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レベル0のイレギュラー  作者: 椋鳥 未憐
第二章 椿姫
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Level.41『空が泣いてくれるから』



 隣で、楓が泣いている。

 嗚咽を漏らさないのは、せめてもの楓の抵抗だろう。

 その隣には、喪服を纏った葵さん。それから赤松さんなどといった、クラン椿姫の主要メンバーが顔を揃えている。


 田舎の集会場にもよく似た、少し大きめの斎場に、たくさんの人達が集まっていた。


 主に若い男性が多かった。

 同じ喪服を着た男たち。京都にあるクラン〝月姫(アルテミス)〟のウェイカーも数人いた。中には見るからに柄の悪い集団もいたりと、一緒くたの集まりではない。

 だが、ここに集まった連中の想いはひとつだ。

 皆、あの人の悲報を聞きつけ、この場に集まってくれた人達なのだろうから。


 懐かしい、線香の匂いがする。

 もう二度と、嗅ぎたくなかった香りがする。

 人の記憶に最も結びつきが強いのは、匂いだと誰かが言っていた。

 その通りだと思った。


 皆が黙って見つめる最前列。

 蒼髪の男性の、笑顔の写真が大きめの額縁に飾ってある。


 俺はまた、大切な人を失ってしまったのだ――。





 葬儀が終わる。

 大勢に送られて、祥平さんは灰になった。

 祥平さんの墓の前で手を合わせ、別れを済ませた者から順にひとり、またひとりと去っていく。

 誰もが祥平さんの死を悲しんだ。

 改めて、祥平さんの人徳の広さを知った。



 葬儀が解散した後で、俺は楓と葵さんと3人で、祥平さんの墓の前に立っているひとりの女性に声をかけた。


「あの。ちょびっとええですか、美空さん」

「ええと、あなたは……」

「クラン椿姫のサブクランマスター。梁取 葵です」

「……ああ、あなたが葵さんでしたか」


 葵さんの名前に心当たりがあるのか、祥平さんのお母さん――美空さんが優しく微笑んだ。

 

「俺のこと、知ってはったんですか?」

「ええ、祥平がね。椿姫さんにお世話になり始めてから、手紙を送ってくれるようになったんです」


 祥平さんと同じ蒼色の髪を指で耳にかけながら、美空さんは続ける。


「その手紙には、あなたのことばかり書いてありました。葵さんはすごい人なんだって。葵さんのおかげで俺は今、毎日が楽しいって。それはもう、あなたのことばかりで……後ろのおふたりは、もしかして楓くんと萩くん?」


 ふと、美空さんの黄濁色の瞳が、葵さんの後ろに控える俺と楓に向けられた。


「はい」

「そう、ですけど」


 そう応えると、美空さんは「ふふ」と優しく笑い、


「そう、やっぱり。祥平の手紙に、最近可愛い後輩ができたんだって。楓くんや萩くんのことも書いてありましたよ。あの子のことだから、皆さんに迷惑ばかりかけていたとは思いますが」


 申し訳なさそうに苦笑いを浮かべる美空さんに、俺と楓はそろって首を横に振った。


「そんなことないです!!」

「そんなことありません!!」


 驚く美空さんに構わず、楓が言う。


「祥平さんにはお世話になりました。椿姫に入ったばかりで不安だったぼくに、一番最初に声をかけてくれたのが祥平さんでした」

「―――」

「祥平さんはいつだってぼくたちのことを気にかけてくれていて……異界災害(アビス・フォール)に巻き込まれたあのときだって、祥平さんが自分の身を犠牲にしてぼく達を守ってくれたから、だからぼく達は今、ここにこうして生きていられる。

 祥平さんがいなかったら、ぼくや萩くんも死んでいました。祥平さんがぼく達を守ってくれたから、だから……っ」


 言葉が震え、楓の感情が再発する。

 きっと、祥平さんの最後を思い出してしまったのだろう。

 ここに祥平さんがいたらきっと「男は泣いちゃだめだぜ、楓」、なんて言ってくれるだろうか。

 そうだよな、祥平さん。

 祥平さんならきっと、そう言うよ。

 だから俺は泣けない。

 泣きたいけれど、泣かない。

 代わりに俺は、途絶えた楓の言葉の端を引き継ぐ。


「俺が塞ぎ込んだとき、祥平さんは気にするなって、俺にそう言ってくれました」


 言わなくたって、お前の顔見りゃわかる。伝わるよって、祥平さんは俺にそう言ってくれた。

 理由も聞かずに励ましてくれた。

 その気遣いが、どれだけ嬉しかったことか。


「人生は選択の連続だ。責任なんていちいち考えてたら、何もできないで終わってしまう。だから、色々よく考えて、その後で好きにやれって、俺にそう教えてくれたのも祥平さんです」


 迷ったときは俺を思い出せ。

 その言葉が忘れられない。

 俺の魂を掴み、脳裏に焼き付けられたその言葉が、未だに胸の奥で確かな熱を持っている。


「もっと色々、祥平さんには教わりたいことが山ほどあったけど。俺にとって……俺達にとって祥平さんは――」


 そこで、ひと呼吸おいて。俺は美空さんの黄濁色の瞳を真っ直ぐ見つめ返した。

 

 始まりは、葵さんのきまぐれ。

 たった3ヶ月と、少しの関係だった。

 それでも、俺にとってその3ヶ月は、数字以上の価値を持ったかけがけのない時間だった。

 一緒に戦い、飯を食い、風呂に入って。

 祥平さんの言葉があったから、俺はトラウマを乗り越えることができた。

 祥平さんの教えがあったから、俺はここまで強くなることができたんだ。

 だから俺は、胸を張って、


「尊敬する、最高の大先輩でした……っ!!」


 祥平さんは偉大な先輩なんだとそう言い切った。


 俺と楓の言葉を聞き終えた美空さんは、眉尻を下ろし、優しく微笑んだ。


「そう、あの子が……」


 まるで幼子の成長を喜ぶ母親のように、美空さんは仄かに頬を緩めた。


「美空さん、これ。祥平さんからです」


 美空さんの前まで歩み寄り、俺は腕に抱えていたものを彼女に手渡した。

 

「これは……?」


 美空さんは受け取った白い包みを開けると、中には蒼や翠の紫陽花の花束が入っていた。

 

「俺達が異界災害に巻き込まれる直前に、祥平さんが美空さんへ渡そうと買ったものです」

「―――」


 花束の中。

 小さなメッセージカードがある。

 美空さんはそれを取り出し、開く。


『お袋へ。迷惑ばっかかけて、ごめんな。雨。俺もちょっとは好きになったよ』


 メッセージカードに書いてあった文字はそれだけだった。


 ぽつり、ぽつり、ぽつり。

 ぽつ、ぽつ、ぽつ、と。空が泣き出した。

 上を見上げれば、目に映るのは曇天の空。

 せめてこんな日くらい、晴れていて欲しかったと俺はそう思わずにはいられない。

 美空さんは降り出した雨には構わず、メッセージカードを見つめ続けていた。

 たった30文字にも満たない、その言葉を。


「中入りましょ。身体、冷えてまいます」


 未だメッセージカードを見つめ、動く気配のない美空さんに、葵さんが声をかけた。

 美空さんは、小さく首を横に振った。


「私の母は、よく泣く人でした」


 記憶を思い出すように、美空さんは続ける。


「母は心が弱い人でした。何かあるとすぐ泣いてしまって……そのたびに私が母を慰めていました。泣くことは悪いことじゃない。でもせめて私は、自分の子どもの前では決して泣かないようにしようって。強いお母さんでいようって、そう決めて……」


 雨足が、強くなる。

 ざぁざぁと、激しさを増す。

 大粒の雨。

 美空さんの言葉が、雨音に掻き消される。


「――バカね。迷惑だなんて、一度も思ったことないわよ、祥平……っ」


 空に向かって、美空さんはつぶやいた。

 誰に聞かれるわけでもない、そんな声で。

 目の端から溢れた雫が、美空さんの頬を伝う。

 きっと、雨のせいだろう。

 祥平さんの死を悲しむように、空はえんえんと泣き続けていた。

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