Level.4『異界門』
授業は退屈で仕方なかった。
特に勉強ができるというわけではないけれど、就職クラスの授業内容は進学クラスと違って簡単だ。だからテストも一夜漬けでなんとかなる。
常に頭にあるのはバスケのこと。それから――。
「―――」
早く放課後にならないかと思いながら、教室の窓から校庭でサッカーをする結唯先輩を眺めていた。
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4限目が終わると昼休みに入る。
昼食は数少ない学校での楽しみのひとつだ。
弁当箱を開けるこの瞬間がたまらない。
今日のおかずは何かなと箱を開けると、
「おっ、からあげ入ってるじゃん今日!」
うん、母さんに感謝である。
からあげを箸で摘み口いっぱいに頬張った。
「はるき何見てんの?」
「剣道の全日本大会」
隣で弁当を食べながら動画を見ている春樹のスマホを覗き込むと、頭と胴と手に防具を装着したふたりの男が戦っているところ。
「右の人ガタイやばくない?」
「うん。今年も黒澤 賢人が優勝かなぁ」
「へぇ、今年もってことは強いんだその人」
「めっちゃ強いよ。18歳で全日本出てから一度も負けなしの怪物。今年優勝したら6年連続かな?」
「最強じゃん」
と言ってるすきに、黒澤が勝っていた。
春樹はほらね、と息をもらす。
「誰も勝てないんだよ。黒剣にはね」
俺には剣道のことは全くわからない。
春樹はつまらなそうに動画を閉じ、弁当を食うのを再開した。
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「――ってな感じでホームルームは以上。千歳公園で異界侵攻始まってっから近づくなよー」
「「はーい」」
ようやく6時間目の授業が終了し、ホームルームが終わった。
部室で練習着に着替えた俺は、他の部員に混ざり体育館でアップを始める。
「んで、倉咲先輩とは付き合ってんの?」
ふいに近づいてきた洋介がニヤニヤしながらそう言ってきた。
「なんだよいきなり?」
「いきなりってこともないだろ。今日だって朝っぱらから2人でいちゃいちゃしてたろ」
「あれがいちゃいちゃしてたに見えるのかお前……1on1で一方的にボコられてる俺を見て?」
半目で言い返すと、洋介は視線を女バスの方へと向けた。その先には結唯先輩の姿があった。
「あー、ありゃ公開処刑だったなたしかに」
「だろ?」
「うん」
ふたりしてコクコク頷きあう。
「でもよ?」と洋介が言った。
「倉咲先輩が萩以外の男と1on1してるところなんて俺一度も見たことないぜ?」
言われてみると、たしかに結唯先輩が他の男バス部員と1on1をしてるところは見たことがない。
「たまたまだろ、そんなの」
「ふーん。でも青野先輩は断られたらしいけど」
「え、……まじ?」
「信じるかどうかはあなた次第、ってな?」
「なんだ嘘かよ……」
「本当らしいぜ。言質は取ってある」
「え……?」
俺は耳を疑った。
まさかあの青野先輩が1on1を断られたって……まじか。まじなのか。
洋介はさも気にせず初めの問を口にした。
「そんで? ふたりは付き合ってんの?」
「付き合ってるように見えるか?」
「残念ながら俺の目には見えないね」
「だろ?」
「でも好きなんだろ? 倉咲先輩のこと」
「……なんか勘違いしてるようだけどさ、俺と結唯先輩は洋介が思ってるような関係じゃないからな」
「わかってるわかってる。でも告るんだったら早めに告っとけよ?」
「いや、だからそんなんじゃ……」
「おーい萩、洋介。喋ってるひまあったら声出せー!」
言いかけた俺の言葉は鈴木先輩の声にかき消された。
「うーす!」
「さーせん!」
軽く返事をしてアップに戻ろうとする俺に、去り際洋介が囁いた。
「倉咲先輩ルックスいいからさ、チキってっと他のやつに取られちまうぜ?」
「忠告してくれてるのか?」
「正確には警告だな」
アップに戻る洋介の背中を見つめながら、俺は小さくつぶやいた。
「……言われなくてもわかってるっての」
洋介とは高校からの付き合いだ。クラスは違うが部活が一緒なんでそれなりに仲は良い。
だからこれは洋介なりの気遣いだとわかった。
ハハ、思っているよりもライバルは多いらしい。
深呼吸して気持ちを引き締める。
「集中しろ俺。今は大会のほうが大事だろ」
色恋沙汰は部活が終わってからと決めた今、うじうじ悩んでいる時間はもったいないし、こんな中途半端な気持ちじゃプレーにも影響が出かねない。
気持ちを戒め直し、洋介に遅れてアップに戻ろうとして―――俺はふと足を止め天井を仰いだ。
赤く煌めく宝石のような何かが、天井に張り付いている。
「紅い、石?」
そう、ルビーのように濃厚な赤。まるで血を凝縮したかのような濃純な紅。
――どうしてあんなところに石が?
その疑問が解決するよりも、紅い宝石が天井から落下する方が早かった。
宝石は引力に引きつけられるがまま、数秒も経たずに体育館の床に落下した。幸い宝石の近くに人はいなかった。
落下の衝撃で粉々に砕け散る紅い宝石。
「――え」
瞬間、俺は言葉を失った。
心臓が動機を起こし、大脳が全力で警鈴を鳴らしている。
背中を冷たい汗が伝う。
一瞬の出来事だった。
宝石が落下した地点を基準に、不自然に空中で時を止めた欠片達が周囲の空間を飲み込むように圧縮し凝縮し収縮した。
そしてその結果、そこにぽつんと門が出現した。
縦4メートル、横3メートルの赤色の門だ。
その門を俺は知っている。見覚えがある。
そう、形状や色彩は異なるが、それはまるで昨日のニュースで目にした巨大な黒曜石の門によく似ていた。
「……まさか」
悪い冗談だ。
何かの間違いだと思った。
見間違いだと思いたかった。
しかし何度瞬きを繰り返そうとも、突如体育館に出現した赤門は消えてくれない。
「なに、あれ……?」
誰かが口にした疑問に反応し、周囲が赤門の存在に気づき始める。
そしてその赤門の正体を知っている誰かが、ぽつりとつぶやいた。
「あれって、異界門……?」
門の発生に浮かれる者。
「え、やっば。私実物始めて見たんだけど」
「私も私も! 写真撮ろっと」
「なんか思ったよりちゃっちいのな」
「それな〜。『アビス』って言うくらいだからもっと禍々しいの想像してたんだけど。それこそ昨日の黒曜石の大門みたいなさ」
「あー、それわかるー」
門の発生を軽んじる者。
「おーい、誰か佐々木さん呼んでこいよー」
「佐々木とかどうせまた便所でサボってんだろ」
「マジ使えねぇ」
「んじゃ直接ギルドに電話した方がよくね? うちの学校の教務便所でサボってんで来てくださいってさ」
「それ、採用!」
「いいよなぁ、楽な仕事で。俺も能力目覚めねぇかな〜」
「無理無理。お前じゃすぐモンスターに殺されるって」
「ひっでぇ! んなこと言うなよー!」
門の発生を迷惑がる者。
「つか練習の邪魔だよなこれ。どうするよ大地?」
「どうするもこうするも。門が発生した時点で体育館は封鎖だろ。練習どころの話じゃねぇって」
「まじかよ、イン杯近いってのに」
「あ、じゃ俺市の体育館の使用許可もらいに行ってきますよ後で」
「おっ、気が利くな〜走! 頼むわ!」
「うぃっす!」
普段滅多に目にできるものではない門の存在に、館内がザワつきざれ合う。
「ねぇ、そんなに近づいて危なくないの? 洋介」
「大丈夫、大丈夫。鎖がある限り門からモンスターは出てこられねぇからさ」
「へぇ、そうなんだ。でもこの門、鎖ついてなくない?」
「何いってんだよ。そんなはずは――……」
ないだろ、と言いかけた洋介の表情が凍る。
血の色をした門には、鎖が巻かれていなかった。
異界門の開閉を封じる、鎖という名の封印が。
「―――ぁ」
そして館内で浮かれる人間を嘲笑うかのように。
――ぬるり、と。
異界門から絶望が顔を晒した。




