Level.89『チコ先輩とお金の話』
黒穴の中へと足を踏み入れ、恐る恐る目を開けると、そこはもう転移先の風景が広がっていた。
住宅街に囲まれた見知らぬ公園。
人々の喧騒と自動車のエンジン音。
周囲にはGrowのメンバーが揃っている。
チコ先輩達の会話から察するに、ここはもう目的地である福島県の中なのだろう。
一瞬前まで木々の生い茂っていた森にいたはずなのに、まるで別の世界に迷い込んだみたいだ。
体験し、改めて転移の貴重さを実感する。
「ね? 便利でしょ、黒くんの転移」
夕日さんが我が事のように破顔する。
それに応えるのは重々しいため息をつく黒染さんだ。
「言うほど便利なものじゃない。俺の転移は視界の届く範囲までしか転移先を拡張できない。この場所に繋ぐのだって一度空を経由してから街を視界に入れて転移しているんだ」
「そうそう、黒くんがいれば移動手段には困らないんだ!」
「なぁ、聞いてたか俺の話?」
「聞いてたよ、黒くんはすごいんだって!」
「あのなぁ……まぁいいか」
まったく人の話を聞かない夕日さんを見て、諦めたように黒染さんが肩を落とした。
「門の位置はそう遠くない。ここからは歩くぞ。黒染の体力を温存しておきたいからな」
地図を片手にチコ先輩が眼鏡の位置を指で直す。
「てことは、帰りも俺か……」
「何言ってる? 当たり前のことを」
真顔で応えるチコ先輩に慈悲の2文字はない。
優しさの欠片も感じられないチコ先輩の言葉に更に肩を落とす黒染さん。その落ちた肩にヒロさんがポンと手を置いた。
「夕日はまだしも、愛梨を歩かせるわけにはいかねぇだろう。なぁ、黒」
「……わかってるよ」
「むむっ――ちょっと待って」
聞き捨てならない単語を耳にした夕日さんがヒロさんを問い詰める。
「夕日はまだしもって何? ヒロ」
「あー……言葉の綾だって」
やらかした、と言いたげな顔でヒロさんは最大限に言葉を濁す。
夕日さんがヒロさんに突っかかる傍らでは、胸の前に両手を持ち上げて『ふぁいと』の格好をした愛梨さんが天使のように微笑んでいた。
「頼りにしていますっ、黒くん」
「………ああ」
顔を背け、小さく震える声で黒染さんが頷いた。
黒染さんの耳はまたもや赤い。
人の感情に疎い俺でも気づく。もしかして、黒染さんって愛梨さんのことを……。
「ねぇ! 何、言葉の綾って!」
「えっとなぁ、夕日は強いから大丈夫だって話だ」
「……むむぅ、なるほど。そういう意味ね! うん、私は強いから大丈夫!」
「はぁ……単純で助かるぜ」
こちらはこちらで会話に一区切りついたらしく、最後のヒロさんの一言は黒染さんに負けないくらいの小声で呟かれた。
❦
黒染さんの能力で空間転移した場所から15分ほど歩いたところに目的地の異界門はあった。
門の周囲を囲むようにできた人垣を抜ける。
世界的にも名のしれた少数精鋭クラン【Grow】の異界攻略情報をどこで聞きつけたのか、噂の早いマスコミや報道陣やらも人垣に加わっており、チコ先輩達は心底ウンザリしたような顔でその間を通り過ぎた。
「かなりデカイですね……」
門の手前まできて、俺は思わずつぶやいた。
人垣の外側からでも視認できるほど巨大な門は、近くに来るとより一層見上げるほどに大きく、威圧感すら感じられた。
火種の危機感地がピリピリと肌を刺す。
黒曜石でできているかのような黒く無骨な造り。6mはあろうかという異様な大きさ。
ここまで巨大な門は初めてだ……いや、俺は以前にもこんな門をどこかで見たことがある。
あれはそう……俺がウェイカーになる前、テレビの中で流れた異界門とよく似ている。
「もしかして、この門って……」
俺のつぶやきを、チコ先輩が肯定する。
「なんだ、見たことがあるのか。なら話は早い。この門はLevel.6のモンスター鬼牙種の巣だ」
牙鬼――モンスターの中でも上位の危険度に分類される、大型の鬼種である。
その脅威度はミノタウロスを遥かに凌ぎ、強靭な体躯と凶暴な戦闘性を併せ持つ破壊の怪物。
かつて春ヶ丘市に出現し、凛夏の所属するクラン【炎獅子】が異界攻略を行ったのと同じ門。
テレビの中継に一瞬映り混んだ鬼牙種に、画面越しでも背筋が泡立つような恐怖を感じたのを今でも鮮明に覚えている。
「なに、心配するな。冠鬼種はともかく、通常の鬼牙種は図体が大きいだけで鬼種の中でも比較的劣弱な部類だ。今のお前には適した相手だろう」
「劣弱って……」
チコ先輩の発言に俺は顔を曇らせる。
正直、鬼牙種と戦って勝てるイメージが沸かない。
Growのようなレベル8のウェイカーならともかく、果たして俺なんかが鬼牙種と戦えるのか不安でしかたないって言うのに……。
「あ――。いたいた! おーい、千小沢さーん!」
どこからか声が聞こえ、振り返るとひとりの男が手を振りながらこちらに駆けてくる。
スーツを着た黒髪長身の男。恐らくはギルドの職員だろう。
男は俺達の前まで来ると軽く会釈して、
「お久しぶりです、千小沢さん。それにGrowさんも。日本に帰ってきたなら連絡してくださいよ〜もう水臭いなぁ。あと半日ほど前に連絡をくれていたなら、鬼牙種なんかより高位の異界門を斡旋できましたのに」
鬼牙種より高位の門って……。
所々砕けた言葉遣いから、Growとは親身な関係性であることが伺える。
それに男の発言からして、転移前にチコ先輩が電話をかけた相手だろうと察することもできた。
案の定、Growを代表してチコ先輩が男の会話に応じた。
「いや、鬼牙鬼クラスで十分だ。今回は後輩の育成がメインだからな。あまり高位の異界門を振られたところであまり意味がない」
チコ先輩の言葉に、男は首を傾げた。
「はぁ。後輩、ですか?」
「ああ、紹介がまだだったな。織﨑弟だ」
「どうも、織﨑 萩です」
チコ先輩の紹介に続き俺は簡単に名乗った。
男の瞳の焦点が俺に定まり、一瞬間をおいて、男はハッとした顔で目を丸くさせた。
「織﨑……ああっ! もしかして例の織﨑さんの弟さんですか!?」
初めに断言しておくが、目の前の男と俺は全くの初対面である。
一方的に俺のことを知っているとなると、たぶん姉さんの仕業だろう。というか例のって……。
「はじめまして。私、福島ギルド白河支部の支部長を務めております、星と申します。織﨑さんのお噂はかねがね聞き及んでおります。以後お見知りおきを」
姿勢を正し、走ったせいで乱れたネクタイの襟を治し、星さんがスーツの裏ポケットから名刺を取り出した。
「変な噂じゃないといいんですけど……」
俺は星さんから名刺を受け取る。
名刺にはしっかりと『福島ギルド白河支部支部長』と記載してあった。
ぱっと見では気づかないが、かなり偉い人だ。
自然と俺の背筋も伸びてしまう。
本来ギルド支部長という地位の人間が現場に出てくることは早々ないはずだが……。
まじまじと俺が名刺に視線を落としていると、合間を見計らってチコ先輩が口を開いた。
「早速で悪いが、異界攻略の許可は?」
「ええ、もちろん。いつでも開始してもらって結構です。話は通してありますから」
「相変わらず仕事が早いな」
「いえいえ、それもこれも【Grow】さんの知名度と信頼性があってのことです。他のクランではこうはいきませんよ。正規の手順を踏んでもらわなければギルドとしても攻略の許可は降ろせない。何故なら――」
「「万が一にも、異界攻略の失敗は許されない」」
星さんとチコ先輩の言葉が被った。
お節介でしたかね、と星さんは微笑を浮かべ、それから星さんは少し申し訳なさそうな顔になって、
「付きましては取り分の方なのですが……」
切り出したのは異界攻略の報酬の話だ。
質問がくることを事前にわかっていたかのように、チコ先輩はひとつ頷いた。
「わかってる。打診したのは僕らの方だ。利益についてはあまり気にしていない。70%でどうだ?」
「そう言ってもらえると助かります。ギルドとしても上が提示してきたのは、本来の所得利益に上乗せし、利益の30%をギルドで徴収させて頂きます」
異界門の資源、もしくはモンスターの素材は莫大な価値を生む。
以前にも説明したことではあるが、異界門の攻略権はギルド職員による厳密な精査を経て、ギルド斡旋の元、門のレベルに応じて適正なクラン、又はギルドに割り振られている。
そして門の管理がギルドで行われている以上、クランは異界攻略で得た利益の10%をギルドに納めなければならない。
言わば税金のようなもの――というか税金そのものである。
単に異界攻略をする分には問題ないが、門の中に広がる迷宮内から物資を持ち帰ったその瞬間に、税金がかけられるらしい。
俺は法律に詳しくないから細かいことはさっぱりわからないけど、そういう制度があるとのこと。
そしてこれは日本だけでなく全世界共通の話で、税金の価格は国毎に変わってくる。
利益の10%というのは、先進国の中でもまだ優しい方だ。
勿論、いくつかの例外も存在したりする。
例えば急を要する異界門の攻略。
門からモンスターが溢れだす異界崩壊や、一般人が門の発生に巻き込まれる異界災害が懸念される状況下に置いてはこの限りでなく、門を担当するギルドの責任者とクランの代表とが異界攻略の利益分配について協議した末、両者同意の上でのみ異界攻略が行われるという場合もある。
上記のケースについては、ギルド責任者の柔軟な対応が求められる他、裁量権に対する責任も大きい。
反対に今回のような、クラン側からギルドに門の斡旋を急に依頼した場合については、星さんの言うようにギルド側から利益率の打診が提示される。
それを踏まえて今回ギルドが提示してきた利益の30%という数字は、まぁ妥当な金額だろう――と思っていたのだが。
「違う。70%の利益はギルドの方だ。僕らは30%もらえればそれでいい。ただし――」
驚く星さんには構わず、チコ先輩は親指で背後――Growのメンバー――を指差し次の言葉を口にした。
「見ての通り僕らは荷物運びを雇っていない。だから利益の70%をギルドに提供する代わりに、異界攻略後の素材運搬を依頼する」
異界攻略では、荷物運びと呼ばれる専門の業者を雇うことが多い。
資源の宝庫と呼ばれる異界門内から回収するモンスターの素材や迷宮資源の運搬にはどうしても人手が必要となるからだ。
何を隠そう俺も下積み時代は嫌というほど雑用係をやらされていた経験がある。
そんな荷物運びに支払われる給料の相場は2万円〜100万円とピンキリで、門のレベルが上がるに連れて給料も跳ね上がる。理由は単純に危険度が増すからだ。
今回の異界攻略はレベル6の門だが、良くて相場は5万円だろう。
レベル6の門から得られる利益が平均して凡そ2000万円ほど。その7割というと1400万円がギルドの取り分となる。
いくらギルドに対して急な門の斡旋を依頼したとは言え、チコ先輩が提示したのは破格の条件だ。
「な、70%って……っ」
星さんは慌ててチコ先輩の言葉に遠慮を述べようとしたが、すぐに喉から出そうになった言葉を飲み込んだ。
代わりに苦笑顔でため息をひとつ。
「はは、まったく。千小沢さんは僕をどれだけ昇進させれば気が済むんですか?」
「いっそ日本のギルドマスターを目指してみるのも悪くないんじゃないか?」
「冗談はやめてください……。僕はギルドの職員になって以来、千小沢さんのおかげで『責任』と名のつく2文字を見るだけで胃が痛くて仕方ありません」
チコ先輩の軽口に、星さんは胃の辺りを軽く手でさすりながら冗談を返した。
星さんはすぐに支部長としての顔を引き締める。
「ですが、千小沢さんの提案は我々ギルドとしても願ったり叶ったりです。荷物運びの件、喜んでお引き受けしましょう」
丁寧に頭を下げる星さんに、チコ先輩は頷く。
それからチコ先輩は背後にいる俺を含めたGrowのメンバーの方へ振り向くと、
「話は決まったが、異論のあるやつはいるか?」
「決まった後で聞くなよ」
「難しくてわかんなかった!!」
「お金の話はチコ先輩に任せるよ〜」
「私もチコくんに任せますっ」
「俺は仕事に見合った報酬が貰えるならなんでもいい」
メンバーそれぞれが見解を述べる中、チコ先輩の視線が俺へと向けられる。
「織﨑弟、お前はどうだ?」
意見を求められるも、どうもこうもない。
「仮入団の身なので、俺もチコ先輩に任せます」
「そうか」
チコ先輩は短く返し「それもそうだな」と納得しながら視線を反らした。
「ならさっそく異界攻略に移るとしよう」




