Level.41『空が泣いてくれるから』
隣で、楓が泣いている。
嗚咽を漏らさないのは、せめてもの楓の抵抗だろう。
その隣には、喪服を纏った葵さん。それから赤松さんなどといった、クラン椿姫の主要メンバーが顔を揃えている。
田舎の集会場にもよく似た、少し大きめの斎場に、たくさんの人達が集まっていた。
主に若い男性が多かった。
同じ喪服を着た男たち。京都にあるクラン〝月姫〟のウェイカーも数人いた。中には見るからに柄の悪い集団もいたりと、一緒くたの集まりではない。
だが、ここに集まった連中の想いはひとつだ。
皆、あの人の悲報を聞きつけ、この場に集まってくれた人達なのだろうから。
懐かしい、線香の匂いがする。
もう二度と、嗅ぎたくなかった香りがする。
人の記憶に最も結びつきが強いのは、匂いだと誰かが言っていた。
その通りだと思った。
皆が黙って見つめる最前列。
蒼髪の男性の、笑顔の写真が大きめの額縁に飾ってある。
俺はまた、大切な人を失ってしまったのだ――。
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葬儀が終わる。
大勢に送られて、祥平さんは灰になった。
祥平さんの墓の前で手を合わせ、別れを済ませた者から順にひとり、またひとりと去っていく。
誰もが祥平さんの死を悲しんだ。
改めて、祥平さんの人徳の広さを知った。
葬儀が解散した後で、俺は楓と葵さんと3人で、祥平さんの墓の前に立っているひとりの女性に声をかけた。
「あの。ちょびっとええですか、美空さん」
「ええと、あなたは……」
「クラン椿姫のサブクランマスター。梁取 葵です」
「……ああ、あなたが葵さんでしたか」
葵さんの名前に心当たりがあるのか、祥平さんのお母さん――美空さんが優しく微笑んだ。
「俺のこと、知ってはったんですか?」
「ええ、祥平がね。椿姫さんにお世話になり始めてから、手紙を送ってくれるようになったんです」
祥平さんと同じ蒼色の髪を指で耳にかけながら、美空さんは続ける。
「その手紙には、あなたのことばかり書いてありました。葵さんはすごい人なんだって。葵さんのおかげで俺は今、毎日が楽しいって。それはもう、あなたのことばかりで……後ろのおふたりは、もしかして楓くんと萩くん?」
ふと、美空さんの黄濁色の瞳が、葵さんの後ろに控える俺と楓に向けられた。
「はい」
「そう、ですけど」
そう応えると、美空さんは「ふふ」と優しく笑い、
「そう、やっぱり。祥平の手紙に、最近可愛い後輩ができたんだって。楓くんや萩くんのことも書いてありましたよ。あの子のことだから、皆さんに迷惑ばかりかけていたとは思いますが」
申し訳なさそうに苦笑いを浮かべる美空さんに、俺と楓はそろって首を横に振った。
「そんなことないです!!」
「そんなことありません!!」
驚く美空さんに構わず、楓が言う。
「祥平さんにはお世話になりました。椿姫に入ったばかりで不安だったぼくに、一番最初に声をかけてくれたのが祥平さんでした」
「―――」
「祥平さんはいつだってぼくたちのことを気にかけてくれていて……異界災害に巻き込まれたあのときだって、祥平さんが自分の身を犠牲にしてぼく達を守ってくれたから、だからぼく達は今、ここにこうして生きていられる。
祥平さんがいなかったら、ぼくや萩くんも死んでいました。祥平さんがぼく達を守ってくれたから、だから……っ」
言葉が震え、楓の感情が再発する。
きっと、祥平さんの最後を思い出してしまったのだろう。
ここに祥平さんがいたらきっと「男は泣いちゃだめだぜ、楓」、なんて言ってくれるだろうか。
そうだよな、祥平さん。
祥平さんならきっと、そう言うよ。
だから俺は泣けない。
泣きたいけれど、泣かない。
代わりに俺は、途絶えた楓の言葉の端を引き継ぐ。
「俺が塞ぎ込んだとき、祥平さんは気にするなって、俺にそう言ってくれました」
言わなくたって、お前の顔見りゃわかる。伝わるよって、祥平さんは俺にそう言ってくれた。
理由も聞かずに励ましてくれた。
その気遣いが、どれだけ嬉しかったことか。
「人生は選択の連続だ。責任なんていちいち考えてたら、何もできないで終わってしまう。だから、色々よく考えて、その後で好きにやれって、俺にそう教えてくれたのも祥平さんです」
迷ったときは俺を思い出せ。
その言葉が忘れられない。
俺の魂を掴み、脳裏に焼き付けられたその言葉が、未だに胸の奥で確かな熱を持っている。
「もっと色々、祥平さんには教わりたいことが山ほどあったけど。俺にとって……俺達にとって祥平さんは――」
そこで、ひと呼吸おいて。俺は美空さんの黄濁色の瞳を真っ直ぐ見つめ返した。
始まりは、葵さんのきまぐれ。
たった3ヶ月と、少しの関係だった。
それでも、俺にとってその3ヶ月は、数字以上の価値を持ったかけがけのない時間だった。
一緒に戦い、飯を食い、風呂に入って。
祥平さんの言葉があったから、俺はトラウマを乗り越えることができた。
祥平さんの教えがあったから、俺はここまで強くなることができたんだ。
だから俺は、胸を張って、
「尊敬する、最高の大先輩でした……っ!!」
祥平さんは偉大な先輩なんだとそう言い切った。
俺と楓の言葉を聞き終えた美空さんは、眉尻を下ろし、優しく微笑んだ。
「そう、あの子が……」
まるで幼子の成長を喜ぶ母親のように、美空さんは仄かに頬を緩めた。
「美空さん、これ。祥平さんからです」
美空さんの前まで歩み寄り、俺は腕に抱えていたものを彼女に手渡した。
「これは……?」
美空さんは受け取った白い包みを開けると、中には蒼や翠の紫陽花の花束が入っていた。
「俺達が異界災害に巻き込まれる直前に、祥平さんが美空さんへ渡そうと買ったものです」
「―――」
花束の中。
小さなメッセージカードがある。
美空さんはそれを取り出し、開く。
『お袋へ。迷惑ばっかかけて、ごめんな。雨。俺もちょっとは好きになったよ』
メッセージカードに書いてあった文字はそれだけだった。
ぽつり、ぽつり、ぽつり。
ぽつ、ぽつ、ぽつ、と。空が泣き出した。
上を見上げれば、目に映るのは曇天の空。
せめてこんな日くらい、晴れていて欲しかったと俺はそう思わずにはいられない。
美空さんは降り出した雨には構わず、メッセージカードを見つめ続けていた。
たった30文字にも満たない、その言葉を。
「中入りましょ。身体、冷えてまいます」
未だメッセージカードを見つめ、動く気配のない美空さんに、葵さんが声をかけた。
美空さんは、小さく首を横に振った。
「私の母は、よく泣く人でした」
記憶を思い出すように、美空さんは続ける。
「母は心が弱い人でした。何かあるとすぐ泣いてしまって……そのたびに私が母を慰めていました。泣くことは悪いことじゃない。でもせめて私は、自分の子どもの前では決して泣かないようにしようって。強いお母さんでいようって、そう決めて……」
雨足が、強くなる。
ざぁざぁと、激しさを増す。
大粒の雨。
美空さんの言葉が、雨音に掻き消される。
「――バカね。迷惑だなんて、一度も思ったことないわよ、祥平……っ」
空に向かって、美空さんはつぶやいた。
誰に聞かれるわけでもない、そんな声で。
目の端から溢れた雫が、美空さんの頬を伝う。
きっと、雨のせいだろう。
祥平さんの死を悲しむように、空はえんえんと泣き続けていた。




