Level.51『野良井 獏と織﨑 萩』
再優先事項の楓の救出に成功した今、この場から逃げおおせることは容易かった。
それでもなくとも地の利は向こうにある。
無理に戦う必要などない。しかし――。
「――死ねやァ、双夜叉ァッ!!」
眼前。
雄叫びを上げながら、金属バットを振り上げた男が愚直に突貫してくる。
無論、その男は能力者だ。
金属バットに見える鈍器もまた心象武装。
個性豊かな心象だ。
野球でもしたかったのだろうか?
いや、別にどうでもええか。
「邪魔やって。お前に用はないねん、チンピラ」
振り下ろされる金属バット型の心象武装を左の刀で跳ね返し、空いた男の銅をすかさず葵は右手の刀で少し強めに叩く。
肋骨を砕く、確かな感触。
ぐえっ!? と男が苦悶に呻き、倒れる。
刀の峰ではなく、刃を当てていたなら男は死んでいただろう。
「そこで大人しく寝てるんやな。俺が用あるんはお前らの後ろにおる親玉だけや」
以前、葵の眼中にあるのは黒鬼だけだ。
葵も萩も、撤退する気などない。
ここで逃げたとて、奴らは拠点を変え、再び椿姫を襲ってくることだろう。
恐らく、今よりもっと卑劣な手段と方法で。
その場合、奴らの悪事に比例し被害も大きなる。
故に我沙羅を今ここで叩く必要がある、と。上っ面だけの大義を並べ立てる。
本音を言えば、祥平の仇を前にして逃げることなどできようはずがない。
なんとしてでも、奴だけはこの手で斬らねば気がすまない。
❦
戦場はすでに混沌と化していた。
あちらこちらから殺気立った雄叫びが上がる。
迫りくる我沙羅の群れを、萩は愛剣『白蒼剣』で迎え撃つ。
明白な人数差。=明確な戦力差。
いくら多対一の戦乱でこそ真価を発揮する萩の能力《戦場の俯瞰者》と言えども、多人数をいっぺんに無力化できる範囲攻撃などは持ち合わせていない。
故に萩はひとりひとりを確実に無力化していく。
地道でいて、とても神経を使う作業だ。
以前に誰かが言っていた。葵さんだったか。殺さずに無力化することは、殺すよりも数段難しいと。
加えて、相手は全員能力者だ。
萩の甘い考えはすぐに足元を掬われた。
「ハッハッ、潰れ死ねや!!」
敵の攻撃を防いだ直後、萩の全身を地面に沈み込むかのような負荷が襲う。
心象武装の能力。恐らくは重力系統の。
「――っ、ぐ……ッ!?」
全身が頭から圧迫されるかのような凄まじい『G』に、萩はたまらず膝を付いた。
そのままずぶずぶと敵の刃が萩の肩に食い込む。
これはマズい、と萩が思ったときだ。
「ちまちまやってんじゃねぇぞこらッ!」
横合いから飛び込んできた拳が、敵の横っ腹を撃ち抜いた。
苦鳴を漏らしながら敵は軽々と吹き飛んだ。地面に転がり、そして沈黙。
窮地を救ってくれたのは、ガルルルッと好戦的に喉を鳴らす狂犬――野良井 獏である。
「……悪い、助かった」
「はッ、別に助けてやったわけじゃねぇよ。てめぇが死ぬと俺の仕事が増えるんだ。悪ぃと思ってんなら殺す気でやれ」
言葉はキツイが、獏の言葉の意味は萩にも理解できる。
ここで萩が倒れれば、均衡とまでは言わないまでも、どうにかこうにか我沙羅と渡り合えている戦況が一気に瓦解する。
人数の穴埋めが利かない今、萩が戦線を離脱するのはそのまま敗北――即ち死に直結する。
誰一人として欠けるわけにはいかないこの状況。
そんな苦境の最中でさえ、萩は未だ甘い理想を捨てきれない。
立ち上がり《翡翠の癒火》で肩の傷を治療しながら、萩は獏の隣に並んだ。
「できれば、殺さず無力化したい」
瞬間、刺すように鋭い眼差しが萩に向けられる。
「てめぇの目は節穴か? それが叶う状況に見えんのかよ、これが」
「俺ひとりじゃ無理だ。だから、力を貸してくれ」
そう、萩ひとりじゃ無理だ。わかってる。
いくら対人戦闘の訓練を毎日しているからと言って、敵を殺さず無力化するほどの実力がまだ萩にはない。
それでもなるべくなら人を殺すことはしたくない。
殺すのは最後の手段だ。どれだけ絶望的な状況下でも、人を殺さないための努力を萩は惜しまない。
「てめぇ……本気で言ってんのか?」
「本気だ。考えが甘いってのは俺もわかってる。けど、殺さず全員無力化する。手を貸してくれ」
狂犬の威嚇に一切物怖じせず、萩は頼むと獏に言葉を続けた。
しかし獏は「違ぇ、そこじゃねぇ」と、萩が受け取った言葉の意味の相違を指摘する。
「一度てめぇを殺そうとした相手を、てめぇは信用できんのかって話だ」
以前に一度、萩と獏は剣を交えている。
忘れもしない。祥平さんが死んだあの日、獏は漆木と共に萩達の敵として現れた。
つまり、そういうことだ。目の前にいる如何にも凶暴な狂犬は、律儀にも萩に『お前は俺に背中を預けられるのか』と問うているのだ。
それは裏を返せば『お前は俺の背中を預けるに足る存在なのか』という意味にも受け取れる。
昨日の敵は今日の友。敵の敵は味方とよく言うが、目の前にいる真面目な狂犬は、そんなありきたりで薄っぺらい言葉を望んでいるわけではない。萩は本心を語る。
「お前は楓を助けてくれた、獏。信用する理由なんて俺にはそれだけで十分だ」
「それに……」と続きを言いかけ、そこで萩はおもむろに言葉をきる。
「それに、なんだよ?」
引っ込めた言葉の尻を獏は問う。
しかし萩は答えようとしない。
「なんだよ、言えよ。気になんだろうが」
苛立たし気に言葉の続きを催促する獏。
それに根負けしたのか、数秒の沈黙の後、萩は恥ずかしそうに口を開いた。
「……嬉しかったんだよ」
「あ?」
「だから……嬉しかったんだよ。祥平さんのことを、よく思ってくれてるやつが俺の他にもいて!」
半分ヤケクソになりながら、気恥ずかしさを紛らわすよう後半は声を大にして萩は言い切った。
ぽかんと獏は目を丸くする。
気にせず、萩は続けた。もうヤケだ。
「祥平さんが言ってた、好きにやれって。だから俺は好きにやる。でも俺ひとりじゃ無理なんだ。お前の力がどうしても必要なんだ、獏!」
気づけば、萩はそんなことを口にしていた。
我ながらなんと熱い男になってしまったのだろうと萩は思う。勢いって怖い。
それもこれも全て祥平さんのせいだ。そうに違いない。あの人の『熱』が萩の中に息づいている。
「はッ、うはハハハハッ!」
何事かと見れば、無言で目を丸くしていた獏が急に笑いだした。かと思えば、バンバンと萩の背中を獏がはたく。
「いいじゃねぇか! 気に入ったぜ! そんなに熱く頼まれちまったら仕方ねぇ! この『狂犬』がてめぇに力を貸してやるよ、萩!」
「え? いいのか!?」
「たりめぇだ。男に二言はねぇ。だが」
「だが?」
「俺のほうが祥平の兄貴を尊敬してる。そこんとこはしっかり覚えとけや」
「あ、ああ。わかった。ありがとう!」
萩の熱弁が効いたのか、あるいは祥平さんの話題を出したのが正解だったのか、結果はどうあれ獏は萩の甘い理想に協力してくれる気になったようだ。
「まぁ、そもそも俺は人を殺さねぇ。祥平の兄貴に言われてっかんな」
「そ、そうなのか? でもさっき全力で殴ってたように見えたけど……」
「急所は外した。それにコイツらはみんな能力者だ。そう簡単にゃ死なねぇよ。だから萩、てめぇも加減なんかしてねぇで全力で戦っちまえ」
「加減……?」と、萩は首をひねる。
手加減なんてしている余裕は萩にはなかった。
「惚けんなって。漆木さ――黒鬼をぶった斬ったときに見せた、あの紅い炎を……」
そこで、全てを言い終える前に、萩と獏は同時に後方へ大きく飛んだ。
直後、今さっきまでふたりがいた地面を無骨な戦斧が抉る。
見れば、囲まれていた。
「いつまで喋ってんだコラァ糞獏ゥッ!」
今しがた戦斧を振るった強面の男が荒々しい声でそう喚き立てた。
チっと短い舌打ち。獏の眉間に青筋が立つ。
「誰の名前にクソ付けてやがんだテメェはよォ」
殺気立つ狂犬は、名前の頭にクソをつけられ相当キレているようだった。
周囲を囲む我沙羅の元メンバーを見渡しながら、獏は吐き捨てるように啖呵をきった。
「三下相手にイキってた雑魚共が、俺とやろうってのか、あぁ!?」
ザラザラとした獰猛な殺気は獣のようだ。
しかしそんな獏の啖呵はむしろ逆効果だったかのように、我沙羅の連中の敵意は更にヒートアップする。
「漆木の兄貴の尻についてばっかの番犬野郎が調子に乗ってんじゃねぇぞッ!!」
「俺らがテメェをぶっ殺すこの日をどれだけ夢に見たか! 殺してやるよォ、クソガキィッ!!」
「ガキのくせしてデケェ面しやがってからに、ぶっ殺してやるぜ野良犬がァッ!」
日頃からの鬱憤を全て吐き出すが如く、苛烈さを増す獏へのフラストレーションの一斉噴火。
それを尻目に萩は獏に横目を向ける。
「獏、お前……いくらなんでも嫌われすぎだろ。なにしてきたんだよ、お前いったい……」
「ハッ、るっせぇな。だがまぁ、ここまでくるといっそ清々しいぜ! てめぇら纏めてぶっ殺してやるから覚悟しろやッ!!」
両方の拳鍔を合わせ、獏が吠える。
その隣で萩は火種を奮い立たせた。
萩と獏、甘い理想を掲げたふたりの共闘が今ここに始まる。




