが、その神の姿だった。

 六百年前、レウ・ファーが誕生した時とほぼ同様の過

程を経て、同じ様な姿をした魔神が再びこの地上へと誕

生したのだった。

「問題無く誕生したな。」

 ベナトは満足気に息を吐いた。

 脳と眼球の魔神は「虚空」の次元の穴の周囲を、まだ

目的も定まらずに空ろに漂っていた。

 ベナトはその魔神へと手を翳し、呆然と魔神を見上げ

るザヘルの手元へと引き寄せた。

 邪気除けの結界をすり抜け、赤黒い触手を脳のあちこ

ちから伸ばし、その魔神はザヘルの目の前でゆっくりと

回転しながら浮遊していた。

 その眼球の一つを鱗に覆われた指で示し、ベナトは透

明に輝く小さな水晶片をザヘルに手渡した。

「この端子を、この神の目に差し込むのだ。」

 水晶の先端には、十センチ程の長さの細い針が付いて

いた。

 ザヘルは水晶の端子を受け取ると、最早躊躇いもせず

に魔神の眼球へ、深々とそれを突き立てた。

 魔神の脳から伸びた触手が二、三度苦悶にのたうち、

全ての眼球が一斉にわななき震え・・ゆっくりと薄い肉

の膜の瞼を閉じていった。

 ベナトはその様子に、満足そうに頷いた。

 全ては順調に進んでいた。

 それから手元の銀板のキーボードを叩きながら、ベナ

トは素早くザヘルから離れていった。

 水晶の装置の前で、赤黒い脳と眼球の神に水晶の端子

を突き立てたまま、ザヘルだけが身じろぎもせずに立ち

尽くしていた。

 ベナトのキーボードからの命令により、結界を作動さ

せる装置はベナトの周囲のみに邪気除けの障壁を展開し

た。

 「虚空の闇」への次元の穴から垂れ流される邪気の塊

の数々は、ザヘルの手の中にある魔神を目指して集まり

始めた。

 邪気の塊から発せられる苦鳴や怨嗟に耳を貸す事も無

く、ザヘルはただ魅入られた様に立ち尽くし、水晶の端

子の針に突き刺されて歪んだ魔神の眼球を見つめ続けて

いた。

 魔神の創成の進行に従って、ルフォイグの関心はティ

ラルとレックスから反らされていったのか、二神の体は

徐々に自由を取り戻し始めていた。

 ルフォイグの念動力が中途半端に働く気を失ったまま

のレックスの体は、床に倒れる寸前の不自然な角度のま

ま空中に静止していた。

 時折苦しそうにレックスは顔をしかめていたが、まだ

目を覚ます様な気配はティラルには感じられなかった。

 全身をすっぽりと包み込む重りを身に付けている様な

感覚の中で、ティラルはよろめきながらも何とか自分の

剣を鞘に収めると、ひどく緩慢な動作でレックスの側へ

と歩み寄った。

 何とか、ここはひとまず退却する事を考えなければな

らない。

 ベナトの近くで気紛れに浮かびながらザヘルの姿を眺

めているルフォイグの方を一瞥し、ティラルは再びレッ

クスへと目を向けた。

 弱まり始めたとはいえルフォイグの念動力は、まだテ

ィラルとレックスの体の上に働き続けていた。

            ◆

「・・・ぐっ!!」

 何度もバギルは壁に叩きつけられ、骨折こそ免れてい

るものの、激しい打撲の為に立ち上がる事もやっとの状

態になっていた。

「・・フン、まだ立ち上がるのかい?」

 うっとおしそうに溜息をつき、ザードはバギルを眺め

た。

 バギルの格闘技も灼熱の拳も火炎術も、圧倒的な神霊

力を誇るザードには全く通じる事は無かった。

 傷つき、体のあちこちが腫れ上がっているバギルの姿

を冷やかに見つめながら、ザードは自分の中に昏い感情

が昂揚してくるのを感じていた。

 あのバギルを、この自分が圧倒している。

 誰の目にも脅え、バギルにすがっていた弱い自分はもう

居ないのだと・・。

「バギル・・・。君は前に、ボクが弱いって言ってたよ

ね・・・。」

「!?」

 バギルが反応するよりも素早く、ザードはバギルの真

横に移動していた。

 何とか反撃をしようとバギルは横を向いて身構えたが

・・ザードはただにこやかな表情のまま立っていた。

 ・・それは、思い出とも言えない他愛の無い記憶の筈

だった。

 まだザードがバギルの神殿で暮らしていた幼い頃、神

殿でバギルや他の者達が武術の訓練をしていた事があっ

た。

 その場へ、幻神を快く思っていない同年齢の子供達が

ザードを引っ張り出して来た。訓練と言う名目で、半ば

苛めの様にザードを殴ったり蹴ったりしていた連中をバ

ギルが怒鳴り散らし、ザードを庇った・・それだけの事

だった。

 ・・弱い者苛めもいい加減にしろよ!!こいつはお前

らみたく強くないんだから・・・。

「ボクは弱いんだってねえ・・・。」

 バギルの言葉は、ザードを庇おうとする好意から発せ

られたものだとは理性では判りきってはいても・・ザー

ドは、はっきりと自分を弱い者だと断じたバギルの言葉

に、深く傷付いた。

 幾らバギルやバギルの父ジェガル達が庇い立てても、

幻神を劣った卑しい神だと見做す空気はバギルの神殿の

中にも存在し、そんな中で暮らすザードにとって「弱い

者」という言葉はザードの中で容易に他の神とは同等で

ない劣った者、未熟な者、取るに足らない者・・と受け

止められてしまったのだった。

「ザード・・・。」

 ザードの記憶の一方的な独白に、バギルは言葉も無か

った。

 ザードの言葉を聞いている内に、バギルの心の片隅に

ざわざわと小さな疑問が湧き起こり始めていた。

 ザードは、単純にレウ・ファーに洗脳された訳ではな

いのかも知れない・・・?

「あの時のボクはお優しかったからねえ。独り成りでな

い神々の皆さんへは手加減してやってたんだよ。」

 ザードは終始にこやかな表情を崩さなかったが、凄惨

な殺気が翳の様にその全身を覆った。

「・・・!」

 ザードの放つ空気の変化に、バギルは慌てて距離を取

るべく跳ぼうとしたが、その前に細い鎖が首に絡み付い

た。

 幻覚の鎖はバギルの首にぎりぎりと食い込み、たちど

ころに酸欠状態へと追い込んだ。

「この程度の幻覚はあの頃でも作れたんだ。神殿の皆を

窒息死させるなんてとても簡単な事だよ!」

「・・・俺が・・・そんなに・・・お前を傷つけてたな

んて・・・知らなかった・・・。」

 酸欠に喘ぎながら、バギルは必死で声を絞り出した。

 バギルの目尻から、窒息の苦しみによるものではない

涙が滲み、頬を一筋伝わり落ちていった。

 幻の筈の窒息の苦痛はその場にバギルを縛りつけ、一

歩も動く事は出来なかった。

 バギルはそれでも必死にザードの顔を見つめ、力無く

震える片手を伸ばした。

 だがザードは近付こうともせず、冷やかにバギルの苦

しむ姿を眺めていた。

「もう少し苦しめてから、ゆっくりとキミにとどめを差

してあげるよ!」

 ザードの残酷な声と共に、バギルの首に巻き付いてい

た幻覚の鎖の力が幾らか緩んだ。

 ぜいぜいと大きく喘ぎながら、バギルの口は空気を貪

る様に吸い込み始めた。

「ザ・・・ード・・・。」

 何とかバギルが呼吸を整え、ザードへと近寄ろうと足

を踏み出したところで、ザードは無情にも再び幻覚の鎖

をきつく締め上げた。

「さ、とどめを差してあげるよ。キミなんかが居なくな

っても、これだけの神霊力があればもう何も怖くも悲し

くもないからね・・・。」

 変わる事の無いにこやかな表情のまま、ザードは親友

に残酷な言葉を吐いた。

 それから手の平へと精神を集中し、高エネルギーの光

球を作り出した。

 自分より遙かに強く、優しく、全てにおいて秀でてい

ると思っていたバギルが、今、ザードの力によって惨め

な姿でもがいていた。

 あのバギルが、この自分の力で殺されようとしている

・・。

 バギルの窒息寸前でもがく姿を見ながら、ザードは不

思議な支配感と復讐の達成感に、知らず興奮し、紅潮し

ていた。

 この手でバギルを殺して、自分は自分に対して、絶対

の力を手に入れた事を証明してやるのだ・・・と。

 絶対の力・・それは、ザードがザヘル神殿にやって来

たもう一つの目的でもあった。

「さっさとキミを殺して、ザヘルとか言う奴が手に入れ

ようとしている「世界を生み出し、形作る力」とかをボ

クのものにしなくちゃね・・・。」

 光球を溜めたザードの片手が、バギルの耳の近くへと

迫った。

 光球の高熱が、バギルの髪の毛の先端を微かに焦がし

た。

「・・・力?・・・何・・・を、言って・・・るんだ・

・・ザード?」

「「世界を生み出し、形作る力」・・今から死ぬキミに

は、全く関係の無い話だよ。」

 ゼズ達がレウ・ファーに調べるように命令されてソエ

リテに来ている様だったが、ザードはその力をレウ・フ

ァーに渡すつもりは全く無かった。

 自分が先にその力を手に入れ、自分の思い通りの世界

を創造してやる・・。ザードはその空想に陶然と、細い

目を更に細めた。

 後、ほんの僅かな精神集中と手の動きで、ザードの掌

中の光球はバギルの頭を吹き飛ばす事が出来た。

「!!」

 ザードが光球をバギルの頭にぶつけようとした瞬間、

突然の地震が彼等の居る貯水槽を襲った。

 それは、「虚空の闇」へとザヘル達が空けた次元の穴

によって、空間が不安定になった為に生じたものだった

が・・今のザード達には知る由も無かった。

「しまったっ!!」

 姿勢を崩してザードは後ろへと大きく転倒し、光球や

幻覚の維持に対しての全ての精神集中が乱されてしまっ

た。

 大きな揺れの後、小さな揺れが暫くの間続き、何処か

深い場所から唸り声の様にも聞こえる地鳴りがバギルと

ザードの耳に聞こえてきた。

「一体・・・何が、起こったんだ?」

 ザードの精神集中の乱れで幻覚の鎖が消滅し、呼吸の

自由を取り戻したバギルは、嗄れた声で呟き周囲を見回

した。

「!」

 仄かに冷たく、何処か吐き気や悪寒を催す様な気配が

この貯水槽に満ち始めている事をバギルは感知した。

 バギルは本能的に身を屈め、いつでも動ける様に急い

で呼吸を整える事に専念した。

 この神殿の更に地下深くから、大きな邪気の塊が溢れ

出した気配が、バギルの感覚にはっきりと知覚されたの

だった。

 先行したレックスとティラルの様子を案じながら、バ

ギルは先刻転倒したザードへと目を向けた。

「・・・ボクは・・・ボクは・・・思い通りの世界を・

・・世界を。」

 よろよろと石の床から立ち上がり、ザードは頭を掻き

むしりながらぶつぶつと独り言を繰り返していた。

 バギルが目を凝らす迄も無く、地下からこの貯水槽の

ある階へと染み出る様に現れているどす黒い粘塊の様な

煙が、ザードの周囲を取り巻き、その体内へと吸収され

ていた。

 ザードの体内に存在するレウ・ファーの神霊石の片割

れの持つ邪気に、「虚空の闇」への次元の穴から流出し

た邪気が引きつけられていると、バギルには判る筈も無

かった。

「ザード・・・?」

 ザードの持つレウ・ファーの神霊石は、次元の穴から

地上の世界へと逆流した邪気を自らのエネルギーとして

際限無く吸収し、その影響がザードの精神の平衡を大き

く乱していたのだった。

「・・・もうイヤなんだ・・・。弱いボクはイヤなんだ

・・・。あんなバギルに傷付けられるのも、他のバカ共

に見下されるのも・・・。もう、沢山だっっ!!」

 それは、体内のレウ・ファーの神霊石の力によって増

幅され、歪曲されてはいても、傷付き悲しみ続けたザー

ドの偽りの無い心の叫びだった。

「もう・・・独りはイヤなんだ・・・。弱いボクが独り

で居る世界はイヤなんだ・・・。」

 ザードは狂った様に呟き続け、宙の一点をぼんやりと

見つめ続けていた。

「・・・・。」

 バギルは、半ば錯乱したザードのすぐ近く迄やって来

る事が出来た。

 互いの息遣いも判る程の距離に近付きながらも、ザー

ドはバギルの接近に気付いてはいない様だった。

 何処からとも無く染み出て来る邪気は、バギルの体を

よけ、途切れる事無くザードの体内へと流入し続けてい

た。

 頭を掻きむしりながら呆然と立ち尽くしているザード

の横顔を、バギルは悲痛な思いで見つめていた。

 今迄、何十年もずっと今の様に、間近に居て過ごして

きた筈だったというのに。

 バギルはザードの本当の苦しみに、何一つ気付く事は

無かったのだった・・。

 ・・ザードが自ら、助けに来たお前を殺すだろう・・

 ゼームが「神々の森」での別れ際にバギルに語った言

葉が思い出された。

 歪められた憎悪と悲嘆に凝り固まったザードを目の当

りにして、バギルは漸くゼームの言葉の意味を実感し始

めていた。

「ザード・・・。」

 ザードを救うにはどうすればいいのか見当もつかない

ままバギルは、そっとザードの肩へと手を伸ばした。

 呟く様に掛けられたバギルの声に、ザードははっと肩

を震わせ、ゆっくりと振り向いた。

 ・・鬼神の様な、凄まじい眼光を湛えた表情で。

「うるさいよ・・・。ゴミが!!」

 ザードの眼光に射すくめられたかの様な錯覚を感じ、

バギルが思わず体を硬直させた一瞬の隙に、ザードの片

手が大きく旋回した。

「!!」

 受け身を取る余裕も無く、バギルは凄まじい力で吹き

飛ばされ、貯水槽の広間の石の壁に激突した。

「真っ先にキミを殺してあげるよ!ボクはもう、うっと

おしいキミなんか要らない!キミを殺せる程強くなった

んだっ!!」

 甲高く叫ぶザードの声が、バギルの頭の中で割れる様

に響いた。

 前のめりに倒れ込む様に、叩きつけられた壁から離れ

るとバギルはよろめきながらも辛うじて立ち上がった。

 体中の痛みに呼吸をするのも辛く、充分に力の入らな

い両膝はがくがくと震えていた。

 だが、バギルはそれでも顔だけは真っ直ぐに上げ、ザ

ードの歩み来る様子を見つめていた。

「・・・ごめんな、ザード・・・。俺、何も判ってなか

ったよ・・・。」

 バギルの微かな呟きは、ザードに届いたのか届いてい

ないのか、ザードの残酷な独白だけがバギルの耳へと返

ってきた。

「逃がさないよ、今日こそ・・・。今日こそ、キミを嬲

り殺しにしてあげるからね・・・!」

 邪悪な力に染まる事をザードが望んだのかどうかは、

バギルには判らなかった。

 ただ・・涙だけが、バギルの紅い瞳を潤ませた。

 自分はザードの一番の友達のつもりで、実際には幻神

であるザードの悲しみや苦しみを、判ろうとはしなかっ

たし、気付きもしなかった。

 ・・もう、独りはイヤなんだ・・・!

 先刻のザードの血を吐く様な叫びが、いつ迄もバギル

の耳から消えずにいた。

 ずっと一緒に過ごして、仲の良い親友のつもりだった

というのに。

 ザードはバギルを親友とは見てはくれなかったのだろ

うか?

「ザード・・・。」

 涙で視界が曇りながらも、バギルはザードから目を逸

らそうとはしなかった。

 ・・いつでも、一番の友達のつもりで接していたし、

想ってもいた。共に笑い、泣き、様々な思い出も共有し

てきた筈だった。

 ザードの苦悩や悲哀がバギルに伝わってはいなかった

様に、バギルの思い遣りも真心もザードには伝わっては

いなかったのだろうか・・・?

「さあ・・殺してあげるよ!バギル!!」

 抵抗する間も無く、バギルは服の胸元を掴まれ、ザー

ドの手によって軽々と空中へと掲げられた。

「ザード・・・。」

 これがお前の本当の心なのか?あの優しい姿は何だっ

たのか?

 様々な思いがバギルの胸中に溢れ返ったが、何一つ言

葉になる事も無いまま、バギルは再び石の壁に叩きつけ

られてしまった。

 すぐには起き上がれずにいるバギルを見下ろすザード

の頭上に、レックス達が先行した通路から幻神達の話し

声が響いてきた。

「・・ちょっ、ちょっとぉ!何で貯水槽に寄り道してン

のヨォ!」

「まだバギルとザードの気配がする。・・・このまま放

ってはおけないだろう!」

 ファイオやゼズの言い合う様な声が、次第に通路の出

口へと近付きつつあった。

「・・ゼズ達かい・・・?」

 ゼズ達の声に、ザードの眉が不愉快そうにぴくりと動

いた。

 ゼズ達の接近を知り、ザードはうっとおしそうな表情

を貯水槽の上部にある通路の入り口へと向けた。

「バギルなんて放っときなさいョォ!どうせ今頃ザード

のヤツに殺されてるワヨ!」

「いや、まだ生きた気配がする。・・・それに、事情を

話せばバギルも協力してくれるかも知れない。」

 言い合う声が響きながら、程無くして薄暗い広間へと

幻獣に乗った幻神達の影が三つ飛び出して来た。

「ふん!」

 ザードは、幻神達の飛び出して来た通路に顔だけでな

く、片手も向け・・光球を撃ち出した。

「!?・・何をする!」

 突然の光球に怯んで空中に硬直したパラを庇い、ゼズ

の乗ったシウ・トルエンが軟質の鱗に覆われた片手を伸

ばして光球を弾き返した。

「うるさいからに決まってるじゃないか。」

 ゼズの怒りのこもった言葉に対して、何の気無しにそ

う答えるザードの様子に、ゼズ達だけでなくバギルもま

た言葉を失った。

「君と言う奴は・・・。」

 貯水槽の広間の薄暗い中空に浮かぶゼズと、石の床の

上に傲然と立つザードとの間に僅かの時間、火花が散っ

た様な錯覚があった。

「キミ達も、命が惜しいと思うのなら、邪魔しないでく

れるかい?」

 ザードは相変わらずの調子で傲慢に言い放ち、バギル

への暴虐を再開すべくゼズ達へと背を向けた。

 そんなザードの姿を睨み据えるゼズの横で、ファイオ

は小声でひそひそとゼズに話し掛けた。

「そうそう。ザードの言う通りヨ。全くお節介なンだか

らッ。さっさと逃げるワヨ。」

 ファイオの声にはゼズに対して呆れた様な感情が滲ん

ではいたが、一方でファイオの胸中には、何とも言い難

い苛立ちの様な感情がもやもやと立ち込めていた。

 何故、友達でも何でもないバギルの為に、わざわざ自

分から危険な目に遭おうとするのか・・。

 この苛立ちの感情は、ゼズへの反発の表れか・・・そ

れとも。

 ファイオの内省は、甲高いザードの嘲笑の声に打ち切

られてしまった。

「ははははははっっ!!ゼズ!こんなちゃちな幻覚でこ

のボクを止めるつもりなのかい!?」

 半ば座り込む様に、壁に力無くもたれかけているバギ

ル迄、後二、三歩というところで、ザードはゼズの放っ

た幻覚の鎖によって動きを封じられてしまった。

「ねえ・・・。あれが「思い遣り」というものなの?」

 ゼズと眼下のザードの様子を指差し、パラはふとファ

イオに問い掛けた。

 自らの損得とは関係無しに相手の事を気遣うという感

情・・それを何と表現すべきか。

 生身での他者との関わりの薄いパラにとって、ゼズが

バギルを助けようとする行為は、単純に物珍しく、不思

議なものとして映っていた。

「そうとも言うワネ・・・。でもあれは、「お節介」と

も言うのヨ!」

 ファイオは大袈裟に大きな溜息をつき、野太い声でパ

ラへと答えた。

 思い遣りであり、お節介でもある・・?

 ファイオの答えを俄に理解する事は出来ず、パラは軽

い混乱を覚えながらも眼下の様子を眺め続けた。

「・・・!?」

 鎖の幻覚を無視してそのまま進もうとしたザードは、

鎖の力が予想外に強い事に驚き、苛立った。

「・・・ゼズ!邪魔をするなってボクは言ってるんだよ

ッッ!!」

 ザードが力任せに腕を振っても、鎖は微動だにしなか

った。

 ザードが苛々と怒鳴る間にも、ゼズは素早くシウ・ト

ルエンをバギルの横へと降下させた。

「大丈夫か?」

 シウ・トルエンから降り立ち、ゼズは手を差し伸べて

バギルが立ち上がるのを手伝おうとした。

 が、バギルは小声で礼を呟くものの、ゼズの助けを断

って自力でよろよろと立ち上がった。

「お前等は・・・早く逃げろ。・・・今のザードは正気

じゃない・・・。殺されるぞ・・・。」

 泣いていた顔を見られない様にゼズから顔を逸らし、

バギルはザードの方を見た。

「ボクの邪魔をする奴は皆殺しだよ!!」

 バギルの言葉の後に、ザードは苛々とした口調で続け

た。

 ゼズの放った無数の銀色に光る鎖に動きを封じられな

がらも、ザードは渾身の力を振り絞って片手を高々と掲

げた。

 その掌中には、再び高エネルギーの光球が作り出され

ようとしていた。

 ゼズもまた、ザードを半ば睨み付ける様に見つめ、

「私はただ、君達に無意味な殺し合いをさせたくないだ

けだ。」

 ゼズの言葉が終わったか終わらないかの内に、ザード

の放った青白い閃光が炸裂し、ゼズとバギルの姿が瞬時

に消し飛んだ。

「ああ、もォ!」

 上空から成り行きを見守っていたファイオが、思わず

声を上げた。

 しかし閃光の退いた後、無傷のゼズとバギル、シウ・

トルエンがザードの真後ろに立っていた。

「幻覚の小細工か・・・。」

 ザードは、逃げられた悔しさの感情に歯噛みしながら

も、嬲り殺す新たな獲物の出現に残酷な笑みを浮かべた

のだった。

「取り敢えずここは脱出しようか。・・・君に捕まえら

れて神国本部に突き出されるのは、妹達も悲しむので遠

慮したいが・・・。」

 次のザードの攻撃に備え、ゼズは身構えて間合いを取

りつつ早口でバギルへと話し掛けた。

 ゼズの無言の命令を受け、シウ・トルエンはバギルの

首根っこを掴むと自らの背に乗せた。

 抵抗するだけの体力も消耗し、バギルはシウ・トルエ

ンの背にもたれ掛かる様に座りながらゼズの方を見た。

 ゼズの身のこなしが何処と無く固く、ぎこちないと、

バギルはぼんやりと頭の片隅で評価していた。

「ゼズ!!バギルをよこすんだっ!!」

 既に鎖の幻覚は消し飛び、自由になったザードは苛々

と歯を剥いて叫び、バギルを指差した。

「それは断る。正気を欠いた今の君とは話し合いは出来

そうも無いからな。」

 ゼズは緊張しつつも冷静な口調でザードへと答えた。

 ゼズの返事が聞こえ・・次の瞬間にはザードは再び幻

覚の鎖の中に捕縛されていた。

「!」

 ザードは怒りの感情を露に、体を大きく震わせた。

 だが、今度はゼズもそれに合わせて精神集中の度合い

を高め、幻覚をより強固なものとした。

 強烈な精神集中に、ゼズの眉間には深く皺が寄り、額

の第三の瞳が小刻みに痙攣を繰り返した。

 ローブの裾で軽く汗を拭い、ゼズは急いでシウ・トル

エンに跨がった。

「とにかく、ここは逃げるぞ。」

 ゼズの言葉に、バギルは体中の痛みに顔をしかめなが

らも頷いた。

「・・・すまないな。・・・それと、・・・お前等幻神

は、指名手配にはなってない・・・ぜ。紫昏のお蔭で、

被害者扱いに・・・なってる・・・。」

 バギルの言葉に、ゼズはふっと微笑を浮かべた。

「それは有り難い・・・。」

 それから体に充分力の入らないバギルの姿勢を正し、

ゼズはシウ・トルエンに飛翔の命令を与えた。

「逃がすもんかぁぁっっ!!」

 ザードの怒号が、辺りの空気を灼くかの様だった。

 が、どれ程ザードが怒りと悔しさに叫ぼうとも、幻覚

術についてはゼズの方に一日の長があった。

 ザードは指一本動かす事も、光球を作り出す事も出来

ずに、ゼズとバギルの逃亡を見送るしか無かったのだっ

た。

 二神分の重みで幾分動きの鈍くなったシウ・トルエン

が、ファイオとパラの待つ高さにやって来たところで、

突然・・周囲の邪気の濃度が上がった様だった。

「嫌ぁっ!!」

「な、何ヨ、これ!!」

 パラは悲鳴を上げ、ファイオは思わず片手の幻獣の鞭

を一閃した。

 貯水槽の床や、通路、階段・・その全ての石材の隙間

から、煙とも粘塊ともつかないどす黒いものが糸を引く

様にして姿を現し始めていた。

 そのどす黒いものの流れは、呻き声や聞き取り難い呟

きや怒号を繰り返す神や人間の頭部の塊を形成し、ゼズ

達の留まっている空中に迄漂って来たのだった。

「・・ザヘルの記録の通り、「虚空の闇」への次元の穴

が完全に開かれたのか・・・?」

 ゼズは眉をひそめ、まとわり付こうとする薄い邪気の

塊を払いのけた。

「そうみたいネ。」

 ファイオもうっとおしそうに、近寄ろうとする幾つか

の神や人間の頭部の形をした邪気を鞭で叩き割った。

「この邪気ってェ・・・。」

 幻獣の鞭を自在に振るい、ファイオは次々に邪気の塊

を叩き伏せながら、今自分達が居る貯水槽の空間に、覚

えのある空気が満ちつつある事に気が付いた。

 それは以前、虚空神フィアンの心の「深い闇」を採取

しに神国神殿に潜入した時に、フィアンがファイオに見

せた「穴」から感じ取った禍々しさと同質のものの様だ

った。

「ゼズ!下!」

 パラは驚きに思わず自分の乗っている幻獣にしがみつ

き、悲鳴の様な声を上げた。

「・・ッ!?」

 ゼズが気付くより早く、ザードの投げた光球はシウ・

トルエンの半身を叩き、ゼズとバギルは空中へと投げ出

されてしまった。

 傷付き、また主であるゼズの精神集中が乱された為に

シウ・トルエンは瞬く間に輪郭を失い、自らの収納場所

である異次元空間へと帰っていった。

 空中を落下しながらも、ゼズは咄嗟に二体の平板状の

幻獣を召喚し、それぞれ自分とバギルの肩へと付着させ

た。

 瞬時にそれらの幻獣からは大きな浮力が発生し、ゼズ

とバギルは何事も無く床の上へと着地した。

「・・・私の幻覚を破ったというのか?」

 ゼズは驚きの表情でザードを見た。

「ザード・・・。」

 バギルは着地によろめき、何とか姿勢を立て直しなが

ら、ザードを見た。

 悠々と、しかし、怒りと殺気を露にザードはバギルと

ゼズの所へと近付いて来た。

 周囲を漂う邪気の塊は、明らかにザードを目指して集

まりつつあった。

 緩やかに、だが、際限無くザードの胸元にどす黒い粘

塊が凝集し、ザードの体内へと吸収されていった。

 邪気のエネルギーを得て、ザードはゼズの幻覚も破る

程の力を発揮したのだった。

 ザードはバギルから少し離れた所で一度立ち止まり、

自らの手を眺めた。

 残酷な笑みに口許を綻ばせると、ザードの片手が軽く

振り下ろされた。

 それは、試し斬りの様なものだったのだろう。

 ザードの片手から放たれた衝撃波は、すぐ側の床から

壁面にかけてざっくりと石材を抉り取っていた。

「・・邪気の吸収で神霊力が高まったのか。」

 ザードの様子に命の危険を感じ、険しい表情を浮かべ

て緊張しつつも、ゼズは冷静にザードの力を分析してい

た。

「クソ・・・。何て力だよ・・・。」

 ゼズの横で、バギルはかなわないと予想しながらも、

傷だらけの拳を握り締めて身構えた。

「ゼズ・・・。」

 ぽろぽろと細かな破片の崩れ落ちる壁の亀裂と、ゼズ

達を何度も見比べながら、パラは不安気に呟いた。

 心配、不安・・そして、思い遣り。

 ザードの圧倒的な神霊力の前に、パラもまた命の危険

を感じながらも、初めてはっきりと、自らの胸の内に様

々な感情がめまぐるしく湧き起こるのを自覚したのだっ

た。

 自分もゼズやバギルの為に何か出来ないものか?

 出来れば・・・彼等を助けたい。

「!!」

 ゼズは再び幻覚の鎖をザードへと放った。

「無駄だよ。」

 ザードはにやりと歯を剥いて笑い、その額の瞳の輝き

の下に幻覚の鎖は砕け散った。

「ザード!!もうやめろっ!」

 変わり果てた親友の邪悪な表情に、バギルはたまりか

ねて叫び声を上げた。

「うるさいよ。」

 だが、ザードは険しい目つきでバギルを一瞥しただけ

で、次の瞬間には掌を突き出し、バギルへと光球を投げ

つけた。

「!」

 辛うじてバギルは身を屈めて光球を躱したが、背後の

壁は轟音と共に抉られてしまっていた。

 もう一球放とうと、ザードが再びバギルへと掌を向け

たところで、ゼズは再び幻覚を放った。

「!?」

 バギルへと突き出したザードの片手が、みるみる内に

輪郭を失い、粘液と化して垂れ落ちていった。

 流石のザードも驚愕に目を見開き、幻覚の源であるゼ

ズへと体を向けようとしたところで・・今度は両足が石

化し、それと同時に天地の感覚が麻痺し始めた。

「ザード・・・?」

 傍目には棒立ちとなってふらふらと左右に揺れている

ザードの様子に、バギルは訝し気な目を向けた。

「ファイオ、パラ・・・。すまないが、今の内にバギル

を頼む。」

 ゼズは額に汗を滲ませながら、空中のファイオとパラ

へと呼びかけた。

 戦闘経験も、その能力も無いものの、幻覚術を攻撃の

為に使う頭脳の回転において、ゼズはザードを凌駕して

いた。

 ザードに放つ幻覚の内容を、肉体感覚の混乱へと切り

換え、ゼズはこの場を脱出するべく思考を巡らせた。

 ゼズの頼みを引き受けたものかどうか、ファイオは困

惑しながら空中に留まっていた。

「頼む、急いでくれ。」

 予想はしていたものの、ザードはふらつきながらも態

勢を立て直そうと精神集中を始め、その力は今にもゼズ

の幻覚を破ろうと、激しく噴出しようとしていた。

 ゼームならば、恐らくはザードやレウ・ファーとも互

角に戦えるのだろうが・・・。

 額の汗を拭い、ゼズはふと、未だラデュレーで神霊力

を回復させるべく瞑想中のゼームの姿を思い起こした。

「・・・バギル!こっちよ・・・。」

 そこに、思いも寄らないか細い少女の声が、バギルの

すぐ横へと降下した。

「パラ・・・。」

 ゼズは安堵の息を吐き、すぐにザードの方へと向き直

った。

 バギルの腕を引っ張る様にして自分の幻獣へと乗せ、

パラはまたすぐに浮かび上がり始めた。

 ゼズは横目でその様子を確かめると、バギルの肩にく

っついていた平板状の幻獣を自分の方へと呼び戻した。

 飛行する事のみならば、この二体の幻獣の方がシウ・

トルエンよりも遙かに優れていた。

 強烈な幻覚の維持と、飛行幻獣の操作を同時に行う事

は、ゼズの精神力と神霊力を凄まじく消耗させる行為だ

ったが、ここでやめる訳にもいかなかった。

 幻獣に飛翔の命令を送り、ゼズが床を蹴った瞬間・・

それ迄緩やかだった邪気の流れが、突然勢いを増して貯

水槽の床や壁から溢れ返った。

 それは、ザヘルが「虚空の闇」の次元の穴の中に、魔

神の核となる疑似魂を注入した瞬間に重なっていた。

 当然の事ながら、ザードは濃く激しい邪気の奔流にそ

の身を晒し、更にその神霊力を増大させていった。

 ゼズの必死の幻覚は、更に力を得たザードによって呆

気無く破られてしまった。

「・・・パラ、急げ!」

 幻覚が破られゼズの額の瞳は激しく痙攣し、頭のあち

こちを突き刺される様な頭痛が襲った。

 思わず額の瞳と頭を押さえながらも、ゼズは急いで脱

出する様にパラを促した。

「ふふ・・・!逃がさな・・・!?」

 ザードが薄笑いを浮かべ、飛び立とうとするパラの幻

獣を撃ち落とそうと片手を上げた。

 微細な光の粒がザードの掌で凝集しかけたところに、

ザードの体に無数の明確な形を持った邪気の群れがたか

り始めた。

「ザード!?」

 バギルは思わず幻獣から身を乗り出して、どす黒い粘

塊で出来た神や人の顔に体の殆どを覆われたザードの姿

を見た。

「あ・・・!!・・・がっっ!!」

 ザードの苦鳴と共に、その胸元から半分に欠けた漆黒

の輝きを放つ神霊石が出現した。

 それは、ザードが取り込んだ筈のレウ・ファーの神霊

石だった。

 ザードにたかっていた邪気の全てはその神霊石に吸収

され、その悉くが神霊力として蓄積されていった。

 ザードは自分の器を遙かに超える量の神霊力の吸収に

耐え切れず、既に半ば気絶したままその場に立ち尽くし

ていた。

 神霊石の本来の持ち主であるレウ・ファーならば、大

量の邪気を自らのエネルギーとして取り込む事も出来た

が、ザードの肉体と精神は瞬く間にその容量の限界を迎

え、崩壊寸前の状態に陥ってしまっていた。

「ザード!!」

 ザードの様子に、バギルは思わず上昇中の幻獣から飛

び降りて駆け出した。

 地上の世界に確固たる質量を持って顕現し始めた邪気

の塊が走るバギルの体へとぶつかり、また負の精神エネ

ルギーの影響でバギルは忽ち吐き気や悪寒、眩暈に襲わ

れた。

 それでもバギルは足を止める事無く、ザードを目指し

て突進して行った。

「ザードっっ!!」

 バギルの呼び掛けにも反応しないザードの胸元には、

どす黒い邪気を際限無く吸収しているレウ・ファーの神

霊石が、怪しい脈動を繰り返していた。

 この石のせいで、ザードはおかしくなってしまったの

か・・・。

 バギルはレウ・ファーの神霊石を睨み付けると、何の

躊躇も無く石へと手をかけた。

「・・・ぐっ!!」

 冷たいとも熱いともつかない痛みがバギルの手を刺し

貫き、それは現実の裂傷となって血を噴き出させた。

「ザード・・・。今、助けるからなっ・・・。」

 渾身の力を込めてバギルが神霊石をはがしにかかった

が、石は僅かにザードの胸元で揺れるだけで、それ以上

ザードから離れる事は無かった。

 幻神達はその様子を、為す術も無いまま見守るしかな

かった。

「バ・・・ギル・・・?」

 苦悶の表情を浮かべながら、ザードは微かに意識を取

り戻し、ゆっくりと目を開いた。

 その瞳の色は、確かにかつての心優しいザードのもの

だった。

 だが、そんな懐かしいザードの姿をバギルが見出した

のも束の間、ザードの瞳はすぐ様怒りと憎悪の感情に塗

り潰されていった。

「力・・・だっ・・・!」

 ぜいぜいと喘ぎ、体内に流れ込む邪気の苦痛に体を痙

攣させながらも、ザードは自分の胸元に浮かび上がった

神霊石を掴んだ。

 再び、傲慢で邪悪な表情に染まったザードは、神霊石

を引き剥がそうとするバギルの手を、凄まじい力で捻じ

上げ突き飛ばした。

 今迄体内に同化して馴染んでいた為か、ザードの手は

神霊石を掴んでも傷付いてはいない様だった。

「ザードッ!やめろぉっ!!」

 赤く痣になった手首をさすりながら、バギルは吐き気

と悪寒をおして立ち上がり、再び邪気の塊の群れをかい

くぐってザードの立っている場所を目指した。

「誰が・・・誰が、この力を渡すもんかぁぁっっ!!」

 細い目を赤く血走らせ、半ば狂った様にザードは絶叫

した。

 辺りの邪気は尚もザードの許へと集束を続けていた。

 ・・このままでは、確実に許容量を超えてしまい、肉

体も精神も耐え切れなくなってしまうだろう。

 ザードは悔しそうに歯噛みした。

「・・・ここ迄来て引き下がるなんて・・・!後もう少

しで「世界を生み出し、形作る力」の事も判ったという

のに・・・。」

 幾らかは判断力を取り戻し、ザードは仕方無く退却を

決意すると、尚も突進して来るバギルへと腹立ち紛れの

光球を投げつけた。

 バギルの右足に当たって爆発した隙に、ザードはザヘ

ル神殿の外へとテレポートを行った。

「ザードぉぉっっ!!」

 右足に光球がまともに当たり、バギルは爆風と共に床

の上に叩きつけられてしまった。

 床の上に這いつくばりながらもバギルが顔を上げた時

には、既にザードの姿は何処にも無かった。

 ザードの目の前に・・手も触れられる程迄に近付けた

と言うのに、ザードを連れ戻せなかった。

 その悔しさに、バギルは知らず涙ぐんでいた。

「何で・・・。何でだよ・・・?ザード・・・。」

 何故、神霊石との融合をしてしまったのか。

 何故、邪悪な力に染まってしまったのか。

 バギルは床に突っ伏したまま、暫くの間動けなかった

し、また、動こうともしなかった。

 溢れ出す涙はバギルの意思を無視し、絶え間無く床の

上へと零れ落ちた。

 ザードを連れ戻せなかった悔しさだけでなく・・ザー

ドの心の、いわば、「深い闇」を目の当たりにした衝撃

と、ザードの苦悩を何も判らずに友達面をしていた自分

に対しての怒りや情けなさとが、バギルの胸中で長い間

混乱し、渦巻いていた。

 ・・誰が、この力を渡すもんかぁぁっっ!!

 初めて間近で見た、憎悪を剥き出しにしたザードの姿

が、バギルの混乱を長引かせていた。

 あの、残酷で狂気に満ち満ちた姿のザードを、この先

も相手に戦っていかなければならないのだ。

 そして、レウ・ファーとの戦いよりも優先してバギル

が連れ戻したいと願っている親友は、そのザードに他な

らなかった・・・。

 次第に落ち着きを取り戻し始めたバギルの胸の中に、

自らへと問い掛ける声があった。

 ・・この先も、命懸けでザードを友として連れ戻そう

とする覚悟があるのか?それとも・・・。

 バギルの答えは決まりきっていた。

 汚れた袖口で涙をごしごしと拭き取ると、バギルはや

っと上半身を起こした。

 ザードの光球に撃たれた右足は消滅は免れたものの、

大火傷を負って動かす事も出来なかった。

「・・・大丈夫か?」

 片手で頭を押さえながら、ふらふらとよろめきながら

ゼズはバギルの所に近付いて来た。

 バギルが落ち着くのと、自分自身の疲労や痛みが治ま

る頃合いを見計らっての事だった。

 ザードが去ってしまってから、周囲の邪気は急速に勢

いを失い、今はもう形も朧ろ気な薄い煙の様なものが漂

うだけとなっていた。

 ザードの持つ神霊石が、地上に逆流した邪気をこの貯

水槽に集める役目をしていたのか・・と、ゼズはまだ痛

みに疼く頭を押さえながら状況を分析した。

「助かったよ・・・。有り難う。」

 バギルは床の上に右足を投げ出して座り込んだまま、

ゼズの顔を見上げた。

「手当てをしよう。・・・余り時間も無い。」

 ゼズかバギルの傍らに屈み込むと、バギルの右足へと

そっと片手を翳した。

 ゼズの額の瞳に光が宿り、バギルの右足へと不思議な

温もりが広がりかけた・・が、それはゼズが頭を抱えて

ふらついた為に中断されてしまった。

 ゼズの力はまだ充分には回復していないのだった。

「・・・手伝うわ・・・。」

 いつの間に側に来ていたのか、パラが小柄な体でふら

つくゼズを支えた。

 彼等の背後には、一体どういう心境の変化かと驚きに

目を見張るファイオの姿があった。

「・・「思考実体化術」は出来るのかい?」

 床の上に膝を突き直し、ゼズはパラへと尋ねた。

「余り上手ではないけど・・・。」

 パラはか細い声で答え、バギルの足へと手を翳した。

 バギルの怪我や服の破れ目、汚れ迄もが、僅かの時間

で元通りになっていく様子にバギルは呆然とし、ゼズと

ファイオは感心した。

「へえ・・・。幻神が治癒能力を持ってたなんて知らな

かったぜ・・・。」

 痛みも次第に消えていき、バギルは素直な感嘆の声を

発した。

「いや・・・。治癒能力という訳ではないよ。幻神の思

念を相手に送る点では、幻覚術と力の質や方向は似てい

る。幻覚が現実になった様なものだ・・・。」

 ゼズは何処か悲し気に表情を曇らせながら、バギルに

幻神の力を説明した。

 「思考実体化術」は、幻神の持つ能力の一つだった。

勿論全ての幻神が使える訳ではなかったが、幻神の考え

たイメージを現実のものとして実体化する事が出来た。

 例えば水や石などを現実の物質として出現させる事が

出来るが、それは著しく神霊力を消耗してしまう為、せ

いぜいが怪我の手当てや少量の物質の実体化に留まるも

のだった。

 ・・幻神は、創造神へと進化出来る素質がある。

 エアリエルは、幻神のこうした能力に目を付けたのだ

ろう。

 ゼズは、ふと自分の部屋を訪れたエアリエルの言葉を

思い出し、小さな溜息をついた。

「有り難うな!お蔭でバッチリ戦えるぜ!」

 バギルはパラに礼を言うと、勢い良く立ち上がり軽く

腕を振り回した。

「・・・アタシ達とも?」

 ファイオが冷めた目で、からかいとも本気ともつかな

い言葉をかけた。

 バギルは振り回す腕を止め、複雑な表情でファイオを

振り返った。

 「神国」の神々・・ラノや雷公、エトラージュ達から

心の「深い闇」を奪い取って行った時には、確かにファ

イオ達を敵として憤る心もあった。

 だが、レックスとは違ってバギルには、無闇に幻神達

を相手に戦う程の理由も闘争心も無かったのだった。

「冗談ヨ!・・・急ぎましょうヨオ、時間無いワヨ!」

 ゼズとパラの何処か咎める様な視線を感じ、ファイオ

は大きな溜息をついてひらひらと片手を振った。

「・・・あなたは、素直にお礼を言うのね・・・。」

 バギルを再び自分の幻獣に乗せながら、パラは小さな

声で呟いた。

「へ・・・?」

 よく聞き取れずに首をかしげるバギルを無視し、パラ

は幻獣の背に腰を下ろした。

 あんなに怪我をして迄、幻神の友達の為に必死になっ

ている・・。

 自分が最初に地上に降り立った時に出会っていた者達

がバギルの様な者だったならば、現在の自分の心や境遇

は、もっと違った形になっていたのだろうか?

 あり得ない筈の、もしも、の世界をふと空想しつつ、

パラは幻獣に飛翔の命令を送った。

 ゼズとファイオもまたパラの後に続いた。

「・・・。」

 幻獣達が通路へと突入しようとする直前、ほんの僅か

の間、バギルは背後の貯水槽の広間を振り返った。

 この次こそは、ザードを連れ戻してみせる・・・。

 決意を新たにし、バギルは再び前を向いた。



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