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レベル0のイレギュラー  作者: 椋鳥 未憐
第二章 椿姫
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Level.48『温くて軽い』




 ――1度、見たことのあるような顔だった。


 顔を、はっきりと覚えているわけではない。


 それでも、確信する。


 目の前にいるこの男こそが、あのとき楓達を貶めた男なのだと。

 

「ほら。やっぱ君、あんときの子じゃん」


 めくり上げられた服の下。

 胸の膨らみを隠すために楓が着用していたインナーが露わになる。


「――ぁ、」


 びくりと身体が固まり、肺の奥から漏れた空気が虚しく飛散する。


 最初にこの男を見たとき、あのナイフを目にした瞬間、なぜ楓は違和感を持ったのか。

 感じた既視感の正体が鼓動を速らせ、忙しなく脈打つ心臓が楓の心境を如実に物語る。

 男は旧友に会ったかのようなあどけない口調で、楓に向かって話しかける。


「ほら、覚えてるでしょ? 忘れられるわけ、ないでしょ?」


 気づけないままでいられたのなら、どんなに良かったことか。

 なぜ、今なんだと楓は思う。

 どうして、不運はこうも度重なり合うのか。

 男は昔の記憶を少しづつ手繰り寄せるかのように、楓に向かって微笑みかける。


「へぇ、ウェイカーになったんだ、君。そう言えば、あんとき一緒にいた子はどうしてる? けっこう鈍い音したからさ、死んじゃってないといいけど」

 

 目をそらし続けてきた過去の悔恨が、濁流となって押し寄せる。

 あの日の記憶が蘇る。

 そう、この男こそ、楓にとっての元凶。

 楓と楓の親友を地獄に落とした張本人だ。


「ていうかさ」男は、伏見は首を傾げた。


「なんで男装してるわけ? せっかく可愛い顔してるんだし、勿体ないよ」


 強張る楓の髪を指で梳かし、人好きのする悍ましい笑みを浮かべて伏見はほくそ笑む。

 そんな伏見の顔を、楓は直視できない。

 できることなら今すぐにでも髪を梳く伏見の手を振り払い、まるで呪言のように心を掻き乱す声に耳を塞いでしまいたいが、頼みの両手は後ろ手にキツく縛られている。


「やめ……て、ください」


 恐怖を胸の奥に噛み締め、楓は震える声でつぶやいた。それが楓にできる精一杯の抵抗――いや、願いだった。

 強くなりたいと心に決めたはずなのに。

 前に進むと心に誓ったはずなのに

 信念は、こんなにも容易く折れてしまうものなのか……。


「―――」

 しかしその脆弱な楓の願いが届いたのか、伏見の手が楓の髪から離れる。

 恐る恐る顔を上げると、楓の瞳に映ったのは、


「あー、いいね、その顔。すごくいい。やっぱあんとき抱かなくて正解だったわ」


 爛々と狂気に火照る、伏見の下卑た笑み。


「大丈夫。優しくするから」

「いや、やめて……」


 震える楓に伸びる、伏見の手。

 楓は唇を噛み締め、ぎゅっと瞼を閉じた。



「――いい加減にしやがれ、てめぇ」



 もうダメだと楓が思った瞬間、その場に響く苛立たしげな声。

 伸ばされた伏見の手首を違う誰かの手が掴んでいる。

 伏見の暴挙を止めたのは、他の誰でもない、今まで黙って壁際に背を預けていた獏だった。


「なに?」


 手首を抑えられ、邪魔をされた伏見が静かに獏を睨めつけた。

 しかしそんな威嚇如きで臆する獏ではなかった。

 伏見を見下ろしながら、怒気を含んだ声音で獏は言葉を投げる。


「てめぇ伏見、漆木さんの顔に泥塗るつもりかよ。漆木さんは手出さねぇっつったろうが」

「そんなの建前に決まってるでしょ。適当だよ。漆木さんは双夜叉が来ればいいだけだし、この子がどうなろうと知ったことじゃないって。ねぇ、漆木さん?」

「………」


 伏見が漆木に話題を降るが、当の漆木は我関せずと口を開かない。


「ほら。漆木さんだって何も言わない。第一、犯罪者(ガシャラ)が約束なんて守るはずないでしょ?」

「人の顔ばっか伺ってんじゃねぇよ。漆木さんが死ねっつったら死ぬのかてめぇは」

「あはは、死ぬわけないじゃん。なに苛立ってんのさ。もしかして先にヤりたいの獏? 何だったら譲ってあげてもいいけど」

「は? 殺すぞてめぇ」

「冗談、冗談だって。ほんと、ジョークが効かないよね、獏は」

「てめぇのジョークがつまんねぇだけだ。いい加減気づけよクソ野郎」

「その言葉そのまま返すよ。いい加減気づきなって、獏。君ひとり浮いてんの、まだ気づかない?」

「あ"あん?」

「はっきり言うとさ、面倒くさいんだよ君」

「何だと」


 敵意を剥き出しにする獏を横目に、伏見はため息をつく。


「いい加減大人になりなよ。いつまでも反抗期の抜けない中坊みたいに噛み付いて、何が楽しいわけ? 童貞じゃないんだから、女ひとり犯すくらいで喚くなよ」

「犯さなきゃ抱けねぇ金玉の小せぇクズが。そういう腐った性根が気に食わねぇって言ってんだよ俺は」

「何を今更。面白いこと言うなぁ。清く正しい社会のルールに適応できずにいる、そういう腐ったクズの集まりが我沙羅だろ?」

「違ぇよ。我沙羅は気に入らねぇもんに対して暴れてぇときに好き勝手暴れられる、そういう荒くれ者のチームだ。少なくとも祥平の兄貴がいた頃の我沙羅は、てめぇみたいな金玉の小せぇクズなんかひとりもいやしなかった」


「あー」顎に指を当て、伏見は薄く笑う。


「祥平くんってたしか、この前漆木さんが殺した男でしょ? うちの元No,2だっけ? チーム抜けて、それで殺されてちゃ世話ないよね」

「黙れ。祥平の兄貴を侮辱するんじゃねぇ殺すぞ」


 途端、殺気立つ獏。

「ほら」と伏見はまたせせら笑う。


「すぐ殺す殺すって口癖みたいに言うけど、ぶっちゃけ君、人を殺したことないでしょ?」


 確信じみた風に、伏見が言う。

 図星か、獏の殺気が一瞬竦んだ。


「……だからなんだよ」

「だから青いんだよ」


 普段飄々と振る舞う伏見が初めて見せる本気の声音に、思わず獏は息を呑んだ。

 漬け込む隙を与えず、更に伏見は言葉を続ける。


「口先だけのやつの言葉なんて誰にも響かない。その証拠に、君の周りに人は集まらない。いい加減わかれよ。温いんだよ、お前の覚悟は」

「ああ、なるほど、通りでな。てめぇの言葉も響かねぇわけだ。軽いんだよ、てめぇの全部が」


 その言葉の直後、獏は拳鍔を振り上げた。

 伏見の手にはナイフが握られている。

 どちらともなく得物を振りかざす。

 思ってもみない敵同士の仲間割れに、至近距離にいる楓は唖然とすることしかできない。



「いい加減にしとけ、テメェらッ!」



 寸前で、ふたりの衝突を止めたのは漆木の静止の声だった。


「獏、死んだ人間の話題を引き合いに出すんじゃねぇ。人が変わればチームも変わる。うちはもう、あの頃の我沙羅とは違ぇんだよ」


 獏を諭し、次いで漆木は視線を伏見に向ける。


「伏見、テメェもだ。つまんねぇことで俺を苛立たせんな。女を抱くのは勝手だが、後にしやがれ」

「漆木さんも約束がどうとか温いこと言うんですか?」

「そうじゃねぇ。周りを見ろ。テメェひとり許しちまえば、他の奴らもおっ始めやがんだろうが。オス臭くてたまったもんじゃねぇ」


 改めて伏見が周囲を見ると、他のメンバー達の視線は楓に集中している。


「なるほど。確かにそれは俺の不注意でしたね」


 漆木の言葉に納得を示した伏見は「それじゃまた後でね」ひらひらと楓に手を振りながら、元いた場所に戻っていった。


 両手を拘束されている現状は変わらないが、窮地を脱した開放感から、、今まで緊張していた楓の身体が大きく脱力する。跳ねる心臓を落ち着かせるよう、楓は深呼吸を繰り返した。


「あの……助けてくれて、ありがとう」


 自分を救ってくれた男に対し、楓は礼を口にした。


「勘違いすんな。てめぇを助けたわけじゃねぇ」

「―――」

「ただ、俺が胸糞悪かった。それだけだ」


 苛立たしげにそう溢すと、獏は近くの壁に背を預けて目を瞑る。

 楓を見張っている、というわけでは無さそうだが、これ以上下手なことはできない。


「それでも、助けてくれてありがとう」


 もう一度、楓が獏に礼を言うと「ハ」と獏は小さく鼻を鳴らした。

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