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レベル0のイレギュラー  作者: 椋鳥 未憐
第二章 椿姫
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Level.42『香芒の湯』




 人の心は『素石』だと――は思う。


 河原に転がる、どこにでもある荒石。

 けれど同じ形の石は存在しない。

 石は人間関係やストレスで削れ、己を鍛えることで磨かれていく。

 そうした数多の削る磨くの工程を経て、石の形は変わっていく。

 硬い石もあれば、脆い石もある。

 突出した尖った石になるのか、ゴツゴツと無骨な石になるのか、それともどこにでもあるような平凡な丸い石になり果てるのか。

 全てはその人次第。石は簡単なことで擦り減り摩耗するのだから。


 人の心は繊細だ。

 壊すのも、壊れるのも簡単だ。

 だから稀に石に亀裂が入ることもある。一生消えない傷が刻まれることもある。

 例えばそれは、大切な人を失ったときだったり。

 例えばそれは、親友と絶交したときだったり。

 例えばそれは、悪意に心を弄ばれたときだったり。


 原因は様々で、要因は数多く存在する。

 そうして石は形を変えていく。

 そうして人は成長していく。


 ―――けれど。


 あまりに大きな亀裂が入ったき。

 修復不可能な深手を負ったとき。

 ダメージの蓄積が許容量を超えてしまったとき。


 石は砕けてしまう。


 心は壊れてしまう。


 そんなケースもあるのだということを、心の隅にでも止め置いて欲しい―――。





 祥平さんの葬儀が終わり、俺と楓はクランマスターの茜さんから数日の休暇を与えられた。


 心身を休めろ、ということなのだろう。

 俺や楓以外の他のウェイカーは、次の日からいつも通り異界攻略(レイド)へと向かった。


「あー、あー、あー」


 ベッドにごろんと横になり、天井に向かってあーあー声を出す。


「……ひまだ」


 部屋にいても何もやる気が起こらない。だからと言って、出かける気力もないし。困ったもんだ。


「よし、筋トレしよ」


 そう言って、俺はベッドから起き上がった。

 ベッドの上で無為に1日をやり過ごす、そんな愚行が許されるほど、俺はできた人間じゃない。

 部屋の隅に立てかけてある白蒼剣を掴み、俺は模擬戦場に向かった。

 

 とりあえず、剣を振った。


「―――」


 ひたすら、剣を振った。


「―――」


 剣を振るのは好きだった。

 『剣』って言うより、努力が好きなんだ。

 努力している間は、周囲に気を配る必要はなく、ひとりになれるから。

 ある種の逃避行のようなものだ。

 集中すれば、他のことは一切何も考えずにすむ。

 そんな時間が、俺は好きだった。


 日が暮れるまで、俺は素振りに没頭した。

 自主練習を始めて、何時間が経った頃だろう、


「――おい、何時やと思っとんねん」


 突然、模擬戦場に響いた声に、俺はハッとなりふり向いた。

 模擬戦場の入り口。そこには背の小さな黒髪の男が立っていた。葵さんだ。


「灯りがついとるから気になって来てみれば。案の定、お前か。萩」

「葵さん……」


 異界攻略(レイド)帰りだろうか。

 葵さんの着る椿姫のクラン制服は汚れている。

 模擬戦場に備え付けられた高窓に視線を向ければ、既に外は暗い闇に包まれている。

 いったい、今は何時だろう。

 呆れたように、葵さんは小さく嘆息した。


「茜さんに休め言われたやろが。動いてへんと死ぬ病にでもかかっとるんか、お前」

「いや、その……」

「休むことも、立派な仕事やぞ」


 葵さんの冷たい声音に、俺は思わず目を伏せた。


「自主練してないと、落ち着かなくて。急に休めって言われても、何していいか、わかんなくて。だから、俺……」

「脳みそ筋肉でできとるんかお前」


 口ごもる俺を見て、葵さんは再度ため息をつき、


「まぁ、お前の気持ちもわからへんくはないけど」


 そうつぶやいた葵さんの顔は、どこか寂しそうに俺には見えた。

 葵さんは右手を持ち上げ、模擬戦場の外をつんつんと親指で示し、口の端を上げる。


「今からちょびっと付き合えや」





 午後11時。

 俺は葵さんに連れられ、大阪にあるとある銭湯まで足を運んだ。


「かぁっ、最っ高やなぁ……!」


 軽く汗を流し、湯に浸かった葵さんが心の底から気持ち良さそうに喉を震わせる。

 知る人ぞ知る秘湯だと葵さんは言っていたが、これはなかなか。

 葵さんの隣に浸かり、ふぅっ、と息を吐く。


「ちょっと熱いですけど、いい湯ですね」

「せやろ。熱いくらいがちょうどええねん」


 ちょっと熱めの天然アルカリ性単純泉が、細胞の至るところまで染み渡り、日頃の疲れを癒やしてくれるようだ。

 加えて、銭湯に漂うアロマの香り。

 鼻孔から身体の内に入ったそれが、脳神経の絡まりをひとつひとつ丁寧に解いてくれるような、そんな気がした。


「―――」

 他に温泉客は見当たらない。

 湯に浸かっているのは、俺達だけだ。

 それを不思議に思っていると、


「俺、ここのおっちゃんと知り合いでな。夜の11時以降は貸し切りにしてくれんねん」


 俺の心を読んだように葵さんが言った。

 なるほど、と俺は相槌を打ってから、


「楓にも、ひとこと声かければよかったですね」


 この場にいない、楓のことを口にした。

 

「楓は誘っても来おへんやろ、多分」

「そうですかね」

「せや。楓は風呂とか誘っても絶対来おへんからな。あいつにも色々あるんやろ、知らんけど」

「そうなんですか」

「なんや? 楓の裸でも見たかったんかお前。そっちか」

「違いますよ」

「まぁ、可愛い顔しとるもんな、あいつ」

「だから違いますって」

「冗談や冗談」


 はっはっは、と葵さんはわざとらしく笑って、


「察したれ。楓にも言いたくないことのひとつやふたつ、あるやろし。今はそっとしとくのがええ」


 そっとしとく、か。

 確かにと思う。

 楓は俺と違って、ひとりの時間がないとダメなタイプの人間だ。

 強引に風呂に連れてきても、逆に気を使わせそうな気がするし、葵さんの言うとおり今はそっとしておいた方がいい気がする。


「そう言えば、祥平さんも同じようなこと言ってました。人には言いたくないことのひとつやふたつ、あるのが普通だって」

「そか」

「……はい」


 ふいに話が途切れる。

 ああ、失敗したなと思った。

 今出す話題じゃなかった。

 葵さんだって、顔には出さずとも祥平さんの死に少なからぬショックを受けている。

 それこそ、葵さんのほうが祥平さんと一緒にいた時間は俺よりずっと長いわけだし。

 安易に口にしていい話ではなかった。

 気まずい空気が流れ、そして、

 

「祥平には、口が裂けても言わんかったけどな」

「え?」


 ぽつり、と葵さんが言った。


「俺、祥平には期待しとったんや」

「―――」

「戦闘センスもええし、何より根性がある。いくら叩いてもへこたれへん。祥平のことは、俺の右腕にするつもりで鍛えとった。そんでいつかは、椿姫の看板を背負って立つ男やったんや、あいつは」


 両腕を湯船の縁にかけ、背中を湯船に預けながら、葵さんは天井を仰いだ。


「せやから、祥平なら何があっても大丈夫やって、そう思っとった」


 苦笑混じりに微笑む葵さんは、その先を口にはしなかったけど。

 正直、驚いた。

 付き合いは短いながらも、葵さんの性格はなんとなく、掴んでいるつもりだ。

 だから。あの葵さんが誰かをここまで褒めるなんてめったにないことだろう。それこそ本当に期待している人間に対して「期待してる」なんて絶対口に出さない人だから。

 今の言葉を祥平さんが聞いたら、どう思ったことだろう。そんなことを俺は考えてしまう。

 

「祥平さんは、誰も死なせませんでしたよ」


 誰もいない湯船に向かって、俺はつぶやいた。


「最後まで、俺達を守ってくれました。祥平さんはちゃんと……葵さんの期待に応えましたよ」

「ああ、わかっとる」

「―――」

「祥平は俺の期待に応えた。ほんなら次は、俺が祥平の期待に応える番や」


 そう言って、葵さんは立ち上がった。


「もう誰も、――死なせへん」


 己に誓うように。

 魂に刻むように。

 葵さんの紫紺の瞳は、静かな熱を帯びていた。

 続き、俺も湯船から立ち上がる。


「葵さん。俺、強くなりたいです」


 誰かを護れる力は授かった。

 けれどその力を手に入れてさえ、まだ足りない。まだ届かない。

 我ながら、なんて欲深いやつなんだろうと思う。

 それでも俺は力を求め続ける。

 誰かを護るための力を欲し続ける。


「みんなじゃなくていい。たくさんじゃなくていい。世界中なんて大きいことは言わない。ただ俺は俺の身の周りにいる大切な人達を護りたい。……そして叶うなら、膝を抱えて泣いている女の子も一緒に。そのための力が、――俺は欲しい」


 強くなりたい。

 もう誰も、失いたくはないから。

 ふっ、と葵さんは唇の端を緩めた。


「ほんなら手加減せんで。明日から覚悟しとき」

「はいっ!」


 頬を緩め、葵さんはにやと笑った。

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