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レベル0のイレギュラー  作者: 椋鳥 未憐
第二章 椿姫
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Level.67『ラベンダーの香りに薫られて』




 翌朝、チーム我沙羅が捕縛されたというニュースが、朝の報道で全国に流れた。


『関東を騒がせていた半グレ能力者集団逮捕!』


 そんなつづり文句とともに、逮捕された我沙羅の写真が新聞の見出しを飾り、その脇にはクラン椿姫の【双夜叉】ことLevel.7からLevel.8へ昇格した葵さんの名前が記事に乗っていた。


 本人は「どうでもええわ」とあまり興味がなさそうだったが、海外メディアにとってはむしろこちらの情報の方が価値が高く、一部の海外メディアが日本の戦力向上に注目した内容の記事を取り上げた。

 

 それだけレベル.8の市場価値は高く、全世界を見渡しても数百人と存在しない貴重な戦力であることは間違いない。


 




 我沙羅との決戦が終わり、丸2日が経過した。


 人混みの多い大通りを一本外れ、路地に入る。

 土地勘がなければ迷ってしまいそうな、まるで迷宮のような路地を何度か曲がったところにある銭湯に萩は入る。


 時刻は夜の10時過ぎ。

 店終い間近なこともあり萩の他に客はいない。

 銭湯の受付で代金を支払い、男湯の暖簾を潜った先の更衣室で服を脱いだ。

 タオルを身に着け、湯に繋がっているドアを開けると、濛々とした白い湯けむりと一緒に、鼻先をラベンダーの匂いが擽る。

 

 湯船の前で膝をつき、桶で掬った湯で汗を流す。


「……っ」


 かけ湯の熱さに、思わず萩の口から声が漏れ出た。

 銭湯では珍しい常温45℃に設定してある湯は、汗の冷えた身体には少々熱く感じられる。


 ある程度汗を流して湯温に慣れた後、萩はゆっくりと湯船に浸かった。


「……ふぅ」

 

 段々と湯の温度に慣れてくると、これがとても心地良いもので、身体から余分な力が抜けていくのがわかった。

 それと一緒に鼻から吸い込んだラベンダーの香りが全身に広がり、疲労が剥がれていくようだ。


「あれから2日か」


 我沙羅は壊滅した。

 チームリーダー【黒鬼】の二つ名を持つ漆木 哲也を始めとしたチーム我沙羅の構成員はまとめて能力者特別刑務収容所――通称『特刑』または『特務所』と呼ばれる犯罪能力者専用の刑務所に送還された。


 椿姫クランマスターの簪刺 茜の話によれば、特務所は施設全体が国の最新鋭の技術を取り入れ、能力者が簡単には脱獄できないような作りになっている刑務所だと言っていた。

 法律の元で厳正に裁かれた漆木は最低でも20年は特務所から出てこられないだろうとも。


 元を辿れば椿姫の元メンバー、萩の尊敬していた雨瀬 祥平が殺されたことから始まった我沙羅とのいざこざも、これで終わったのだ。

 

「葵さん、いつ頃復帰できるんだろうな」


 漆木との戦闘に置いて、負傷を負った梁取 葵はギルド管轄の中央病院施設で回復系ウェイカーの元、ケガの治療を受けている。


 肋骨や内蔵などは無事だったらしいが、折られた左腕を違和感なく元通りに治癒させるためには、やはり時間をかけて少しずつ治療していく他ないのだという。


 本人は別に構わんから早く治して仕事に復帰したいということだが、そこはクランマスターの簪刺 茜が黙っていなかった。

 金と時間をかけてでも万全の状態に戻してもらえという一声で、葵は渋々――二つ返事で命令に従った。


 萩もその方がいいと思っている。

 葵はクラン椿姫の主要を担うひとりだ。

 確かに葵が抜ければその分クランの負担も大きくなるが、それとこれとは話が別だ。

 腕や足、最悪指先ひとつの違和感でさえ、ケガは己の感覚を狂わせる。

 一度覚えた違和感は、そう簡単には拭えない。


「ちゃんと完治するといいけどな」


 葵との模擬稽古の代わりに、今日は楓と樛さんが萩の鍛錬に付き合ってくれた。

 事件の後、楓は過去のトラウマと、性別を偽っていた事情を萩に打ち明けてくれた。

 過去と向き合う決意。そんな心情の変化も含めての、レベル5への昇格だったのだろう。


 その話の流れで、萩は楓に一緒に病院についてきて欲しいと頼まれた。断る理由はなかった。


 ふたりで病院へ行き、緊張した面持ちで楓が病室のドアを開けると、ひとりの女の子がベットに座って外を眺めていた。

 彼女がこちらに気づく。

 楓の顔を見て彼女はにっこりと笑った。

 そんな彼女の笑みを目にした楓は、今にも泣きそうな顔で女の子に抱きついた。

 そんなふたりの姿を見て、萩はもうこの場に必要ないだろうと思い、そっと病室のドアを閉めた。


「散々なことだらけの一件だったけど、なにも悪いことだけじゃなかったよな」


 失ったものは大きい。

 でも悪いことだけじゃなかった。

 なにせ楓の笑顔を取り戻せたのだから。


 それでハッピーエンドとなったらどんなに良かったことか。

 しかし現実、問題は山積みだ。


「門番を殺さないことで、閉じない異界(アビス)は他に悪用される可能性があるし、事件の後、大阪湾の近くで殺されていた我沙羅のメンバー伏見の謎に、なにより異界に現れた赤目の怪物……」


 伏見の件については警察が動いていると聞いた。

 最初と最後の件はギルド案件だろう。

 なにより最後の赤目の怪物については、機密事項としてギルド本部から箝口令がしかれる始末。


「いったいなんだったんだろうな、あれ」


 茜も葵もあんなものは見たことがないという。

 恐らく世界各地でも、発見したのは始めての事象だろう。

 なにせ門番よりも高位のモンスターが異界を侵食しかけた(・・・・・・・・)、なんて話は初耳だ。


 壁面全体からこちらを覗く、無数の赤い瞳。

 今思い出しても寒気を覚えるほどの異質。


 しかしより異質なのは、何故あのモンスターから、結唯先輩の声が聞こえたのかということ――。


『行かないで、お願い……助けて、萩くん』


 助けを求めるあの声は、間違いなく記憶にある結唯先輩の声だった。

 けれど同時にあの声は、黒鎌の蟷螂種(ブラック・マンティス)との戦いの際、萩が幻視幻聴した結唯先輩とは違ったような気がする。


 どちらが本物なのか、萩にはわからない。

 もしかしたらどちらも偽物なのかもしれないし、どちらも本物なのかもしれないわけで……。


 だが紛れもない事実として。

 逃れようのない現実として。


 結唯先輩はもう、2年前に亡くなっている。


 彼女の最後を目にしたのは萩自身だ。

 忘れるはずがない。

 今でも夢で思い出す。

 冷たくなっていく結唯先輩の身体と、腹部から溢れてくる熱い生の感触を。


 だからこそ。

 考えれば考えるほどにわからなくなるのだ。

 闇の中から、存在しない答えを探りだすような、泥沼の中に手を突っ込んでいるような感触に。

 囚われているのだろうか、あの日に。

 望んでいるのだろうか、あの人を。

 結唯先輩が生きているという可能性が――。


「……やめろ。乗り越えただろ。何度も後悔しただろ。今更だ。結唯先輩はもう、いないんだ」


 言葉にすることでマイナスに寄った思考を断ち切る。

 ぱちんと両手で頬を叩き、気持ちを引き締めた。

 きっと弱気になってしまったのは、このラベンダーの香りのせいだ。

 リラックスしすぎるというのもどうかと思う。


 少々のぼせてしまったみたいだ。

 萩は湯から半身を出し、湯船の縁に腰掛けた。

 ちょうどそのとき、入り口の扉が開いた。


「――こりゃラベンダーか? いい匂いじゃねぇかよ」


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