Level.91『対鬼牙種戦』
『グガァァァァラァァァッッ!!』
鬼牙種の雄叫びに、全身の穴という穴から発汗する。
汗ばむ手でヲリキスの柄を強く握り締める。
「……っ、なんて威圧感だよ」
相手は俺の数倍もの体躯を誇る鬼牙種。
レベル6以上のモンスターと1対1で戦うのはこれが初めての体験だ。
しかも鬼牙種と戦るのも初見。
【椿姫】にいた頃は常に1チームでモンスターを相手取っていたし、そもそもモンスターとの個人戦の経験が少なすぎる。加えて――。
『グルルルルルルッ――』
仲間を殺られたことで鬼牙種のボルテージは既にマックスをゆうに超えていた。
正直言ってチビリそうだ。
チラリと背後に視線を向ける。
「鬼牙種なんて雑魚だよ雑魚!」
サムズアップで笑顔を浮かべる夕日さんは俺の気なんてちっとも知らない様子だ。
「あんま気負うなよ。夕日と殺り合うよりマシだ」
ヒロさんの言葉に夕日さんが「ちょっとヒロそれどういう意味!?」と食って掛かる。
「四肢の欠損程度なら愛梨が治してくれる」
さらりと黒染さんが怖いことを言う。
「任せてください! 最悪、死ぬ1歩手前までならなんとかなりますからっ」
愛梨さんがグッと両手を上げて気合を入れた。
いやいややめて怖いです……。
「……」
姉さんは何も言わず口を閉ざしている。
いつもなら「うちの萩なら大丈夫っすよぉ。なんてったって自慢の弟ですから〜」くらい軽い口調で安易な言葉を吐く姉さんが、らしくもなく無言で俺の方をただ見つめている。
「なんだよ」
沈黙に耐え切れず俺の方が先に口を開く。
姉さんは微笑んだ。
「大丈夫だよ。何かあったらすぐお姉ちゃんが助けるから」
久しぶりに見る。
その憂いを帯びた眼差しを。
そう、姉さんが能力に覚醒したあの日も、同じような瞳を向けられた。
それは自分よりも幼い弟を見る姉の目だ。
なんだよ、それ。
「……いいって。ガキじゃないんだから」
「……萩」
姉さんは寂しそうに微笑んだ。
俺は突き放すように姉さんから視線を反らす。
瞳の中心に鬼牙種を見据えた。
「俺はもう――姉さんに守られるだけの、か弱い弟じゃない」
目を見開く姉さんの気配を置き去りに、気づけば俺は駆け出していた。
『グラァァァァ、グガァァァルルッッ!!』
鬼牙種が吼える。
しかし手の震えは既になかった。
緊張を忘れ、滝のような発汗もいつの間にか止まり、先ほどまで感じていた威圧感すらも不思議と今は感じない。
理由はこの上なく明白だった。
守るべきモノを思い出した。
守りたいモノを思い出した。
俺がウェイカーになった理由。
大切な存在をもう二度と失いたくない俺のエゴ。釈然としないけど、その中に姉さんの姿も浮かぶ。
自分よりも強い人を守るためには、その人よりもずっと強くならなければならない。
ならば俺は、こんなところで弱音を吐いているわけにはいかない。
もう守られるのはまっぴらだ。
心は決まった。
ならば揺らぐことはない。
全部姉さんのせいだ。
火種を足に集中させ、更に加速する。
ぐんぐんと鬼牙種との距離が縮まっていく。
戦場を共に駆ける相棒の柄を握りしめながら俺は考える。
鬼牙種は格上。策もなく俺が勝てる敵ではない。
チコ先輩は言った。
夕日さんの戦い方を見た上で、お前なりの戦い方を見つけろと……みたいなニュアンスだった。
夕日さんの《勇焔》は五感を強化する。
強化した視覚で物体の『核』を正確に破壊する。
俺には到底実現不可の技術だ。
真似ようとして真似られる代物ではない。
だったらどうするか。
そんなことは簡単だ。
初めから選択肢なんてひとつしか存在しない。
今俺にできることを実行する、それだけだ。
『グラァァァァァァァッッ!!』
鬼牙種の間合いに踏み込んだ瞬間、鬼牙種は右手に持つ大骨剣を閃かせた。
大地を揺るがすような踏み込みと同時に、天井まで振り上げた大骨剣を軽々と振り下ろす。
見れば理解る、大骨剣の質量と鬼牙種の腕力を以てして放たれる一撃の威力の途方もなさ。
正面から受け止めようなどとするのは自殺行為に等しい。かといって完全に避けきれる技量も自信も度胸もない。だったら――。
轟々と風を斬って振り下ろされる大骨剣が、俺の頭蓋の数10cm上まで到達した刹那。
「――ここだ」
大骨剣の刀身に、俺はヲリキスの刃を添わせた。
軌道が逸れた大骨剣が足元の地面をえぐる。
双心流基礎刀術〝流遊〟。
作為的に後手へと回り、己の刃を相手の攻撃に添わせることにより相手の攻撃を流す、双心流刀術の基礎。
クラン【椿姫】に在籍中、葵さんから教わった対人技術のひとつである。
『グルァッ!?』
渾身の一撃を外したことに瞠目する鬼牙種の隙をついて、俺は更に間合いを詰める。
ここまでは順調だ。
問題はこの次。鋼をも軽く凌ぐ高度を持つ鬼牙種の皮膚を斬るには『流す』一撃を決める他ない。
今一度思い出す。
黒染さんとの戦闘で掴んだ『流す』感覚を――。
ヲリキスを下段に火種を足元に集中させた。
「一紫千閃――」
踏み込んだ足から脹脛の筋肉を経由し腰へ。爆発的に収束する火種を身体の動き、即ち『斬る』という動作に合わせて身体の内部を流していく。
捻った腰から上半身、大胸筋から肩へ。
使用する部位毎の筋肉の動きをサポート、強化し、そして最後は腕からヲリキスへと火種を収束させる。
火種の奔流に逆らわず、俺はヲリキスを振り抜いた。
「〝流燐〟織紫咲――ッ!!」
爆ぜるように炎が咲き乱れる。
炎は瞬く間に鬼牙種を飲み込み、それだけに留まらず周囲の空間ごと焼き斬った。
「――」
藤色の火花が散り逝く中で、俺は息を飲む。
手応えは確かにあった。
なら背筋を冷たい汗が伝うのはどうしてか。
火種を流す最後の瞬間、違和感を覚えたからだ。
まさか、という俺の不安を裏付けるように。
『グガァァァラァァァァッ!!』
炎煙の中から、獰猛な鬼牙種の咆哮が迷宮を揺らす。
直ちに紫麗の憐火が警鐘を鳴らした。
刹那、炎煙の中から迅速に影が伸びる。
視界に映るのは鬼牙種の腕。
防御……いや、間に合わな――。
「がッ――ぁ」
鉄骨のようなもので殴られたような衝撃。
俺の身体はゴムボールのように吹き飛んだ。




