Level.93『チコ先輩はあえて戦わないだけ』
少しだけ休憩を挟み、俺達は異界攻略を再開した。
愛梨さんのおかげで、先の鬼牙種との戦闘で受けた俺の傷はすっかり回復しきっている。
流石はレベル8のウェイカーと言ったらいいのか、やっぱり本職は凄かった。
愛梨さんの回復における技術や手際はやはり一流で、俺の翡翠の癒火とは比較にならないほど一瞬で傷が全快した。
しかも傷跡は残らず、疲労さえも消し去ってしまうのだから驚異的だという他ない。
クラン椿姫にも回復職は複数人いたが、愛梨さんほどの実力者は初めてだ。彼女がいれば、異界攻略で誰も死なずに済むのではないだろうか。
「前方、鬼牙種3匹だ。左から日乃神、黒染、織﨑弟、それぞれ1匹ずつ殺れ」
新たな鬼牙種の襲来に、すかさずチコ先輩の冷静な指示がメンバーに下される。
「よーし! 誰が一番最初に狩れるか勝負だよ!」
「誰がそんな勝負に乗るかよ、って、待てフライングするなズルいぞ夕日!」
一目散に鬼牙種へと向かって走り出す夕日さんの背中を、【WHITE】と一緒に黒染さんが追う。
ヲリキスを手に、遅れて俺もふたりの後に続いた。
俺が任された鬼牙種は一番右。
夕日さんと黒染さんが任された鬼牙種より体格は一回り小さく、鬼牙種の中でも比較的若い個体だった。
まぁ、だからといって弱いなんてことはない。
相手はモンスターLevel.6の鬼牙種だ。俺にとっては油断できない敵であることに変わりはない。
『ルヲォォォォォッッ!!』
吼える鬼牙種が大骨剣を振り下ろす。
その大振りな一撃にヲリキスの刃を添わせ、ほんの少し大骨剣の軌道をズラしてやる。
それによりできた道に身体を滑らせ、俺は鬼牙種の懐へと潜り込んだ。
既に足元には火種が収束を遂げている。
「〝流燐〟織紫咲――ッ!!」
身体の動作に逆らわず、川の流れに沿うようにして自然と火種を巡らせる。
振るう刃は風を斬り、鬼牙種の肉体を斬り裂いた。
ドス黒い鮮血が舞う。
しかし手応えが浅い。
『グルゥゥゥ、ァガッ!?』
モンスターの感というやつか。
鬼牙種は俺に斬られる直前、後方に身体を倒し回避を試みたようだ。
そのせいで俺の一撃は致命傷には一歩届かなかった。
でも焦りはない。
頭は冴えている。
冷静に次を見極め、見据えている。
その証拠に俺は次の一撃を放つべく収束を開始していた。
「油断はしない。確実に仕留めるまでは」
もう一度足元に収束させた火種を、すぐにヲリキスへと再度巡らせた。〝流燐〟の連続使用。返す刃で俺は鬼牙種の胸を斬り裂いた。
『ッ、ガッ、……グッ……』
胸元に十字傷を刻まれ、今度こそ鬼牙種は息絶えた。
「……ふぅ」
大きく息を吐き、呼吸を整える。
剣を空振りし、刀身についた血を飛ばす。
我ながら今の戦闘はなかなか良かったと思う。
あの鬼牙種を二撃で仕留めたのだ。とんでもない成長だ。討伐速度もなかなかだった。
仲間の心配……とは違うが、一応念の為戦況を見回した。
もしかしたら俺が一番速かったかもしれないし。
「はーい。断トツで私が一番速かったです〜。黒ちゃんは2番目でした〜」
「ズルいぞ夕日、今のはナシだろ? フライングだ。俺はまだWHITEを召喚していなかった」
「ズルじゃないしぃ〜私だって素手で戦ってたしぃ」
振り返ると夕日さんと黒染さんが喧嘩をしていた。
当然のことながら、もちろんドベは俺である。
❦
それからしばらく戦闘が続いた。
その間、遭遇した鬼牙種は40体ほど。
そのほとんどは夕日さんがひとりで倒してしまった。
俺が討伐した鬼牙種は最初の2体を含めれば計5体。夕日さんがおかしいだけで、普通ならば小隊を組んで討伐するレベルのモンスターだし、戦果は上々だと思う。うん、俺からしたらよくやっている方だよ、ほんとに……。
正直ついていくのでやっとだった。
異界攻略を開始して5時間が経過した頃。
俺達はついに異界門番の座す迷宮最奥付近にまで辿り着いた。
大型クラン【炎獅子】でさえ、鬼牙種の異界門を攻略するのに丸一日かかったというのに、【Grow】はその4倍近いペースで異界攻略を敢行したことになる。
俺達は迷宮の適当な場所に陣を貼り、荷物を降ろして門番戦前、最後の休憩に入った。
「お疲れ様です」
それぞれ円陣を組む形で腰を下ろしていると、愛梨さんが清涼飲料水の入った紙コップを俺の元まで持ってきてくれた。
「ありがとうございます、愛梨さん。わざわざすみません、気が回らなくて。俺の仕事でしたね」
こういう雑務は普通、新入りのする仕事である。
緊張と疲労のせいで気配りが足りなかったが、本来ならば俺のやるべき仕事のひとつだった。
しかし、立ち上がりかけた俺を静止させるかのように、愛梨さんは慌てて首を横に振った。
「いえ、これは私がしたくてしているので。お気になさらなくて大丈夫ですっ!」
「でも……」
「でもじゃありません。萩くんは戦って疲れているのですから、少しでも多く休んでください!」
初対面の印象から気弱そうな人だと思っていたが、全然そんなことはなく、頑なに譲ろうとしない愛梨さんに根負けしたのは俺の方だ。
「わかりました……。それじゃあ、お言葉に甘えて、ありがたく休ませてもらいますね」
「ふふ、そうしてください」
にこやかに微笑み、愛梨さんは俺の隣にちょこんと腰を下ろした。
「スポーツ飲料水で良かったですか? 紅茶や炭酸水なんかもありますけど」
紅茶や炭酸水って……戦闘中に飲むものなのかな?
ちらりと周囲に目を向けると、夕日さんは炭酸水を、チコ先輩は優雅に紅茶を飲んでいた。
恐らく愛梨さんの紙コップに入っている中身も紅茶だろう。
「いえ、俺はこれで大丈夫です」
苦笑しながら、俺は日頃から口にし慣れているスポーツ飲料水を喉の奥に流し込む。
その様子を見守る愛梨さんが優しく笑った。
「私は萩くんみたいに戦えませんから。せめて休憩時だけでも、皆さんのお役に立ちたいんです」
申し訳なさそうに微笑む愛梨さんを見て、俺はすかさず首を横に振る。
「そんなことないですって。愛梨さんは十分戦闘に貢献してくれてますよ。そもそも愛梨さんがいなかったら、俺は最初の一戦でリタイアしてましたし……」
それは紛れもない事実だ。
回復職の愛梨さんがいなければ、俺はあの場で早々に戦線離脱を強いられていた。
そもそもパーティーにおいて――いや、異界攻略において回復職は言葉通りの生命線だ。
どれだけ前衛のアタッカーが優れていようと、負傷すれば交代をやむなくされる。アタッカーが気兼ねなく戦えるのは、後衛にいる回復職に治してもらえるという心理的安心が一番大きい。
それに最悪前衛職は交代できるが、回復職には替えがきかない。
それだけ回復職は重要な立ち位置にある。
言い方は悪いがそこにいてくれるだけでいい。それだけで俺達アタッカーは安心して戦える。
だから、愛梨さんが申し訳なく思う必要なんてこれっぽちもないのに――。
「それでも」と、愛梨さんは言った。
「私は皆さんみたいに前衛で戦うわけではないですから。私の疲労なんて皆さんに比べたら軽微なものです。だからせめて皆さんが戦っているぶん、それ以外の面でお役に立ちたいんです」
「――」
今まで俺は、戦うことしか考えていなかった。
戦うことが俺の仕事で、より一体でも多くのモンスターを殺すことが俺の役割りだ。
きっとその考えは間違っていないのだろう。でも。
愛梨さんはそんな俺達アタッカーの疲労を考慮し、自ら率先し、なるべく負担を減らそうと考えてくれていたのだ。
それを理解しているからこそ、夕日さんや他のメンバーは一切口出ししようとしない。
甘えているのとはちょっと違う。愛梨さんの気持ちを汲んで信頼しているからこそだ。
だって愛梨さんが譲らないと分かっているから。
今まで俺が行ってきた異界攻略の中で、そんな健気な回復職はいなかった。
【Grow】が少数精鋭で異界攻略を行っているせいもあるが、普通はパーティーごとに固まり、貴重な回復職も回復職同士で休憩を取っていたし、第一雑務のほとんどは荷物持ちが補っていた。
もし荷物持ちなしで異界攻略に臨んだら。
もし俺に回復職の心象武装が発現していたら。
果たして俺は、愛梨さんのように考えることができただろうか。
ほとんどのウェイカーは、希少な回復職の能力にあぐらをかき、その場にいるだけで満足してしまうに違いない。
「すごいですね、愛梨さんは」
「す、すごくなんかありませんっ。萩くんの方が私なんかよりずっとずっとすごいです!!」
愛梨さんはぶんぶんと首と手を横に振る。
「初めはどうなることかと胸が心配でいっぱいでしたけど、最初だけでした。戦うごとにどんどん成長して、強くなっていって……。本当にすごいなって、私は思ってるんです」
「俺は戦うことしか脳がないから。パーティーの……クランのために何かしようとしてくれる愛梨さんは本当にすごいと思います」
しっかりと目を見て、俺は愛梨さんに伝えた。
「愛梨さんと異界攻略を行うのはこれが初めてですけど。レベルとか、強さとか、前衛職とか回復職とか、そういうのじゃなくて。愛梨さんの在り方。人間性は尊敬に値すると思います」
ふっ、と周囲から誇らしげにドヤる気配が伝わってきた。
気づけば周囲の談笑雑多は消えていて、わりと近い位置でメンバー全員が休憩していることを思い出す。
『いちいち口に出すな知ってっから』、と。
そう言わんばかりの雰囲気が蔓延していた。
それもそうかと思う。愛梨さんは【Grow】のメンバーのひとりなのだから。
仲間を褒められて鼻を高くしないわけがない。
「あぅぅ……」
当の本人である愛梨さんは顔を赤くして丸くなってしまった。
ちょっと本音を出しすぎてしまったようだ。これじゃ愛梨さんの公開処刑である。いやいやでも、本音を出しすぎて悪いなんてことはないだろう。
しかし流石にこれじゃ愛梨さんが恥ずかしいだろうと思い、
「まぁ、うちの姉さんなんか後ろからついてきてるだけですしね。見習って欲しいですよ、ほんと」
空気を変えるためにも話題を姉さんに振った。
姉さんは不服そうに唇を尖らせて、
「え〜、ひどいなぁ。お姉ちゃんだってやるときゃやるんだよ?」
「やるときって?」
「ん〜、みんなが苦戦し始めたとき? とか?」
「なんでそこ疑問形なんだよ……」
というか皆が苦戦する前から戦ってほしいものである。
とは言え、姉さんは支援職だから、いざという時に力を発揮してもらえないと困る。
サボり気質のある姉さんのことを考えていると、ふと疑問が俺の頭に思い浮かんだ。
今回の異界攻略で未だ戦闘に参加していない人物が姉さんの他にもうひとりいることに。
「そう言えば、チコ先輩は戦わないんですか?」
その瞬間、その言葉を口にした直後、周囲の空気がひりついたことを俺は覚えている。
「「「……」」」
黒染さんは肩をピクリと震わせうつむき、ヒロさんは「あちゃあ」といった顔で苦笑する。
いくら察しの悪い俺でも気づいた。
もしかして地雷を踏んでしまったのでは、と。
「チコ先輩は戦わないんじゃなくて、戦えないんだよ〜」
空気なんて気にしない。
流石は【Grow】のリーダー夕日さんが、さらりとチコ先輩のことをカミングアウトした。
「あえて、戦わないんだ」
紙コップに入っている紅茶に口をつけるチコ先輩が、夕日さんの言葉を修正する。
その口調はいつにも増して冷たかったようにも思う。
「先に行っておくが、僕には戦闘センスがない」
チコ先輩はきっぱりとそう言い切った。
「戦闘センスってか、運動センスだろ?」
茶化すヒロさん。
チコ先輩が軽く睨みつける。
冗談だって、とヒロさんが苦笑する。
「そもそも僕の心象武装は戦闘向きじゃない。どちらかと言えば支援の方に属する。これ以上のことは部外者、仮入団のお前には伝えられないが、つまりそういうことだ」
有無を言わさぬ物言いで、チコ先輩はまくし立てる。
「僕はあえて戦わないんだ。わかったか?」
「は、はい……っ」
努めて冷静に、けれどチコ先輩の声音はいつも以上に冷徹だ。
恐らくこの話題は二度と振らない方が身のためだろう。
「――」
紅茶の入った紙コップに口をつけ、チコ先輩はそのまま一気に中身を飲み干した。
「ふぅ、やはり祈子森の淹れた紅茶はうまいな」
しみじみとそんなことをぼやいた後、チコ先輩は【Grow】のメンバーを軽く見渡した。
「皆、十分休んだろう。紅茶も切れた。気合を入れろ。これよりボス戦に入る」
俺は緩まった意識を引き締め直す。
いよいよボス戦が始まるのだ。




