【天下人の前】
それから数日。
細川の一行は、関白・豊臣秀吉の居城――大坂へと向かった。
九州からの道のりは、決して短くはない。
だが。
その距離以上に、重いものがあった。
誰もが口数少なく。
ただ、前だけを見て進む。
呼び出されたのは、天下人。
断ることの許されぬ相手。
その意味を。
全員が、理解していた。
――ただ一人を除いて。
「楽しみですね!」
リリエルだけが、いつも通りだった。
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大坂城。
その威容は、圧倒的だった。
高くそびえる城。
広大な城下。
人の数。
すべてが――規格外。
「……大きいですね」
リリエルは、素直に呟く。
だが。
忠興は、低く言う。
「気を引き締めよ」
その一言に。
空気が、さらに締まる。
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やがて。
一行は、謁見の間へと通された。
広い。
静か。
そして、重い。
すでに、多くの大名たちが並んでいた。
誰もが、言葉を発さず。
ただ、その時を待つ。
その中で。
リリエルだけが、きょろきょろとしていた。
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「……あれが」
小さく、誰かが呟く。
視線が集まる。
リリエルへ。
「南蛮の娘か」
「ただの者には見えぬな」
ざわめき。
警戒。
興味。
様々な感情が、混じる。
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その中で。
石田三成は、静かに見ていた。
(……異質)
ただ、それだけ。
「正体不明」
「危険」
理で、判断する。
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少し離れた場所。
徳川家康は、目を細める。
(……やはり)
半蔵の報告。
何も分からない。
それが、答え。
(鬼か、悪魔か……)
一瞬、よぎる。
(……はたまた、神か)
背に、わずかな汗が滲む。
だが、目は逸らさない。
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静寂。
そのとき。
「――関白様、御成り」
声が響く。
全員が、頭を下げる。
空気が、変わる。
足音。
ゆっくりと、近づく。
そして――
「面を上げよ」
軽い声。
だが、絶対。
豊臣秀吉。
そこにいた。
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「ほう」
秀吉の視線が、リリエルに向く。
「おぬしが、例の娘か」
値踏みする目。
だが、どこか楽しんでいる。
リリエルは、にこっと笑った。
「はい!」
その軽さに。
場が、揺れる。
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「聞いておる」
秀吉は、続ける。
「吉次峠の戦」
「石を蹴っただけで、戦が動いたとな」
くく、と笑う。
「運を持つか」
目が細まる。
「欲しいのう」
軽く。
だが、重い。
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「わしの側に来い」
「仕えよ」
命。
誰もが、そう理解した。
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沈黙。
その中で。
リリエルは、首をかしげた。
そして――
「お猿さんみたいで可愛いです///」
――空気が、止まった。
完全な静止。
誰も、動かない。
(終わった……)
忠興の思考が、白くなる。
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「――無礼者」
低い声が、響く。
石田三成。
その目は冷たく。
腰の刀へと、手がかかる。
「関白様に対し、その言葉――」
「看過できぬ」
殺気が、走る。
場が凍る。
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「――よい」
一言。
それだけで、すべてが止まる。
秀吉だった。
「座っておれ、三成」
軽い。
だが、逆らえぬ声。
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「……しかし」
三成が、なお言葉を続けようとする。
その瞬間。
秀吉の目が、向いた。
――静かに。
ただ、それだけ。
だが。
その場の全員が、理解した。
空気が、変わる。
重さが、違う。
引き攣る。
誰も、声を出せない。
それは、怒りではない。
“圧”そのもの。
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三成の言葉が、止まる。
沈黙。
やがて。
「……申し訳、ございませぬ」
頭を下げ。
ゆっくりと、手を離す。
そして、座り直した。
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その一連を。
リリエルは、きょとんと見ていた。
「……?」
何が起きたのか。
分かっていない。
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「ははははは!!」
秀吉が、大きく笑う。
場の空気が、一気に戻る。
「猿とな!」
「言いおるわ!」
腹を抱えて笑う。
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「で?」
秀吉が、再び問う。
「仕えるか」
試すように。
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リリエルは、少し考えて。
困ったように笑う。
「私、何もできないですよ?」
「戦も怖いですし」
「役に立たないと思います」
正直な言葉。
だが、それは。
逃げでもあった。
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秀吉は、じっと見る。
沈黙。
やがて。
「……くく」
笑った。
「なるほどのう」
「よい」
手を振る。
「今は良い」
その一言で。
流れは、いったん収まる。
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だが。
誰もが理解していた。
終わっていない。
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秀吉は、確かに見た。
そして。
興味を持った。
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天下人の視線が。
一人の少女に向けられた。
それが、何を意味するのか。
この場の誰もが、理解していた。




