Level.82『知恵の果実、即ち林檎』
右手に持った林檎をボールのように軽く上に放っては掴む。そしてまた上に投げる。
その仕草を何度か繰り返した後、手に持った林檎を凝視した。
この林檎は先程チコ先輩からもらったものだ。
でも差し入れとかではないらしく、厳しい口調で『食べるなよ』と釘を刺された。
「でも、どこからどう見ても普通の林檎だよなぁ」
初めは毒林檎か何かだと思って観察してみたが、やっぱりどこからどう見ても普通の林檎だった。
感触も色合いも林檎そのもので、見れば見るほど美味しそうな林檎だ。
しかしチコ先輩が意地悪を言っているとは思えない。
いくら考えてもわからなかったので、とりあえずは昨日の夕日さんとの模擬戦を思い出し、シャドーでの復習戦を行った。
昼間はずっと火種収束率100%の鍛錬に勤しんでいた分、シャドーには力が入った。
「腹減ったなぁ」
ごろんと地面に横になり、俺は手に持つ林檎を頭上へと掲げながら、もう一度林檎を観察してみる。
「やっぱりこれって、からかわれてるだけなのかな……」
そう諦めかけた、そのときだった。
「ん?」
ふと、頭上に掲げた林檎が月と重なった。
赤い満月――まるで林檎が発光しているかのように、林檎を起点に月光が漏れている。林檎から溢れ出る月光は、火種の収束による光によく似ていた。
そう思った瞬間、俺の頭に電気が流れた。
「これって、もしかして……っ!」
がばっと勢い良く起き上がり、俺は今得たインスピレーションを忘れないうちに試そうとした。
地面にあぐらをかき、胸の前で林檎を両手に持つ。
そして俺は林檎に火種を収束させた。
火種を収束させた林檎が微かに光を放ち始め、その光は更に明るくなっていく。
火種を込めれば込めるほど光を増す林檎を目にし、俺の疑念は確信へと変わった。
「やっぱりだ。俺は勘違いしていたんだ。火種を収束させるために、俺はずっと一点にしか集中していなかった」
そう、ずっと俺はそうやって戦ってきた。
戦場で火種の一点集中を扱えるようにするには、どうしても集中させる箇所に神経を集中させる。
例えば腕に火種を収束させるとき、俺は意識を腕だけに集中させていたのだ。
でもその方法では収束率を100%まで持っていくことはできない。何故なら火種の欠片が俺の身体の至る所に残ってしまっている状態だからだ。
そう、今ならはっきりとわかる。
「――夜だ。昼間じゃ気づかないはずだ」
身体のあちらこちらで微かに火種が輝いている。
昼間じゃ太陽の光に照らされてわからなかったが、暗闇に灯る火種の輝きが今ならはっきりと視えた。
きっとこれが、何度やっても火種の収束率が100%にならなかった原因――。
能力に目覚めて以降、俺は毎日鍛錬を続けてきた。
鍛錬のひとつで、俺は心象武装を長時間発動、維持できるよう、常日頃から火種を身に纏うよう習慣づけている。
その結果、俺は無意識下で反射的に火種を発動できるようになった。
しかし今思えばそれが仇となっていたのか。
無意識のうちに俺は火種の力を身体全体に分散させてしまっていたわけだ。
それに気づけたのは、チコ先輩からもらった林檎のおかげに他ならない。
「まさか、見抜いてたのかチコ先輩。これを俺に伝えようとして林檎を……」
ようやくチコ先輩の思惑が理解できた。
短時間で俺が火種を収束しきれない理由に気づき、アドバイスまでくれたのだと思うと、チコ先輩の慧眼に感服するしかない。
やっぱりレベル8は伊達じゃない。
とはいえ、今はそれどころじゃない。
原因がわかった今、気持ちを切り替え、火種の可能性を広げることを優先させる。
「ただ一点に集中するんじゃなく、全体を俯瞰して、火種を一点に集めるイメージかな」
さっそく試してみるも、どうもうまく行かない。
「ぐあああ〜っ、だめだ! 頭がムズムズする……ッ」
裁縫のとき、絹糸を針穴に通そうとするが、うまく入ってくれないみたいな感じでムズ痒い。
手先が不器用なせいか、それとも単にせっかちなだけなのか、どうにも俺はそういった繊細な作業が昔から不得手なのだ。でも――。
「できない原因はわかったんだ。後はひたすら努力するだけ。自分との戦いは俺の得意分野だ」
自分との勝負なら俺は絶対に負けない。
もう一度、俺は林檎に火種を収束させてみる。
「力みすぎず、リラックスして」
肩から力を抜き、深呼吸して呼吸を整える。
昼間の鍛錬で夕日さんに教わったことを思い出しながら、俺は更に火種の収束を高めた。
「林檎に集中しすぎず、全体を視る」
つま先から踵、足首から膝を経由して太腿へ。
ほうきでホコリを履くみたく、身体の隅の方から少しずつ徐々に火種を集めていく。
「ゆっくりだ、ゆっくりでいい。焦るな」
天才肌の夕日さんが、感覚で行う心象武装の収束を、俺は何倍もの時間をかけて丁寧に行っていく。
まだ感覚は掴めない。
けれど目で見える。知覚し、認識することができる。それたけで十分だ。
身体に残留する火種の欠片を、可能性の芽を、俺は時間をかけて少しずつ火種の収束を続けた。




