Level.64『どちらが怪物なのか』
自分は何なのだろう、と思うことがある。
人間であることは確かだ。
死んでいないだけで生きている。
死ぬとは何だろうか。
天国や地獄があるなどとは思わない。
死んだ後に待っているのは〝無〟だ。
永遠の無。行き着くのはきっとそこ。
だから人は死にたくないと思うのだと思う。
生物として、終わりの恐怖は本能に近しい。
けれど生物として生まれた時点で、逆らえない死は確定している。心の矛盾を抱えて生きている。
父も、後輩も、みんな先に死んでいった。
自らの手の届かないところで、目を離した隙に死んでいった。
どれだけ強くなっても変わらなかった。
どれだけ足掻いても守れなかった。
そのたび自身の無力さを嘆いた。
嘆くたび、次こそはと己に誓う。
ずっとそうやって心を騙し続けてきた。
お父は自分を〝天才〟だと褒め称えたけれど、何が天才なものか。
強くなれば強くなるほど実感する。
長く生きれば生きるほど思い知らされる。
何も守れない自分は〝天才〟には程遠いと。
お父の抱いた理想は自分では届かないと。
時々思う。
思い出してしまう。
思い返してしまう。
いったい彼らは何を思って死んでいったのだろう。
絶望か、後悔か。はたまた懺悔か。最後まで終わりに抗おうとしたのだろうか。
わからない。
死んだことのない自分にはわかってやれない。
別に、死にたくないとは思わない。
まぁ、だからといって死にたいとは思わない。
でも、できるなら。
自分は満足して死にたいとは思ったりする。
なるべく後悔を残さず、その瞬間、最後に人生を振り返り「楽しかったわ」と、ひとこと言えればそれでいい。それだけでいい。
ああ、でも――……。
あの人が泣いてしまうのは、嫌だと思った。
なら自分はあの人より先に死ぬわけにはいかない。
そしてあの人が死んだ後に自分は死のう。
できるなら、あいつの好きだった雨の日に。
雨上がりの葵空の下、紫陽花色の紫電の横で。
そんな細やかな決意と、願いの果てに――。
❦
近くで誰かが唄っている。
ナニかが歌っている。
弱々しい悲鳴。
掠れた鳴き声。
『リィ……ファリラ、ララ、ラリア……』
歌姫種――唄を操る異形の怪物。
皮肉にも歌姫種とはよく言ったもので、彼女の歌唱は人間の脳を麻痺させる毒性の効果があるらしく、ハーピーの出す高音は人間に理解することは難しい。
しかし。神経を逆なでするような不協和音も、潰れた喉から漏れ出る音色はまるで不和の泣鳴。
「……お前か、俺に過去を見せたんは」
『ファララ、リィ、ララ……』
ハーピーは葵の問いかけには応えない。
当たり前といえば当たり前だが、それ以前の問題。
最早視えているかも判然としない薄紅色の眼球はどこか遠くを見つめている。
迷宮の天井。その果てに広がる怪物達の故郷。
ハーピーの歌は、人間でいうところの民謡のようなものなのだろうか。
両者、意思疎通のできない葵にとっても、ハーピーの歌の意味はわからない。
いったい何を思って歌っているのだろう。
つい、そんなことを考えてしまう。
「走馬灯かと、思ったやろ……っッ」
地面に手をつき力を振り絞る。
折れた腕がミシミシと悲鳴を上げる。
構わず、葵はもう一方の手で心象武装を発動し、刃の切っ先を杖代わりに地面に突き立てた。
「っぅ、ぐ……ッ」
膝を立て、葵はゆっくりと立ち上がる。
ふらふらと今にも倒れそうになりながらも、葵は両の足で地面を踏みしめた。
葵はハーピーを見下ろした。
ハーピーは絶えず口ずさみ歌い続けている。
満身創痍の葵に、死にかけのハーピーは一切興味を示さない。
「モンスターに同情はせん。積もり募った怨みは消えはせん。けど――」
朧げに揺れる、ハーピーの虚ろな瞳に映る男は、まるで怪物のような姿形をしていた。
一呼吸開けて、その怪物は弱々しく、不細工に笑った。
「すまんな……今楽にしたる」
葵はハーピーの胸元に刃を突き刺した。
深く、深く、刃が刺さる。
拒むどころか、まるで受け入れるように、すんなりと葵の刃はハーピーの心臓――核を貫いた。
ハーピーは目を薄く開き、笑った――気がした。
『ア、ニィ、ヤ――……』
ハーピーが口にした最後のそれは、歌などではない。葵に対して呟いた、モンスターの言葉。
ありがとう、とそう言った気がした。
下手くそな唄が途絶える。
異界の崩壊が始まった。




