Level.53『底の知れない男』
爪先で大地を蹴り、体勢を低く地を疾駆する。
両手の刃が風を切り、踏みしめた大地が足裏を通して脹脛を力強く押し返してくれる。
心地いい加速感に身体全体が躍動する。
――力はいらん。
眼前で佇む黒鬼――漆木を視界の中心に捉えた。
それ以外、双夜叉――葵の目には映らない。
軟体動物のように手首の関節を滑らかに稼働させ、左の短刀を逆手から順手に持ち替える。
最早葵自身、刀を握っている感触すら感じない。
一瞬で彼我との距離を詰めると、そこはもう葵の射程範囲だ。
「双心流 奥伝〝突禍柘榴〟」
柘榴の蕾が開き、内側から4つに裂けるような軌道と残像を描きながら、双刀が漆木を襲う。
全ての斬撃が漆木を捉えた――直後。鋼を打つような硬い感触が、刃を通して葵の手を痺れさせた。
「ほんま硬いっなぁ……!!」
感想を口にするのも束の間。
漆木の巨大な手が葵の顔面に伸ばされ、葵は身体を捻りながら漆木の手を躱す。
3歩、4歩と後退し、出端の位置に戻る。
これで3回目だ。
クツクツ音を立て、漆黒を纏った漆木が嘲る。
「何度やっても同じことだ。気づいてんだろう? テメェの蚊みてぇな攻撃じゃ俺には傷一つつけられねぇよ、双夜叉ァ」
「せやったらわざわざ防がんでもええんちゃう? その肌、かりん糖かってくらい黒いんやけど。なんや将来の夢はボディービルってか? 人種差別ええ加減にしとけよコラ」
「なんだ今日は口がよく回るじゃねぇか双夜叉。失敗したな。あのガキは殺しておくべきだった」
ボキボキと首の骨を鳴らし、漆木は狂気と歓喜に溢れかえる萩たちの戦場に目を向けた。
「今からでも遅くはねぇ。テメェの底は知れたことだし、殺しに行くとするか」
この数合で、漆木は確信した。
たとえ同じレベル7だとしても、剣速に特化したスピード型の葵では、防御に長けた漆木のガードを上回ることはできない。
逆に葵の速度を前に、漆木の攻撃は全て躱され、葵を捉えることができはない。
どこまで行っても平行線だ。
互いに相性は悪い。
漆木にしてみれば、海を自由に泳ぐ魚を素手で捕まえようとしているもの。仮に反撃を受けたところで、小魚に啄まれようがさして気にすることはない。
はっきり言って、時間の無駄だった。
既に漆木の興味は萩たちに移ろうとしている。
「誰の底が知れたって?」
左に構える短刀を再び順手から逆手に持ち替えながら、葵は「あほ吐かせ」と笑ってみせた。
「こっから本気や。見切ってみぃ」
「そりゃあチンピラの台詞だろうが。負け惜しむぐれぇなら最初から全力で来いよ」
次の瞬間、葵が地を駆ける。
飽き飽きしたように、漆木の舌打ち。
「なんどやっても学ばねぇ野郎だ。テメェの攻撃なんざ俺には通用し――」
そこで、言いかけた言葉が止まった。
目の前で起きた現象を前に漆木は目を見張った。
揺らいでいる。そう表現するのが正しい。そう表現する以外の言葉が見つからない。
濛々と地を駆け肉薄する葵。その姿がなぜか漆木の瞳にはゆらゆら揺れて見える。
幻覚なのか。いや、そんなわけがない。
これは――。
だが、漆木の脳内が答えに辿りつくよりも速く、その思考速度を超えるスピードで葵は疾駆した。
漆木の眼下に迫る、夜叉の影。
左やや斜め下から顎を掬うような構え。
狙いは恐らく顔面だろう。
当たりを付け、漆木は両腕をクロスさせ顔面を守るような姿勢を取る。
次の瞬間、葵の双刀が唸りを置き去りにする。
漆木の予想通り、刀は真下から漆木の顔面へと向かって切り上げられる。
顔面を防ぐ漆木の腕と葵の双刀が衝突、盛大な火花が漆木の視界に――否、火花は上がらなかった。
「なにッ!?」
何故なら漆木の腕に葵の双刀が衝突する間際、漆木の目の前で葵の姿が忽然と掻き消えたからに他ならない。
まるで蜃気楼のように、葵の姿が更に揺らぎ、今度は漆木から見て斜め左側に葵が現れる。
「クソがッ!?」
しかし流石は漆木といったところだろうか。
漆木は葵の〝揺らぎ〟に反応してみせた。
レベル7の動体視力と反射神経。そこに至るまでに培われてきた技術や過去の経験。それらが功を奏し、顔面を守るべく上げた腕を、勢い良く漆木は振り下ろす。
「オラァッ!!」
しかしそれすらも、振り下ろした漆木の腕が直撃する直前に葵の姿はまたもや掻き消える。狐に化かされているかのように。
そんな彼の視界の脇で、銀閃が迸った。
「双心流――」
漆木は息を呑んだ。
漆木の向かって右斜め横。
カラスに似た深黒。それでいて尚も美しい。
カラスアゲハの羽色にも似た斬撃色。けれどそれには御霊を帯びた幽魂の輝きが伴う。
正に静寂を斬るかの如く、葵は無防備になった漆木に向けて双刀を振るった。
「――奥伝〝御霊蝶羽〟|
双刀が蝶羽の軌跡を描き、漆木の脇腹を薄く裂く。
アウターの奥、紺色の肌着に血が滲む。
この戦いで初めて漆木は傷を負った。
致命傷には程遠い。しかし葵の刃は漆木に傷をつけ得ることが可能だと証明された。
「――っ、クック、食えねぇ野郎だ。隠してやがったのかテメェ……!!」
脇腹を抑えながら、漆木は低く笑う。
「いやぁ、今ので仕留めきれんとはショックやわ。割とガチやったで。勘弁して欲しいわホンマ」
欠片も落ち込む様子など見せず、葵は右の刀の峰で肩をトントンと叩いた。
「ほな、鬼刈りといこか」




