推しVtuberが、パパだった。~パパの願いは『ニコニコ笑顔』~
「加奈、飯、出前でも取るか」
「いい。適当に食べるから、放っといて」
「加奈、おやつに、ケーキ買って来てやろうか」
「いい」
「加奈、コーヒー淹れたら、飲むか」
「いい」
1時間おきくらいに、あたしの部屋の前で声をかけてきたパパは、こんなやりとりを1ヶ月くらい続けたら、話しかけてこなくなった。
それでも、1時間に1回くらい、あたしの部屋の前で立ち止まっている気配がわかる。
――ママが死んで半年。
パパはあたしが部屋で手首を切ったりだとか、そういう『何か』をしでかしているんじゃないかと心配なんだと思う。あたしは『難しい子』だから。
パパは仕事を在宅勤務に切り替えて、ずっと家にいるようになった。
けど、今までだってほとんど話していなかったパパと、いきなり24時間一緒に家にいるのなんて、居心地悪すぎる。
あたしの身分は、いちおう通信制高校の2年生。
週1回のZoom面談と、単位用のレポートだけで成績がつく学校だ。登校日もあるけれど、行けたことはない。
普通の学校は中学校から行ってない。同級生の話している言葉は、早口で聞き取れなくて、あたしには宇宙語みたいに聞こえた。みんなが何の話をしているのか、あたしは何にもわからなくなってしまった。……宇宙になんて行きたくなかった。
担任もパパも昔から、みんなあたしのことを『難しい子』って言ってた。
あたしからしたら、難しいのは、みんなだけど。みんなにとっては、あたしがとても難しいらしい。
あたしにとっては、ママだけが人間だった。
ママは、あたしに聞き取れる言葉をゆっくり選んで話してくれたし、あたしがどんなふうに話しても、いつもニコニコしていてくれた。
ママは専業主婦でずっと家にいたし、リビングに行けばいつでも話せる人がいて、家は宇宙じゃなかったけど。
ママは半年前に買い物に行った帰りに、車にひかれていなくなっちゃった。
それからパパがママの代わりにずっと家にいるようになったけど、パパがいるリビングはあたしにとっては宇宙になっちゃった。……今は、あたしの居場所はあたしの部屋だけ。
「お腹へったな」
あたしは呟くと、部屋から出て、誰もいないリビングで冷凍炒飯をレンジで温めて食べた。
今は3食これ。
パパにはリビングに「いない」時間を決めてもらっていて、その時間にあたしはリビングに行ってこれを食べる。それで部屋に戻る。
もう19時。そろそろ配信が始まる。
あたしは速足で部屋に戻るとPCをつけた。
PCの中は宇宙じゃない。現実の人の言葉はあたしにはちょっと難しいけど、動画で話している人の言葉はわかりやすい。字幕が出るし、何を言っているのか理解できる。
ママがいた時から、動画配信とかはいろいろ見ていたけど、最近は夜はずっと流している。
あたしだって、本当は誰かと話したい。けど、『難しい子』って言われたら、言葉が出なくなっちゃう。
動画サイトの、チャンネルボタンをクリックすると、女の子のアバターが写って、『こんばんは~』と挨拶をした。良かった。間に合った。
ピンクと水色のカラーリングのハーフツイン。
リボンをモチーフにした衣装。キラキラの瞳。
あたしが最近よく見るVtuberの「ぴんぶる。」だ。
『こんばんは、ぴんぶる。です~。今日もゆるゆるおしゃべりしていこうと思いまっす』
ぴんぶる。はペコリとお辞儀をして微笑んだ。
ゆっくりした、心地よい話し方。ママの話し方に似てる。
あたしがよく見るVtuberの配信サイトの『おすすめ』に出てきたのをきっかけに、見るようになった。
『みんな、もう夕ごはんは食べたかなあ。わたしは、最近ずっと、冷凍チャーハン食べてるの。レンチンだけで楽々だけど、毎日同じ味だと飽きちゃって。このシリーズ、惣菜コンテストで1位をとった、マルコーの冷凍チャーハンなんだけど、いろんな味があっておいしいんだよぉ』
そう言ってぴんぶる。は8種類くらいのチャーハンを画面に出した。
『マルコー』はうちの近くにもあるスーパー。
『みてみて~、真っ黒~、イカ墨チャーハンだって。おいしいのかなあ、ぱくっ』
ぴんぶる。は真っ黒なチャーハンを食べた。本当に真っ黒。おいしそうじゃないけど。
『うそ、おいしい~っ。旨味がね、すごいよぉ!』
ぴんぶる。は本当においしそうにそう言って飛び跳ねた。
『こんなにたくさんあると、毎日食べ比べできて楽しい~』
あたしはごくり、と喉を鳴らした。最近毎日、ずっと同じチャーハンばかりで、さすがに飽きてきた気がしていた。ぴんぶる。は笑顔で付け足した。
『チャーハンだけだと、お肌にもよくないし~、お湯を注ぐだけの野菜スープもつけると、バランスいいかも。わたし、そういうのも気を遣ってるんだよ。永遠の17歳の乙女だから☆』
『絶対17歳じゃないだろ』とコメントが入って、ぴんぶる。は『そういう設定なのっ』と頬を膨らませた。
設定って言っちゃってるじゃん。あたしは笑ってから自分の顔を触った。
……確かに、最近、ニキビが増えた気がする。
マルコーに炒飯とスープ、買いに行ってみようかな。……でも。
外に出るのは、怖かった。
けど、翌日――、いつもみたいに冷凍庫を開けたら。
「炒飯がいっぱい……?」
なぜか、マルコーの冷凍チャーハンが数種類と、その横に、冷凍する必要のない、フリーズドライの野菜スープが入っていた。
「……??? ぴんぶる。が紹介してたやつ……、パパが買ってきたの?」
あたしは頭に疑問符を浮かべながら、イカ墨チャーハンを温めて、野菜スープも飲んだ。
――そんな、配信と冷凍庫の奇妙な連動は、そのあとも続いた。
何故か、ぴんぶる。の紹介したスイーツが冷蔵庫に入っていたり。
何故か、ぴんぶる。の紹介したおすすめの駅弁が冷蔵庫に入っていたり。
「パパ……、配信見てる?」
家にいるのは、あたしとパパだけ。
パパがぴんぶる。の配信を見ているとしか考えられなかった。
何とも言えない、不可解な気持ちだったけれど、言わなくても、気になる食べ物が冷蔵庫に追加されるのはありがたかったので、あたしはそのまま何も言わなかった。
ぴんぶる。は、それから、食べ物の紹介だけじゃなくて、いろいろなことにチャレンジしだして、人気の配信者になっていった。
最近は『踊ってみた』をするようになった。よく踊るのは、アイドルグループ『ネクスト』の曲。
懐かしいな。ママとお昼によく見ていた、オーディション番組でデビューしたグループだ。
デビューしたところまではママと見てた。
けど、ママがいなくなって、リビングでテレビを見なくなったから……そのあと、売れているのなんて、知らなかった。
……けれど、それより気になるのは。
だんだんだんっ、と曲に合わせるような何かの音が――家の中から、聞こえてくること。
あたしの脳内で、パパと『ぴんぶる。』が線でつながっていく。
――まさかね。
けど、ある日。
いつもみたいに、『ネクスト』の曲を踊ったぴんぶる。は息を切らしていた。
『今日も、踊ってみたよ~。ぴんぶる。は17歳だけど、結構しんどいね』
『ぴんぶる。ちゃんって何で、左右の髪の色が違うの?』
そのときメッセージが飛んで、ぴんぶる。の動きが静止した。
少しの沈黙のあと、いつもより静かな声で、話し出した。
『――これはね、昔、『かわいくしてあげる!』って、リボンをつけてもらったことがあるから、それからつけたんだよ。左がピンクで、右がブルー。『かわいくなーれ』って呪文をかけてくれて……あっ、もう時間だあ。ばいばーい』
今日の配信が終わった。けど、あたしは硬直して、動けなくなった。
あたしの小さかった頃の記憶が蘇る。
小学校に上がる前くらいの思い出。パパの髪にリボンをつけたことがあった。
ぬいぐるみにリボンをつけてかわいくしてあげてたら、ママがふざけて『パパにもつけてあげたら』って、青いリボンをつけてあげて、あたしはピンクのリボンを反対側に、『パパもかわいくなーれ』って言いながら――
あたしは立ち上がると、部屋の扉を開けて、廊下を歩いた。
突き当たりのパパの仕事部屋の扉が、全開で開いている。
ヘッドセットをつけたパパが、息を切らしながら、写真立てを見つめていた。
リボンをつけたパパと、ママとあたしの写真。
パパの机の上のPC画面には、配信終了の「Thank you!」の文字。
「パパ……、何してんの?」
あたしの声に、パパはびくっとして振り返った。
「配信……」
しばらくの沈黙の後、パパがぽつりと言った。
「今日、スパチャ結構入ったから……何か食べに行かないか」
あたしは小さく頷いた。
◇◇◇
「ピンクとブルーのリボンでみんなにニコニコ笑顔を届ける♡ “ぴんぶる。”です!」
ボイスチェンジャーで少し加工した声が、モニターから跳ね返ってくる。
画面で微笑んで指でハートマークを作るのは、ピンクとブルーのハーフツインを揺らすかわいらしい女の子。キラキラの瞳がチャームポイントだ。俺の声で笑い、俺の動きに合わせて頭を傾ける、仮想世界の俺。
『ぴんぶる。ちゃん、こんばんは~』
『ニコニコ~』
視聴者数が増えていき、コメントが流れていく。
『ぴんぶるちゃんかわいい~』
コメントにリアルタイムで返事をする。
「ぴんぶる。の名前は「。」が入るんだよ! 『ハロー娘。』と一緒なの! 忘れないでねっ。ご新規さんかな?」
『なんで17歳が『ハロー娘。』知ってんのw いくつw』
「『中の人』なんて言わないで~。ぴんぶる。は永遠の17歳なんだよぉ」
コメントを返しながら、俺は視聴者の一覧に視線を走らせた。
『ka7ka77777』
――発見。
安堵の息を吐いた。これは――配信中の自宅の自室にいる、娘の加奈のアカウントだ。
午後7時。仕事を終えた俺は、毎日、自宅の書斎で配信をしている。
書斎の扉は、今日も全開にしている。
配信をするなら閉めたほうが集中できる。雑音も減るし、生活音もマイクに入らない。けれど俺は、あえて開け放っている。
――気づいてほしい。
加奈が部屋から出てきて、俺に話しかけてくれないだろうか。
そんな思いで、扉を開けている。
『キモい』と言われるだけでも構わない。
それでもいい。ただ俺に向かって、言葉を発してほしい。
加奈が俺に向かって言葉を発さなくなって、どれくらい経つだろうか。
――半年前までは、それでもよかった。
妻の真希が加奈の傍にいて、いつも間をつないでくれていたから。
けれど、彼女は半年前に帰らぬ人になった。
近所のスーパーで買い物を終えた帰り、駐車場で車にひかれてしまった。よくニュースで聞く、アクセルとブレーキの踏み間違い。即死だった。あまりに突然すぎて、今も俺は「まだ買い物から戻ってきてないだけなんじゃないか」と錯覚することがある。
あの日、加奈から『ママが買い物に行ったきり、帰ってこない』とメールで連絡があった。加奈が俺にスマホで連絡してくるのは、初めに連絡先を登録して、お互いにやりとりできるかスタンプを送った日以来だった。嫌な予感がして、仕事を早退して自宅に帰ると、家から徒歩数分のスーパーの駐車場に警察が集まっていた。
加奈はその日から部屋にこもりきりになった。
俺は会社に在宅勤務を申請した。理由はひとつ――加奈を一人にできなかったからだ。
思春期の娘が父親と四六時中一緒にいるなんて、うっとうしいに決まっている。だけど怖かった。精神的に不安定になって、自分を傷つけたりしたら……。俺にできることは、せめて「家にいる」ことだけだった。
だが現実はうまくいかない。
声をかけても「いい」しか返ってこない。
俺が廊下を通ると、部屋の中の物音が止む。
まるで、存在そのものを避けられているように。
父親として、どうしてこんなに不器用なのだろう。
――いや、そもそも、娘と先に距離を置いたのは、俺自身だった。
加奈は俺にとって、小さい頃から『難しい子』だった。
言葉が遅くシャイで、公園に連れて行っても、同年代の子の輪に入らなかった。
「大丈夫だから遊んでこい」と、俺は加奈を他の子どもが遊ぶ遊び場の遊具の上に連れて行って、追いすがる加奈をそこに置いて、離れて手を振った。――結果は号泣。呆然とする俺の代わりに、真希が駆け寄って抱きしめてくれた。
「無理にやらせなくていいの」
――その叱責が、今も胸に刺さっている。
俺は加奈にとって、良いパパではなかった。
それは自覚している。
同僚の家に俺だけ遊びに行った時、そこの息子が俺と同僚と一緒にゲームをして遊んでくれた時、『俺の子どももこんな風に、家に連れてきた同僚とゲームで遊んでくれるような息子だったら良かったのにな』などという言葉が頭に浮かんで、背筋が冷えた。
比べるな、加奈は加奈だ――頭では分かっているのに。
中学に上がった頃、加奈は『同級生の言っている言葉が、理解できない』と言って学校に行かなくなってしまった。しばらく休めば行くかと思っていたが、引き籠もる一方。
『そんなんじゃ社会に出られないぞ』
俺はうっかりそう言ってしまった。その瞬間、加奈は顔を真っ青にしてパニックを起こし、壁に頭をゴンゴンと打ち、そのまましばらく入院し専門家の世話になることになった。真希が仕事を辞め、1日家にいて付き添うようにしてくれて、ようやく部屋の外に出てくるようになった。
あの日以来、俺は心のどこかで「俺はもう何も言わず、金だけ稼いでこよう」と思い込むようになった。それが俺の責任の取り方だと。
けれど、妻は、真希はいなくなってしまった。
今は、この家には、俺と加奈しかいないんだ。
俺にできることは、なんだろうか。
◇
在宅勤務を始めてから、しばらく経った。
加奈からは「パパがリビングにいる時間を決めて」と言われた。
「あたしは、それ以外の時間で適当にご飯を食べるから」と。
俺は、昼の休み時間の12時から13時、夕方は18時から19時までリビングにいると伝えた。
加奈は朝はトースト、昼と夜は毎食冷凍庫に入っている冷凍炒飯をひとりで食べる。
冷凍炒飯は、真希が最後の買い物で買った買い物袋の中にも入っていた。
俺はひたすら、その同じ炒飯をスーパーで買い足し、冷凍庫に追加する。
栄養バランスが偏るのではないかと心配し、他のものを買って入れておいたこともあるが、加奈は食べてくれなかった。
どうしたらいいのだろう。
高校生とはいえ、まだ成長期。同じ冷凍の炒飯ばかりでは、栄養も偏るし――何より、味気なくはないだろうか。ため息をつきながら、加奈の部屋の前で、閉め切られた扉を見つめていると、中から、何か音が聞こえた。
「こんばんは~! 夕ご飯は食べた?」
普段ほとんど無音の部屋から人の声がする?
――誰かと通話しているのか?
そう思ったが、会話のテンポが妙に均一で、ところどころ笑い声や拍手の効果音のようなものが混じる。何人かが同時に話しているように聞こえるのに、加奈の声はしなかった。
……何かの、リアルタイムの配信を見ている?
その日の夜、妻の遺品を整理していた時に謎が解けた。
妻のバッグの中から、手帳が出てきた。
――そこには、その日、加奈と何を話しただとか、そんなことが、各日付びっしりと書かれていた。
「真希……」
俺は妻が俺のことを見てくれているような気がして、思わず彼女の名前を呼んだ。
その日記に、こんな記載があった。
『加奈は最近、Vtuberにハマっているみたい。“V_liver”のアプリで聞いてる。『スパチャ』したいと言っていた。一緒に聞くなら、少しはいいのかな。パパに相談したら怒りそう。
加奈のアカウント名ka7ka77777
……少しでも外の世界と繋がっていられるなら、それでいいのかもしれない』
「Vtuberか……」
存在としては、知っていた。
良いイメージはなかった。『スパチャ』というのは投げ銭。
確かに真希がいたころに、真希から加奈がスパチャしたがってると相談されたら、『無駄遣いするな』と俺は怒っていただろう。
俺は加奈が聞いているというのと同じアプリををダウンロードしてみて、配信を聞き始めた。
なるほど。
画面越しに会話をして、コメントを読み上げ、笑いながら返してくれる。
家で誰とも話さなくなった俺にとっても、その空間は居心地がよかった。
娘が夢中になるのも分かる。
そして俺は悟った。
――加奈はここでだけ、誰かと繋がっているんだ。
一方で、不安もよぎる。
変な配信者に引っ掛かって、呼び出されて誘拐されたり、金を巻き上げられたりしないだろうか。
首を振る。俺のこの否定から入る考え方が加奈が俺と話してくれない理由かもしれない。
その時、俺の頭に一つの考えが浮かんだ。
――この場所をきっかけに、俺も加奈とつながることはできないだろうか?
それから俺は空き時間に「Vtuberとは」と検索するようになった。
「アバターを使って動画配信を行う人」とある。
コメントを読み進めるうちに関連ワードが目に飛び込んだ。
「Vtuber おじさん」
……なんだこれは。恐る恐るクリックする。
説明には「中身がおじさんでも、美少女アバターで配信している場合がある」と書かれていた。
「……中身がおじさんの場合も、多いのか」
さらに見慣れぬ単語があった。
「バ美肉おじさん」
ばにく? 聞きなれない言葉をさらに調べると―“バーチャル美少女受肉おじさん”の略だと知って、声が出そうになった。受肉とは、本来は“神が人の形をとって現れること”。なるほど。精神を美少女の形でバーチャル空間に具現化したおじさん……。
「……俺でも、なれるのか……?」
その発想はあまりにも突飛に思えたが。
もしかしたら、今の現状を変えるための、一つの有力な手段かもしれない、と思えた。
直接言えない言葉を、仮想の姿を介せば伝えられるかもしれない。
アバター越しなら……言葉を返してもらえるかもしれない。俺の本当の声じゃ届かないのなら、仮想の声で――。
机の上の写真立てを見つめる。
若い頃の俺に、真希と幼い加奈がリボンを結んで笑っている、自撮り写真。
この写真は真希のお気に入りだった。真希が写真立てに入れて、俺の書斎に飾っておいていったんだ。
ぬいぐるみにリボンをつけていた加奈。それを見た真希がふざけて『パパにもつけてあげたら』と、俺の髪に青いリボンをつけた。それを見た加奈も、ピンクのリボンを反対側につけてくれたんだ。『パパもかわいくなーれ』って言いながら……。
俺の脳裏に、アバターのイメージが浮かんだ。
ブルーとピンクのリボンを頭につけた少女の姿が。
考えるより先、身体が動いた。俺はアバターの外注サイトを開き、勇気を振り絞って依頼文を書いた。SEだからパソコンの操作には慣れている。けれど、絵なんて描けない。
誰かに手助けしてもらわなければ。
作品例を見ながら、一番かわいいアバターを作っている制作者に連絡をした。
『ピンクとブルーのハーフツインテールで、アバターの製作をお願いします』
数週間後、届いたアバターは、思わず息を呑むほど可愛らしかった。
俺はその子に名前をつけた。
「ぴんぶる。」
ピンクとブルー、そのままを背負った名前。
娘ともう一度繋がるための、俺の仮面だった。
ネットで調べながら、配信のための機材を揃えていく。
1週間程度で、画面上には俺の動きに連動して動く美少女アバターが誕生した。
◇
「真希……、俺、こんなにかわいい姿になったよ……」
俺は感動しながら、スマホの待ち受けにしている、加奈が小さかった頃の家族写真の中の妻に話しかけた。
「これなら、加奈も“かわいい”って言ってくれるかな……いや、“キモい”かな。どっちでもいいんだ、あいつが何か言ってくれれば……」
俺は独り言のようにつぶやくと、マイク付きのヘッドフォンを頭につけた。
ガワはできた。あとは中身を作りこまないと。
真希の手帳に、加奈のお気に入りの配信者がメモしてあった。
どれも、ゆったりとした話し方のゆるっとした日常の話をするような配信者だった。
「今日の夜ごはんはカップラーメンで~す」なんて言いながら笑う声。
くだらない話なのに、妙に安心する――ああ、こういう人だと、加奈は安心するのか。
研究のため、俺も加奈のお気に入りらしい配信者たちの配信を見るのが習慣になっていた。彼らの話し方はどことなく、真希の話し方を思い出すような話し方で、俺にとっても聞き心地がよかった。
真希と俺は、大学時代のバイト仲間だった。
チェーン系のカフェバイト。思わず店に長居したくなるような、彼女の心地よい「いらっしゃいませ~」の発声に、俺は惚れたのだ。真希は、例えるなら、カフェラテのような女性だった。穏やかで、一緒にいると癒される、そんな話し方の妻だった。
そういえば、加奈も『ママの話してることはわかる』と言っていた。真希はいつも、加奈の話をじっくり聞いて、ゆっくりと返事をしていた。俺のように急かすのではなく。
「――真希、俺も君みたいにできるかな……」
俺は、目を閉じると、真希の姿を頭に思い浮かべた。――もう1度、君の声を聞きたいよ。
そして、目を開けると、ゆっくりとマイクに向かって話し出した。
「”こんばんは”……違うな。“こんばんわぁ”……“こんばんわ~”、うん。“こんばんは~、”ぴんぶる。“です……」
画面の中で、『ぴんぶる。』がにこにこと笑いながら、話していた。
俺は一瞬、自分が自分でなくなった感覚に陥った。
――いける。いける気がした。
そこから先は、思いの外順調だった。
加奈の見ている配信サイトに登録し、配信を始めた。
毎日夕食を食べて、19時から。PCを立ち上げ、ヘッドフォンをつけ、話し出す。
まずはランキングに入ることを目標にした。
加奈は配信中のものの中で、視聴者が多い配信者の中から気になっている人をチェックしているようだった。
――そして、ある日。
『ka7ka77777』
加奈のアカウントが俺の配信に入室したのを見つけて、心臓が止まりそうになった。
加奈が、俺の言葉を聞いてくれている……!
思わず、声が上ずってしまった。
――ここから先は、加奈が聞きたくなるような話を続けていこう。
加奈が興味を持っているものについては、真希の手帳がとても助けになった。
『・加奈と『マルコー』にお買い物に行けた。この前テレビで炒飯がおいしいってやってたから買ってみた。気に入ったみたい!』
加奈がいつも食べている冷凍炒飯の話。
『・加奈とアイドルのオーディション番組を毎日見ている。誰がデビューするのか、私もワクワク。
・『ネクスト』ってグループ名でデビューが決まった! いつか加奈とライブに行きたい。パパは行くかな?』
検索してみると、『ネクスト』というのは韓流アイドルのような、歌って踊れるガールズグループのようだった。
『うるさい音は苦手』と言っていた加奈が、こんなアップテンポのダンス曲を聞いているというのが意外だった。こんな、世間で流行しているようなものに、興味などないのだと思っていた。――俺は、娘のことを何も知らない。
「歌って、踊ってみるか……」
「歌ってみた」「踊ってみた」というのは、典型的な配信スタイルとして人気がある。
加奈が好きなものを、俺もやってみよう。
そうすれば、あいつの気持ちが少しでもわかるかもしれない。
仕事が終わって、配信が終わってから。俺は寝る前まで、ダンス練習に打ち込んだ。
◇
『ぴんぶる。』としての加奈との交流は順調に進んで行った。
加奈は俺の配信に毎日顔を出してくれるようになった。
『ka7ka77777』が俺の配信のメンバーにいるだけで、俺は胸がいっぱいだった。
少なくとも、加奈は今、部屋で1人っきりではなく、俺の話すことを聞いてくれている。
俺はだんだんと、配信と現実を――具体的には、配信と自宅の冷蔵庫を――連動させるようにしていった。
かねてより、加奈の食生活が心配だったのだ。
冷凍炒飯が好きなのは、それでいい。
けれど――真希があの日買いに行ったものと同じ炒飯を食べ続けているのが、気にかかった。
違うものも、食べて欲しい。
おいしいものは、たくさんあるから。
俺は配信で、マルコーの他の炒飯食べ比べや、近場で話題のスイーツや、おすすめのお取り寄せなどを紹介して、お試し品を冷蔵庫に入れるようにしてみた。
――すると、加奈が、それを食べてくれるようになった。
俺は、スマホの待ち受けの真希に話しかけた。
「加奈が、俺が勧めたのを食べてくれたよ……!」
一方で、俺が『ぴんぶる。』だと、いつか気づいてくれるのではないだろうかと、そんな気持ちが日に日に強くなっていった。
――そして、その日はついに訪れた。
配信中に、誰かが左右の髪の色が違う理由を聞いてきて――俺は、思い出を話した。
加奈と真希が俺にリボンをつけてくれた、あの日の思い出を。
そして、配信が終わった後――、あの日の写真を見つめる俺の後ろから、声がした。
「パパ……、何してんの?」
振り返ると、加奈がいた。
部屋から出て、俺の書斎まで、来てくれていた。
俺は呆然と「配信……」と答えた。
何か、言わねば。何を言おうか。俺は、必死に言葉を絞り出した。
「今日、スパチャ結構入ったから……何か食べに行かないか」
――加奈は、うなずいてくれた。
俺と加奈は、初めて二人で駅前に行き、回転寿司を食べた。
食事中、あまり会話はなかったけれど。
加奈が「お寿司おいしい」とつぶやいたので、俺は「寿司ってうまいよなあ」と返して、泣きそうになった。
店を出ると、秋の夜風が頬を撫でた。
駅前の街路樹の下、加奈は少し前を歩いている。
歩幅は小さいのに、昔と同じで、なぜか先に行ってしまう。
随分と背が伸びたな、とふと思う。
小さい頃、真希と三人で同じ道を歩いたことを思い出す。
加奈が先を行きすぎて、真希が追いかけて手をつないだ。
俺はその後ろ姿を見ながら、ただ幸せだと思っていた。
――真希はもういない。
その現実を、今さらのように突きつけられて、瞳が潤んだ。
「真希……」
小さくつぶやくと、加奈が振り返って俺を見た。
慌てて「寒くなってきたな。早く帰ろう」と言うと、加奈は立ち止まったまま、通りの自動販売機を指さした。
「……パパ、飲み物買っていい?」
「……ああ」
加奈は缶ココアを買った。
「寒いもんな」と言うと、加奈は出てきたココアを俺に差し出した。
「パパも飲んだら」
そう言って、自分用にもう一本、同じものを買った。
俺はしばらく言葉を失ってから、「ありがとな」とつぶやいて、缶の蓋を開けた。
俺は昔から、けっこう甘いココアが好きだった。
けれど、自分で買うのは気恥ずかしくて、いつも真希に頼んでいた。
加奈が小さかった頃、家族で外出した帰り道、真希が三本買ってきて、みんなで分けて飲んだ。
――覚えていてくれたのか。
甘くて温かいココアが喉を通る。
明日からも、きっとやっていける。
次の日も、俺は同じように配信をした。
19時になって、ヘッドフォンをつけ、PCの前に立つ。
「ピンクとブルーのリボンでみんなにニコニコ笑顔を届ける♡ “ぴんぶる。”です!」
俺のアバターがにっこり笑う。
すると、視聴者が笑顔の絵文字を送ってくれる。
俺はそのスタンプを流し見ながら、言葉を失った。
その中に、加奈のアカウントがあった。今まで、加奈は黙って配信を見るだけで、何かメッセージを送ってくれることはなかった。それが、今日は「(^^)」とにこにこのスタンプを送ってくれた。
涙が溢れて、俺は泣き笑いで配信を続けた。
加奈、お前の毎日が『ニコニコ笑顔』になることを、俺は願ってるよ。
ママと同じようにはできないけれど。
完璧にはできないけれど。
俺はお前のパパだから。




