【天下人の呼び声】
「細川忠興殿」
広間に、静かな声が響く。
「関白・豊臣秀吉様よりの使者にございます」
一礼。
その所作は、あまりにも洗練されていた。
ただの使者ではない。
それを、誰もが直感していた。
忠興は、わずかに目を細める。
「……用件は」
短く問う。
男は顔を上げた。
穏やかな表情。
だが、その奥にあるものは――重い。
「そちらにおられる南蛮の少女――リリエル殿」
「関白様が、謁見を望んでおられます」
一拍。
「直々の御下命にございます」
沈黙。
場の空気が、張り詰める。
ガラシャの指先が、わずかに強張る。
凛の視線が鋭くなる。
忠興は、しばし黙した。
(……まずいな)
秀吉が、動いた。
それだけで、意味は十分だった。
だが――
「……それは、難しい」
低く、抑えた声。
「この者は、ただの少女に過ぎぬ」
「関白様の御前に出すには、あまりに不相応」
「無礼があっては、取り返しがつかぬ」
丁寧な言葉。
だが、その実――拒絶。
男の目が、わずかに細まる。
「忠興殿」
一歩、踏み込む。
「これは“願い”ではございませぬ」
「関白様の――命にございます」
空気が、さらに重くなる。
逃げ場はない。
断れば疑い。
応じれば取り込まれる。
忠興の思考が巡る。
(ここで拒めば……終わる)
だが。
(応じれば、この娘は――)
そのとき。
男は、静かに名を告げた。
「……羽柴秀長にございます」
その名が落ちた瞬間。
空気が、凍りついた。
忠興の思考が、止まる。
(――終わった)
羽柴秀長。
豊臣秀吉の実弟。
そして。
数ある家臣の中でも、最も信を置かれる男。
穏やかな物腰とは裏腹に。
その言葉は、秀吉そのものを意味する。
この場に現れたという事実。
それ自体が――
「断るな」
という、無言の命であった。
「兄も、楽しみにしております」
穏やかな声。
だが、それは。
決定的な一言だった。
忠興は、言葉を失う。
完全に、退路は断たれた。
沈黙。
場が沈みきる、その瞬間。
「いいですよー」
軽い声が、響いた。
空気が、崩れる。
全員の視線が向く。
リリエルだった。
「お会いしましょう!」
にこやかな笑顔。
迷いは一切ない。
「呼ばれてるんですよね?」
首をかしげる。
「行かないと、失礼じゃないですか?」
あまりにも正しい。
そして、あまりにも無防備。
凛が、わずかに目を見開く。
ガラシャは、静かにリリエルを見る。
(この方は……)
やはり、分からない。
だが、不思議と――恐れはなかった。
忠興は、ゆっくりと目を閉じる。
そして。
「……承知した」
低く、決断を落とす。
「謁見、受けよう」
その一言で。
全てが決まった。
秀長は、静かに一礼する。
「ご英断、恐れ入ります」
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その日。
細川の屋敷に、重い空気が残った。
誰もが理解している。
これは、ただの面会ではない。
天下人が、手を伸ばした。
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――リリエルは、少しだけわくわくしていた。
豊臣秀吉。
この国で、とても偉い人。
そんな人に会えるなんて。
(すごいですよね)
思わず、頬が緩む。
「楽しみです」
小さく、呟く。
だが。
ふと、気づいた。
(あれ?)
周りの様子が、おかしい。
誰も笑っていない。
むしろ。
張り詰めている。
凛は、いつも以上に静かで。
ガラシャは、どこか祈るような表情で。
忠興に至っては――
言葉少なに、考え込んでいる。
(……どうしたんでしょう?)
首をかしげる。
ただ会いに行くだけなのに。
そんなに大変なことなのだろうか。
「……変なの」
ぽつりと、呟いた。
けれど。
その意味を、理解することはなかった。
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凛は、静かにリリエルを見る。
(この方は……)
理解できない。
だが。
目を離してはいけないと、確信していた。
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ガラシャは、そっと呟く。
「……どうか、ご無事で」
その祈りは、静かに消える。
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天下人が、手を伸ばした。
そして。
その中心にいるのは――
何も知らぬ少女だった。




