Level.49『悪党のアジト』
大阪の外れ。
寂れた港湾区画に、廃工場群が広がっている。
工場近くにバイクを止め、俺と葵さんは立ち入り禁止の虎ロープを潜り、工場の敷地に入った。
錆とオイルと鉄の臭い。
静けさを帯びた夜の工場は、不気味なほど空気が淀んでいる気がする。
足元を照らしてくれる月の光を頼りに、俺達は建物と建物の間の通路を進んでいく。
「にしても、でっかい工場ですね」
辺りを見渡しながら――と言っても暗くて全容を把握することはままならないが――俺はつぶやいた。
工場はかなり規模が大きいようで、パット見横浜にある工業地帯に負けず劣らずの敷地面積を有していると思われる。
「なんや車やバイクの部品作っとったみたいやで。昔はだいぶ栄えとったらしいけど。言うて、俺が生まれるずっと前の話や」
「そんなに昔から……これだけの面積、いっそ工場を取り壊して、土地を有効活用した方がいいと思いますけど」
「この規模壊すんやったらあほみたいに金がかかるからな。取り壊すに取り壊せんっちゅーやつや」
「それで誰も近づかないことを良いことに、まさか悪党のアジトになってるなんて、土地主どころか他の誰も思ってもみなかったことでしょうね」
「せやな。けど、それも今日までの話や」
葵さんは今、何を思っているのだろう。何を考えているのだろう。
ただ平然と、いつもと変わらぬ穏やかな口調で話す葵さんは、落ち着いているように見える。
殺意も、敵意も。怒りですらも。
葵さんの感情は何一つ感じ取れない。
それがとても、恐ろしく思えた。
怒っていないわけはないんだ。
祥平さんを殺され、楓が人質に取られた。
心中穏やかでいられるはずがないのに……。それなのに葵さんは、負の感情を表に出さず内に押さえ込んでいる。
まるでそれが、爆発寸前の核燃炉のように思えてならない。果たして俺は、葵さんに着いてきて良かったのだろうか。
ふと、葵さんが足を止めた。
「多分あれやな、連中が言っとったんは」
顔を上げると、他の工場より一回り大きな建造物が視界に入る。
「あそこに、楓が……」
「なんや、今更んなってビビっとるんか? 別に帰ってもええんやで」
俺の不安を嗅ぎ取ったかのように、隣を歩く葵さんがそんなことを言ってくる。
俺は首を横に振った。
「ここまで来て、それこそ今更ですよ。何があっても楓を助け出す。俺が決めたんです」
そうだ。着いてきて良かったかどうかなんて、そんなどうでもいいことを考えてしまう時点で弱気になっている証拠だ。
着いてきて悪いわけがない。
何がなんでも楓を助け出す。
そのために、俺はここに来たのだから。
ブレかける信念に、再度火種を燈す。
「……そか、せやったな」
無粋やったなと葵さんは小さく肩を揺らす。
それから葵さんは静かに心象武装を起こして、不敵に笑った。
「ほな、気張って行こか!」
「はい!」
力強く、俺は頷き返した。
❦
建物の中は思った以上に暗かった。
野外と違い、建物の中に月光は届かない。
年季の入った棚や机。床には割れた硝子片が散乱しており、破れた紙切れがホコリに塗れて眠っている。
ここは以前、事務所になっていた場所だろうか。
チカチカと不気味に点灯するランプが、いかにも廃屋といった感じで、しかし球が切れかかっているだけでちゃんと電流は流れている。
――どこからか電源を引っ張ってきているのか?
葵さんの話では、もう何十年も昔にこの場所は閉鎖されているはずで、無人の工場に電気が通っているのはおかしな話である。つまり、
「ここが我沙羅のアジトっていうのは本当みたいですね」
「せやな。けど、ほんまに人がおるんかここ? 胡散臭いで。なんの気配もせぇへん」
「今のところ、紫麗の燐火にも反応はないですね」
事務机に積もったホコリを指で掬い、ふっと葵さんが息を吐きかけ指のホコリを吐息で飛ばす。
「とりあえず手分けして探そか」
建物は2階建てになっており、俺は1階、葵さんは2階を探した。
しかし、どこを探しても我沙羅の連中は見当たらず、楓の姿も見つからなかった。
「漆木が指定してきたのは、この建物で合ってるんですよね」
「たぶんな。けど、こうも見つからんとなるともしかして」
顎に手をやり、葵さんはなにかに気づいたように地面に屈んだ。
「萩、明かりくれ」
葵さんに言われるままに、俺は《火種》を起こし、床を照らした。
すると、ホコリを被った床に、何人もの足跡がくっきりと浮かび上がる。
「ビンゴ。あっちか」
足跡のほとんどは一直線に左奥のドアへと向かって続いており、《火種》を松明代わりに俺たちは足跡の続く方へと慎重に進んでいった。
進んだ先にあったのは、壊れたエレベーター。
横の文字盤を照らすと、2階と1階、そしてB1と描かれたボタンがある。
壊れた自動ドアの中を《火種》で照らすと、底の方に壊れたエレベーターの残骸が転がっているのが微かに視える。
「地下があったんですか、ここ」
「ネズミの隠れ家にはピッタリやな。俺が先に行く。足元照らしとってな」
そう言うや否や、10メートルはありそうな深さの地下に向かって、躊躇することなく葵さんが飛び降りる。
その背中に続き、俺も地下に飛び込んだ。
一瞬の浮遊感の後、無事着地。
ガシャンッ、とエレベーターの残骸が虚しく悲鳴を上げる。
《火種》を纏った右腕を暗闇にかざすと、ぼんやりと周囲の様子が見て取れた。
俺たちの降りた地下は広い閉鎖空間となっており、高い天井には人の胴周り程もある野太い動線が、無数の束となり結束している。物置にでも使われていたのかダンボールやら備品やらが床に転がっていた。
未だ紫麗の燐火の敵害感知に反応はない。
ここも外れか、と気を抜きかけたそのとき、
「――萩」
短く、葵さんが俺の名前を呼んだ。
まるで信じられないものでも見るかのように、葵さんが部屋の一点を凝視している。
遅れて俺も気づいた。
なぜ見落としていたのか。
あまりの自然さに、気付けなかったのだ。
気づいてしまえば、その異様さに目が離せない。
「なんで、こんな場所にあるんだ……」
葵さんと俺の視線の先。
部屋の中央奥に『扉』があった。
凡そ2メートルほどしかない、平凡でどこにでもありそうな両開きの扉。
しかしそれは部屋の壁に設置してあるのではなく、不自然にも置物のように部屋の中央にポツンと放置しておいてある。
それがただの置物であったのなら、どれだけ良かったことか。
「これは、俺らが思っとった以上にヤバい案件かもしれんな。ほんま、イカれとる――」
まるで風景に同化しているそれは、『異界門』以外の何物でもなかった。




