【見知らぬ世界で】
――どこかも分からない場所。
リリエルは、ただ立ち尽くしていた。
「……ここ、どこ?」
見慣れない景色。
聞き慣れない音。
石畳の道。木造の建物。行き交う人々の装いも、すべてが見知らぬものだった。
さっきまで、王城にいたはずなのに。
「……夢?」
そう呟いてみるが、風の感触も、足元の硬さも、やけに現実的だった。
通りを歩く人々に声をかけようとして、言葉が喉で止まる。
――通じるのだろうか。
一瞬の不安。
けれど。
「すみません」
恐る恐る声をかけると、相手は振り返り、普通に応じた。
「どうしましたか」
――通じている。
リリエルは、少しだけ安心した。
「ここがどこか、教えていただけませんか?」
男は少し不思議そうな顔をしながらも、簡単に場所を教えてくれた。
「ありがとうございます!」
ぺこりと頭を下げ、リリエルはその場を後にする。
軽やかな足取りで去っていく背中。
男はしばらく、その姿を見送っていた。
やがて、ぽつりと呟く。
「……えれぇ別嬪な女子じゃったのぉ」
どこか、現実離れしたような感覚だけが、妙に胸に残っていた。
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だが、状況は何一つ分からない。
どこなのか。
どうしてここにいるのか。
歩き回っても、分からないことばかりだった。
やがて、足が止まる。
「……どうしよ」
初めて、心細さが胸に広がる。
その時。
ふと、視界の先に建物が見えた。
他とは違う、どこか厳かな佇まい。
尖塔。石造りの壁。
そして――十字の印。
「……教会?」
思わず呟く。
見慣れたはずのそれが、今はやけに頼もしく見えた。
リリエルは、ほとんど駆けるようにその扉へ向かった。
「……お願いします」
藁にもすがる思いで、扉を押し開ける。
静かな空気が、流れ込んできた。
外の喧騒が嘘のように、そこは穏やかだった。
高い天井。
色とりどりの光を落とすステンドグラス。
そして――
その中央に、一人の女性がいた。
黒髪。
静かにひざまずき、祈りを捧げている。
差し込む光が、その姿をやわらかく包んでいた。
まるで、そこだけ別の世界のように。
「……」
リリエルは、思わず足を止める。
息をするのも忘れて、見つめていた。
あまりにも美しかった。
ただ整っているだけではない。
そこには、触れてはいけないもののような、神聖さがあった。
「……きれい」
思わず、声が漏れる。
その瞬間。
女性が、ゆっくりと顔を上げた。
静かな瞳が、こちらを向く。
――視線が合う。
不思議と、怖さはなかった。
ただ、心の奥まで見透かされるような感覚だけがあった。
女性は静かに立ち上がり、こちらへ歩み寄ってくる。
足音は、ほとんど響かない。
そして、リリエルの前で止まった。
「……迷われたのですか?」
やわらかな声だった。
リリエルは、少しだけ言葉に詰まる。
けれど。
なぜか、この人には話してもいいと思えた。
「……はい」
小さく、頷く。
「気がついたら、ここにいて」
「何も分からなくて」
自分でも驚くほど、素直に言葉が出た。
女性は、静かに頷く。
「そうでしたか」
そして、ほんの少しだけ微笑んだ。
その表情は、どこか優しかった。
「ここは安心できる場所です」
「どうか、落ち着いてください」
リリエルは、その言葉にほっと息を吐く。
「……ありがとうございます」
自然と、そう言っていた。
女性は、ほんのわずかに目を細める。
「私は――」
一瞬の間。
「細川ガラシャと申します」
リリエルの時間が、止まった。
――その名は。
この世界の運命を、大きく揺らすことになる名前だった。




