第10章「創成実験」
「いよいよ、<レウ・ファー>創成の実験を始める!」
「奥の院」の地下の大ドームの中に集まった神々を前
に、ベナトの本体はソエリテの様子を空中に映し出して
声高に宣言した。
空中の立体映像の中で、ベナトの分身はザヘルとアロ
ーザをザヘル神殿地下の大広間へと導き入れていた。
「・・今迄あやつを集束点管理者から外さなんだは、こ
の為だったのかや・・・。」
ドームの薄闇の空間の一隅から、四本の腕を組んだ神
の呟きが聞こえてきた。
「管理者の改選の意見やらザヘルの適性調査の結果を握
り潰すのには苦労したでよ!」
その神の横で、ベナトの意を受けて働いていた全身を
硬質の鱗で覆われた神がげらげらと笑い声を上げた。
神国に存在する様々な組織や機関へ強い影響力を持つ
「奥の院」・・。神国の機密であるレイライン集束点の
管理者の選任すら、彼等の意志の下に置かれていたのだ
った。
「・・実験の結果を楽しみにしている・・・。」
ドームの底に描かれた巨大な花弁と瞳の紋章の上に立
ち、青いマントの神は何の感情もこもらない口調でベナ
トへと声を掛けた。
◆
「邪神達は?」
ベナトの問いに、遅れて大広間に出現したルフォイグ
は軽く細長い手を挙げて答えた。
「言われた通りに置いて来た。」
ルフォイグの指先の小さな動きが、別室の邪神達の様
子を空中に映し出した。
黒い結晶の塊の様に卵化した邪神達は、微動だにせず
に六つの細かな紋様の刻印された円盤の上に安置されて
いた。
まだする事も無くぼんやりと立ち尽くすザヘルをその
ままにして、ベナトは一枚の銀板状のキーボードを取り
出すと、設置した装置に向けて次々にキーを叩いて指示
を送り始めた。
そうする内に、ベナトやザヘルの目の前に神殿やソエ
リテの町の周辺地図が映し出され、神殿を取り囲む様に
六つの地点に赤い光点が灯った。
その光点の場所が何であるのかを、ぼんやりと眺めな
がらも、仮にもレイライン集束点の管理者であるザヘル
は即座に悟ったのだった。
「・・これは・・・小規模の集束点・・・?」
レイライン集束点には大小、正負など規模や質によっ
て様々な種類があった。大規模な集束点の近くには、幾
つかの小さな規模の集束点が生じる事も多かった。
ザヘルの指摘にベナトは小さく頷いた。
「そうだ。前にもお前に説明した様に、小集束点に邪神
を据えて、この神殿の集束点にそれらのエネルギーを集
めるのだ。」
レイライン集束点からエネルギーを汲み上げて、ベナ
トの実験に必要な量を賄おうという考えだった。
勿論、レイラインのエネルギーの量は桁外れに莫大な
為、抽出する量などはベナトの計算に基づいて厳密に制
御する予定だった。
『・・邪神射出準備完了。』
ベナトの眼前にそう書かれた小さな画面が浮かび上が
った。
「射出だ。」
ベナトは即座に銀板のキーの一つを叩いた。
それと同時に、邪神達は安置されていた円盤から立ち
のぼるまばゆい光に包み込まれ、部屋から消え去った。
ベナトの眼前に現れた「射出完了」の文字がすぐに消
え、それと入れ替わりに神殿周辺の地図が大映しになっ
た。
赤く点滅する各集束点を目指し、神殿から放たれた六
つの青く光る点がそれぞれ地図の上を移動していた。
その様子を見守るベナトの後ろで、不意にルフォイグ
が巻貝状の頭を震わせ、ザヘルにからかう様な声を掛け
た。
「・・おやおや。来客の様じゃな。・・・お前の。」
ルフォイグの言葉に、ザヘルは不愉快そうな表情で眉
根を寄せた。
が、すぐに、何者が来たのかを直感し、ベナトの持つ
銀板のキーボードに横から手を伸ばすと、神殿地下のあ
ちこちの様子を空中に映し出した。
マス目に分割された映像の中に地下の各部屋や廊下、
倉庫等の様子が映し出され、ザヘルは素早く目を走らせ
た。
ザヘルは古い排水路を映したものが赤く染まっている
事に気付き、憎悪と怒りがかき立てられるのを感じなが
ら、排水路の映像を拡大した。
ザヘルの眼前に排水路の様子が大きく映写され、その
画面には火の手が一杯に広がり、失敗作として捨て置い
ていた怪物達が次々に焼け崩れていく様が映っていた。
ザヘルは憎しみと嬉しさの入り混じった感情に、大き
く顔を歪めた。
画面の中で、燃え盛る火の手をかいくぐって疾駆する
三つの影がザヘルの目に飛び込んだ。
「やって来たのか・・・!レックス!!」
ザヘルは吠える様にその名を呼んだ。
レックスの邪神化には失敗したが、ザヘルにとっては
むしろレックス達の侵入は好機とも言えた。
「・・アローザや。」
ザヘルは自らのすぐ側で佇んでいるアローザの頬をそ
っと撫で、愛し気に囁いた。
「あいつを・・・レックスを殺しておいで。私にレック
スが殺される様を見せておくれ・・・。」
ザヘルの言葉にアローザは無表情のまま頷くと、すぐ
に踵を返して大広間を出て行った。
石扉の向こうにアローザが姿を消すと、ザヘルは再び
ベナトの操る銀板のキーボードへと手を伸ばした。
「レックス達の現在位置か?」
ベナトは、ザヘルにキーボードを手渡しながら問い掛
けた。
ザヘルは唇を大きく歪めて笑った。
「はい。あ奴の方からこの神殿に乗り込んで来るとは願
っても無い事・・・。今度こそ、アローザが奴を仕留め
るでしょう・・・。」
ザヘルの指が二、三度キーを叩くと、排水口内の映像
はレックス達を追跡し始めた。
排水口内を満たしていた火炎は次第に、猛烈な速度で
飛び去るレックス達の遙か後方へと退き・・ついには見
えなくなってしまった。
自らの眼前に鮮明に映写されるレックスの横顔を、ザ
ヘルは憎悪に血走った眼で凝視しながら陶然と呟いた。
「私の愛するアローザが、お前を殺す様をとくと見物さ
せてもらおうか・・・。」
◆
幻神達はザヘル神殿に到着すると、それぞれ自らの幻
獣に乗り換え、町の人間達に見咎められない内にと、す
ぐに堀の中に飛び込んだ。
「何かズイブンと深い堀ネェ・・・。」
ファイオは幻獣ファ・ジャウナに跨がったまま、水の
干上がった堀の両岸の壁や、遙かな下方を恐る恐る見回
した。
その隣で、ゆっくりとした速度でシウ・トルエンを下
降させながら、ゼズは幾らか緊張した表情で堀の底を見
た。
レウ・ファーの情報では、ザヘル神殿の内部は恐らく
怪物の巣窟と化しているという事らしかった。
そんな危険な場所への潜入を思い、ゼズは硬い表情の
まま憂鬱な溜息をついた。
「・・ん!?」
「・・な、何ヨ?」
堀の全体の深さの半分も下りていない辺りで、ゼズと
ファイオは突然生じた、空間の歪曲する小さな気配を感
知した。
空間を司る神の様な細かな分析や知覚は出来なかった
が、空間に生まれた奇妙な違和感はゼズ達にも充分認識
する事は出来た。
危険なものではないかどうか、パラは空中に幻獣を停
止させ、傍らに居た邪神の一体に空間歪曲の内容を分析
させた。
・・言魂による物体の瞬間移動と空中浮揚。
邪神の眼から放射された光線が、パラの近くの空間に
そんな文字と周囲の空間の分析図を作り出した。
それと共に邪神は、空の一点を指差した。
「・・あれは!?」
邪神の指し示す方向を見上げ、ゼズは訝し気に眉を寄
せた。
両岸の石材の壁に挟まれて少しずつ狭まり始めた青空
の一点に、六つの大きな黒い結晶の塊が浮遊していた。
半ば透き通った黒い結晶の塊の中に、何かの頭や管、
電子回路の様な模様などがぼんやりと見て取れた。
「あの物体の正体は?」
パラが黒い結晶塊を不思議そうに見上げながら、邪神
に分析の命令を出そうとしたのを、ゼズは苦々しい表情
で遮った。
「あれは・・・多分、邪神だろう・・・。」
ゼズの言葉に、ファイオは小首をかしげた。
「でも、アレってレウ・ファーの造ったモノじゃないワ
ヨネェ・・・。」
ファイオは自分達の護衛として傍らに浮かぶ邪神達と
空中の黒い結晶の塊とを見比べた。
空中の邪神達は、ファイオ達が今迄目にしてきたレウ
・ファーの造ったものとは明らかに型が違う様だった。
「・・!まさか、ネ・・・。」
何事かを思い出し、ファイオの思わず出た呟きに対し
てゼズは努めて冷静に答えた。
「まさか、じゃない。少し前に林の中で見た得体の知れ
ない神の従えた黒い邪神・・。恐らくあれがそうなのだ
ろう・・・。」
ゼズは、ファイオとパラの顔を交互に見た。
黒い邪神達は、暫くの後に薄青い光に包まれ、それぞ
ればらばらの方向へと飛び去って行った。
「一体、何処へ行くのかしら?」
瞬く間に空の向こうへ消えた黒い邪神達の様子に、パ
ラは呆然と呟いた。
「・・・今は神殿に入る事を急ごう。」
黒い邪神達の行方やその目的に、ゼズは興味が無い訳
ではなかったが、その詮索は後回しにしてファイオとパ
ラを促した。
ゼズの言葉に、ファイオとパラは再び堀の底を目指し
て降下を始めた。
暫くして、ゼズ達は底に降り立ち、あらかじめ地図で
確認しておいた排水口の前にやって来た。
排水口の前で幻獣を停止させると、ゼズは邪神の一体
にザヘル神殿地下の排水口に関する構造図を映写させ、
自分達の進入経路を注意深くもう一度確認した。
「やれやれ。用心深いコト・・・。」
ゼズの近くの空間に映し出された構造図を眺めながら
ファイオは溜息をついた。
排水口は全部で四つあった。その内の三つは入り口近
くや奥の途中の部分に壁が崩壊した箇所があり、出入り
出来るのは一つだけ・・今、ゼズ達が立っている場所だ
った。
怪物達も、この排水口から出て谷の様な堀の壁をよじ
登ってソエリテの町に出没していたのだろう。
「では、行こうか。」
護衛の邪神達が居るとはいえ、怪物達との鉢合わせは
避けたいが・・・。ゼズは一度大きく息を吐き、幻獣に
進む様に命令した。
「・・何か、暗くて陰気ねエ・・・!」
幻獣ファ・ジャウナの上で、ファイオはいつもの調子
で野太い声で不平を言いながら、コンパクトを開いて化
粧直しを始めた。
しかし排水口に入って暫く進むと、ファイオ達の周囲
は、入り口からの光線も途絶えて暗闇に包まれた。
「もォ!見えないじゃないのオ!」
コンパクトを閉じ、ファイオは不満の声を上げた。
排水口の中に照明設備は無く、ぶつぶつと文句を言う
ファイオの横を幻獣に乗って飛びながら、パラは不安気
に周囲を見回していた。
ラデュレーでの孤独な生活を送ってきたせいで、光一
つ無い暗黒の中で独りで居る事にも苦痛は感じる事は無
かったが、闇の向こうに怪物が居るかも知れないという
不安を強く感じながら進み続ける事はパラにとっては初
めての事だった。
「・・確か、この邪神には、照明機能も付いてあった筈
だが・・・。」
レウ・ファーの説明を思い出し、ゼズがふと傍らを飛
ぶ邪神に目を向けると、すぐに四体の邪神達は一斉に肩
口の短い触手の先端を発光させた。
ゼズ達の周囲は、すぐに真昼の外と同様の光に満たさ
れた。
「仲々便利ネ。」
ファイオは邪神の多機能ぶりに感心しながら、再びコ
ンパクトを開くと口紅を引き直した。
「・・・!?」
口紅を引き終わったところで、ファイオは鼻を突く異
臭に眉をしかめて顔を上げた。
「何か焦げ臭くない・・・?」
ファイオだけでなく、パラも異臭に気付き、何度か周
囲を見回した。
「焦げてるワヨォ!これ以上は無いくらいィ!」
ファイオは紫のフリルのハンカチを取り出して、慌て
て口を覆った。
焦げ臭いだけではなく、息苦しさも感じた為だった。
幻獣に乗って小走り程度の速度で飛び続けるゼズ達の
周囲は、すぐに焦げ臭い悪臭と、ひりひりと肌を焼く様
な熱気を含んだ空気に変わった。
黒こげの石材の床や壁には、黒く炭化して崩れかけた
何かの生き物の四肢らしいものが堆積していた。
あらかじめ、レウ・ファーによって幻神達を護衛する
様にプログラムされていた邪神達は、周囲の空気の変化
を察知するや否や、肩甲骨から伸びた紐状の触手の一本
を瞬時に変化させた。
邪神の触手は巨大な網目状の構造をした団扇かラケッ
トを連想させる一枚のひれと化した。
巨大な網状のヒレの微細な振動により、ゼズ達の周囲
の空気から熱と異臭が即座に消え去っていった。
空気の冷却と有害物質の除去・・邪神の能力の多様さ
に、ゼズもまた感心した。
「しっかし、この焼死体、誰の仕業かしらネエ。」
コンパクトを懐にしまい込み、ファイオは元は怪物達
であろう黒焦げの塊を見下ろした。
排水口の中にまだ熱がこもっていたという事は、この
辺りで起こった「火事」は、火が消えてからさほど時間
が経っていない様だった。
「・・ファイオっ!横っ!!」
そこに突然あげられたパラの悲鳴に、何事かとファイ
オが横を向くと、うず高く積み重なった黒炭の様な塊の
中から例の半妖半女の怪物の一体が、炭化した死体を押
しのけて這いだして来た。
耐火能力と再生能力だけは飛び抜けて優れていた個体
らしく、再生しかけの、生焼けの肉塊を連想させる姿の
この怪物は、ふらふらとファイオへと手を伸ばした。
「嫌ァネ!」
焼け爛れた怪物の悲惨な姿に眉をひそめつつ、ファイ
オは片手に幻獣を瞬時に絡みつかせ、その鞭を怪物へと
振り下ろそうとした。
が、それよりも早く、幻神達を護衛する様にプログラ
ムされた邪神の一体が、顔面の巨大な眼球から熱線を発
射した。
熱線の直撃を受けた怪物は、ぼッと軽い音を立てて燃
え上がり、今度こそ完全に焼け崩れた。
後ろへと遠ざかりゆく怪物達の焼死体を何度も振り返
りながら、パラはきつく自らの乗る幻獣の背を掴んでい
た。
その手が震え、じっとりと汗ばんでいくのを感じなが
ら、パラは今更の様に恐れや怯えの感情を噛みしめた。
これが・・ここが、「危険な場所」という事なのか。
パラが今迄見てきたラデュレーの旧式コンピュータの
資料や図書室の本の中の出来事ではない、生身の自分自
身が今、身を置いている空間が、こんなにも恐ろしいも
のだとは、パラは思いもしなかった。
生まれて初めて体験する凄まじい緊張感と恐怖感に、
パラはただ幻獣の上で硬直するばかりだった。
「少し急ごうか・・・。」
そんなパラへゼズは気遣いの視線を送りつつ、少し速
度を上げる様に幻獣と邪神とに命令を送った。
◆
一方、バギル達を乗せた飛翔板は排水口の出口・・貯
水槽へと飛び出した。
「えーと、ここは・・・?」
バギルは空中で飛翔板を停止させ、リュックから地図
を取り出した。
レックスとティラルも急停止すると、バギルの近くへ
とやって来た。
地図では四本の排水口につながる巨大な円形の空間が
あり、「貯水室」と書き込まれていた。
浄水装置や循環機がその中央にあり、ザヘル神殿の外
堀を満たすのに必要な水をここから送り出している、と
地図には説明文が書かれていた。
「こっからどう行きゃいいんだ?」
地図を見て道筋を考える事はバギルとレックスに任せ
て、レックスはペンライトを上に向けて掲げた。
ライトのスイッチを切り換えて最大出力にすると、地
図の通りの巨大な円柱形の広大なホールの様な空間が、
闇の中から姿を現した。
中央には大きな水晶の柱や大小の球体の寄り集まりか
らなる装置があり、その向こうにはレックス達が来たの
と同じ排水口らしいトンネルがあった。
「あ、何か、作業員が使う階段や通路があるって書いて
あるぜ!」
バギルの言葉に、レックスは適当な場所へペンライト
を向けた。
「私達の位置からすると、中央の装置の向こう側か?」
ティラルはバギルの横から地図を覗き込み、レックス
の照らす浄水装置の水晶柱を見た。
「そうだな・・・。」
地図と周囲を見比べ、バギルが浄水装置を指差しかけ
たところで・・ティラルは突然剣を抜いてバギルを背後
へと庇った。
「?」
突然生じた高熱の塊に浄水装置の水晶柱が紅蓮に染ま
り、砕け散った。
水晶柱を貫いて尚勢いの衰えない火炎塊が姿を現し、
バギル達目がけて襲いかかって来た。
紅蓮の炎塊を、激しい風圧を伴った白銀にきらめく斬
線が粉砕し・・四散した火炎の余力は、全く見当外れな
石の壁や床を焼いて消滅した。
全ては瞬間の出来事で、隙を突かれたバギルとレック
スは呆然と、ティラルが剣を振るう様を見つめているし
かなかった。
「クソ!まだ怪物がいやがったか!」
隙を突かれた腹立たしさもあり、唸る様に言うとレッ
クスも炎熱剣を抜いて身構えた。
今度はどんな怪物かと、炎熱剣を片手で構えたままペ
ンライトを火炎弾のやって来た方向へ向けた。
白々としたライトの光に照らし出されたその姿に、レ
ックスは一瞬、辛そうな表情で唇を噛み、眉を寄せた。
「アローザ・・・。」
火炎に砕け散った浄水装置の向こう側に、バギルの言
っていた作業員用の小さな階段があった。
その階段を上りきった所に、黒いドレスをまとった火
炎の女神の姿があった。
「あそこが通路か・・・。」
アローザの背後にある長方形の闇へと目を走らせ、バ
ギルは低く呟いた。
「アローザを何とかしないと先には進めねえな。」
そう呟くバギルの溜息を聞きながら、レックスは片手
で剣を構えたまま、通路を背に無表情に自分達を睥睨す
るアローザを睨み付けた。
レックスの視線を感じたのか、アローザはレックスへ
と顔を向けると、何の前触れも無く再び掌から火炎弾を
繰り出した。
中央の浄水装置の残骸は再度、灼熱の塊をまともに浴
び、朱に染まった水晶の破片や内部の機械部品が次々に
焼け崩れていった。
「アローザぁっ・・・!」
レックスは手にしていたペンライトを、スイッチを入
れたまま床に捨てた。
怒号か、悲鳴か・・激しい叫び声と共にレックスは、
アローザの放った火炎と小さな爆発を起こす浄水装置の
破片を躱し、飛翔板を駆ってアローザへと肉薄した。
床に落ちたペンライトは、きん、と硬質の音を立てて
転がった。
それは落下の衝撃にも壊れる事も無く、変わらずに最
大出力の光量で貯水槽の内部を照らし続けていた。
レックスは炎熱剣の切っ先に膨れ上がった火球をアロ
ーザへと振り下ろし・・アローザもまた、真っ向から掌
中に溜めた火炎弾を炎熱剣へとぶつけた。
凄まじい高熱を伴った爆発が両者を包み込んだが、火
神たる身に相応しくどちらの体にも火傷や焦げ目一つ付
く事は無かった。
「私はレックスを援護する。君は先にあの通路を抜けて
くれ。」
ティラルは剣を構え、レックスの戦う様子を厳しい表
情で見つめながら、バギルに声を掛けた。
火炎弾や炎熱剣の斬撃が貯水槽の天井の薄闇を紅い色
彩に染め、レックスの攻撃は一見アローザを圧倒してい
るかの様だったが、ティラルの目をごまかす事は出来な
かった。
やはり偽物と理性では判ってはいても、微妙な所でレ
ックスは放つ火炎の威力を加減し、繰り出される剣の動
きもいつもの滑らかさに欠けていた。
戦闘が長引けばレックスには不利だろうと、ティラル
は予想していた。
ティラルが飛翔板を駆って飛び出すとすぐ、バギルも
レックスとアローザの向こうにある通路を目指して飛び
立った。
「レックス!」
ティラルの呼び掛けに、レックスは半ば反射的に後方
へと飛翔板を退かせた。
レックスと入れ替わる様にティラルはアローザの間合
いに飛び込み、即座に拳を突き出した。
「!」
新たな敵の乱入に動じる事も無く、アローザはすかさ
ず火炎弾を至近距離でティラルへと放った。
しかし、ティラルの拳から撃ち出された圧縮空気の弾
丸が火炎を粉砕し、アローザに僅かの隙も与えずにティ
ラルは剣を振り下ろした。
アローザは寸前で下方の階段へと飛びのき、何とか剣
を躱した。
アローザが通路から離れ、またティラルとレックスに
注意を向けている隙に、バギルは通路の入り口を目指し
て一直線に飛翔板を疾らせた。
先刻確かめた地図によると、通路の向こう側には階段
のある広間があり、そこから地上や更に地下の階へ行け
る様になっていた。
「!・・バギル!よけろっ!」
不意にレックスの叫びが聞こえ、何事かと飛翔板の速
度を落としかけたところで・・バギルは横合いから激し
い衝撃を食らった。
「!!!!」
飛翔板がバギルの足元から離れ、くるくると回転しな
がら空を舞った。
バギルもまた空中に投げ出され、なす術も無く床の上
へと落下していった。
流石に鍛えられた神の身だけあって、石の床への落下
にも骨折は無かったが、僅かの間、床への激突の衝撃と
痛みでバギルは身動き一つ出来なかった。
一体何が起こったのか?頭はふらつき平衡感覚も麻痺
したまま、それでも何とかバギルは顔を上げた。
そこに天井の方から、バギルの聞き慣れた・・しかし
邪悪で残酷な響きを含む声が降って来た。
「困るなぁ・・・。トモダチを置いてキミだけ先に何処
へ行くんだい?」
冥界の闇で鍛えられたバギルの目は、レックスが床の
上に落としたペンライトの光の届かない天井付近の闇の
中に浮遊する、懐かしい者の姿をはっきりと捉えた。
再会の喜びと、変わり果てた友の姿への悲しみと・・
様々な感情が溢れ、混ざり合うのを感じながら、バギル
は友の名を呼んだ。
「・・・ザード・・・!」
アローザを牽制しつつ、レックスもティラルも意外な
闖入者の姿に驚きを隠せなかった。
「あいつが、バギルの言ってた奴か・・・。」
心優しい幼馴染みは、レウ・ファーによって洗脳され
たというバギルの言葉をレックスは思い出していた。
ザードはふわりと天井から床の上へと降り立ち、ゆっ
くりとした足取りで、床の上に倒れているバギルへと近
付いた。
その表情も穏やかな微笑と細い目の、バギルのよく知
ったザードのもので、ゆっくりと歩み来る姿の何処にも
鍛え抜かれた灼熱神を床に叩き落とす力を感じさせるも
のは無かった。
「キミの相手は、このボクだよ。」
ザードは嬉しそうに笑い、よろめきながら立ち上がる
バギルを見下ろした。
「キミがこの神殿に来るのを待ってたんだ。・・・ここ
なら、何の邪魔も入らずにキミを嬲り殺しに出来るから
ね・・・。」
細い目を、楽しげな笑みで更に細め、ザードが紡ぎ出
す言葉の残酷さにティラルとレックスはただただ呆然と
するばかりだった。
そうする内にもアローザは階段を蹴って跳び上がり、
再び火炎弾をレックスとティラルに向けて繰り出した。
長い戦いの経験からティラルは直観的にザードに秘め
られた強大な神霊力を感じ取り、アローザとの決着を更
に急ぐ事にした。
「そうか・・・。」
バギルは立ち上がると身構え、自らの拳に精神を集中
した。
バギルの気迫の高まりと共に、拳は忽ち紅蓮の光と熱
とをまとい始めた。
「やれるもんなら、やってみろよ!」
ぶちのめしてでも連れ戻す・・バギルのその固い決心
は、友に灼熱の拳を向ける事も躊躇わせはしなかった。
「うん。やってみるよ。」
嘲りの笑いを含んだ言葉と共に、ザードは超高温の筈
のバギルの拳を素手で受け止め握り締めると・・そのま
ま無造作にバギルを振り上げた。
「・・・!!」
バギルの体は軽々と放り投げられ、凄まじい力で貯水
槽の石の壁に叩きつけられたのだった。
「つ・・・強ぇ・・・。」
アローザの火炎弾を炎熱剣で叩き割りながら、レック
スはザードのでたらめな強さに呆気に取られた。
「おやおやぁ。」
からかう様な調子でそう言うと、ザードは再びバギル
へと近付いていった。
「トモダチだから手加減してくれてるんだよね!」
明るい口調とは裏腹に、冷酷な眼差しで見下ろすザー
ドの表情の邪悪さに、レックスとティラルは言葉も無か
った。
バギルの知るザードの優しい心は何処にも見出す事は
出来なかった。
「くそっ・・・!」
口の中を切ってしまい、バギルは血の混じる唾をぺっ
と横に吐いた。
痛みを堪えて再び立ち上がり、バギルは悠然と歩み来
るザードを睨み据えた。
「手加減はしねえぜ!俺はお前をぶちのめしてでもとっ
捕まえて連れ戻すと決めてんだっ!」
「へぇええ?」
ザードは無防備な様子でつかつかとバギルの目前迄近
寄り、無造作にバギルの体を平手で横にはたいた。
「!!」
余りにも何気無いザードの動作と、やはり無意識にあ
るザードへの攻撃の躊躇が、バギルの咄嗟の防御を鈍ら
せていた。
バギルの体は音も無く吹っ飛び、再び石の壁に激突し
た。受け身を取る間も無い圧倒的なザードの力だった。
「この体たらくで、このボクをぶちのめす、だってぇっ
!?」
ははははは・・・・と、甲高いザードの嘲笑が床の上
に倒れたバギルへと降り注いだ。
「バギル!」
倒れたバギルを気遣い、ティラルは振り返った。
バギルの無意識の手加減もあるが、それ以前に余りに
も力の差があり過ぎると、ザードの底知れない実力はテ
ィラルの背筋を凍らせた。
一方では火炎と疾風と剣撃が飛び交い、もう一方では
余りに一方的な攻撃が繰り出される戦闘の場に、排水口
の奥から飛来する者達の声が響いてきた。
「・・ねエ、何か向こうが騒がしいけどオ?」
「油断するな・・・。」
バギル達のやって来た排水口の中からそうした声が聞
こえ、それらは出口を・・この貯水槽の広間を目指して
近付きつつあった。
「誰だ・・・?」
骨折は免れたものの、打撲の激痛にすぐには立ち上が
れず、バギルはやっと上体を起こして床の上に膝を突い
た。
「ちょっ、ちょっとオッ!何か滅茶苦茶やばい状態じゃ
ないのオ!?」
聞き覚えのある野太い声が天井近く迄響き渡った。
「ザード・・・!こんな所に居たのか!?」
排水口から幻獣に乗って邪神に護衛されたゼズ達の表
情は、繰り広げられるザードの暴虐に非難の感情に染め
られた。
「・・小うるさい奴等が来たね・・・。」
バギルへの攻撃の手を休め、ザードは疎ましげにゼズ
達を一瞥した。
「!」
そこに、貯水槽の階段の上の方で戦い続けていたレッ
クスの焦った声が聞こえ、しまった、と叫ぶティラルの
声がそれに続いた。
二神がかりでもアローザに苦戦を強いられているらし
いのは、荒い呼吸や焦りと苛立ちの感情を含む声音から
バギルには容易に想像出来た。
「・・!!」
ティラルの「しまった」という叫びの意味を、すぐに
バギルやゼズ達は理解した。
アローザの放った火炎弾の一部がレックスに弾かれ、
バギル達の居る辺りへと流れて来たのだった。
火炎弾は運悪くザードの顔の間近を掠めて、その足下
の床の石材を焼き砕いた。
「・・・ッ!!」
ゼズ達の出現に注意を逸らされた事で、ザードは火炎
弾を躱し損なってしまった。
直撃こそ無かったものの、火炎弾の掠めた頬には火傷
が出来、砕けた床の拳大の破片がザードの手や胸にぶつ
かった。
運悪く・・は、誰に対して向けられる言葉なのか。
「・・そこの奴等かっ!!ほんとに、うっとおしいねっ
っ!!」
細い目が怒りに釣り上がったものの、さほどザードの
表情に大きな変化は見られなかった。
だが、どす黒い怒気が瞬時にザードの体から噴き上が
った。
「!!」
バギルやゼズ達が気が付くと、次の瞬間にはザードは
アローザと戦うレックスとティラルの間に割って入って
いた。
ザードの片手の一閃でレックスとティラルの剣は弾き
飛ばされ、アローザの火炎弾も掻き消えてしまった。
「この野郎!」
レックスが剣を構え直し、突然乱入して来たザードへ
炎熱剣を斬り付けた。
だが、ザードの指先一つの動きで刃は硬直し、レック
スは通路近くの壁に叩きつけられてしまった。
ザードはレックスとティラルにはそれ以上関心を示さ
ず、自らの顔に火傷を負わせたアローザを睨み付けた。
「そこのお前かっ!人形の分際でこのボクに傷をつけた
のはっ!」
細い目はそのまま、ザードは歯を剥いてアローザへと
吠えかかった。
一方のアローザは無表情のまま、僅かの時間その場に
立ち尽くしていた。
それは決してザードの怒りに怯えていたという訳では
なく、乱入したザードを敵として扱うかどうかという判
断の為だった。
すぐにアローザの頭脳はザードもまた倒すべき敵だと
いう判断を下し、火炎を溜めた拳をザードへと繰り出し
た。
「うっとおしいよ!」
アローザの火炎の拳もまた、ザードの指先一本で腕ご
と吹き飛び、更にアローザの体の上を袈裟斬りの要領で
ザードの指が走った。
「!!」
壁に叩きつけられた姿勢のままレックスはその様子に
息を呑み、目を見開いた。
アローザの体は肩から腹部にかけて斜めにぱっくりと
裂け、どう、と音を立てて階段の上に倒れた。
滑らかな切り口から噴出するのは赤い血ではなく半透
明の青味がかった液体で、体内からはみ出たものも骨や
内臓などではなかった。
アローザの白い肌の内にあったのは、全てが黒味がか
った結晶状の管やゼリー状の塊で・・普通の神々の内臓
などではなかった。
図らずもアローザの正体が露呈する形となり、レック
スは驚愕と安堵のないまぜになった息を吐いた。
アローザの姿は、怪物に被せられた薄皮一枚だけの事
に過ぎなかったのだった。
怪物か邪神かがアローザに化けていた・・ただ、それ
だけの事だったのだ。
「ああ、うっとおしい!」
倒れたまま傷口から黒い触手を伸ばして互いに絡まり
合い、体の再生を始めたアローザをザードは容赦無く蹴
り付けた。
ザードに抵抗する術も無く、不気味な程無表情のまま
アローザは階段を転げ落ち、貯水槽の広間の中空へと舞
った。
空を落下する間にも再生を続けるアローザへザードは
片手を向け、青白い光球を放った。
ぼん・・・と、弾けて燃え尽きる音が聞こえ、ティラ
ルとレックスがあれ程苦戦していたアローザは余りにも
あっさりと、僅かな灰だけを残して消し飛んでしまった
のだった。
「・・・。」
ティラルやレックス、バギル・・また、ゼズやファイ
オ、パラ達、その場に居並ぶ全員が、暫くの間呆然とザ
ードの強大な神霊力の発現を眺めていた。
「・・・私達は先を急ごう・・・。」
ザードの力を実際に目の当たりにした驚きに緊張しつ
つも、ゼズはファイオとパラを促した。
「え・・・ええ、そうね。」
アローザだった灰が空中に飛散する様を呆然と見上げ
ながら、パラは答えた。
この先に進むには、アローザとレックス達が戦ってい
た階段の上にある作業員用の通路を抜けなければならな
かった。
その通路の近くの階段の途中には、未だ苛々とした感
情の治まっていない様子でザードが立っていた。
気に入らなければ幻神だろうがバギル達だろうがお構
い無しにザードは攻撃してくるだろう。
「・・行こう。」
ザードが自分達を気に掛けない事を願いつつ、ゼズは
短くファイオとパラに呼び掛けると、意を決して邪神達
と共に飛び立った。
「ちょ・・・ちょっとォ、待ちなさいヨ!」
ファイオも慌てて幻獣に命令し、ゼズとパラの後を追
った。
薄闇の空間をゼズ達を乗せた幻獣と邪神達は疾駆し、
唯一の出口を目指した。
途中、既に火傷は治癒しているものの、怒りに青筋の
浮いているザードの顔がゼズ達の視界の片隅を掠め、呆
然とそんなザードを見つめるバギル達の姿が横切った。
幸いザードは手出しして来る事も無く、ゼズ達は無事
通路へと突入した。
◆
次の広間へ続くこの通路には照明機能がまだ働いてい
て、石壁の所々に嵌め込まれた小さな水晶玉がぼんやり
とした光を発していた。
「・・じゃあ、アタシはここで別行動・・・。」
そう言いかけたファイオの左手に、黒い手と触手らし
い影が蠢き・・それを目がけて邪神の眼から熱線が発射
された。
後から後からざわざわとした、何かが緩慢に蠢く気配
が通路の中に満ち始め、次の瞬間には、行く手を阻むも
のの排除というプログラムに従った邪神の熱線がそれら
を次々に吹き飛ばしていった。
「まだ怪物が居たの?」
幻獣の上で身を縮め、悲鳴の様な声をパラは上げた。
「別におかしくはない。ここは怪物の巣窟だからな!」
行く手に潜んでいる怪物達を、今度は先行するゼズ達
が相手にしなくてはならなくなったというだけの事だっ
た。
幻獣に今のままの速度を維持する様に、ゼズは慌てて
命令した。
邪神達の力の前に、出来損ないとして地下の通路で蠢
いていた怪物達は次々に粉砕されていったが、ここが危
険な場所であるという事に変わりは無かった。
「ああもオッ!!全くウゥッ!」
頭を掻きむしってヒステリックに喚き散らすファイオ
を無視し、ゼズは先頭を飛ぶ邪神に命令を下した。
「ザヘルの書斎へ案内しろ!」
通路を抜けると邪神はゼズの命令通りに、広間にある
幾つかの階段の一つを選び取って飛び込んでいった。
勿論広間にも、何体かの半妖半女の怪物達がずるずる
と緩慢な動きで蠢いていたが、後続の邪神達の熱線を浴
びて瞬時に塵芥と化していった。
「ああもオ、何でなのオ!?」
際限無い怪物達の出現に、結局ゼズ達と別行動を取る
機会を逸してしまい、ファイオは再び苛々と叫んだ。
「・・別に君がそこ迄集束点占拠の使命感に燃えなくて
もいいだろうに・・・。」
薄暗く長い階段を上の階へと飛びながら、ゼズは溜息
混じりにファイオへと声を掛けた。
「慌てなくとも、集束点は確実に邪神が勝手に占拠して
くれるさ・・・。」
勝手に・・ゼズのその言葉に、ファイオは軽く唇を噛
んで黙り込んだ。
「確かに・・・ネ。」
ファイオはふっと、自嘲的な笑みを薄く唇の端に浮か
べながら、「神々の森」での邪神の行動を思い出してい
た。
ゼームをだしに使い、レウ・ファーが独断で邪神を派
遣した事を、ファイオも忘れてはいなかった。
幻神と邪神と・・。実際にはどちらが主で従なのか。
レウ・ファーが本当は何を考え、何を目的としている
のかなど、幻神達には知る由も無かった。
「先にデータ集めに励んでも、レウ・ファーは私達を責
めたりはしないさ。」
ゼズはもう一度溜息をついた。
階段の出口が近付き始め、ゼズは幻獣や邪神達に少し
速度を落とす様に命令を送った。
集束点の占拠もだが、ザヘルの研究資料の収集にも、
レウ・ファーは同様の熱意を持っている様にゼズには思
えた。
神国のコンピュータ・ネットワークや神国国立図書館
にも保管されていない一個神の私的な研究文書すらも、
自分の知識として手中に収めたいという貪欲さがレウ・
ファーにある事を、ゼズは漠然と感じ取っていた。
それは、創作と研究に没頭するゼズ自身の心の中にも
存在する欲望に通ずるものでもあったからだった。
◆
「・・さて。邪魔な人形は片付いたし。バギル・・・続
きだよ。」
既に態勢を立て直し、拳を握り締めて身構えたバギル
の前へ、ザードはにこやかに笑いながら舞い降りた。
ザードが片手を上げ、バギルへと向けたところで・・
その背後に火炎と圧縮空気の弾丸が襲いかかった。
ザードを直撃せずに、その寸前の床に当たったのは、
レックスとティラルにザードがバギルの親友だという手
加減があったからだった。
火炎弾と空気弾の衝撃の余波が、ザードの姿勢を崩し
てよろめかせた。
「・・まだ邪魔するのかい?うっとおしいね・・・!」
どす黒い憎悪と怒りに顔を染め、ザードは階段の上の
空間に飛翔板で浮かんだティラルとレックスを振り返っ
た。
「バギル、加勢しよう・・・。」
親友同士の望まない戦闘に、痛ましいといった表情を
浮かべながら、ティラルはザードへと剣を構えた。
その横で、レックスもまた炎熱剣を構えていた。
だが、バギルは頭を横に振って彼等の加勢を拒否した
のだった。
「・・俺の事はいいから、お前等は先を急げ!」
バギルのその叫び声に、ティラルとレックスだけでな
くザードもまた、訝し気な目でバギルを見た。
「馬ッ鹿野郎!てめえだけでそいつに勝てると思ってん
のかよっっ!」
レックスが思わず上げた怒鳴り声が、貯水槽の壁の石
材に当たって、きん、と空気を震わせた。
「俺の事はいいから・・・。」
バギルはそう言ってレックスの方を真っ直ぐに見上げ
た。
バギルのその紅い瞳は、いつもの熱い意志を宿して燃
えていた。
「俺の事はいいから、さっさとザヘルの居場所を見つけ
て、アローザの事を訊いて来いよッ!」
アローザと言う名に、レックスの構えた炎熱剣の切っ
先がほんの僅かに震えた。
「バギル・・・。」
レックスの呟きが、階段の下に広がる薄明かりの中に
落とされた。
「先刻の化け物のアローザの事は普通じゃない!・・・
このソエリテの町で起こってる事だって!・・胸クソ悪
ィじゃねえか・・・。一体何がどうなってんのか、何も
訳が分からないってのは・・・。」
バギルの視線が、目の前のザードへと下りた。
「・・・自分の大事な奴が、訳の判らない事に巻き込ま
れてんだ・・・。凄ぇ腹立つよな・・・。」
ザードの変わり果てた姿を目の当たりにする混乱と悲
しみが、バギルの心を吹き荒れていた。
そして、レックスもまたアローザの事について同様の
思いを抱いているのだろう、と、バギルは自分なりにレ
ックスの胸中を思い遣った。
「・・・ああ、全くだ。胸クソ悪ィぜ・・・。」
バギルの思い遣りを感じ取り、レックスはふっと微笑
んで炎熱剣を収めた。
それからすぐにバギルへと背を向け、
「バギル!さっさとそいつをのして、俺様を追って来い
よっ!!」
そのまま振り返りもせず、飛翔板に思念を送ると、レ
ックスは隣の広間へと続く通路の中へと飛び込んでいっ
た。
ティラルもまた剣を収めると、バギルの方を一瞥し、
小さく頷いた。
バギルが頷き返すとすぐ、ティラルはレックスの後を
追って通路の中へと飛翔板で飛び立った。
視線を地上へと戻したバギルの見たものは、冷酷に笑
いながら佇む、親友の変わり果てた姿だった。
「・・下らない友情ゴッコは終わりかい?・・・バカだ
よ、バギル・・・。君だけでこのボクに勝てる訳無いの
にねえ・・・。」
嘲りの言葉をバギルに向けながら、ザードはゆっくり
と歩き始めた。
ザードの姿形はかつてと何一つ変わらず、ただ、その
表情だけが暗く、冷たい・・かつてのザードとは似ても
似つかないものだった。