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『ありふれた世界』

『潮彩』

作者: 小音 そろ


「僕は、愛する人を見殺しにできる人間なんです」

それは、まだ海開きがされていない6月の海で、物憂げな彼の口から発せられた意外な言葉だった。


4月、配属先が変わり、鎌倉支店に移動になった。かれこれ5年、ただがむしゃらに働き続けた私、新島彩花は、その唐突な辞令に、戸惑いと少しの期待を抱えていた。

「鎌倉に、うちの会社で一番かっこいい男がいる」

かれこれ5年、ただがむしゃらに働いた代償は、”彼氏いない歴5年”の汚名だった。

「仕事は頑張ったし、ここは一つ、この新しい土地で、私は彼氏という名誉を手にいれる」

神聖な大仏様の地に、煩悩まみれで行くのもいささかどうかと考えたが、浄土よりもまずは現世と心を入れ替え、私は鎌倉へと向かった。


「今日から配属になりました新島彩花です。よろしくお願いします!」

簡単な挨拶と共に全体を見回すと、部屋の角のデスクに挨拶も聞かず仕事を行う男が一人いた。細い銀のフレームの眼鏡、ミステリアスな雰囲気、人と関わりたくなさそうなオーラ、でもわかる、顔はいい。同僚との交流がてら彼について話を聞いた。

小島孝。年齢は私と同じ27歳。仕事はできるが、ただ黙々と、業務以外の会話は一切しない、というより”関わりを持ちたくない”という空気を出す人。女っ気もなく、顔はいいが恋愛はしたことがないだろうという噂。

良い印象は0。だが、私にとってそれは好都合だった。

「だれも狙っていないなら、私が一本釣りできる。話してみれば、本当はいい人だったりするかも知れないし、というか仕事ができて顔もいいなら性格難でも、文句なしでしょ!」

そんな私の楽観は、見事に打ち砕かれる。


「新島です。よろしくお願いします!」

「どうも」

「同期と伺ったのですが、もしかして入社式の時に…」

「あの」

「はい!?」

「仕事の邪魔なので」

あまりにも早い会話の終了。それでも私は、めげずに話しかける。


「お昼、みんなと一緒にどうです?」

「大丈夫です」


「これ、一本多くお茶買っちゃって、どうです?」

「大丈夫です」


「あれ!私と同じボールペン!それどこで買いました?」

「貰い物なので」


脈のない会話、メンタルの強い私でも、心が折れかける。しかし、先に折れたのは向こうだった。


「あの…」

「はい」

「今日、友人と海辺のレストランを予約してたんですけど、来れなくなっちゃって、まぁ、その、いや無理ですよね分かってます。変な話してすみません」

「いいですよ」

「…え?」


そして今日、私の2ヶ月間の集大成とも言えるデートは、静かに終わりを告げた。

あまりにもあっけないデートに、私は放心状態となった。

記憶にあるのは、何を聞いても「特には」「ないですね」の言葉ばかり。終いには、

「明日予定があるので、失礼しますね」

多分、私がしつこく話しかけるからこの会を機に嫌われてしまおうと考えたのだろう。

食事も美味しかったのかどうかも覚えていない。ただ、人生で一番最悪なデートだったことだけは、脳にこびりついた。


お会計を済ませ、お店を出る。すると、強い潮の香りがした。目の前には、黒く広い夜の海が広がっていた。

そういえば、この日のために海沿いの綺麗なレストランを取っていたんだと思い出す。

「せ、せっかくですし、海でも見に行きません?」

話しかけた彼の目は、まるで吸い込まれるかのように、海を眺めていた。

「…孝さん?」

「え?あぁ、すみません。何かおっしゃってました?」

「いや、海でも見ませんか、なんて…」

彼は少し苦そうな顔をして、

「いいですよ」

そう答えた。予想外の返答に驚いたが、初めて得た賛同に、私は駆け足で海に向かった。  


心地よい波の音、普段と違う夜の海に胸を躍らせる。

「はぁ、夜の海もまた風情があっていいですね」

振り返ると、彼は煙草に火をつけた。

「煙草、吸われるんですね」

初めの煙を吐き捨てて、こちらを見る。

「煙草を吸う男は嫌いだったりしません?」

いつも好かれない行動を取る彼の口から、あからさまに”嫌ってほしい”と聞こえるその言葉に、少し動揺する。ただ、話す彼の表情は少し”優しさ”を感じた。

「いえ、元カレが吸っていたので全然」

彼は大きな溜息をついて、砂浜に座り込む。

「降参です」

「え?」

「だから、降参だって言ったんです。こんなに無関心で、嫌われる行動を取っても、あなた引いてくれないので」

「…どうしてそんなことを?」

その問いに、彼はすぐ答えることはなかった。

煙草をひと吸いして、口を開く。

「僕は、愛する人を見殺しにできる人間なんです」

その一言から、彼は昔話を始めた。






彩、僕にできた初めての彼女。

彼女は、性格は引っ込み思案で陰なタイプ。前には立ちたがらないし、自分から行動を起こすタイプでもない。そんな彼女が輝ける場所、それは音楽だった。たまたま友人と行った軽音部のステージの端で、熱く真剣に演奏をする彼女に、僕は心を奪われた。

初めて心の底から好きになれた人、中学高校では告白はされたが、好きでもない人と付き合いたくなかったから全て振ってきた。今回は違う。自分が好きになった。自分から告白した。新鮮な心の高鳴り、僕は彩を大切にすると心に誓った。

海沿いに建つワンルームで、僕らは何でもした。

彩の好きな映画を観て、

好きなバンドの真似事をして、

深夜に二人でラーメンを食べに行って、

周りの陽キャみたいにタコパをして、

冬の海に飛び込んで、

思いつくことは何だってした。二人だけの思い出が何十、何百と積み重なっていった。


付き合い始めて1年が経ち、就活が始まる時期になった2月。

「死にたい」

彩のその言葉に、エントリー用紙を書く手が止まった。この頃の彩は思い詰めることが多かった。大学では、思うように単位が取れず卒業が危うくなり、サークルでは、メンバーの間で方向性の違いが起こり、ライブの参加は見送り、将来に関しても、”音楽関連の仕事がしたい”という彩の意思に親は猛反対、

「あなたが将来の夢のためにって選んだ学科なのに、結局サークルばかりで、仕事もそっちの方向がいいなんて…そんなに甘いものじゃない」

「あなたのために払った学費はなんだったの?」

そんな環境の中で、彩の心は完全に憔悴していた。

崩れていく彩に、僕はただ、

「大丈夫だよ、ちゃんとうまくいくから」

そんな言葉しかかけられなかった。


「こんなにも親不孝で、不出来な自分を殺したい」

6月、荒れに荒れた髪で僕の前に現れた彼女はそう言った。

「やめよう」

違う。

「考え直して」

違う。

「まだ僕ら若いんだし」

違う。

「これからいいことがいっぱい待ってるんだから」

違う。


どうして僕は、こんなありきたりな言葉しか紡げないだ。


「彩のことは僕が必ず守る。だから、これからもずっと一緒にいよう」


そうだ、僕は誓ったじゃないか。告白をして付き合い始めた日からそうしようと。

どうやって?

まだ定職も持っていない僕がどうやって彼女を守る?

頑なな両親をどうやって納得させる?

就職できたとして、僕の給料だけで生活なんてできない。

でも、心が壊れた彩に仕事なんてすぐにはさせられない。

二人分のお金なんて、まかなえるわけない。

でも、彩の夢は尊重しないと。

でも生きていけない。

こんな大きな問題、解決できるわけない。

僕じゃない誰かの方が、彩を幸せにできるんじゃ。


 ”ここで死んだ方が、彼女は幸せになるんじゃないか?”


6月16日、誰もいない海で彩は死んだ。


あのまま、こわれたまま、あのこがいきていたら、もっとつらかったはずだ。

ぼくはとめた。

ちゃんととめた。

でもだめだったんだ。

せいかいはなかったんだ。


死ねよ。お前も。


クソほど自分を肯定して、クソほど肯定する自分を殺した。

陰鬱な空気を変えたくて、カーテンを開けた。

目の前には、大きく波打つ灰色の海。

彩と目が合った。

吐いた。



彼の話を、私はただ黙って聞いていた。煙草はとっくに燃え尽きていた。

「だから僕は、誰かを愛しちゃいけない人間なんだ。一人で生きて、生き続けて、醜く死ぬ。それが僕の受ける報いなんだ。」

話が終わっても、私はすぐに言葉が出なかった。

少しして、

「そういうことだから、ごめんね」

そう言って彼は立ち上がり、海岸を離れる。

「あの!」

「ん?」

「どうして、一緒に海を見てくれたんですか?」

「…海を見ると、いつも吸い込まれるような感覚に陥るんだ。何も考えられなくなって、ただ体が勝手に向かってるんだ。誘いに乗ったのもそのせい。」

あぁ、そうなんだ。あなたはまだ…

「…まだ、彼女のことが好きなんですね」

皮肉の詰まった私の言葉に、彼は目を細め、笑った。               

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