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1章

 社会人になって今年で何年目だっただろうか? とぼんやりと思いながら、目の前の医者が色々と悲観してはいけないとか、痛みを和らげる専門の病院もあると話しているのを、俺は「はぁ、そうですか」と気の無い返事をして診察室から出ていき、看護士からパンフレットのようなものを貰って会計を済ませて病院を後にした。

 明るいうちに街中を歩くのも何時ぶりだろう。そんなことも分からないほど、長い月日を社畜として過ごしてきたのだなぁと、乾いた笑いが自分の口から洩れる。


「あー……あんなに、今日こそは辞表を課長の禿げ頭に叩きつけるんだって思ってたけど、余命宣告で辞めるのかー……ハハ、ハハハ……」


 自分の命がわずかだと分かってしまってから、終電まで働き詰めるようなことに人生を消費していたなんて馬鹿だった。そう思うと「あの時違う道を選べていたら」と、人生の分岐点を思い出しては情けないまま終わることに涙が溢れてくる。

 三十近い男が泣くなんて情けないと思う。

 胃の痛みはストレスの多い人間関係のせいだ。

 微熱が続いても会社を休むわけにはいかないと、社畜を貫き通したせいで体に不調が続いているだけだ。

 そうやって自分の体調の悪さを無視し続けて、会社の健康診断も再診の通知がきても会社を休んで行く暇もない。

 いつもなら病院にも行けないままだというのに、たまたま時間が出来て再診を受けられた。「きっと胃に穴でも開きかけているんだろう。痛み止めの薬でも出してもらえればいいな」と思っていたら、結果は末期の胃癌で余命は三ヶ月。

 そんなことを言われてレントゲンに内視鏡画像まで見せられたら、誰でも泣く。


「本当に、俺の人生はついてないなぁ。畜生……俺も早死にコースかよ」


 憎たらしいほどの晴天を見上げて悪態をつき、その足で会社に戻って「仕事が溜まっているんだぞ!」と、騒ぐ課長に医者の診断を告げ、たまり溜まった有休を使わせて下さいと頭を下げた。

 課長は怒りの矛先をまだ俺に向けようとするが、「俺、後三ヶ月したら死ぬんで。親戚も家族も居ませんし、自分が居なくなった後の後始末を自分自身で先にしないといけないんですよ」という言葉に「自分の私物を処分しておけ! 辞表は郵送でいい!」と言うと、後輩に怒りの矛先を向けて去っていく。

 最後に溜まった課長へのストレスを全部ぶちまけようかと思ったが、その気力さえどこかに消えていた。


鵠沼(くげぬま)! お前、大丈夫かよ!」

「あ、佐藤先輩。お疲れ様です」

「お疲れ様です、じゃねぇよ! さっきの話、どういうことだ!」


 入社してからお世話になってきた佐藤先輩は、目の下に隈が出来て頬がこけたメガネをかけた人で、こんなブラック企業に勤めていなければ思いやりのある先輩肌に仕事も出来るから出世も見込めただろう。

 佐藤先輩には俺のように後悔はしてほしくないものだ。

 

「聞いた通りです。健康診断で引っかかったやつを再診してもらったら、末期の胃癌で余命三ヶ月らしいです。仕事の引継ぎは……資料を作っておきます。迷惑をかけてしまうので申し訳ありません」

「馬鹿野郎が! そんなこと気にしてる場合か! お前、おま……ッ、なんでだよ……」

「佐藤先輩。泣かないで下さいよ。徹夜だったんですね? テンションがおかしいですよ」


 この人は疲れていても笑顔を忘れない人で、声も感情的に出す人ではない。

 佐藤先輩の肩を叩いて苦笑いすると、佐藤先輩はメガネを外して自分の袖で涙を拭きながら俺を睨みつける。


「うるせぇよ。お前は新人から、オレが指導してきたんだぞ……それなのに……」

「佐藤先輩。こんなところで後輩たちを気にせずに、自分の能力を認めてくれるところに転職した方が良いですよ。むしろ、起業してここで死にそうな顔の奴ら引き抜いていってください」

「……ッ、考えてたさ。お前に一番初めに声をかけようと思ってたんだよ!」

「ありがとうございます。佐藤先輩、今までお世話になりました。お元気で。早めに起業してくださいね?」

「ああ、分かってる。半年に一回は、健康診断を義務付けてやるさ。お前も……生きろよ」

「……なるべく、生きます」


 よれよれになったハンカチを取り出して先輩に渡し、俺は自分の机とロッカーを片付けると事務員の人に話を通して、有休消化のまま仕事を辞めることを告げて帰路に着いた。

 自宅は都内から電車で二時間ほどの辺鄙な田舎にある。

 一人で住むには広い日本家屋は、大正時代前からある鵠沼家の土地のひとつに建てられたもので築四十年くらいだ。両親が結婚する際に建てたものだった。


「父さん、母さん。ただいま」


 玄関から居間に入り、そのまま仏間へ行くと笑顔の両親が七年前の姿でいる。

 遺影の両親が幸せそうな顔をしているのは、ふたりが一番幸せな写真だといつも言っていた写真だ。

 俺がお腹にいることが分かった日にお互いに撮り合った物で、俺の結婚式で使って欲しいとお願いされていたもの……今となっては、約束を守れず申し訳ないとしか言えない。

 ふたりの一番幸せな時の写真を俺の棺桶にでも入れてもらって、ふたりにあの世で持っていくしかないが、絶対に怒られるだろう。

 俺だけではないが、鵠沼家の人間は早死にしやすい。

 両親は「毎年健康診断で引っかかったことが無いのが、自慢です」と胸を張っていたが、そんなふたりは仲良く旅行に行ったまま生きて帰ることは無かった。

 事故だと思うという話だが、丸焦げの小さくなった人型の物が両親だとは信じられなかったが、DNA鑑定に歯形が両親だと証拠が突き付けられて、ふたりの死を受け入れるしかなかった。

 不可解な事故で捜査も長く続いたが、結局は打ち切られた。生命保険と遺産の額に警察が俺のアリバイを何度も聞いたわけだと気付く。

 

「早死にしないなんて言っといて、生命保険が一番高いやつとか……俺に遺産残す気満々じゃないか。バカだよなぁ。俺、使わないまま無駄にするんだぜ? 笑えるよな」


 両親に話しかけながら、遺産があれだけあったのだから社畜をせずに別の会社に移るなり、バイトでもいいから適当に働いて趣味の時間でも楽しめばよかった。

 後悔先に立たずである。

 ただ、社畜で忙しく働いていたおかげで、両親が居なくなった寂しさを感じることは無かった。それだけが救いだ。

 

「俺、父さんと母さんの子供だよなぁ。生命保険、一番高いヤツなんだよな……医療費負担とか色々特約があるけど、末期じゃどうしようもないし、嫁さんも居なきゃ親戚も居ないからなぁ。どうすべきなんだろうな」


 本当に鵠沼家は呪われているのかというぐらい早死にで、親戚もどんどん減っていき、亡くなるたびに親戚から親戚へと相続していく遺産が、今現在俺の銀行にあるヤバい金額というわけだ。

 

「あと三ヶ月だし、銀行に行って金庫を見て来るか」


 今は何も思いつかないし、寄付するにしてもちゃんとしたところを選びたい。墓や葬式、宗教とかも……そういえば、子供の頃に鵠沼家が管理している神社に連れていかれたことがある。

 廃神社だし、あれはどうすればいいんだ? 色々やることが多そうだ。

 

「頼むから、これから闘病生活になる人間に余計なことをさせないで欲しい。頼むよ、ご先祖様、親戚縁者たち」


 俺は仏間で愚痴りながら、仕事で使っていた私物のノートパソコンを開いて『自分の死ぬ準備』という検索ワードで『自殺相談室』に行き当たり、「違うわボケ!」とひとりツッコミをする羽目になった。


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