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レベル0のイレギュラー  作者: 椋鳥 未憐
第二章 椿姫
49/132

Level.46『板谷 楓』




――なんで、わたしは男の子じゃないんだろう。


 お母さんにそれを聞いたら、お母さんは少し困ったような顔をしたのをよく覚えている。


 ジェンダーレスという言葉を知ったのは、わたしが高校1年生のときだった。

 生まれた性別に関係なく、ニューノーマルを誇張する。生物学的な性差を前提とした社会的、文化的性差をなくそうとする新しい考え方だ。


 これを知った瞬間。

 ああ、わたしはおかしくないんだ。

 わたしは、男の子になってもいいんだ。

 初めて、認められた気がした。


 男の子っぽい服を買ったみた。

 胸の膨らみが嫌だったから、色々調べて、コスプレイヤーさんが男装するときに使用しているBホルダーというものをこっそり買ってみた。

 伸ばしていた髪を、ばっさり切った。

 内緒で、男の子のフリをして遊びに行ったこともある。

 嬉しくて嬉しくて、仕方なかった。

 窮屈なわたしの世界が、変わっていく。色付いていく。

 お小遣いを貯めて、少しづつ、少しづつ。『わたし』は『ぼく』になっていった。


 けれど。どうしてもあと一歩、その勇気が足りなかった。


 いつも通り、スカートを履き、ネクタイを首にかける。

 仲のいい女の子達と学校に行って、他愛もないガールズトークで盛り上がる。


 昨日のテレビは何を見た、とか。

 駅前にできたカフェが美味しい、とか。

 ドラマに出ている俳優さんがかっこいい、とか。

 そんな他愛もない話で盛り上がる。


 へぇ、とか。そうなんだ、とか。そんなに興味がないけど、話を合わせて作り笑いを演じてみせる。

 だって、そうでもしないと、仲間はずれになってしまうから。


 本当にわたしが好きなのは、かっこいい俳優さんが出演しているドラマじゃなく、駅前にできた美味しいカフェの話でもなくて、男装をするためのグッズの話なのに。


 でも、そんなこと、恥ずかしくて誰にも言えない。

 もう二度と、あんな目で見られるのは嫌だったから。

 そしてそれと同じくらい、周りの目を気にしてしまう、そんな自分がわたしは大嫌いだった。



「――あの、すみません。連絡先、交換してもらえませんか……?」


 休日、男友達と町中を歩いていると、知らない女の子から声をかけられた。

 白いワンピースに、青のスカート。髪は長めで、見るからに清楚といった感じの子。

 恥ずかしそうに耳を赤く染めている。


「ああ……、ごめんね。ぼく、彼女いるんだ」


 勿論彼女なんてぼくにはいない。

 だからこれは、彼女をできるだけ傷つけないように考えた、ぼくなりの当たり障りのない交わし方。


「あっ、そうだったんですか。ですよね、す、すみませんっ。失礼します」


 女の子は深く頭を下げると、小走りでどこかへ行ってしまった。

 走り去るその背中を見て、罪悪感がないと言えば嘘になる。


「ったく、お前これで何回目だよ、楓〜」


 一緒に遊んでいた男の子のひとりが、にやにや顔でぼくの肩に腕を回してきた。

 薄っすらと鼻に香る、シーブリーズの香り。強烈な香水の匂いなんかより、ずっと好きだ。


「イケメン様はいいよな〜。何もしなくても女の子の方から声かけられるしよ」


 もうひとりの男の子が、そんなことを言ってからかってくる。


「そんなことないって。みんなかっこいいと思うよ、ぼく」

「皮肉かよ、こいつ〜!」

「やめてって、憂〜、痛い痛い」


 腕を回す男の子――憂が、空いているもう片方の手で拳をつくり、ぼくの頭をゴリゴリ撫でる。

 そんなに痛くなかったけど、ぼくは笑いながら抗議の声を上げた。


「でもよぉ、わからなくはねぇよな〜。楓が女だったら俺も声かけるもん」

「「わかる〜」」


 皆口を揃えて、うんうん頷き合う。

 苦笑しながら「やめろよ〜」とぼくは笑った。

 ぼくが女の子だと知ったら、彼らはいったいどんな目でぼくを見るのだろう。

 ふと、そんなことを考えて、怖くなる。けれど、


「そう言えば、昨日のテレビ見た? 椿姫の【双夜叉】、レベル7になったんだとさ」

「見た見た。すげぇよな、椿姫。全国クラランでも上位に食い込んでんじゃん」

「なんかクラマスが変わって新体制になってから、一気に勢いに乗ったって感じらしいぜ」

「簪刺 茜だろ。エロいよなぁ。彼氏いんのかな」

「いるだろ、そりゃ」

「やっぱ同じウェイカーじゃね? 楓はどう思う?」

「あー、ぼくは胸が大っきい人はあんまりタイプじゃないんだよね」

「お前、貧乳派かよ楓」

「胸がない方がスリムに見えるって言うかさ、スタイル良くない?」

「「「あー、たしかに」」」

「でしょ?」


 他愛もない下ネタで盛り上がる。

 女子校の友達とは、絶対にしない話。

 バカを言い合って、笑って、ああ、すごく居心地がいい。

 虚飾を演じる必要もなく、素のままでいられる、『わたし』が『ぼく』でいていい、かけがえのない瞬間だ。

 ずっとここにいたい。

 ずっとこうして、『ぼく』のままでいられたならと、そう思っていた。




「――楓?」




 自分の名前を呼ばれた瞬間、頭の中が真っ白になり、全身が硬直した。

 まさか、という予感に背中を冷たい汗が伝う。

 万が一にも知り合いと遭遇しないよう万全を期し、わざわざ県を跨いで高校から離れた大阪に来ているというのに。

 振り返ると、長い黒髪の女の子がぼくを見ている。

 知っている顔だった。

 中学時代の、旧友。


「蛍、ちゃん……」


 震える声で、彼女の名前を呼んだ。


「おっ、知り合いか? 楓」

「えっ、なになに。もしかしてこの子がお前の彼女?」

「めっちゃ可愛いじゃん」

「違うよ。そういうのじゃないって。中学の、友達だよ」


 無理やり作り笑いして、そう答えた。

 不自然ではないか。

 ちゃんと繕えているか。

 ぼくが男の子じゃないって、バレてはいないか。

 だが、どうやらぼくの心配は杞憂だったようで、男友達は皆、つまらなそうに肩を落とした。


「んだよ〜、んなこったろうと思った」

「だと思っても、ちょっと期待したわ俺」

「まぁ、楓彼女いるとか絶対嘘だもんな」


 良かったと一安心する一方で、ぼくの手汗は最高潮を迎えている。

 問題は、彼女だ。

 もし彼女に今ここで「なんで男のふりしてるの?」とでも言われれば、言い逃れる自身はない。

 後で誤解だと伝えても、きっと彼らは信じてくれないだろう。

 蛍ちゃんの薄黄色の瞳がまっすぐぼくを見つめている。ぼくは息を呑んだ。次の瞬間。


「やっぱり! 楓じゃん! ひっさしぶりっ!!」

「え、ちょっ、蛍ちゃ!?」


 むぎゅ、と抱きつかれた。


「中学の頃とは全っ然雰囲気違うからさー、別人だと思ったよ〜」

「え? あ、うん、そだね。蛍ちゃんは、中学の頃と変わらないね」

「いやいやいやいや、身長とか伸びてるから! 3cmくらい変わってますから!」


 蛍ちゃんは嬉しそうに、満面の笑みで笑う。

 忘れてた。そうだった。この子はこういう子だった。

 内気のぼくと違って、裏表のない、ぼくには眩しすぎるくらい陽気な女の子。

 それが、ぼくの親友。小椋 蛍ちゃんだ。

 思ってもみない再開にひとしきり喜んだ後、蛍ちゃんは今更ながらにぼくの隣で目を丸くする男友達に視線を移す。


「もしかしてこの人達、楓の友達?」

「うん。ぼくの友達」


 肯定すると、蛍ちゃんは何やら関心したように「へぇ〜」と腕を組む。


「あの楓がね〜。男と遊んでるなんむふぇ!?」

「え〜? 何言ってるの蛍ちゃん? 蛍ちゃんは面白い人だなぁははは」


 これ以上、余計なことを言われる前に、ぼくは咄嗟に蛍ちゃんの口元を手で覆う。


「ごめんみんな、久々に蛍ちゃんと会ったし、今日はぼく蛍ちゃんと一緒にご飯でも行ってくるから。みんなはみんなで楽しんでよ!」

「……お、おう」

「またな、楓」

「ま、また遊ぼうぜ……」


「うん、またねみんな!」と、会話のすきを与えず口早に話を切って、


「ちょっ、楓!? く、苦し――」

「さ〜蛍ちゃん、ご飯どこ食べに行こっか〜。ぼく近くに安くて美味しいところ知ってるんだけど〜」


 ふがふがと抵抗する蛍ちゃんを引きずって、ぼくは彼らに背を向けた。


「あれ絶対元カノだろ」

「間違いない」


 背後から聞こえた声には、知らないふりをする。





「――ご注文はどうされましょうか」


 綺麗な黒髪のウェイトレスさんが、注文票を片手にぼくらにそう訪ねてくる。

 テーブルを挟んで対面に座る黒髪の女の子――蛍ちゃんは「え〜、どれも美味しそうで迷う」と、メニュー表とにらめっこしている最中。


 ぼくたちは今、大阪にある『オールド』という喫茶店に来ている。

 男友達数人と別れた後、ぼくは蛍ちゃんを半ば引きずる形でこの喫茶店に入った。

 店名通り、店の中は全体的にレトロチックな雰囲気の喫茶店で、ランプやテーブルを取ってもそうだし、小物ひとつひとつに店主のこだわりが感じられる。

 まるで昭和の喫茶店にでも迷い込んだよう。『オールド』はぼくのお気に入りの喫茶店のひとつだ。

 

「ん〜、じゃあとりあえず、ミルクティーひとつください」


 上から下までメニュー表にじっくり目を通した後、蛍ちゃんは『当店一番人気』と書かれたメニュー表の一番上に記載されているミルクティーを注文した。

 悪くないチョイスだ。

 ここのミルクティーは、ミルクと紅茶の割合が完璧で、ぼくの知っているカフェの中でも一番美味しい。

 

「楓は?」


 蛍ちゃんの瞳がぼくに向けられる。

 勿論ぼくもミルクティーを頼むつもりだ。


「わた――」しも、と言いかけ、咄嗟に「ぼくも」と言い直す。


「同じもので」

「かしこまりました。ミルクティーが2つですね」


 注文を読み上げ確認すると、ウェイトレスさんはぼくたちに頭を下げ、カウンターの中へと戻っていった。

 その背中を横目で見送りながら「てかさ!」と、蛍ちゃんはぼくに向き直る。


「こんなとこに喫茶店あったんだね。めっちゃエモいんだけど何ここ」


 当たり前だよ。ぼくが見つけた穴場だし。そう心の中でつぶやく。


「レトロ感すっごいね。溢れてるよ。瓶の照明とかめっちゃお洒落。映えるじゃん!」


 瓶の照明もたしかにお洒落だけど、それだけじゃないんだよね。他にも色々こだわってるから、何回も来店しないと見つけられないものだってあるし。

 たとえばほら、カウンターの上に吊られているステンドガラスの傘。天井の梁には親子鼠の影がある。壁に飾られてる古時計なんかは数字と指針の動きが逆向きだ。

 何回も紅茶を飲みに来ているぼくは、余裕の心持ちで蛍ちゃんの発見を聞き流す。


「見てみて楓、テレビの中に魚泳いでる!」


 ふーん………え。ちょっと待って。それは初知り。ほんとだ、テレビの中が水槽になってる。気づかなかった。


 程なくして、先ほどのウェイトレスさんがミルクティーを2つ、運んできてくれた。

 ありがとうございますと礼を口にすると、ウェイトレスさんは笑顔で「ごゆっくり」と頭を下げる。

 テーブルに置かれたミルクティーを手に持ち、一口口に含む。

 柔らかいミルクのコクと、紅茶の匂い。

 ああ、やっぱり。何回飲んでもここのミルクティーは美味しい。


「やばっ。めっちゃ美味しい……!!」


 蛍ちゃんはミルクティーにふた口目をつけながら、


「変わんないね。楓はさ」

「え? そう、かな」

「うん。楓って感じ」

「蛍ちゃんは、変わったね」

「だから身長3cm伸びてるってば!」

「いや、そういうことじゃなくてさ……なんか、大人っぽくなったね」

「老けたって意味? もしかして私ディスられてる?」

「うーん。なんでそういう捉え方するかなぁ」

「はふふ、冗談冗談。冗談だって」


 テーブルに頬杖をかき、懐かしそうにぼくを見つめてくる。


「髪、ばっさりいったんだ」


 短くなったぼくの髪を見て、蛍ちゃんはそう言った。

 ぼくは自分の髪を軽く指先で触れた。


「うん。ばっさりいった」

「似合ってんじゃん。涼しそう」

「涼しいよ、実際」

「私も切ろうかな。迷ってきた」

「いいんじゃない。ばっさりいっちゃいなよ」

「どうしようか」と、蛍ちゃんは笑って、再びメニュー表に手を伸ばした。


「お昼食べてないからさ。どうしよ。パンケーキとか、頼んじゃおっか」

「なにも、聞かないんだね」

「聞いてほしいなら、聞くけど」

「―――」一瞬沈黙を挟み「いや、やめとく」ぼくは苦笑した。


「そっか」

 その返答がわかっていたかのように、蛍ちゃんは眉尻を下げた。

 その仕草を見て、正直ぼくは安心した。

 良かった。もし『それ』を聞かれても、ぼくはなんて答えたらいいのかわからなかったと思うし。

 気まずい空気が流れて、お互い口数が減って別れるのがオチだ。

 だから―――。

 

「てかさ、楓」蛍ちゃんが話題を変える。

「ん?」ぼくはミルクティーの入ったカップに口をつけた。

「なんで男の子の格好してるの?」なんてことないふうに尋ねてくる。

「ぐふっ」危うく口の中に入れたミルクティーが吹き出そうになった。


「今聞かないって言ったよね!?」

「聞いてほしいなら聞くけどとは言ったけど、聞かないとは言ってない」


 口元を手で抑えるぼくを見て、蛍ちゃんは可愛らしく舌を出した。悪い笑みだ。


「屁理屈って言うんだよ、そういうの」

「だって――」


 蛍ちゃんはくすくす笑いながら、


「聞いて欲しそうな顔、してたじゃん。楓」

「―――」


 ぼくは一瞬、固まった。

 聞いて欲しそうな顔をしていた? ぼくが? そんなわけ、ないと言いかけ口ごもる。

 なぜだろう、否定できない。

 それどころか、腑に落ちてしまった自分がいる。

 聞いて欲しかったのだろうか、ぼくは。

 いや、でも。そうでもなければ、「なにも聞かないんだね」なんて言葉は出ないはずだ。


 ぼくはもう一度、カップに口をつけた。

 その後の言葉は、考えるよりも先にすらすらと口から出てきた。

 

「ジェンダーレスって言葉、知ってる?」

「知ってるよ。女の子が男の子みたいにするあれでしょ」


 うん、と頷いた。


「ぼくね、男の子になりたいんだ」

「いいんじゃない?」


 笑いもせず、迷いもせず、ましてや異物を見るような目を向けるのでもなく。蛍ちゃんはあっけらかんとした口調で続ける。


「いいじゃん。なりなよ。別に変じゃない」

「……いい、のかな」

「いいに決まってんじゃん。なりたいなら、なればいいじゃん。好きにやんなよ」


 なにも変じゃないと。

 なりたいようにすればいいと。

 肯定され、背中を押される。

 あの頃と変わらぬ瞳で、蛍ちゃんはぼくを見ていた。


「今の楓、すっごい生き生きしてるように見えるよ!」


 そう言って、蛍ちゃんはにかっと笑った。





 頻繁に遊んでいた大阪の男友達と会わなくなった。

 嫌いになったとか、気まずくなったとか、決してそういうんじゃない。単に、男友達と遊ぶ時間がなくなっただけ。

 代わりに、蛍ちゃんと遊ぶ時間が増えた。


「なんかさー、最近男の方の楓ばっかり見てるからかもしんないけど、楓がスカート履いてんの違和感しかないんだけど」


 学校終わり、隣を歩く蛍ちゃんがそんなことを言う。


「ああ、制服で会うの、今日が初めてだっけ」


 そういえば、そうかもしれない。

 あまり意識してなかったけれど、いつもは休日に遊ぶから、これまでお互い私服の姿しか見たことがなかった。

 高校も離れているし『平日学校終わりにご飯でも』には少し無理がある。

 だから平日の金曜、学校終わりに制服で蛍ちゃんと会うのは今日が初めてのこと。


「高校は違うからあれだけど、中学の頃はぼくもちゃんとスカート履いてたよね」


 あー、と蛍ちゃんが思い出すように唸る。


「でもあの頃はさー、楓のこと女の子としてしか見てなかったから。同性だし。恋愛対象外だったんよねぶっちゃけ」

「うん。性別的にまだぼく女の子なんだけどね」

「まだってことは、そのうちムスコさんがにょきにょき生えてくる予定なんですか楓くん?」

「そのうちっていうか、もう生えてるんだけど」

「うっそおっ!?」


 蛍ちゃんが思いっきり仰け反った。


「いつ!? いつ手術(つけ)たの!? 痛かった!? 何色!? 大きさは!?」


 すごい勢いで質問攻めしてくる蛍ちゃん。前半はともかく、後半は何言ってるのかちょっとわからない。でもそれが可笑しくて、ぼくは思わず「ぷっ」と吹き出した。


「うそうそ。冗談だって。つけてないよ」

「なんだ冗談かよぉ、びっくりしたぁ……!」


 胸を撫で下ろす蛍ちゃんを横目に、ちょっと冗談が過ぎたかな、なんて思う。

 ぼくだって、もし蛍ちゃんが整形したなんて言ったら、きっと同じくらい驚くと思うし。

 深呼吸して、だいぶ落ち着きを取り戻した蛍ちゃんがぼくの肩を拳で突いてくる。なんだか嬉しそうだ。


「楓も下ネタ言えるようになったじゃん。中学のときなんか、ちょ〜っと下ネタ言っただけで顔真っ赤にしてたのに」

「まぁ、男友達と遊んでれば下ネタなんて日時茶飯事だったしね。慣れるよそりゃあ」


 ハハ、と少し乾いた笑い声が口から出てくる。

 いくら下ネタに耐性がなかったぼくとはいえ、おっぱいとかお尻とか、会う度そんなくだらない話ばっかりしてるから、下ネタとは慣れっこだ。

 もう大抵の下ネタじゃ、ぼくの心は動じない。

 ふぅん、と蛍ちゃんが顎に指を当てる。


「で、あの中の誰とシタの?」

「し、してないよっ!!」

「あっははは! ほら、顔真っ赤真っ赤!」

「〜〜〜〜っぅ」


 慌てふためくぼくを見て、今度は蛍ちゃんがお腹を抱えて笑う番だ。





 近くのデパートに行った。

 メンズコーナー。男物の服を選ぶのを、蛍ちゃんに手伝ってもらった。

 どんな服装が似合いそうだとか、蛍ちゃんが選んだ服を片っ端から試着しては、その度蛍ちゃんがオーバーに絶賛してくれる。

 なんだか蛍ちゃんの趣味よりな気がするけど、たぶん気のせいだと思いたい。


 試着を楽しんだ後、今度はファッションコーナーで良さそうなメイク道具をふたりして漁った。

 カラコンだとか、ファンデだとか、試しにリップクリームも試してみたり。

 ぼくはあまりメイクが得意な方ではなかったから、蛍ちゃんに色々教えてもらった。

 蛍ちゃん曰く、涙袋の線に薄いラインを入れると目元の印象がガラリと変わり、目尻に影を落とすと尚いいらしい。

 注意点としては、涙袋にアイシャドウを入れる際は、ラメなしのものにしないと目元のメイクがひと目でバレると教わった。


 夕食は、近場のファミレスで手短に済ませた。

 それからゲーセンに寄り、カラオケにも行った。

 2時間くらい熱唱し、店を出ると、外はもう真っ暗になっていた。


「いやー、歌った歌った! スッキリした〜!!」

「楽しかったね〜、ぼく喉ガラガラだよ」

「いやマ? あたしあと5時間くらいイケるけど?」

「流石に元気すぎるってそれは」


 あははははっ、とふたりして笑い合う。

 笑いすぎてけほけほ咳が出る。

 熱唱してきたばかりなのだ。喉が痛い。

 

「てか外暗っ! 今何時よ?」


 そう問われ、スマホの時計で時間を確認すると、時刻は夜の22時を回った頃だった。


「10時過ぎたくらい」

「うっそもう10時!? 早すぎ!!」

「ね。あっという間だったね」


 学校終わりの夕方から遊んだせいか、いつもより時間の流れが早く感じられる。

 時間のない中思った以上に過密なスケジュールだったし、濃密な時間だった。

 それはきっと、蛍ちゃんとだったからだろう。

 男友達と遊ぶのも楽しいが、やはり気兼ねなく話し合える蛍ちゃんの存在は大きい。

 ふと、蛍ちゃんが思い出したように言う。


「ねね、楓。知ってる? 世界の七不思議って噂」

「噂? ううん、知らない」

「え〜、うっそ、うちの学校それで今すっごい盛り上がってんだけど」


 おっかしーなーうちの学校だけかな?なんて呟きながら蛍ちゃんが首をひねる。

 恐らくは男の子達がそう言った噂話を率先してSNSから見つけて運んでくるのだろう。ついこの間まで男友達と遊んでいた楓は容易に想像できた。


「なんかね〜、最近世界中でちょっとした話題になってるっぽいんだけどね」

「世界中で?」


 聞き返すと、蛍ちゃんは「そ」と頷く。


「とある登山家が山を跨ぐおっきな巨人を見たとか。飛行機のパイロットの視界に突然影が差して、上を見たら空を泳ぐドラゴンがいたとかって」

「あ、そういう系すごい好きそう男の子」


 苦笑いを浮かべてコメント。

 ドラゴンとか巨人とか機械とか、男の子たちは皆えてしてそういった幻想物が好きだ。さすがにぼくはその良さがいまいち理解できなかったが。


「でも、そういうのって大抵デマじゃないの? 流石にファンタジーがすぎるよ」

「私も、ってかみんなも最初は同じこと思ってたんだけど、なんかそれがデマじゃないっぽいんだよね」

「え?」

「SNS覗くと世界各地で同じような目撃情報が増えてるし、けっこう有名な海外のアーティストもライブ帰りに巨人に遭遇したらいんだよね」


 ほら、見てみて楓と蛍ちゃんがスマホの画面で動画を再生する。

 車内の後部座席から撮っている映像だろうか、フロントガラスの外に大きな影が映る。


『嘘だろ、信じられない!?』

『なんだあれ……巨人か……?』

『止まれ! 今すぐブレーキを踏むんだ!!』

『すごい大きいぞあれ! 人の何倍あるんだ!?』

『神か……? あれは神なのか?』

『バカ、神なんているわけないだろ!』

『だったら、今のは何なんだ!?』


 パニックに陥る撮影者達。

 そこで動画は途切れる。

 1分くらいの短い映像の中には、霞んで姿は見えないが、山ほどもある大きな巨人が確かに映り込んでいた。


「これ、CGとかじゃないの? だってもしこれが本当だったら、テレビとかでも取り上げるでしょ?」

「わかんない。でも、それだけじゃないんだよね」

「他にもあるの?」

「うん。SNS探すとけっこうあるよ、こういうの。さっき言ったドラゴンとかも。あとね、実際私の友達も見たらしいんだ」

「見たって、何を……?」


 恐る恐る、ぼくは蛍ちゃんに聞き返した。

 

「学校の帰り道でさ、外は真っ暗で、部活で遅くなっちゃったんだって。それでちょっと急ぎ足で歩いてたら、なんか視線を感じるの」

「視線……?」

「そう。誰もいないのに、ずっと見られてるような感じがしたらしくて、その子怖くなって走ったんだって」

「……う、うん」

「10分くらい、しばらく走って、足音は全くしないから、もう大丈夫だなって思って、それで振り向いたら」

「………」

「暗闇の中から大っきな赤い目がじーっとこっちを見てたんだって!」


 わっ!と驚かすように蛍ちゃんが話を切った後で、不思議そうにぼくの顔をのぞき込んでくる。


「って、あれ? 怖くなかった? 楓こういうの苦手だったよね」

「しばらくひとりでトイレに行けないかも……」

「だっはっは!」


 蛍ちゃんはお腹を抱えて笑った。

 笑い事じゃないよ、とぼくは講義の声を上げる。

 それから、ん〜、と隣で蛍ちゃんが腕を上げて背筋を伸ばした。


「終電も近いし。そろそろ帰るかぁ」

「お願いだから駅まで置いてかないでよね」

「わかってる、わかってるって」


 惜しむようにそう言い合いながら、ぼくと蛍ちゃんは駅へと向かって歩き始める。

 もうすぐ今日が終わる。終わってしまう。

 別れを少し寂しく思うのは、蛍ちゃんといたのが楽しすぎたせいだ。



 辺りは暗く、人影はほとんどない。

 大通りから外れ、更に人通りの少ない路地裏に入った。駅への近道だと言う。

 そうして街灯に照らされる路地裏を、駅へと向かって歩いていると、裏路地の端でたむろっている3人の若い男性が視界に入った。

 その中のひとり、金髪でチャラそうな男の人と偶然目が合った。嫌な予感がした。

 構わず横を通り抜けようとしたが、その男性達が道を塞ぐようにしてぼくたちの前に立ちふさがる。

 

「おっと、そこの君たち何してんの?」

「君たち若いね、学生さん?」

「ねぇねぇ、俺らと遊んでかない?」


 アルコールに、それから煙草の臭いがひどい。

 ナンパだろうか。いかにもといったふうな、軽薄な物言い。

 こういう人たちとは関わり合いたくないのが本音だが、なんと言って断ればいいのかわからない。

 なるべく相手を刺激しないよう穏便に、なんて考えていると、


「急いでるんで、失礼します」


 彼らのことなど相手にする素振りもみせず、蛍ちゃんがぼくの手を引いた。


「いこ、楓」

「うん」


 蛍ちゃんに手を引かれるまま、足早に彼らの隙間を通り過ぎようとして、しかし。

 さっきの金髪の男の人が、ぼくらの行く手を阻むように身体を滑らせる。


「え〜、そんなこと言わずにさぁ、遊ぼうよ。絶対楽しいって」

「やめてって言ってんじゃん。警察呼びますよ」

「はは、それはちょっと困るなぁ」


 彼は苦笑し、肩をすくめてみせた。

 警察という単語を引き合いに出されれば、彼らとて迂闊なことはできない。

 さすがは蛍ちゃんだと思った。けれど、


「お巡りさん呼ばれちゃうんじゃ仕方ないよなぁ」


 そんなぼくの考えは甘かった、としか言いようがない。


「なっ!?」

「ちょ、」


 突然、背後から口を塞がれた。

 気づけば背後に金髪男の仲間の影がある。

 大きな手だ。声が出せない。

 両手で口を覆う手を外そうと試みるも、びくともしなかった。


「っち。おい、暴れんなって、こいつ」


 横目で隣を見れば、蛍ちゃんもぼくとは別の男に口を抑えられている。拘束を逃れようと必死に手足をバタつかせている。

 何を思ったのか、一向に抵抗を辞めない蛍ちゃんを見て、目の前の金髪男はポケットから何かを取り出し、そして――。


「静かにしてよ。ほら、お巡りさん来ちゃうとまずいからさ」


 蛍ちゃんの制服の上着を引き裂き、人差し指を自分の唇に当て、しぃ、と黙るようぼくたちにうながした。

 ポケットから男が取り出した何かとは、先端が尖っていて、頼りない街灯の光を浴びて不気味に光る、鋭利な刃物だった。

 血の気が引き、蒼白となった蛍ちゃんの身体から、すとんと力が抜ける。


「よしよし、いい子いい子」


 金髪男がご満悦そうに微笑む。

 凶器で自分たちの立場を顕著に突きつけられたせいで、羞恥や悲壮感という感情よりもいっそう強い、恐怖という名の楔が自分たちを支配する。


「へへ」


 破れた制服の内から覗く、蛍ちゃんの白い下着を目の当たりにし、ぼくを拘束する男が背後で舌なめずりする下品な音を聞いた。

 悍ましい性欲を表に、抵抗はないと油断したのだろう。ぼくを拘束する男の力がほんの少し緩む。

 ぼくはその一瞬のスキを見逃さなかった。

 今しかないと思った。

 口を抑える男の指に噛み付いた。


「痛ってぇッ!?」


 指を噛まれた男は堪らず悲鳴を漏らし、予想外の激痛に身をよじらせ、拘束が解ける。

 窮地を脱した達成感。だが次の瞬間には全身の毛穴から焦燥が脂汗となり滲み出す。

 手足の自由を取り戻したぼくは、どうしたらこの拘束を解けるかにばかり思考が偏り、肝心のその先の行動、つまりはこの状況を打開する手段を考えてはいなかったのだ。

 行きあたりばったりというか、考えなしというか、自分でもほとほと浅はかだと思う。でも仕方ないじゃないか。

 どうしよう、と縋るように振り返った先で、視線が合った。涙目で、こちらを見てくる蛍ちゃんと。


「―――っ」


 気づけば、ぼくは走っていた。

 蛍ちゃんに背を向けて。

 怖くなって、逃げ出したんだ。

 ああ、最悪だ、ぼくってやつは――。





 どうしてぼくは、男の子じゃないんだろう。


 物心ついたときに芽生えた疑問が、再度脳裏を過ぎり蘇る。

 

 もしぼくが男の子だったなら、どんな状況でも諦めなかったはずだ。

 もしぼくが男の子だったなら、何人相手だろうと勇敢に立ち向かえたはずだ。

 もしぼくが男の子だったなら、友達を置いて逃げることもなかったはずだ。


 果たして、そうだろうか?


 断言できるだろうか?


 たとえぼくが男の子だったとしても、今この胸の張り裂けそうな罪悪感は変わらない。


 走っているせいか、やけに身体が熱い。

 胸が火照り、喉が焼けるようにひりついている。

 身体中の内蔵が。張り巡らされた血管の全てが。骨も肉も平等に。

 愚かで救い難い醜悪なぼくを祝福するかのように、全身が喝采を叫んでいる。


「―――っ!?」


 急に足に痛みが走った。何もないところで足がもつれ、転倒する。

 転んだ際、靴が脱げる。ドジっ子じゃあるまいし。何をやってるんだぼくは。

 足元を見ると、靴下のかかとに血が滲んでいる。

 こんなときに、靴擦れ!?

 痛む足など気に留めず、もう一度走り出そうと地面に手をついた、そのとき。ぼくは信じられないものを目にした。


「え?」

 

 本人でないと気づかない程度に些細な、本当に細かな変化にぼくは気づいた。

 手だ。手が違う、と。

 地面についたぼくの手が、一周り大きくなっているような気がする。

 気がするんじゃない。本当に、大きくなっているんだ。

 爪が伸び、血管が浮き出た、無骨な手。

 まるで男の子みたいなこの手は、本当にぼくの手なのだろうか。

 いや、それだけじゃない。

 来ている制服がやけにキツイ。

 動悸を起こす心音が、更に激しさを増す。


「もしかして……」


 何かに導かれるように、ぼくはシャツのボタンを開け、背中についている下着のホックを指で外した。


「……うそ」


 まるで信じられないものを見ているみたいだ。

 見間違いなんかじゃない。


 ああ、どうやらぼくは、男の子になってしまったようだ。

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