Level.92『流燐』
「大丈夫か、モロに入ったぞ今の……」
鬼牙種に殴り飛ばされ、スーパーボールの如く吹き飛び迷宮の壁に衝突した萩を見据えながら、恐る恐る口を開いたの黒染だ。
仮入団とは言え、メンバーの負傷に顔を青ざめさせている。
「失敗だな」
そんな黒染とは違い、千小沢ことチコ先輩は至って冷静にありのままの事実を口にした。
「収束した火種は織﨑弟の身体を確かに流れていた。だが最後の最後、収束させた火種は剣身にまで届かなかったんだ。結果として全ての力を活かしきれず、不燃焼の刃は鬼牙種の内蔵まで到達し得なかった」
チコ先輩の分析はどこまでも正しい。
火種の流れにより高補正された筋肉の動きと、ほぼ無強化で放たれ減衰したヲリキスの威力から演算される鬼牙種のダメージ量。
完璧に〝流燐〟が決まっていたならば、萩の刃は鬼牙種の臓腑まで届いていただろうが、減衰した威力の〝織紫咲〟では鬼牙種の皮膚すら貫けない。
「萩っ!!」
だが、チコ先輩の考察などどうでもいいと声を上げるのは萩の実姉である咲希だった。
我を忘れんばかりの勢いで負傷した萩の助けに入ろうと駆け出す咲希。しかし――。
「ダメだよ、サキサキ」
咲希の進路を、夕日が塞ぐ。
「ちょっと、どいてよ夕日!?」
「どかないよ。だって萩はまだ諦めてない。だったら私達が邪魔するわけにはいかないよ」
「でもっ!」と反論しかける咲希の視線の先で、夕日の言葉を裏付けるかの如く、美しい白亜の刀身を持つ剣が勢い良く地面に突き立てられた。
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濛々と烟る土煙の中で、俺は弱々しいうめき声を上げた。
「……っ」
耳鳴りが酷い。
大脳が揺れたことによる頭痛と吐き気。
でも奇跡的に骨は折れていないようだ。内蔵も無事。
「腹痛ぇ、……頭ガンガンする」
鬼牙種の腕が俺を弾き飛ばす直前、直感で全火種を上半身――腕と胸に集中にさせていなければ、今頃俺は瀕死の重症を負っていたことだろう。
下手をすれば即死だったかもしれない。
「失敗した、のか……クッソ」
俺は火種の収束に失敗した。
途中までは良かったんだ。だが最後の最後でしくじった。
気を抜いたわけじゃない。単純な練習不足。練度不足。体内を駆け巡る火種に集中しすぎた結果、体外に在るヲリキスまで意識が回らなかった。
葵さんや夕日さんならこんな失敗はしない。
不器用な俺にはつくづく才能がない。だが――。
「コツは掴んだ――」
俺はヲリキスを地面に突き立て身体を起こした。
「次は決める」
不屈の意思に宿る火種は消えない。
燃焼。一度着火した炎は燃え続ける。
『グルルルル――』
眼前で鬼牙種が低く喉を鳴らしていた。
追い打ちをかけようとすればできたはず……。なのに何故、鬼牙種は俺が立つのを待っているのだろう。
背後で観戦を続ける夕日さん達を警戒しているのもあるのだろうが、『早く立て』と言われているような気がした。
「余裕かよ……俺なんかいつでも殺せるってか」
聞いたことがある。
鬼牙種は純粋な戦闘を好むモンスターだと。
追い打ちなどかけず、正々堂々と雌雄を決しようとするその姿はまるで鬼侍のよう――。
「行くぞ、鬼牙種……!!」
ヲリキスを構え、俺は再度駆け出した。
『グォォォォォォォッッ!!』
鬼牙種が吼える。
咆哮だ。
「ぐっ、!?」
駆ける足が一瞬鈍りかける。
が、構わず走り続ける。
咆哮の効果は雄叫びによる威嚇。
相手の恐怖心を煽り、怯ませ身体の自由を一時的に鈍化させる精神攻撃の一種だ。
レベル差があればあるほど、咆哮の威力は跳ね上がり、最悪失神気絶することもあり得る。
咆哮は驚異的だが、しかし逆にレベル差で無効化することが可能だ。
モンスターのレベルよりも更に上のウェイカー、この場で例えるなら夕日さん達に鬼牙種の咆哮はほとんど効かない。
つまり、ここでもまた『レベル0』という足枷が俺を苦しめる。
しかしそこは火種の身体能力強化と鋼の精神で耐え切った。
「うおおおおッ!!」
『グラァァァァッ!!』
鬼牙種の大骨剣とヲリキスが交錯する。
重い金属音と火花が散る。
完璧に受け流したはずなのに、あまりの質量に手が痺れた。
『ガル、ヴォルルッ』
大振りではなく、小振りな鬼牙種の追撃。
一歩下がって俺はそれを躱す。
「――っ」
チコ先輩はああ言ったが、やはり鬼牙種は今まで俺の戦ってきたモンスターと比べて知性が高い。
先ほどの俺の攻撃を学習したのだろう。
警戒する鬼牙種は簡単に懐まで入らせてくれない。
小振りな攻撃で俺との距離を保ち続ける。
「とてもじゃないけど、近づけない……ッ」
鬼牙種の猛攻を俺は捌き続ける。
大骨剣を受け流し、又は躱す。
まるで対人戦のようだ。
付け入る隙を探す。
戦い方の癖や型の規則性など。対人戦に置いては相手を観察することが最も重要だ。
試しにフェイントを入れてみると、鬼牙種は俺のフェイントに反応した。
なまじ知性が働くぶん、対処に寸分の隙が生じたことを俺は見逃さない。
「だったら――」
とびっきりの緩急をつけた攻撃で、鬼牙種の攻撃のタイミングをずらしてやることにする。
『グルォッ!?』
やはり鬼牙種の攻撃が鈍った。
どれだけ体格や膂力に差があろうとも、技の駆け引きに関していえば鬼牙種はてんで素人だ。
「対人戦だと思えばなんてことないな! 葵さんや夕日さんと比べれば素人同然だ!」
フェイントを交えながら、技の駆け引きを増やす。
徐々に鬼牙種の攻撃の数が減り始め、気づけば戦闘は俺のペースになっていた。
しかし油断は禁物。
これは命の取り合いだ。
欲をかけば形勢は容易にひっくり返る。それだけの膂力の差が俺と鬼牙種との間にはある。
更に攻撃の手数を増やしていくも、上手く攻めきれない。
手札が足りないのだ。
俺の攻撃は鬼牙種に届き始めている。だが奴を圧倒するほどの攻撃力が足りていない。単純な火力不足。
奴の防御を掻い潜るにはどうしたらいいか。
決まっている〝流燐〟を決める以外に方法はない。
「ちょうどいい。練習代になってもらう!!」
対人戦では理性によるストッパーがかかってしまうが、相手はモンスターだ。その心配はない。手加減する必要もない。
全力の〝流燐〟を振るえる絶好の練習相手だ。
「収束、流燐、発散」
下半身から上半身、そして腕へ。まだ足りない。
「収束、流燐、発散」
腰から肩、腕から剣へ。まだいける。
「収束、流燐、発散」
何度も、何度も、何度でも。
失敗しては成功し、また失敗する。
機械的に繰り返すうちに慣れてくる。
コツを掴み、己のものとする。
もっと速く。
もっと精密に。
もっと滑らかに。
火種の流れる進行上全ての筋繊維へ行き渡らせる。
『ッ、グッ、グルォォォォォォッッ!!』
戦闘のペースを握られ、いいようにサンドバッグとして責められ続けた鬼牙種の我慢の尾がついに切れた。
『ウ、ヲォォォォォォォルルルッ!!』
瞳を血走らせ、防御などかなぐり捨てる鬼牙種は本能のままに大骨剣を振り回す。
咆哮にすらならない雄叫びを上げる鬼牙種の瞳に理性はなく、知性を捨てた鬼牙種はただの獣に堕ちた。
モンスターの途方もない膂力を最大限に活かした圧倒的な力の暴力。
大骨剣が掠っただけで皮膚の肉が削がれ飛ぶ。
しかし思考の及ばない攻撃は単調で、鬼牙種の攻撃を避けるも捌くも容易なことだった。
「もっと練習したかったけど……残念だ」
大骨剣による嵐撃の海を漕いでいく。
白蒼剣の櫂が嵐海の闇を斬り払う。
「一紫閃刃――」
足元に収束させた100%の火種を『斬る』という動作に合わせて身体の内を流していく。
火種の熱が巡るのが分かる。
この上なく身体がスムーズに動く。
まるで背中を押されているかのような感覚。
全ての熱を余すことなく流し、伝え、昇華させる。
今度は失敗しない。
ここだというタイミングで、俺は全身を駆け巡った火種を最後にヲリキスへと流す。
かつて感じたことがないほど昂ぶった力の全てを、俺は鬼牙種にぶつけた。
「〝流燐〟織紫咲ッ!!」
爆ぜるように紫炎が芽吹き、鮮やかで艶やかな炎が咲いた。
紫炎の奔流は淀まず留まらず、鬼牙種の硬い外皮を喰い破り、内蔵をも焼き貫いた。
『ヴォ、ァッ、ェ――』
口から黒い血を吐きながら、鬼牙種は膝をつき、力なく倒れて動かなくなった。
「……勝った、鬼牙種に、俺が」
勝利の余韻なんてものはなかった。
肩で息をつく俺は、鬼牙種の躯を見下ろしながら淡々と言葉を呟くだけ。だから。
「萩〜――っ!!」
鬼牙種との一戦ですっかり疲弊しきってきまった俺は、勢い良く抱きついてきた姉さんのことを振り払う気力も残っていなかった。




