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レベル0のイレギュラー  作者: 椋鳥 未憐
第二章 椿姫
66/132

Level.63『梁取 葵』




 都心から離れた大阪の田舎町。

 周囲は山と田畑に囲まれ、家の裏にはカジカの泳ぐ川が流れていたり、虫や生き物の呼吸が身近に感じられる、そんな自然豊かな地方で梁取 葵は生まれた。


 葵の家は、別段裕福な家庭でもなければ、これといって特殊な要素があるわけでもない。父親がウェイカーだったということくらいで、梁取家は極々普通の一般家庭の暮らしを送っていた。


「ただいまあ、今帰ったで〜」


「お父お父お父お父お父お父お父お父――!!」


「お父はそんなにおらへん!? どないした葵、そないなふうに慌てて」


 当時の葵は8歳。

 未だインターネットの普及していない2000年代前期。娯楽の少ない田舎で、子どもたちの遊びは基本野外で鬼ごっこをしたりかくれんぼをして遊ぶに限られる。


 そんな田舎っ子、葵の楽しみとは仕事終わりの父に剣術の稽古をつけてもらうことだった。


「お父! 今日な、今日な! 昨日お父に教えてもろた技練習してんぼく。そんでな、上手くできとるかお父に見てもらいたいねん!」


 子ども用の竹刀を片手に、葵は楽しそうにきゃっきゃと騒ぎ回る。


「こらこらやめえ葵!? そんなん家ん中で振り回しとったらまた障子に――」


 父の言ったそばから、ぼす、と。

 

「「あ」」


 流れるような、見事な伏線回収

 障子に刺さった竹刀を見て、ふたり仲良く間の抜けた声を上げていると、


「なぁ今の何の音? ……まさか、またやったん葵!? アンタこれで何枚目やと思っとるん!?」


 障子の破れる音を地獄耳で聞き取り、台所から包丁を持った鬼母がぬっと顔を出した。

 葵は顔面を真っ青にして飛び上がる。


「や、やってもうた……どないしよお父!?」


「とりま、ズラかるで葵!」


「待ち葵! 逃さんでえええええええ!!」


「ひええっ、オカンごめんなぁ! 堪忍してぇ!!」


 ドタバタと騒がしい鬼ごっこが始まった。

 これが幼き葵家の日常である。







「どれ葵、ほんじゃ練習の成果、見してもらおか」


 命からがらなんとか母から逃げ切った葵と父は、家の裏庭にある更地で向かい合う。

 竹刀で肩をトントンと叩き笑う父。

 余裕綽々といったその笑みを、今日こそ剥がし落としてやるとばかりに自らの背丈ほどもある竹刀――父のおさがりのそれ――を葵は両手で構える。


「行くで、お父!」


 開口と同時、葵が駆けた。


「てやあああああ!」という、気合溢れる掛け声を上げながら疾駆する姿はさながら幼き小猿。


 等身大の竹刀と小柄な葵の姿が相まって、更に葵の小ささを引き立てているかのよう。

 しかし油断は禁物だ。


 いくら葵がまだ幼いと言えども父は知っている。


 父とは違い息子が『天才』であると知っている。


「――」


 父の教え通り、正確に葵の歩幅で2歩半歩。

 それが葵の剣の射程。

 一心流必中の領域と、最高火力の必殺範囲。

 葵は竹刀を真横に凪いだ。


「一心流! 初伝!〝木枯らし〟!!」


 矮小な腕から放たれる渾身の一打。

 バチィンと子気味いい音を奏でて竹刀が軋む。


「どや!? どや、お父!!」


 決まったとばかりに葵はきらきらと目を輝かせて父を見る。

 葵に尻尾があれば『褒めて褒めて』と左右に尾が揺れていることだろう。

 そんな純粋な視線から逃げるように父は天を仰ぐ。ふぅと息を吐いて、後頭部をぽりぽりと指で掻きながら、父は素直な感想を口にする。


「うん、……全然ダメやな」


「ガびーン!!」


 効果音の出そうな勢いで仰け反る葵。

 次いで今にも地団駄を踏みそうなくらいの勢いで、葵の口から飛び出る反論と反発。


「ねぇ、なんで!? なんでなん!? ちゃんとお父に言われた通りやったやろ! これのどこがダメなん!?」


「たしかになぁ。形はそうや。型はできとる」


「せやったら――!!」


「でもなぁ、なんて言うか……威力が足りとらん」


 父は言う。

 威力とは即ち腕力であり、それはそのまま一心流の破壊力に直結していると。

 しかも一心流とは〝一斬一殺〟の流派。

 一振りのもとに勝負を決めなければならない。

 それ故一心流は一振りの破壊力を重視する。

 けれど残念ながら、葵は体格には恵まれなかった。

 それを葵自身、認めたくはないが自覚している。


「それは――」一瞬口ごもり「……まだ身体が小さいけん、仕方ないやろ」そう濁す。


「葵はお父に似て、チビ助やかんなぁ」


「チビ助言うな! これから伸びるんや! ぼくはお父とちゃう!」


「ごめんなあ葵、お父の遺伝子継いどるお前は大きくなっても小さいままやで! わっはっは!」


「そないなことない! 毎日牛乳飲んどるけん! 絶対の絶対、ぼくは大きぃなる! 笑っとられるんも今のうちやでお父! もう小猿なんてあだ名は誰にも言われんくらいになぁ!」


「せやなぁ、お父も応援しとるわ。小猿が大猿になるんをなぁ、はっはっはっ」


 どこまでも陽気で、どこまでが本気なのか、父の本音が葵にはわからない。


 顔を真っ赤にしてぷんぷんし始める葵の頭を撫でて落ち着かせた後、父が膝を折り、葵と同じ目線に背丈を合わせた。


「なぁ葵、何度も言うようやけんど。真面目な話、お前は身体が小さいけん双心流のが向いとる。悪いことは言わん。一心流はやめとき」


 これで何度目になるか、父は葵に道を示す。

 しかしそれと同じ回数だけ葵は父の言葉に首を横に振る。


「イヤや! ぼくもお父と同じ一心流がええ!!」


「二刀流やで? 考えてみぃ。一心流よかカッコええて」


「ならなんでお父は一心流なん? そないにカッコええ言うならお父も双心流に入ればええやろ!」


「あかんあかん。あんなんゴキブリみとぅ動くの疲れて堪らんし」


「矛盾しとる!? さっき格好ええ言うたやん!?」


「せやからゴキブリみとぅで格好ええ言うとるやろ」


「ゴキブリがカッコええわけないやろ!?」


 脊髄反射でツッコミを入れる葵に、わっはっはと父は屈託なく笑っている。

 バカにされているようで、葵としては面白くない。


「ふん! もう知らん!」

 

 ふてくされるようにして葵は唇を尖らせた。

 

「冗談やでぇ、葵。ホンマにすんなや」


「つまらんこと言うお父が悪い。言っとくけど、ぼくは何もオモロへんから」


「ぷっ。ホンマ可愛げのあるやっちゃなぁ葵は」


「知らんわどアホ」


 ぷいっと顔を背けてご立腹の意を示す葵に対し、父は一切気をかける風もなく葵の小さな頭に手を乗せて、髪を指でわしゃわしゃと掻き乱す。


「なぁ、葵」


「………」


 父の言葉を葵が無視する。

 すると更に父は葵の髪をわしゃしゃと掻き乱す。


「なぁ、葵って〜」


「や、ちょ、や、ほんまやめろや! 禿げてもうたらどないすんねん!?」


「そんときは小猿からハゲ猿に改名すればええだけのこっちゃろ」


「うっさいわほんまっ!?」


「だっはっはっ! まぁ、聞けって」


「なんや」


 ふてくされる葵が横目を向ける。

 父は微笑んでいた。

 まるで自身の宝物を誇りに思うかのように。


「葵には、才能がある。天賦の才や」


「てんぷの才? なんやそれ、揚げ物か?」


「天才やってことや。お前は剣の天才や。せやから葵、お前は俺とは違う道に進め。俺の背中ばっか見とらんで、お前はもっと先を見ぃや」


 それは父なりの息子への賛辞。

 父が向ける、息子に対する憧れの眼差し。

 幼い葵にはいまいち言葉の意味は伝わらないが、それでも父が真剣だということくらいは葵にもわかった。

 しかし、ひとつだけわからないことがある。

 

「ぼくが天才なんて、今更やろ?」


 さも当然のことのように葵は首をひねった。

 自らが天才か否かなど、葵はとうの昔に知っている。

 それだけは自覚があった。

 揺るがぬ自信はどこからくるのか。

 そんなもの、決まっている。何故なら――


「当たり前やん。だってな、ぼくはお父の息子やから」


「―――」


 自信に満ち溢れた声と姿に、父は息を飲む。

 己が天才なのだと微塵も迷わぬ純朴な熱意。

 父を天才と些かも疑わぬ純粋な狂気。

 その幼い容姿に宿る迫力に父は息を呑まされる。


「は……ははっ! そうやな、俺としたことが無用な心配やったようや。ああ、お前は俺の自慢の息子や」


 そう言って、父は葵の頭を撫でた。

 何度も何度も撫でた。

 葵は父に頭を撫でられるのが好きだった。

 父の無骨で大きな手が大好きだった。


 それが、葵が父に頭を撫でてもらった最後の記憶だ。


 それから2日後、葵の父はモンスターに殺された。





 ウェイカーという職業柄、その殉職率は極めて高い。


 中でもウェイカー全盛期の2000年代は、未だギルドの統制が全国に行き渡らず、金や名誉に目を曇らせた低レベルのウェイカー達が、我先にと異界門に飛び込んでは命を落としていった。


 ウェイカー市場の賃上げや、モンスター素材の高騰といった要因も重なり、酷い年では10人に1人の割合でウェイカーが死んだという。

 

 そして、葵の父も、例に埋もれず10分の1の確率を引き当て、その殉職者の末席に並んだのだ。





 レベル3の異界門(アビス)で葵の父は死んだらしい。


 父を運んできた同クランのパーティーメンバーに聞いた話によると、十分安全を考慮した編成で、異界門(アビス)レベル的にもなにも問題はなかったはずだと言った。

 普段通りだったならば、と最後にそう枕詞を付け加えて。

 


 父は――門の発生に巻き込まれた、小さな女の子を助けようとした。

 


 帰ってきた父の遺体はぼろぼろで、身体中傷だらけで、深く抉れた胸元の傷が致命傷となったらしく、ほとんど即死だったそうだ。


 母は泣いていた。

 あんなにも気丈な母が泣いていた。

 母の腕に抱きしめられる葵も、泣いていたのかもしれない。


「約束、したやんか……ッ」


 素振りでできた剣ダコだらけの小さな手を硬く握り締め、呻くように葵は言葉を吐き出した。

 

「無事に帰ってくる言うて、約束したやんか……ッ」

 

 応える声はない。

 ただ、母の嗚咽だけが、部屋に響き続けた。





 後日、父の助けた例の女の子と、女の子の両親が葵の家に頭を下げにきた。


「ほんまに申し訳ない……っ。娘を助けて下さったばかりに、旦那様が……っ」


「私共はどうやって詫びたらええかわからん。ほんまのほんまに、申し訳のしようがない……っ」


 青い顔で頭を下げ続ける女の子の両親を見て、葵の母はゆるゆると首を横にふった。


「お二人とも顔を上げてください。主人はウェイカーです。死ぬことも覚悟の内やったろう。あん人も最後に子どもを助けて死ねるなんて本望やったと思う。せやから……せやから顔を上げてください」


 母は気丈に振る舞おうとした。

 けれど薄赤く腫れた瞼の下の泣腫は隠せない。

 それもそうだろう。母はついさっきまで、えんえんと泣き続けていたのだから。

 

 頭を下げ続ける女の子の両親と、力なく笑う葵の母とが、私達が悪い、誰も悪くないと、いつまでも意義のないやり取りを交わし合っている。


 葵にとってそれは無意味な時間のように思えた。

 それどころか害すらあるように思える。

 謝罪なんかいらない。

 早く帰ってくれと心の中で願う。

 もうこれ以上、母に無理をさせないでくれと。

 そんな言葉が葵の口から出かけたとき、


「あんた、あのヒーローさんの子ども?」


 謝罪に来た両親の横にひょっこり立っていた女の子が、無遠慮に葵の前に出てきてそう言った。


 肩までで切り揃えられた黒い髪。

 その前髪の隙間から覗く瞳は暗蒼色。

 頬には白いガーゼを貼っていて、身長は小柄な葵よりもだいぶ高い。

 年齢的にもいくつか離れているだろう。

 両親に着せられたのだろうか、背伸びしたような白いブラウスがひどく窮屈そうだった。


「ヒーロー?」


 眉根にシワを寄せて、葵は聞き返した。

 女の子は頷いた。


「せや。あんたのお父さんは、怪物からあたしを守ってくれた。テレビに出てくる本物のヒーローみたいやった」


 記憶を思い出すように一度瞼を閉じて、開く。

 力強い声で女の子は続けた。


「あたしが今こうして生きとるのも、能力者になったんも、全部あんたのお父さんのおかげ。せやから今度はあたしの番。あんたのお父さんの代わりに、今度はあたしがアンタを守る」


 暗蒼色の瞳に決意を浮かべて言い切って、それから女の子は頭を下げた。


「お父さんのことは、ごめんなさい」


 葛藤があったのだろう。

 命を救われた感謝と、命を奪ってしまった罪悪と。

 生還を喜ぶ両親と、喪失を嘆く己との狭間で。


 女の子も被害者だ。

 異界災害に巻き込まれて、怖い思いをしただろうに、目の前の女の子は年相応以上にしっかりしていた。


 あなたの父を死なせたことは私が悪い。

 だからその償いに、私があなたを守ると。

 その覚悟は、女の子の華奢な五体に背負うにはあまりにも重すぎる。そして何より勝手すぎる。

 そんなことを葵が望んでいるわけではない。


「……いやや」


「え?」


 驚いたような声を上げ、女の子は顔を上げた。

 今にも泣いてしまいそうな、そんな顔。

 真っ直ぐに葵は女の子を見て言う。


「お父は命をかけて君を守った。ならぼくも君を守る」


 父が救った命を、今度は息子の葵が守る。

 使命感などではない。

 目の前の女の子が、柵に囚われることなく、笑えるように。

 そうしたいと葵が思ったのだ。

 幼いながらも、そう思ってしまったのだ。

 だから――。


「今度はぼくが君の刀になる。君を守る刀に」


 女の子は息を飲んだ。

 暗蒼色の瞳が大きく見開かれる。


「なんや、それ……勝手なこと言わんといて。あたしは……あたしが……!」


「勝手なんはどっちや! ぼくは君に守ってもらうほどひ弱やないし、第一女の子に守ってもらいとうない!」


 葵も、女の子も、どっちも譲るつもりはない。

 似た者同士。覚悟を決めた者同士。

 女の子がゆるゆると首を横にふった。


「なんや、ほんま……意味わからん。ちびのくせに」


「背丈は関係ないやろ!?」


 気にしている身長のことを持ち出され、葵は絶叫を上げた。

 やりづらいなぁ、と葵が小さくぼやいて、


「それにちびやない……葵や、ぼくの名前」


「葵……」


「うん。梁取 葵や。君は?」


「あたしの……名前は――」


 その瞬間、サぁーっと風が吹いた。

 揺れる前髪を抑える女の子。

 自らの髪が暴れるのも構わず、葵は女の子の綺麗な髪を知らず見つめていた。


 気がつくと時刻は夕方。

 あたり一面を、橙色の夕焼けが染める。


「簪刺……茜や」


 きっと、そのときからだろう。


 葵が茜に心惹かれ始めたのは――。

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