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第12章「魔神創成」

「来おったかッ!!レックスッッ!!」

 自らの目の前に、爆風の様な風圧を起こして突進して

来たレックスを、ザヘルは挑みかかる様な目で睨み据え

た。

 怨恨を晴らす機会を、レックス自らが与えに来た様な

ものだった。

 ザヘルは今すぐにでも、言魂の書物を投げ捨ててレッ

クスへと飛び掛かろうと身構えた。

「・・ザヘル。まだ途中だ。」

 横合いから、ベナトの冷たい声が掛けられ、ザヘルは

仕方無く身構えた体の力を抜いた。

 未練がましくレックスの方を睨みながらも、ザヘルは

再び水晶柱の装置の前に向き直った。

「・・あなた達は一体・・・?」

 レックスに追い付いたティラルもまた、諌める様にレ

ックスの肩を軽く押さえて後ろに下がらせた。

 それから飛翔板を下り、ティラルは険しい表情でザヘ

ルの傍らに立つ灰色のマントの神と、巻貝状の頭をした

異様な姿の神を交互に見た。

 灰色のマントはともかくとして、異形の神の放つ異様

な気配は紛れもない邪気だった。

「ザヘル!一体、ここで何をしようってんだ!?」

 ティラルの手を払いのけ、飛翔板を下りるとレックス

は再び前へと進み出た。

 ティラルにも劣らない険しく厳しい表情で、レックス

は天井の暗黒の穴を見上げ、またザヘルへと視線を戻し

た。

「あれは「虚空の闇」への次元の穴じゃねえのかっ!?

正気か、てめぇっっ!!」

 吠える様にレックスは声を荒らげた。

 以前にフィアンとの世間話の中で、何気無く聞いた話

をレックスは思い出したのだった。

 自分達の頭上に浮かび、回転している暗黒の空洞。

 それが「虚空の闇」へと続く穴であり、それを地上世

界に開く事がどれ程恐ろしい事であるかは、無茶と蛮勇

の塊の様なレックスにも理解出来る事だった。

「・・・正気なぞ、とうに捨てたわ・・・。アローザを

甦らせると決めた時からな・・・。」

 水晶柱の装置の前でレックスを嘲笑うザヘルの姿から

は、言葉通り、正気を感じさせるものは何も無かった。

「娘を甦らせる為だけに、こんな恐ろしい事を!?」

 剣の柄に手を掛けながら、ティラルは驚愕に青冷めた

表情でザヘルを見つめた。

 地上の神々や人間達から発生した憎悪や、怨念、殺意

等・・負の精神エネルギーもまた、通常の、生命力の根

源となる方のレイラインのエネルギーと同様に世界を流

れ、集束し、やがて「虚空の闇」へと流れ落ちて行く。

 「虚空の闇」の、地上世界に近い浅い階層の部分では

流れ落ちたばかりの濃密な邪気が溢れ返り、その中から

様々な魔神や怪物達が誕生する事もあった。

 そうした魔神や怪物は、時に、偶然生じた次元の穴を

通って地上世界に出現し、地上の生物に害をなす事もあ

った。

「この穴から、どんな恐ろしい神や魔物が出て来るか、

判ったものではないんだぞ!!」

 地上の平和を守る使命の幾らかを担うティラル達戦神

にとって、ザヘルのこの行為は余りにも理解を越えたも

のだった。

 ティラルの怒鳴り声に、灰色のマントの傍らに浮かん

でいた巻貝状の異形の神が、紅く光る目をティラルへと

向けた。

「例えば、ワシの様な・・・か?」

 ルフォイグのからかいの感情の混じった声に、ティラ

ルは一瞬で激しい悪寒に襲われた。

「・・そうか。もう「虚空の闇」の魔神を召喚していた

のか・・・。」

 ティラルは、ルフォイグから感じ続けていた異様な気

配の理由を納得した。

「次元歪曲やら魔神召喚やら、やりたい放題しやがって

っ!あの「アローザ」達もその一環かよっっ!!」

 歯を剥き、唸る様に声を荒げ、レックスは炎熱剣を抜

いて構えた。

 ザヘルへの怒りに反応して既に紅蓮の帯が炎熱剣の刃

を包み、迸る火柱が周囲の空気を焼いた。

 愛しい筈の娘の姿を、怪物達のうわべに被せて恥じな

いザヘルの狂気の行為への激しい怒りが、もう一つの火

柱と化してレックスの全身から噴き上がっていた。

 だがザヘルは、レックスへの嘲りと憎悪のこもった狂

気の笑いを絶やさなかった。

「はっははははははっっ!!お前程度の頭でも、失敗作

のアローザ達の事は理解出来た様だなっ!全ては、望み

通りのアローザを作り出す為だ!!「世界を生み出し形

作る力」を手に入れてなぁっ!!」

 ザヘルの哄笑が広間中に響く内にも、水晶柱の装置は

めまぐるしく点滅を繰り返し、「虚空の闇」への穴を広

間の中の空間へと定着させるべく作動していた。

 ザヘルとレックスが僅かに睨み合う内に定着は順調に

進み、円盤状の暗黒の空洞の回転は緩やかになり始め、

その輪郭も次第にはっきりとした形を取っていった。

 次元の穴の定着する様子に、レックスもティラルも、

これからザヘル達が為そうとする行為の危険性を直感し

た。

 これ以上の睨み合いは無意味と悟り、レックスとティ

ラルはそれぞれに剣を構えると水晶柱の装置を破壊すべ

く、素早く石の床を蹴って跳躍した。

「・・大人しく見物しておれ。」

 火炎と嵐の刃が水晶柱に迫ろうとする直前、ルフォイ

グの細い手の一振りでレックスとティラルは弾き飛ばさ

れ、近くの壁に磔にされてしまった。

「畜生ッッ!!」

 レックスの叫びも空しく、石の壁の上で二神は剣を手

にしたままではあったが、指一本動かす事も出来なかっ

た。

 そうする内にも、暗黒の穴の回転は完全に止まり、水

晶柱の真上の天井に、一条の光も通さない昏い闇の地平

への門が完成した。

 それと同時に、穴からは忽ち煙とも粘液塊ともつかな

いものが、幾重もの帯状になって溢れ落ちて来た。

「「虚空の闇」からの邪気の地上への逆流・・。ここ迄

は理論通りだ。」

 ベナトはひとり頷き、穴の様子を満足気に見上げた。

 溢れ落ちた邪気の塊が広間に広がる前に、ベナトは片

手を上げ、ザヘルと自分の周囲に邪気除けの防御壁を張

り巡らせた。

 薄青い光の壁がベナトとザヘルを包むすぐ外で、ルフ

ォイグは悠然と浮遊を続けていた。

 元々「虚空の闇」に棲まう魔神には、どれ程濃密な邪

気であっても何の影響を受ける事も無かった。

「次の作業だ。」

 ベナトは銀板のキーボードを操作しながら、ザヘルを

促した。

 ベナトの操作によって水晶柱の一本が縦に裂け、その

内部からは一本の細長い針に支えられた、掌程の大きさ

の暗黒の塊が現れた。

「これは・・・?」

 ザヘルの問い掛けに、ベナトは囁く様に答えた。

「・・擬似的な、「魂」とでも言うべきものの素材だ。

これをこれから「虚空の闇」への穴に放り込む。」

 針の上の暗黒の塊は、時折、何かの泡を吹き出すかの

様な音を立てて微かに揺らめいていた。

 疑似魂・・心や精神、自我等と呼ばれる働きを発現さ

せる素材となるものを、ベナトは予め作り出して用意し

ていたのだった。

「・・「あ奴」は、これすらも「虚空の闇」の中で自然

発生したがな・・・。」

 空中城塞都市に座す白磁の仮面の神の姿を思い起こし

ながら、ルフォイグは誰に言うともなく小さな呟きを漏

らした。

 ルフォイグの呟きを聞きつつも、その意味を全く理解

しかねるまま、ザヘルはキーボードを叩くベナトを眺め

ていた。

 大広間の天井に口を広げる暗黒の穴へ、別の水晶柱の

一本から細い光線が放たれた。

 次元の穴を開いた、とは言いながら、実際には一度に

大量の邪気が地上へ逆流しない様に、「穴」にはいわば

網や蓋の様なエネルギーの膜が施されていた。

 だが、疑似魂を注入するにあたって水晶柱の光線で穿

った小さな入り口から、瞬く間に壮絶な絶叫と凄まじい

速度を伴った幾つかの邪気の塊が飛び出して来た。

「ひぃぃっっ!!」

 流石のザヘルも、真正面から邪気除けの結界に衝突し

て来る禍々しいもの共の様子に、思わず飛び上がり、尻

餅をついてしまった。

 それらの邪気の塊は、煙とも粘土ともつかない質感を

備え、無数の神や人間の顔らしいものが寄り集まって成

り立っていた。

 一つの顔に四つも五つも目を持つ者、極彩色の羽毛に

覆われた鳥神の顔、長い銀髪を振り乱す女の顔・・・。

 様々な顔が焼け爛れ、或いは潰れ、歪んでいた。

 それらは怨念や苦悶の表情を生々しく留め、何かの呪

詛や怨嗟や苦鳴の声を撒き散らして大広間中を、壁や床

に激突しながらでたらめに飛び回っていた。

 結界を侵す事は出来ず、その周囲を掠める凶相の数々

を呆然と見上げるザヘルの肩を叩き、ベナトは立ち上が

る様に命じた。

「クソっ!!何だこいつらはっっ!?」

 顔のすぐ前を物凄い速さで横切る邪気の塊に、思わず

レックスは叫び声を上げた。

 何とかしようと、レックスは頭や手を動かそうとする

が、ルフォイグの念動力は変わらずにレックスとティラ

ルの上に働き続け、彼等が邪気から逃げる事を許さなか

った。

「・・・くっっ!」

 ティラルもまた手足に力を込め、ルフォイグの力から

逃れようとあがいた。

 が、石の壁に不可視の力で縫い付けられた手足がぶる

ぶると震え、額や掌に汗が滲むばかりで、指一本動かす

事は出来なかった。

 そうしたレックスとティラルの様子には構わず、ザヘ

ルはベナトの作業を手伝い、疑似魂を「虚空の闇」への

穴の中に注入した。

 どす黒い塊が一瞬、細長くたわみ、それからすぐに穴

の中へと吸い込まれて見えなくなった。

「・・おやおや・・・。」

 ザヘルとベナトの近くを気紛れに浮遊しながら、ルフ

ォイグはふとレックスの方へと体を向けた。

「!」

 邪気の塊を形作る無数の顔が、一斉にレックスへと視

線を注いだ様だった。

 それは、獲物を見つけた様な表情でもあった。

 レックスの何かに惹き付けられたのか、一つの邪気の

塊がレックス目がけて突進して来た。

「・・・何ッ!?」

 レックスは思わず驚きの声を上げた。

 レックスにもティラルにも、目を見開き、冷や汗を流

す事以外に出来る事など無かった。

「・・・ッッッ!!!!」

 底知れない暗黒の深淵からやって来た塊は、音も立て

ずにレックスの体を貫き、その精神の奥深くへと進入し

ていった。

「・・・ぐぅっっっ!!・・・っっ!!」

 壮絶な苦悶と怨嗟の絶叫が、重苦しい音を響かせてレ

ックスの脳の内を激しく揺さぶり、掻き乱した。

 殺意、怨念、憤怒、憎悪、悪意・・「虚空の闇」の中

を流れるそれらの負の精神エネルギーの迸りをまともに

受けて、神とはいえレックスの心身が耐えられる訳も無

かった。

 余りに呆気無く、レックスは壁に張り付けられたまま

の姿勢で意識を失ってしまった。

「レックスッッ!!」

 ティラルの必死の叫びも空しく、レックスはがっくり

と頭を垂れ・・力の抜けた手の中から炎熱剣が滑り落ち

ていった。

 黒ずんだ石の床の上で、きん、と硬い音を立てて一度

跳ね、幾つかの小さな炎の粒を噴き散らして炎熱剣はレ

ックスの真下に転がった。

 持ち主の神霊力を断たれた炎熱剣は、すぐにその噴き

上げていた火炎と刀身の真紅の輝きを失ってしまった。

 宙を飛び交う他の邪気は、ティラルの方には興味を示

さず、ただ盲目的に広間の中をぐるぐると回り続けてい

た。

 そうした中、結界に守られ、ザヘルとベナトはレック

スとティラルの様子を全く気にも掛けず、作業を黙々と

続行していった。

 穴の中へと注入された疑似魂を中心にして、その周辺

の空間を流れる邪気が集束を続け・・やがて、この上も

無く濃密に収斂した。

 ただひたすら黒く、暗いばかりの一点が唐突に球形に

膨れ上がり、一つ、また一つと、小さな泡がその内部に

生じ始めた。

 それは黒い脳の断片の様にも、眼球の様にも見えた。

 ・・それ。・・・そこ。

 ・・あれ。・・・あそこ。

 ・・これ。・・・ここ。

 ・・我・・・。

 ・・彼・・・。

 次第に泡は薄ぼんやりとした光をまとい、はっきりと

した眼球と脳の形を成し始めた。

 水晶柱の中の測定装置が、疑似魂の内部で自我の構築

とでも言うべき精神情報のまとまりが生じているとザヘ

ルとベナトの近くの空中に表示した。

            ◆

 何かとても暗く、黒く激しいものの流れに巻き込まれ

る様にして、邪気の直撃を受けたレックスの心は自身の

奥底へと進んでいった。

 ・・深く・・暗い。

 気絶してしまった意識の中で、レックスが辛うじて感

じ取れていたものはそれだけだった。

 ただ、果てし無く昏く、黒く、奥深い場所へとレック

スは押し流されるだけだった。

 奥深い場所・・レックスの心の「深い闇」へと。

 かつて南の水神ラノがファイオに狙われたものは、レ

ックスの心の内にも底知れない深さをもって広がってい

たのだった。

 それはレックスの、果たされなかった想いや、大きく

傷付いた心が、癒される事も正面から向き合う事も無い

ままにふき溜まり続けている、果てし無い空洞の様な闇

の深淵だったのかも知れなかった。

 ・・レックス・・・。

 ますます気が遠くなっていくのか。それとも意識を取

り戻しつつあるのか。

 それすらも判然としない意識の混濁の中で、レックス

は自分を呼ぶ声を聞いた様な気がした。

              ◆

「!!」

 はっ、とレックスは目を見開くと、反射的に跳ね起き

た。

 先刻迄の意識の混濁が嘘の様に、レックスの頭は冴え

渡っていた。

「・・おいおいレックス!昼寝かよ?」

 からかう様な、しかし親しみのこもった口調で、上半

身を起こしたレックスの背後から男の声が掛けられた。

 声の方を振り返った時に突いた手の平に広がる木の感

触や、頬を撫でる潮風・・それらが生々しい現実感を伴

ってレックスの体に感じられた。

 声を掛けたのはレックスのすぐ後ろに居た大柄な色黒

の男だった。

「・・・ネザン?」

 それはかつて、共に世界各地を旅した仲間の一神だっ

た。

 ・・自分はザヘル神殿の地下に居たのではなかったの

か?

 ・・一緒に居たティラルは?バギルは?それに、ザヘ

ルや得体の知れない二神は・・・?

 レックスの頭はひととき、激しい混乱に襲われ・・暫

くの後に、自分がザヘル神殿の地下で邪気の塊の直撃を

受けて気を失った所迄を何とか思い出したのだった。

 それでは、この自分が今居る世界は一体?

 混乱の残るレックスの頭上に、ネザンとは違う、別の

者の明るい声が響いてきた。

「何やってんのよレックス!もうすぐフィシテ島に着く

のよ!さっさと起きなさい!」

 のろのろと顔を上げ、その声の主を目の当たりにした

時、レックスは懐かしさと驚きとに息を呑んだ。

「アローザ・・・!」

 潮風になびく豊かな金髪、海の様に深い色を湛えた蒼

い瞳。きつい海の日差しにも白さを失っていない美しい

貌が、優し気に、真っ直ぐにレックスを見下ろしていた

のだった。

 ザヘルの創った怪物や邪神等ではない、本物のアロー

ザの姿が確かにレックスの眼前に存在していた。

 本物・・そう思いかけて、レックスの理性はそれを否

定した。

 ザヘル神殿の地下で邪気の直撃を受けて・・どういう

現象が起こったのかは判らないが、レックスの精神は自

分自身の記憶の世界に飛ばされてしまった様だった。

 時間移動や平行宇宙への移動等の例も、「神国」では

あり得ない訳ではなかったが、過去の世界に来たにして

は、目の前の神物や物体、景色に生々しい質感がありな

がらも、それらは何処か朧ろ気で不安定に知覚されてい

た。

 それにレックスの視界の外の部分からは、神物等の生

きた気配は全く感じ取る事が出来無かった。

「おい、装備は大丈夫か?」

「・・・島の地図は全員見たな?」

 甲板に座ったまま、レックスはぼんやりと波の揺れを

感じながら、上陸の準備に取り掛かる仲間達の声を聞い

ていた。

「おいおい、どうした。しっかりしろよ、レックス!あ

んたが大将なんだぜ!」

 ネザンは慌ただしく甲板を走り回りながら、食料の入

ったリュックをレックスへと笑いながら放り投げた。

 海鳥の数が増え、風の強さが変化し始めた事で、陸地

が近い事を皆が感じ取っていた。

 島への上陸準備・・フィシテ島だと、先刻アローザが

言っていた事をレックスは思い出した。

 その島の名前に、レックスは弾かれた様に立ち上がっ

た。

 フィシテ島・・それは、レックスが共に旅を続けてき

た仲間達を全て失ってしまった場所の名前だった。

「お前ら!今すぐ引き返すんだ!!島への上陸は中止だ

っ!!」

 思わず叫んでいたレックスを、仲間達は奇妙なもので

も見る様に目を丸くして眺めた。

 仲間達は突然のレックスの言葉に呆気に取られ・・一

瞬の間を置いて大きく吹き出した。

 中でもアローザは一際大きな声を立てて笑っていた。

「嫌だわ、レックスったら!面白い冗談だわ!!」

 笑い過ぎて目尻に涙を滲ませながら、まだ笑い続ける

アローザの顔を、レックスは何とも言い様の無い・・悲

しみと愛しさの入り混じった感情を胸に抱きながら見つ

めていた。

「天下の火神レックスが、今更怖じ気づいたの?」

 アローザは全くレックスの言葉を本気にせず、滲んだ

涙を指先で拭うと明るく微笑みかけた。

「・・・あ、いや・・・。」

 レックスは曖昧な答えを返しながら、アローザへと軽

く手を伸ばし、その白く柔らかな頬をそっと撫でた。

 レックスの手に絡まる輝く金の髪も、紅い唇から覗く

白い歯も、掌に広がる頬の温もりも・・感じ取る全ての

ものがこんなにも生々しいというのに。

 それでも、今レックスが体感している一切の現象は、

あくまで百五十年前の・・最後の旅の記憶の再現でしか

ないのだった。

 その事が、より一層レックスの心の中に、言い知れな

い痛みを伴う寂寥感を掻き立てた。

 ここでもし、仲間の皆が助かって命が永らえたとして

も・・それは、レックスにとって都合のいい夢想でしか

ないのだった。

 催眠暗示による記憶の再現、幻覚術、ヴァーチャルリ

アリティ・・そんな幾つかの言葉が、レックスの脳裏を

よぎった。

 目が覚めれば、やはりレックスはザヘル神殿に居て、

アローザも仲間達も死んでいる現実が待っている筈だっ

た・・・。

 ・・ならば。永遠に覚めない夢の中で生きていたいと

は思わないか・・・?・・

「・・!?」

 ふと、レックスの背後で微かな声が聞こえた様な錯覚

があった。

 ・・或いは。この夢の世界を基に、自分の思い通りの

世界を創造する力が欲しいとは思わないか?・・

 昏く、薄ら寒い呼び掛けを聞いた様な気がして、レッ

クスは背後を振り返った。

「・・・。」

 しかし、そこにはレックスの記憶の通りの青い空と海

と、そこを突き進む自分達の船の甲板があるばかりだっ

た。

「・・島が見えたぞ!」

 手すりから身を乗り出して、仲間の内で一番小柄な男

・・スラナが叫んだ。

「船は島の東側につけるのよ!・・みんな、武器は持っ

たわね?」

 アローザはきびきびと仲間達に指示を出し、下船の段

取りを整えていった。

 そうする内にも、鬱蒼と木々の生い茂る島が船の横に

近付き、予め下調べをしておいた小さな岩場にレックス

達の船は停止した。

 比較的平坦で足場の良い岩場が広がり、そこから島の

奥迄、一本道の様に獣道の様な道筋が通っていたのだっ

た。

 自然が造形した岸壁・・とも思える程、その岩場は平

坦に広がり、途中からほぼ垂直に海中に没していた。

 アローザ達と下船しながら、そうしたものの様子が何

処か出来過ぎている様にも、レックスは漠然と感じてい

た。

「島の警備の岩人形とか罠とかあるらしいから、気を付

けないとね。」

 岩場を歩きながら仲間達に笑いかけるアローザのその

言葉には、何処かわくわくと楽しそうな感情が溢れてい

た。

 当時は何も知らず、冒険の旅への血のたぎりのままに

レックスもアローザも、迎撃の罠すら楽しみに感じてい

たのだった。

 レックスの記憶では、フィシテ島の奥に古い宝があっ

て、それを発掘する為にアローザや仲間達とやって来た

のだった。

 辺境の町の情報屋から幾つかの島や砂漠等の地図や資

料を手に入れ、その中からわざと警備の厳重そうな、情

報の少ない、このフィシテ島への旅を選んだのだった。

 当時のレックス達は、そうした無謀さもまた楽しみと

する様な血の気の多さもあった。

 岩場から獣道へと入り、深い藪を鉈で切り払いながら

レックス達は島の奥へと進んでいった。

「・・後ろは大丈夫?」

 レックスの横で、白く細い腕に似つかわしくない力で

鉈を振るいながら、アローザは後方を守るネザンへと声

を掛けた。

「ああ、問題無い。」

 大柄な体に似合わず、注意深く周囲の様子を探りなが

らネザンは列の最後からアローザへと低い声で答えた。

 刈り払い易い草や小木が生い茂る獣道以外には、巨龍

のうねる姿の様な千年単位の寿命を思わせる巨木や、這

い登るのも困難な分厚い苔の衣をまとった小山の様な岩

々が、押し合う様な信じ難い密度で並んでいた。

 こんな大密林に都合良く、今レックス達が通っている

様な獣道が出来るものなのだろうか?

 現在のレックスの意識で島の様子を眺めると、平坦な

岩場も、この獣道も、何者かが自然の造形を模造しつつ

意図的に作り出したものの様にも思えるのだった。

 外部から島の奥に行くには獣道を通るか、空を飛ぶし

かない。

 侵入者を迎撃し易い構造だという事を、当時のレック

ス達は充分に考えていなかった。

「・・!」

 暫く歩いた所で、ネザンは無造作とも思える程何気無

い動きで真横の茂みの中に腕を突っ込んだ。

 ネザンは瞬時に、そこからヒトの形を模した岩の塊の

半身を引っ張り出した。

「やっとおでましか?」

 戦いの始まりに嬉しそうに、リヒトは痩せた体をゆら

ゆとさせて何流かの拳法の構えを取った。

 この様な一本道では前方からだけではなく、後方から

狙い撃ちにされる事もある。

 ネザンの方の岩人形に注意を向けながらも、レックス

とアローザは、自分達の進行方向への注意も怠らなかっ

た。

「・・?止まってやがる・・・。」

 ネザンは岩人形の余りの手応えの無さに訝りながら、

その全身を茂みの中から引っ張り出した。

 対侵入者用の岩人形は、一際頑丈そうな分厚い岩石の

胸を一撃で撃ち抜かれて、その機能を停止していた。

 胸部の穴の中には神工知能を有する結晶片があり、粉

々に砕かれていた。

「・・こっちもだわ。」

 何かの影を見つけたアローザが、自分の近くの茂みを

掻き分けると、そこにも同様に胸部を撃ち抜かれた岩人

形が三体倒れていた。

「誰か先客が居るのか?」

 拳法の構えを解いたリヒトが頭をひねった。

「お宝は俺達のもんだぜ!!先を越されてたまるかよっ

っ!!」

 ネザンは岩人形の頭蓋を片手で握り潰して唸った。

「そうね!早いとこ、島の奥に行って「世界を生み出し

形作る力」とかいうお宝を手に入れましょう!!」

「・・!!!!」

 それを聞いた瞬間、レックスは激しい驚愕に身を打た

れた。

 「世界を生み出し形作る力」・・それは、ザヘルが神

殿の地下で、手に入れたいと叫んでいたものではなかっ

ただろうか。

 アローザの言葉に、フィシテ島への旅の目的がそんな

名前の宝物の発掘であった事を、レックスははっきりと

思い出した。

 当時は、御大層な名前の秘密の財宝か、科学者や考古

学者等に高値で売れそうな古代の遺物か技術位にしかレ

ックスも仲間達も考えていなかった。

 そのせいで・・また何よりも、アローザと仲間達を失

った衝撃の方が余りにも大き過ぎ、宝物の名前や道中の

些細な出来事は殆ど忘れてしまっていたのだった。

 この記憶の世界は、レックス自身が忘れていた細かい

事柄迄もが現実に忠実に再現されている様だった。

「・・・先を急ごう。」

 レックスは低く唸る様に呟くと、手にしていた鉈を振

るい、再び歩き始めた。

 アローザ達も岩人形をその場に放り出すと、レックス

の後に続いた。

 レックスは本当は急ぎたくはなかった。この行く先に

は、アローザや仲間達の死の光景が確実に待っている筈

だった。

 だが、「世界を生み出し、形作る力」・・百五十年前

にレックスと仲間達が求めた宝についての記憶を、現在

のレックスが見たならば、ザヘルやその近くに居た得体

の知れない連中の企み等についても、何か判るかも知れ

なかった。

 藪を切り払い、進み行くこの一歩一歩がアローザと仲

間達の死に近付いている・・。

 暗鬱なものが胸中に垂れ込めるのを感じながら、レッ

クスは重い足取りで島の奥へと歩みを進めていった。



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