【異端の言葉】
京の通りは、今日も人であふれていた。
その一角に、人だかりができている。
「……なんですか、あれ?」
リリエルが足を止める。
視線の先。
見慣れぬ装いの男たちが、声を上げていた。
「神は、すべてをお許しになる」
「信じる者に、救いは与えられる」
異国の言葉が混じる。
だが、その意味は伝わってくる。
「イエズス会の宣教師にございます」
凛が、小さく告げた。
「きりしたん……?」
「南蛮より来た、宗教の教えにございます」
「へぇ〜」
リリエルは、興味深そうに人だかりを覗き込む。
民衆は、静かに耳を傾けていた。
信じている者。疑っている者。どちらともつかぬ者。
その空気が、混ざっている。
「神は奇跡をお示しになる」
宣教師の一人が、そう言った。
その言葉に、ほんのわずかにざわめきが起きる。
誰もが、どこかで思っている。
――本当に?
そのとき。
「何してるんですか?」
場違いな声が、落ちた。
空気が止まる。
視線が、一斉に集まる。
リリエルだった。
凛が、わずかに目を閉じる。
(……始まりました)
宣教師が、ゆっくりと視線を向ける。
「神の教えを説いております」
「かみさま……」
リリエルは、少し考える。
「それって、優しいんですか?」
ざわり、と空気が揺れた。
宣教師の眉が、わずかに動く。
「神は、すべてをお導きくださる存在です」
「怖いこと、しません?」
「……それは、人を正すための試練です」
「ふーん」
リリエルは、首をかしげた。
「優しいなら、怖がられない方がいいと思うんですけど」
沈黙。
民衆の中で、誰かが小さく息を呑む。
宣教師は、言葉を選ぶ。
だが。
その一瞬の“間”が、すべてだった。
「神は奇跡をお示しになる」
別の宣教師が、口を挟む。
「それにより、人は救われるのです」
「きせき……」
リリエルが、空を見上げる。
「こういうことですか?」
その瞬間。
風が、すっと止んだ。
揺れていた布が、ぴたりと静まる。
空から差し込んだ光が、わずかに強くなる。
ほんの一瞬。
それだけ。
だが。
誰もが、それを感じた。
「……今のは」
「風が……」
ざわめきが、広がる。
宣教師の口が、止まる。
言葉が、続かない。
リリエルは、首をかしげた。
「違いました?」
誰も、答えない。
ただ、空気だけが変わっていた。
そのとき。
人混みをかき分けるように、小さな少女が前に出た。
ゆっくりと歩み寄り。
すとん、と膝をつく。
両手を組み。
まっすぐに見上げた。
「……おしえてください」
静かな声。
だが、場のすべてが、その一言に引き寄せられる。
「あなたの神は」
少女の瞳は、揺れていない。
「あなたの神の名前を、お教えください」
凛の呼吸が、わずかに乱れる。
(……まずい)
軽く答えてよい問いではない。
だが。
リリエルは、少しだけ考えて。
「えーっと……」
ほんの一瞬。
視線が、遠くを向いた。
(……思い出せない)
「……なんでしたっけ?」
沈黙。
誰かが、息を呑む。
凛は、思わず目を閉じた。
(……この方は……)
少女は、なお見上げている。
その瞳は、より強くなっていた。
「……やはり」
誰かが、呟く。
「名を明かせぬ神か」
ざわめきが、波のように広がる。
リリエルは、何も分からないまま。
「えっと……ごめんなさい?」
ぺこり、と頭を下げた。
民衆の中で、誰かが膝をつく。
一人。
また一人と。
静かに、頭が下がっていく。
宣教師は、動かない。
だが。
その目だけが、リリエルを見ていた。
感情の読めぬ、冷たい視線。
やがて。
「……記録せよ」
小さく、誰かが呟いた。
その声は、誰にも届かなかった。
ただ。
何かが、始まっていた。
「ご飯、食べます?」
リリエルが、振り返る。
何事もなかったかのように。
凛は、わずかに間を置いて答える。
「……はい」
(……恐ろしいお方でございます)
心の中で、そう呟いた。
神の名を忘れた聖女。
――聖女失格である。
――そのころ。
遠く、別の世界。
白き光の中で。
一柱の女神が、くすりと笑った。
「まあまあ……あの娘ったら」
楽しげに。
ただ、それだけを呟く。




