Level.73『姉、襲来』
ここでひとりの天才についての話をしよう。
彼女は――そう彼女は、どこにでもいる平凡な学生だった。いや、平凡というには少しばかり変わり者ではあったが、相対的に見れば普通の学生だったことには間違いない。
授業中は机に突っ伏して居眠りをかき、休み時間は学友と『推し』についての談笑を交わし、放課後はゲーセンやカラオケで時間を潰す。
学業も部活も特に秀でるものはなく、成績は上の下といったところで、どこにでもいるような学生生活を彼女は送っていた。
そんな彼女は、16歳にして能力に目覚めた。
きっかけは異界攻略の失敗である。
レベル差を鑑みない安全マーキンを無視した危険な攻略が仇となり、ギルドの許可を無視して異界攻略に迫った中小クランのチームが返り討ちに合い全滅した。
結果、モンスターが街に溢れた。
街中を闊歩する怪物達。
手当り次第にモンスターは人々を襲い、被害は加速度的に増加していく。
学校の帰り道。
弟と妹と3人で下校していた彼女達は、門から溢れたモンスターの一匹と遭遇した。
遠くで非常用のサイレンが鳴っている。
妹は泣いていた。
弟は歯を食いしばっていた。
彼女自身も、震えていたのかもしれない。
ウェイカーがその場に駆けつけるまでの3分半。
弟と妹を守るために。彼女は逃げずにモンスターと相対し、そして彼女は能力に目覚めたのだ。
能力に目覚めた彼女は、迷うことなくウェイカーになる道を選んだ。
学業も部活も無才の彼女だったが、ウェイカーとなった彼女の才能は凄まじかった。
ウェイカーとなって1年でレベルを2つあげ、その1年後にはまたレベルを2つあげ、と繰り返し、20歳の頃には既にレベル7に到達。
その再来年にレベル8へと上り詰めた。
それが彼女の――織﨑 咲が天才足る所以で。
その彼女とは即ち、俺の姉だった。
「しゅ〜ぅぅぅぅぅぅぅぅ〜!!」
玄関の扉を開けた瞬間、両手を広げて駆けてくる菖蒲色の影に、抱きつかれた。
「ふぐっ!?」
背中に腕を回され、アナコンダも逃げ出す腕力で締め付けられる。背中の骨がギシギシと悲鳴を上げる。
「うわぁ……」と凛夏の引き攣ったような声が背後から聞こえた。
視線を下ろすと、ところどころ白と薄紫の入り混じった菖蒲色の髪が見える。
身長は俺よりも小さく160cm前後。
猫のように少し気だるそうな低音の声。
女の子の知り合いで、ここまで積極的な異性に俺は心当たりはない。
満足げに俺を絞め上げる彼女は、何を隠そう姉である。
「お姉ちゃん会いたかったよぉ、愛しの弟よ〜」
彼女の名は織﨑 咲。
織﨑家の長女で、俺と凛夏の姉だ。
実家には一年に一回しか帰ってこない放浪姉貴。
という自己紹介はさておき、姉さんは自分の力加減を理解していないのだろうか。
レベル8の腕力で抱き締められれば、普通の人間なら背骨が砕け散ってしまうだろう。
後ろで凛夏が顔を青くしているのが何よりの証拠だ。
「ちょ、姉……さん、死ぬ……」
「へ?」
間の抜けた声を上げて、姉さんが『?』と首をひねる。
❦
姉さんからの熱い殺人抱擁から解放された俺は、唇を尖らせちらちらと再び抱擁の隙を狙う姉さんを警戒しつつ、頭に浮かぶ疑問を凛夏に問いかけた。
「なんで姉さんがここに? 帰ってきてたんだったら教えてくれって凛」
凛夏はため息をつき、冷たい視線を俺に向けた。
「だから帰りにあたしは言ったんだけど。聞いてないお兄が悪いから」
「むぐ」
それはごもっともである。
ぐうの音もでない。
俺達兄妹が話している声が聞こえたのか、茶間から父さんが顔を出した。
「おう、萩じゃねぇか! 帰ったか! おかえり!」
「ただいま、父さん」
「わざわざそんなとこで話してねぇで、早く入ってこい。お前に客人も来てる」
「客人?」
俺に客人なんて珍しい。
高校の頃の同級生だろうか。
父さんが手招きして待つ茶間へ向かうと、畳の上に置かれた座布団にちょこんと座る、黒髪の女が俺を待っていた。
「や。サキサキの弟くんだね。お邪魔してるよ」
肩まである少しボサついた黒髪。
小柄で見た目は幼く年齢は不明。ボーイッシュな雰囲気も相まって、一瞬少年のように見えた。
中でも一番印象的だったのは、彼女の瞳だ。
いたずらな笑顔の隙間に潜む彼女の瞳は、まるで野生の獣のような濁った黄色。捕食者と対峙したような緊張感を俺に与える。
どんなに過去を遡ろうとも、こんな女の知り合いは俺の記憶の中にひとりもいない。
「えと……どちら様で?」
恐る恐る女に聞き返すと、質問に応えたのは姉さんだった。
「お姉ちゃんのクランの同僚」
すると女がたまらず悲鳴を上げた。
「ええ、それだけ!? ひどいよサキサキ〜、紹介の仕方が雑すぎない?」
けれどそんな女の抗議を無視し、慣れた様子で姉さんはスルーする。
「ごめんねぇ、萩。この子ったらどうしても萩に会いたいってきかなくて」
「私の話聞いてないし!?」
再び女が悲鳴を上げた。
「まったくサキサキは〜」
がっくりと肩をおろし、けれど次に顔を上げたときにはけろっとした様子で笑顔を浮かべていた。
「とりあえず、はじめましてだよね。私は日乃神 夕日。サキサキと同じクランのメンバーだよ」
人当たりのいい笑みと一緒に、日乃神 夕日と名乗った女は俺に手を伸ばしてきた。
俺はその手を取り、握手を交わす。
「こちらこそ。織﨑 萩です、日乃神さん」
「夕日でいいよ。クランのみんなもそう呼んでるし」
「わかりました、夕日さん」
「うんうん! よろしくね!」
人柄の良さそうな、元気旺盛な人だ。
なんだか毒気を抜かれるというか、見たままの人物というか、最初の警戒心が何だったのやら。
初対面のときの葵さんのような、値踏みされている感じはないし、心配は杞憂だったみたいだ。
「あの、それで夕日さんは俺に何か用でも?」
「あーうん。そうだった。萩くんがクランを辞めて戻ってくるってサキサキから聞いてね。私たちもちょうど合衆国での件も落ち着いたから、久々に日本に帰ろうって話になったんだけど」
そこで夕日さんはちらりと姉さんの方を見る。
「サキサキがあまりにも君のことを自慢するもんだからさ、ぼくも君に興味が湧いてきちゃって」
なんだか既視感のある言い回しだなと思った。
そういえば今日、緋羽さんにも同じようなことを言われたなと思い出す。
姉妹そろって俺の何を話しているのか。
安易に想像がつくのは『レベル』のこと。
確信はないが、きっとそんなところだろうと思う。
「だから」と夕日さんは続けた。
「どうしても会ってみたかったんだ、君に」
真正面から俺を見据えて笑う夕日さんは嬉しそうだ。
その言葉に含みや嘘はないのだろう。
目を見ればわかる。
瞳に映るのは純粋な興味と期待。そしてわずかばかりの高揚。……高揚?
「よしっ、と!」
夕日さんは立ち上がり、どこまでも無邪気な笑みとともに言った。
「それじゃ、戦おっか!」
数秒、言葉の意味を理解するのに時間を要した。
「なにと!?」
時間を要してようやく理解できたのは、意味不明の2文字であった。




