Level.88『転移能力者』
空間に黒いヒビが広がっていく。
まるで幻想的な蜘蛛の巣のように。
人知れず白魔の右手から生じる空間の亀裂に不安感を抱いていると、隣に立つ姉さんが俺を気にかけて言葉をくれた。
「黒ちゃんはね、ウェイカーの中でもレアな空間転移能力者なんだよ」
「空間転移……?」
聞き慣れない単語に首を捻る俺を見て、ヒロさんがニヤリと口角を上げて笑った。
「お。なんだ萩は転移を見るのは初めてか?」
「転移というのはですね、空間と空間を繋ぐワープのことですっ」
「うんうん、便利なんだよね〜」
「便利とかいうな。せめて希少と言ってくれ」
愛梨さんが転移について説明をくれ、染み染み頷く夕日さんに黒染さんが疲れた顔でツッコミを入れた。
「実際に転移の固有能力を所持しているウェイカーは極めて数が少ないからな。
転移持ちの大抵は国かギルドのどちらかが管理していて、国家の中でも重要人物のお付になるケースが多い。それだけ転移能力は重宝されているんだ」
詳しい説明を口にしてくれるのはいつもチコ先輩だ。
確かに俺は今まで転移能力を持つウェイカーに会ったことはない。
転移能力者の希少性について理解する一方で、ふと疑問が浮かぶ。
「転移の能力はギルドが管理するなら、なんでそんなすごい人がGrowにいるんですか?」
決してレベル8のウェイカーの集まりであるGrowを蔑むわけではないが、しかしそれほどの重要人物が個人のクランにいる理由がわからなかった。
チコ先輩は呆れた表情を浮かべた。
また俺は考えもなしに軽率な発言をしたのだと怒られる覚悟を決めたが、
「それは日本が人権を尊重する国だからだ」
チコ先輩が呆れていたのは俺にではなく、日本という国家そのものに対してのものだった。
「転移能力を有するウェイカーに首輪をつけないなんて、海外ではまずありえない。人権なんて度外視にしても転移能力の危険性をよく理解しているからだ」
「転移の危険性、ですか」
「悪用すりゃあ、数万の軍隊を敵国のど真ん中に一瞬で飛ばすことだってできるしな」
チコ先輩に続けて、ヒロさんが懸念する転移の悪用性について「たしかに」と俺は頷いた。
そうか、そうだよな。転移能力なんて悪用しようとすればいくらだって使い道はある。
金品などの泥棒なんてまだ可愛い方で、一番最悪な使い方は戦争への導入にある。
もしも日本がどこかの国と戦争状態になった場合、数千のウェイカーが首都に転移してくると考えただけで恐ろしい。
「転移能力者は人気者だからねぇ。だから海外でのナンパが多いのなんのって。クラマスの私より目立つなんて許せない!」
むっきぃ、と夕日さんは行き場のない嫉妬をヒロさんにぶつけていた。
なんとも目立ちたがり屋の夕日さんらしい。
ぽこぽこぽこ。夕日さんがヒロさんの肩をグーで連打する。
「毎年、日本のギルドから手紙も来ますしね」
「この前なんかすごかったよね、契約金。いくらだっけ?」
「3年契約で100億円」
「ひゃ、100億……!?」
途方もない金額の契約金に俺は唖然とする。
100億円なんて契約金、聞いたことがない。
レベル8の契約金相場は年俸にして約10億円(葵さんが転職サイトをこっそり覗いていた)。その10倍近い金額だ。
下手をすればレベル9のウェイカーの年俸より高額ではないのだろうか。
葵さんが聞いたらどんな反応をするのか。
金額を聞いて初めて転移能力者の希少価値が俺の中で形を帯びてきた。
だからこそ、ますますわからない。
「そんなすごい人がGrowにいるなんて……」
「うん。私たちも結構すごいんだけど??」
すかさず夕日さんのツッコミが入り、俺はタジタジになりながら両手と首をブンブン横に振った。
「あ、いやっ! 決して夕日さんたちを下に見てるわけじゃなくて! その……」
「はっはっは、夕日、そうからかってやるな」
「はーい。ごめんね、萩」
舌を出して笑う夕日さんに、そんなことないですと俺も苦笑を返した。
愛梨さんが「んんっ」と可愛らしく咳払いをする。
「簡単なことですよ、萩くん。黒くんはお金よりも友情を大切にしてくれる方なので、いくらお金を積まれようとGrowに居続けてくれる。とっても優しい方なんですよ」
天使のような微笑みで愛梨さんがそう言った。
愛梨さんは絶大な信頼を黒染さんに寄せているのだと言葉の端々から感じ取れる。
黒染さんは無言で下を向いていた。
その耳が微かに赤いのは、きっと気のせいではないのだろう。
「だってさ、黒くん」
ニヤニヤしながら茶化す姉さんに、黒染さんが短く「うるさい」とだけ返す。
「まぁ、転移能力持ちは将来安泰だってことさ。羨ましいねぇまったく」
ヒロさんがそう締め括ると、俯いていた黒染さんが顔を上げる。
「転移の説明はもういいだろ。目的地にはとっくに繋がってるんだ。先に行くぞ」
気づけば、いつの間にか空間には黒い穴が空いていて、白魔の姿はどこにもなかった。
「ああっ! 待ってよ黒くん! クラマスの私が最初ってルールでしょ!?」
「そんなルールはない」
口少なげに告げると、黒染さんは空間に空いた黒穴の中へと入っていく。
「ズルい! 抜け駆けだぁ!」
黒染さんを追いかけて、夕日さんも黒穴の中へと消えていった。
「僕らも行くぞ」
チコ先輩の合図に従い、ヒロさん、愛梨さんも黒穴の中へ入っていった。
「ほら。行くよ、萩。怖いならお姉ちゃんが手握ってあげよっか?」
「大丈夫だって。子どもじゃないんだから」
「そ? 残念」
姉さんの後ろに続き、俺も黒穴の中へ足を踏み入れた。




