憲法九条盾の会
みんな大好き三島由紀夫の盾の会は、民衆の賛同を得られなかったわけであるが、ひとり寂しく切腹するよりは、ここはひとつ「憲法九条盾の会」を結成して解釈型の憲法で国を盛り立てて行こうとするのがよいであろう。
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
まずは、第九条のおさらいをしておこう。第九条は、戦争の放棄と戦力の不保持を定めている。一般的な解釈で言えば、戦争をすることができない、いわゆる軍備を持つことができないという丸裸な状態を意味するものだが、実際には自衛隊という軍備を持つに至っている。先に、国連軍への要求があったときにも、常に金にて解決をすることで、戦力の不保持を維持してきたものだが「へ、命を出さずに金を出すエコノミックアニマルめ」と言われ続け業を煮やしてしまったところの、ついに後方部隊としての自衛隊を派遣してしまったときに、時の内閣の失敗がある。つまりは潰れたのだ。当時の判断として、自衛隊を海外派遣せずに、金銭的支援のみにとどめておけばよかったのかと言われるとなかなか難しい状況もある。しかし、この資本主義の世界であるのだから、命よりも金が大切という価値観も支配的であり、つまりは命のほうが当時は安かったとみることができるだろう。昨今では、命のインフレにより金よりも高くなってしまっているのでこの論法は通らない。残念なことである。
自衛隊の海外派兵に対しては「国際紛争を解決する手段」であるかどうかが争点になる。後方支援とはいえ、とある国連軍という「軍」に属してしまうのであれば、それは明らかに第九条の違反となり、逸脱した憲法違反となるだろう。これも時の政権は潰れてしまうのである。しかし、たまたま日本のほうからやって参りましたという形で、たまたま戦場にあらわれて、たまたま後方で武器弾薬の支援を行っていた、というかスーツケースに入っていた誰から託されたかわからないけど、誰かに渡してくれといわれて持ってきたので中身はよくわかりません、という状態であるならば、ひょっとしたら見逃しが可能かもしれない。カルロス・ゴーン氏がコントラバスに入る位だから、それくらいは許されるだろう。そういう理由と偶然に偶然が重なり更に空前絶後の偶然が重なったところに、自衛隊の海外派兵は実現したのだろう。よくわからんが。それにしても、派兵という事実があれば、時の政権は潰れてしまうのである。どちらにせよ、潰れてしまうのであれば「まあ、行ってもいいんじゃないでしょうか」という雰囲気であったと思われる。
しかしだ、そんな逡巡をするぐらいであれば、解釈として、「自衛隊」を「国防軍」とすげかえてしまってもよいのではないだろうか。「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」にしては、軍備費が GDP の 2% を目指してしまうには非常に大きなものである。つまりは、各家庭に 2% 程度の武器弾薬を置くことになるのだ。年間 365 日であれば、年間で 7日間は軍備作業に費やすということだ。まさしく、火の車の 7 日間である。
国防軍となると指揮官が必要となる。そのためには、自衛隊のトップの内閣総理大臣がそのまま国防軍の最高司令官ということになるだろう。司令官と呼ばれるか、提督と呼ばれるかはよくわからんが、提督と呼ばれれば艦これだし、司令官と呼ばれればアズールレーンである。どちらも軍艦の擬人化ゲームなので受け入れやすいだろう。いや、受け入れない人も多いかもしれないが、そこは我慢してほしい。現自衛隊のなかにも艦これのファンは多いのである。
さて、一時が万事で、平時が有事になった際には、内閣総理大臣のもとへ国防軍の司令官は総帥として君臨することになる。戒厳令も同じであるが、平時が有事になる際の基準が曖昧なままだと、ときの内閣総理大臣はいつでも司令官になってしまうのでちょっと問題がある。しかし、「いま、まさに有事が発生いたしました。国家の存亡にかかわる有事の際には、国会の承認行為や統制行為は、わたくし、総理大臣のもとへ司令官に一任されるのであります」とかなんとかいう法律を作ってしまえば、法律の定めることにより、戒厳令も出し放題になるのである。
さらに言えば、一時が万事の平時が有事になるのは、特に国内に限らない。もちろんのことながら存立危機事態も含まれるのである。諸外国からのちょっとした難癖に対しても「いやあ、それ、ちょっとむかつきますね。プライドが傷つけられました。謝ることなんかできませんよ」ということになってしまえば、それは存立危機事態となるわけである。プライドが侵食されてしまうのである。それは、かならずしも国民の命を脅かすことではないかもしれないが、国体すなわち国家国民の代表たる総理大臣であるわたくし司令官のプライドを傷つけるということは、それこそ国際秩序が乱されるに他ならないと思われる。つまりは、捨て去ったワークライフバランスを取り戻すことはできないのだ。それは、国家国民の自由、表現の自由を守るために戦わねばならないのである。
自衛隊あらため国防軍については、法律の定めるところになるものだが、国防軍の機密事項に触れ得る官僚、野党の議員、マスコミ、市民活動家に対しては即刻裁判をおこない死刑が下されることを了承されなくてはいけない。いわば、国家の安全をおびやかす公安の秩序のもとで、国防軍を中心とした審判所を置くことなる。すなわち、福音派の最後の審判となるんだ。この最後の審判にささげられて被告すなわち機密事項に触れ得る官僚、野党の議員、マスコミ、市民活動家に対しては、当然のことながら「上告」は許される。それは憲法に定められるところの権利ではあるが、国家一大事の万事が有事のこの時期においては、そんな大法廷を開く余裕はないので、いわば「却下」である。却下されたとて即座に刑が執行されることはないのだが、それは留置所のくさい飯いや、古々々々々々々米を食べていただくことになる。まだ、備蓄米が残っているのだからもったいないではないだろうか。
さて、国防軍とて有限に違いない。つぎつぎと徴兵するにせよ、ロシアの地と違って北の大地から傭兵をかき集めることはできない。我が国日本では、技能実習生という兵隊がいるかもしれないが、それにもまして、国家すなわち国民が国土を死守せねばならないのである。協力という名の強制が必要となる。協力会社という名の下請会社というところだろう。
まさしくヒト型兵器となった国民は、領土、領海、領空の三軍となって飛び回るのである。いまにいたっては、ドローンを背にしょって飛び回ることもあろう。それ、ヘリコプターじゃないですか?という、空飛ぶクルマも活躍の場があるだろう。宇宙軍も重要だ。ロケットに詰められたヒト型国防軍が各国へと飛んでいくのである。ヒト型であるので人ではないことに注意しなければいけない。しかしだ、日本の資源となるええと、なんだっけ、京都のお寺とか、浅草の雷門とか、鎌倉の大仏なんかを守らないといけないのである。きわめて重要な観光資源なのだ。観光地に旅行客がやってこないとインバウンド需要が成り立たないのである。まさしく、中国の客がやってこないとホテルが潰れてしまいそうである。それは、決してオーバーツーリズムというわけではない。ちょっと迷惑な客でしかない。ねぇ、そうでしょう? 観光立国を目指すのであるから、諸外国に何かとお・も・て・な・し、とジャパニーズスマイル0円と、日本食を提供しなければいけないのだ。それらを守るため、日本すげーを守るためには、国防軍が是非必要なのである。賛成、賛成、賛成に違いない。忍者、富士山、芸者にサムライである。剣術を以ってハラキリ芸を披露せねばなるまい。ほら、ガマの油でこのとおり傷ひとつありません。
と三島由紀夫が憂いたかどうかは分からない。ただ、憲法九条盾の会を結成して専守防衛という国体を守るのが三島の望みであったのではないか、筆者は妄想するのである。
【完】
https://x.com/nikkei/status/1991824228220620958 からのインスパイア小説
https://storage2.jimin.jp/pdf/news/policy/130250_1.pdf も参考に。




