Level.69『帰郷』
白銀の荒野を踰越した男は丘に出た。
丘から見渡す世界から白銀は消え去り、代わりに延々と続く灰色の世界が眼下に映る。
右を見ても左を見ても。下を見ても上を見ても。
見渡す全てが灰に包まれ、天には灰を吐き出し続ける曇天が広がるばかり。
寒暖差に男は頭痛を覚え、灰を吸い込み激しく咽る。喉が焼けるように熱い。
いや、実際焼けているのだ。
ローブの隙間から灰に触れた皮膚が炙られる。
だが少し我慢すれば直慣れる。
白銀世界を超え、男は灰色の荒野を歩き出す。
男は何故歩くのか。
自らの行為に意味を与えるためか。
然して自らの行為に意味を見い出すためか。
破滅という名の目的だけが、男の足を動かし続けていた。
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――栃木県宇都宮市――。
人工50万人を超える栃木県県庁所在地宇都宮の中心に位置する巨大なビル。
このビルが何なのか、入り口の自動ドアの硝子に彫られた獅子を模した獣の絵を見れば察しがつく。
栃木県民なら誰しもが知っている栃木の大看板。
日本クランランキングTOP4に座する大型ギルド。
クラン〝炎獅子〟の本拠地である。
「どうしよう、どうしよう、どうしよう」
巨大ビルに設置されたエレベーター。
最上階へと上昇するそれに乗っているのはクランの総務を担当する若い男だ。
顔を青くしながら男はちらちらと忙しなくエレベーター上昇のボタンを垣間見ている。
「……いや、落ち着け、僕」
冷静さを欠いている己を律し、男は深呼吸してスーツのネクタイを整えた。
そうこうしているうちにエレベーターが最上階へと到着すると、扉が開き切る前に男はエレベーターから出る。
スタスタと早足で廊下を進み、クランマスター室と書かれた扉をノックも忘れて開け放つ。
「緊急です! 晋焔団長!!」
広い部屋の中。
執務机に腰を掛け、煙草片手に書類を整理しているクランマスター晋焔 恭介が視線を上げる。
「どうした日蔭、そんなに慌ててよ。まさかまた学校に門が現れたわけじゃあねぇだろうな?」
「いえ、今回の発生は小山です。一般人が数名、異界災害に巻き込まれたとの報告を受けました」
日蔭の報告を受け、晋焔が真面目な顔をする。
「門の推定レベルは?」
「レベル3です」
「わかった。近くにいるうちのメンバーを回せ。ただし単独では行かせるなよ。近場のウェイカーをかき集めてフォーマンセル以上のパーティーを組ませろ」
普段からこういった内容の報告は多い。
事、大型クランである炎獅子にはギルドの手に負えない業務が多く回ってくる。
経験から晋焔は部下に的確な指示を出した。
しかし、指示を受けた日蔭の顔が未だに青いままだということに晋焔は気づき、疑問を飛ばす。
「どうした? まだ何か言いたい顔だが」
「いえ、それがですね……」と、日蔭は言いづらそうに口を開く。
「門の発生を発見したのがその……織﨑さんでして。人員手配の要求を私に依頼した後、私の静止も聞かず通話を切られてしまって……」
瞬間、晋焔は唐突な頭痛を覚えた。
織﨑というのは、凛夏のことだ。
事の重大性を正しく理解し、織﨑もとい凛夏が取るであろう行動を日蔭の顔から推察する。
「……ったく、あのバカ娘。親父に似て後先を考えねぇで行動しやがる」
晋焔はポケットから仕事用の携帯を取り出し、とある番号に電話をかける。
仕事用の携帯。
つまりはクランマスターからの緊急通信だ。
きっかり3コールで相手が通話に出る。
「俺だ、緋羽。急ぎの仕事が入った。凛夏がひとりで門に入ったらしい。今すぐ小山に迎え。詳細は端末に送信する」
有無を言わさぬ勢いで要件を叩き付けると『団長も麗火さんも俺をタクシーかなんかだと勘違いしてません!?』なんて悲鳴が晋焔の携帯から聞こえた。
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モンスターの屍が辺りに散乱している。
薄暗い通路はモンスターたちの血で紅く染まっていて、返り血を浴びた凜夏の服も血だらけだった。
「……なんで、なんで……こんなことに」
「死にたくないッ、死にたくない……」
背後で身体を小さく縮こませ、合わない葉の根をかちかちと震わせるスーツ姿のサラリーマンふたりとオフィスレディー。
「大丈夫です。もうすぐ助けが来ますから。それまであたしが皆さんを守りますから」
気丈に凛夏は3人に声を返した。
だが届かない。その声は彼ら彼女らの耳を通り過ぎるかのように響かない。絶望している。
……仕方のないことだ。
異界災害に巻き込まれたのだから仕方ないと、凛夏は自身に言い聞かせた。
ここに来たのがあたしじゃなく、緋羽さんや麗華さんなら……なんて弱気な思考を捨てる。
「……わかってたことでしょ。なによ今更」
若く頼りないと思ってもらって結構。
結果は功績からしか生まれない。
未だ名も無きレベル4が安心してくれと言っても安心できるわけはない。
だったら功績を積み上げてみせるだけのこと。
モンスターとの戦闘が落ち着いた今、凛夏は頭の中で状況を整理する。
門を開け、経過時間はざっと20分。
救援が来るまで早くてあと15分くらい。
門のレベルは3で、迷宮で遭遇したモンスターは狼鬼種。
死者を出すことなく全員を発見することができたが、サラリーマンの男がひとり、モンスターの爪で右足に深い傷を負っている。
応急処置は行ったが、看過はできない。
不幸中の幸いに、異界災害に巻き込まれた一般人の転送先が門番の部屋でなかったことは有り難かった。
いくらレベル4の凛夏と言えど、門番相手に単独で勝てる自信はないからだ。
負傷者を連れて迷宮から脱出するにはリスクが大きすぎる。かと言って通路のど真ん中で救援を待つのはジリ貧だが、そうも言っていられない状況。
ここで彼らを守り抜き、救援が到着するまでなんとか耐える以外にないだろう。
「大丈夫、状況は最悪じゃない。あたしならやれる」
気を引き締め、凛夏は深呼吸した。
通路の奥でモンスターの鳴き声。声の方に視線を向けると、闇の中に点々と赤い瞳が現れる。
ゴツゴツと骨ばった、それでいて筋肉質な小さな体躯。尖った角と犬のような鼻。右手には岩製のグギ打ちバットのような見た目の獲物を携えている。狼鬼種だ。
『ギャォォォォァァッ!!』
『ギャギャギャギャッ!』
『ギャッウォォォォンッ!!』
凛夏は心象武装を構える。
戦闘が再開した。
❦
何分経過しただろう。
最早体内時計は機能していない。
次から次へと現れる狼鬼種。
地上で体感する10分と、迷宮で過ぎる10分とでは、命を賭けているぶん誤差が生じてくる。
「てやぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
『ギャァンッ!?』
凛夏の後ろ回し蹴りが狼鬼種の頭部を捉える。
激しい火花が炸裂し、狼鬼種の頭が吹き飛んだ。
凛夏の心象武装は火力特価の物質形態。
己の両脚を武装した《炎烈散靴》は接触した瞬間能力が発動し、橙色の爆炎を撒き散らす衝撃を生む。
「……大丈夫、あと少し」
あと少し――果たしてその言葉は、背後にいる一般人達を励ますために口にした言葉か。それとも自分自身に言い聞かせるための言葉なのか。
迷宮の奥から次から次へと狼鬼種が現れる。
数が減るどころか、徐々に増えていく。
たちまち凛夏は狼鬼種に囲まれた。
『ギャルルルルルルッ』
『ギャォンギャォンッ!!』
『ギャァギャァッ!!』
口から唾を飛ばしながらの威嚇。
一対一の戦闘ならば、凛夏が狼鬼種に遅れを取ることは決してない。しかし凛夏の心象武装は多対一の戦闘にはあまりにも不向き。
加えて背後には守らなければならない一般人がいる。
「大丈夫。落ち着いて対処すれば、大丈夫」
シにそうになった時こそ笑顔が基本。
キれそうになっても冷静対処。
サいごの最後まで諦めない。
キっとわたしは大丈夫。
織﨑家の家訓を心の内で反芻し、凛夏は構える。
「レベルなんか関係ない。あの人達は今助けを求めてる。"誰かが助けに行けばいい"じゃない。だってあの人達が求めてる誰かは、あたし達〝ウェイカー〟なんだから!!」
『『ギャォォォォォォンッッ!!』』
遠吠えと同時、狼鬼種が一斉に凛夏へと迫る。
岩製の獲物を振り上げ、雄叫びを上げて。
凛夏は身構えた。
狼鬼種の攻撃を全て防ぐことはできない。
ならばと凛夏は力強く地面を踏みしめた。
――ウェイカーとして命を賭してでも彼らを守る!!
それが織﨑 凛夏がウェイカーとして己に定めた誓いだから――。
「――ッ」
凛夏は歯を食いしばって次の衝撃に備えた。
そして直後、
――艶やかな紫麗の炎が凛夏の視界を染めた。
息を呑むほど艶やかな藤色の大炎火。
薄暗い迷宮の通路を飲み下し、炎に呑まれた狼鬼種が断末魔すら上げることなく命を潰えていく。
腰から力が抜け、凛夏は地面にへたり込んだ。
「な――」
何が起こったのか、訳もわからず呆ける凛夏の鼓膜に。
「大丈夫か、凛」
と、それは幼い頃から聞き馴染んだ声。
紫炎が晴れる。
通路に散らばる狼鬼種達の焼き焦げた死体。
そして――大剣を持ったひとりの男の姿。
「……ぁ」
その男を凛夏は知っている。
知っているどころか熟知すらしている。
誕生日や趣味。好物から嫌物。好きなトレーニングのメニューに好きな女性のタイプまで。
実家から離れ、今は大阪にいるはずのその男は凛夏の実の兄――織﨑 萩だった。
「お兄……? なんで、お兄がここに……?」
凛夏の脳内に溢れだす疑問の数々。
だが萩は凛夏の質問にはこたえず、ウェイカーとして今成すべきことを口にする。
「説明は後だ。それより状況は」
萩の言葉に凛夏はハッとなる。
私情を置き、再び仕事のスイッチに切り替えた。
「災害に巻き込まれた一般人はここにいる3人で全員。ひとりは足を怪我してて、補助なしじゃ歩けない」
「了解。凛は怪我とかしてないか?」
「あたしは平気。まだ戦える」
立ち上がり、再度心象武装を発動させようとした凛夏に、しかし萩は。
「いや、凛は怪我人を補助してやってくれ」
「補助って……」と、一瞬口ごもり、萩はひとりで戦うと言ったことに気づき、凛は声を上げる。
「なに言ってんの!? 私も戦う! お兄ひとりじゃ……!!」
萩のレベルはゼロだ。
萩がレベルによる身体能力の恩恵を受けられないことをもちろん凛夏は知っている。その事実を知っているからこそ凛夏は萩の発言に異を唱えた。
無謀だと、凛夏はそう思ったからだ。
だって、1年前の兄はせいぜいレベル3のモンスターを1体足止めするのが関の山だった。
萩が凛夏に振り向く。
萩は笑っていた。
「大丈夫だよ、心配いらない。後はお兄ちゃんに任せろ」
その微笑みは、弱さを隠すための作り笑いではなく、恐れに立ち向かうための痩せ我慢でもない。
萩の顔は自信に満ち溢れていた。
1年前。強さに固着し、護るための力を求め、身の丈に鑑みず無謀を繰り返していたあの頃の萩ではない。
たった1年の間に何があったというのだろう。
凛夏は知る由もない。
ただ魅せられる。
ただ思い知らされる。
萩は大剣――白蒼剣を振りあげた。
「一紫閃刃〝淡麗・織紫咲〟」
再び、藤色の麗炎が唸りを上げた。




