突然言い渡されました
「お前との婚約を破棄する」
いきなりでしたね。
まあでも、その時の私はこう思ってました。分かってましたよってね。
ああ、申し遅れました。私、とある国の公爵令嬢です。
この国の王子と婚約していました。それを今、いきなり破棄すると言われてしまいました。
「あの」
「いいわけは無用。だいたいお前は前から気に入らなかったんだ!」
私に突きつけられる殿下の指先はブルブル震えています。芝居がかってること。いつものことだけど。
「お前は何かにつけて僕を馬鹿にしてきたな。僕のやることなすことにケチをつけて。僕がどれだけ恥をかいていたかお前に分かるまい」
だがそれも今日で終わりだ。額に汗を流しながら王子は喚きます。
私は冷静に言い返しました。
「私がでしゃばりなのは、殿下が無能だからでは?」
「なんだと?」
「殿下はご自身の仕事がどれだけ間違いだらけで、家臣に迷惑をかけているか分かっておられるのですか? いつもいつも、私がなおして差し上げているおかげで政務が滞りなく回っているのですよ」
「な……」
「恥、ええ、恥ですとも。ご自身の無能さ、いい加減さ。せいぜい恥と思って頂きたいものだわ」
お妃教育で寝る暇もない私。それに加えて殿下のお仕事の肩代わり。それなのにこの言い草。
と、その時だった。
「まあ、女の癖に殿方に向かってなんて生意気な口を利くのかしら」
殿下の隣で彼にしなだれかかっていた女性が口を開いた。
こいつは誰かって?
殿下付きの主治医の看護婦だ。けばけばしい化粧をして胸を大きく開いたドレスを着ている。そんな格好でお仕事が出来るのでしょうか?
あ、いや、あなたは本来のお仕事なんかしていませんね。その代わり、他の仕事。つまり殿下の欲求不満の相手をして差し上げてるのでしたね。失礼失礼。
実はそろそろ、婚約破棄を言いだすのではないかと思っていたのです。
理由はもう、皆様にはおわかりですよね?
実は浮気の証拠は押さえてあったのです。ですが、
意外にも、王子の方からこんなことを言い出しました。
「私は真実の愛を見つけた。だから君とは婚約破棄する」とね。
まあ、自分から白状してくれたからヨカッタ。
それにしてもどこまでバカなんでしょうね。
真実の愛?
私は公爵令嬢ですよ?
その私との婚約破棄がどういう意味をもたらすのか、全然わかっておられない。
しかもこの場は沢山の貴族が集まっていました。王子の誕生日を祝うパーティだったのです。
こんな公の場で、私の様な身分の人間に恥をかかせて、無事で済むと思うのだろうか。
やがて殿下は、その女をつまみ出せとまでおっしゃいました。
近衛兵が、ご命令に従っていいものかどうか迷うのが分かります。
だって相手が相手ですからね。
私は言いましたよ。つまみ出される必要はありません。自分の足で出て行きますと。
出て行きながら、目から何か塩辛いものがあふれ出てくるのを私は感じていました。
忌々しいと思いながらぬぐいます。
なんで泣くのよ私。
まさかあんな奴が好きだったの?
好きなもんか。
小さいころから体が弱くて何をするにものろくさい。
何でこんな人が婚約者なんだろうってずっと思ってたわ。
私は運動も勉強も出来た方だから、さっさと友達も沢山つくって楽しく遊びたいのに、足手まといも良い所だったのよ。後ろから金魚のフンみたいについてくるのがうっとおしくて仕方なかった。
そんな相手からこんな仕打ちを受けた。
だから泣いてるんだ。
情けなくて悔しくて。だから泣いてるんだ私。その時は、そう思っていた。
それから、一年あまりたって。
私は縁あって、伯爵の跡取り息子の処に嫁いだ。
あのボンクラ王子と違って何でも出来てもちろん頭もよくて。格好もステキで。
婚約破棄してれたことを感謝したいくらい、良い旦那様だった。
そんなおりだった。王子が亡くなったと知らせが舞い込んできたのは。
「え?」
知らせを聞いた私は最初、信じられなかった。だってたった一年で……。
主人である伯爵の話では、かなり前から悪かったのだそう。
「そんな」
知らなかった。気付かなかった。あんなに近くにいたのに。
主人の話はまだ続きました。殿下は最後まで苦しみもがいてお亡くなりになった。殿下のかかった病は体の内側から少しずつ腐食していくという病で、いまの医学ではなおせず、末期には痛みを抑える薬すら効かなくなっていたのだと。
僕を殺してくれと何度も医者に懇願したそうだと主人が話してくれました。
私は絶句してしまいました。いくらあんなひどい仕打ちを受けたとはいえ、元婚約者。心が動かないわけはありません。
が、主人が次に告げた言葉で、私の心は、逆の意味で凍り付きました。
「殿下はかなり前から病まれていたそうだ。それに最近になって医者が気づいたらしいんだ。それまで懸命にリハビリや勉学に励まれていたが、どうにも体が疲れやすい、仕事もミスをしやすい。そこで詳しく調べてもらったら……病が発覚したそうだ」
主人の言葉を聞く私の体から、嫌な汗が流れ始めます。
「指先が震えて、満足に字も書けなかったこともあったらしいからね。さすがにこれはおかしいと思われたのだろう」
ひくっ、と私の喉が引きつったような音を立てます。
私の体も震え始めます。自分の体なのに、言うことを聞いてくれません。
そんな私に、主人はさらに言葉を続けました。
「ただ、そんなお辛い状況を抱えた殿下だったが、一つだけ良いことがあったそうだ。理由は分からないが、とある日を境に、傍付きの看護婦にこう言われたそうだ。これからは気兼ねなしに苦しむことが出来る、と」
主人はそう言って、居間の長椅子に腰を掛けました。
「ということはそれまで、痛みで叫びたくても叫べない状態だったのだろうね」
お気の毒に。主人はそういって目頭を押さえました。
それから……。
私は、玉の様な男の子を授かりました。
その時私は泣いてしまいました。
出産の感動で、泣いてしまったのだろうと、主人も、周りの使用人もそう思っているようでした。
子供の名前は、お亡くなりになった殿下から頂戴しました。
彼のように、強い人に育ちますように。そう願いを込めて。