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レベル0のイレギュラー  作者: 椋鳥 未憐
第二章 椿姫
43/132

Level.40『湿気ってやがる』




 強烈な、血の匂いがした。


 その香りを遥かに上回る、鮮烈な殺気。


 音もなく這いよる、刃の影。

 

「――ちィッ!!」


 短い舌打ちと同時、漆木は咄嗟に心象武装(オクトラム)を発動させると、迫る刃の奇襲をその身で受けた。

 直後。

 カカカカカ――ッと、無数の斬撃が漆木を襲う。


 まるでカラスの群れにでも劈かれるように、漆木の全身が鋼に抓まれる。

 攻撃は腕や足の筋繊維に集中していた。ご丁寧にも急所は外してある。相手が漆木でなければ、今の一瞬で無力化されていたことだろう。


「――異界門(アビス)に巻き込まれたっちゅーから来てみれば……なんやこの状況は」


 漆木の前に立っていたのは、左右長さの違う双剣を持った、背丈の小さな黒い髪の男だった。

 髪が濡れているのは雨の中走ってきたせいか。

 全身血まみれなのは、この場にいち早く駆けつける際、返り血も厭わず道中のモンスターを片っ端から斬り伏せてきたからだろう。

 男の姿を目にした萩が、歓喜に声を震わせ、男の名を呼んだ。

 

「葵さん……っ!!」


 クラン椿姫が誇る、最速の剣技の達人(ウェイカー)。レベル7。梁取 葵がそこに立っていた。


「楓、それに萩も。お前らよう生きとったな」


 萩の存在に気づいた葵は頬を緩め、それから軽く周囲に目を巡らせた。

 戦いの余波で、抉れた地面。

 何体もの蜥蜴種(リザードマン)の死骸。中には門番と思しき赤銅色の鱗を纏った蜥蜴種の死体も転がっている。

 部屋の隅に集められた大勢の一般人。運悪く異界門(アビス)の発生に巻き込まれた人々だ。

 顔の青い楓と、頭から血を流す萩。

 目つきと頭の悪そうな坊主頭に、見るからに柄の悪い巨漢の偉丈夫。

 それから、力なく地面に倒れる後輩の背中。


「……祥平」


 掠れた声が、葵の唇から溢れた。


「くッ、ハっハっハ! 本当に来やがったのか【双夜叉】。まぁ、少し来るのが遅かったようだ、が――……?」

「………」


 口角を吊り上げ笑う漆木のわきを素通りし、葵は地面に横たわる祥平の近くに跪いた。


「こっぴどくやられたなぁ、祥平。生きとるか」


 祥平の傷は、こっぴどいなんて生易しいものではなかった。

 両腕は焼け焦げ黒く変色しているし、抉られた腹部の傷は内蔵まで到達しているだろう。

 全身傷だらけで、特に折れているのを無理やり酷使した左腕なんかは、青紫色を通り超え黒紫色に充血している。


 葵が傷だらけの祥平の身体を抱き起こし、壁に寄りかからせてやると「げぼげほ」と、祥平は口から血を吐いた。

 葵の存在に気づき、嬉しそうに祥平が頬を緩める。


「ああ……来てくれたんすか、葵さん」

「すまんな、遅うなって」


 へへ、と祥平は笑った。

 

「髪の毛ぐしゃぐしゃっすけど、もしかして走ってきてくれたんすか?」

「なわけないやろ。傘持ってへんかっただけや」

「服血だらけっすよ、葵さん」

「それはお前もやろ、ドあほ」

「うは、確かに」


 お互い血だらけの姿に、笑い合う。

 祥平の質問を葵は誤魔化したが、祥平にはわかっていた。

 だって。こんなにも服を血だらけにした葵を、祥平は一度だって見たことがない。きれい好きの葵は、服が汚れるのを極度に嫌うから。

 だから、こんなになってまで駆けつけてくれた葵を見た瞬間、祥平は嬉しくてたまらなかった。

 

「おいおい。さっきから、何無視してんだテメェ」


 軽口を交わし合うふたりを尻目に、漆木は苛立たしそうに舌を鳴らした。


「なんやお前、まだいたんか」

「あ?」

「はよ行ったほうがええで。今、うちの連中がここに向かっとるやろから」

「―――。なんだテメェ、もしかして、ビビってんのか?」

「―――」

 葵は答えない。


「少なくとも、テメェの部下は男張ったってのに。テメェは部下がやられても、仇取ってやるつもりはねぇのかよ」

「―――」

「はっ、こんな腰抜けがテメェの兄貴か。なぁ、祥平よォ」


 せせら笑う漆木の挑発。

 葵がため息混じりに口を開く。


「よう回るお口やな。うちの祥平ボコったんはお前やろ、黒鬼。心配しなくとも、お前とのケジメはきっちりつけたる。けど、それは今やない」


 その葵の発言の意図を察し、漆木が周囲に視線を向けた。


「周りの心配か? ウェイカーってのはとことん窮屈な連中だなァ、おい」

「せやな。お前らと違うて、こちとら遊んどるわけやないし」

「おうおう、言ってくれんじゃねぇかテメェ」


 途端、剣呑な殺気を漆木が放つ。

 再び戦闘が勃発しかねない危険な雰囲気を肌に感じ、萩と楓がそろって息を呑んだ。だが。

 どれだけ挑発しようと、全く誘いに応じない葵に「くだらねぇ」と、漆木が吐き捨てる。


「こんな腰抜けが今の椿鬼の副マスかよ。椿鬼も落ちたもんだな。やっぱあのとき潰しときゃ良かったぜ」


 そう言うと、漆木は葵に背を向けた。

 

「帰んぞ、獏」

「うぃす」


 漆木の声に、短く獏が応じる。


「近いうちにまた会おうぜ、双夜叉。次の獲物はテメェだ。殺してやるよ。必ずな。どんな手段を使ってでも」


 去り際、脅しとも取れる捨て台詞を残し、漆木の姿は迷宮(メイズ)通路の奥へと消えた。

 その後ろに獏が続こうとしたとき、「獏……!」と、掠れた男の声が獏の歩みを引き止めた。

 声に振り向いた獏の目に映ったものは、満身創痍の祥平の姿だった。

 右目を腫らした顔で、祥平は優しく笑って、

 

「ちゃんと、メシ食ってんのか? お前」

「―――っ、……兄貴」


 その言葉に、深い意味はない。

 ただ、毎日飯を食ってるかどうかという、そんな、なんてことないただの問いかけ。

 しかし獏にとってそれは。その言葉は――。


「また今度、豚骨ラーメン食いに行こうぜ」

「俺ぁ……いつも、豚骨食えねぇって言ってるじゃねぇっすか、祥平の兄貴」

「なに泣きそうな面してんだよ、バカ」


「泣いてねぇっすよ」と、獏は鼻をすすり、それから祥平を見た。

 

「カッコ良かったっす、祥平の兄貴。今まで、お世話になりやしたっ!!」


 姿勢を正し、腰を折って、獏は深々と祥平に頭を下げた。

 それを受け、祥平は照れくさそうに笑いながら「おう、元気でな」と、獏に応えた。


 確かな絆がある。

 今は敵同士だとしても、祥平と獏との間には、切っても切れぬ深い絆があった。

 頭を上げた獏は、小走りに漆木の向かった迷宮(メイズ)の闇へと消えた。

 獏が振り返ることはなかった。


「―――」

 今度こそ、戦いが終わった。

 迷宮(メイズ)に、沈黙が訪れる。

 鳴り響く、崩壊の音以外、何も聞こえない。

 天井に連なる鍾乳洞が大きく揺れる中、「葵さん」と、祥平が葵の名前を呼んだ。


「椿姫の連中がここに向かってるっての、あれ、嘘っすよね」


 青い顔で祥平の元に駆けつけてきた楓と萩が「え?」とそろって葵の顔を見る。

 3人の視線を浴びながら、葵は言った。


「ああ、大嘘や。茜さんも樛さんも異界攻略(レイド)でおらへん。休み取ってたんは俺だけや」

「そんな……それじゃあ、応援は……」


 楓の声が、か細く消える。

 葵は何も言わない。

 それが答えだ。

 応援は、来ない。


「……悪ぃな、楓。焼肉の約束、守れなさそうだ」

「焼肉なんて、いいですから! だから! だから……死なないでください、祥平さんっ」


 瞼を濡らし、楓が叫ぶ。

 祥平は困ったように苦笑する。


「泣くなよ、楓。男だろ? 滅多なことがねぇ限り、男は泣くもんじゃねぇよ」

「でも、でも……っ」

「……ったく、困ったやつだな」


 そう言って、祥平は動かない左手の代わりに、黄葉色の楓の髪を右手でわしわし撫でた。


「でも、そういうとこが、楓のいいところなんだよな。楓は、人の気持ちがわかる、優しいやつだから。だから、今日、俺は一般人の避難を楓に任せたんだ。俺や萩じゃ、ダメだった。人の気持ちがわかるお前だから、任せたんだ。ありがとな、楓。楓のおかげで、俺はひとりも死なせずにすんだ」

「祥平、さん……っ」


 肩を震わせ、喉から嗚咽を漏らす楓。その頭を優しく撫でながら、祥平は次に萩を見る。


「萩」

「……はい」

「強くなったな、お前。蜥蜴種(リザードマン)との戦い、見てたぜ。最初から、こいつは骨があるやつだと思ってたが、想像以上だ。俺なんか、すぐのっこされちまうな、こりゃ」

「俺なんか、まだまだですよ。祥平さんには、もっと色々、教わりたいことが山ほどあるのに……」

「そうだな。もっと、教えてやりたかったさ。けど」


 ごほ、ごほ、と祥平が咳き込んだ。

 口元を、右腕で拭う。拭った右腕についた血を見つめながら、祥平は力なく笑う。


「どうやら俺も……ここまでみたいだ」


 呼吸は浅く、辿々しい。

 視界はぼやけ、身体の至るところから命が溢れていく。

 今にも心臓が機能を停止してしまいそうだ。

 タイムリミットは、もうそこまで迫っている。

 限られた時間の中、残された時間で、祥平が萩に教えてやれること。


「最後に、俺が教えてやれることっつったら、ひとつだけだ」

「―――」

「ウェイカーをやってりゃ、何かを選ばなきゃならねぇ瞬間が何度も来る。まいっちまうぜ。いや、ウェイカーに関わらず、人生ってのはそんなもんか。選択の繰り返しってやつだ」


 働かない頭で、言葉を紡ぐ。

 萩は黙って、祥平の言葉を聞いている。

 一言一句を聞き逃すまいと、耳をそばだてる。

 真剣な顔の萩を見ながら、祥平は続ける。


「そんなときはだな、まず、最悪の結果を想像するんだ。これをやりゃあ、どうなるのか。とりあえず色々考えて、そんでもって、好きにやりゃあいい」

「好きに……?」

「そうだ。責任なんてのは、考えるな。んなのいちいち考えてちゃ、何もできやしねぇ。動けねぇで、終わっちまう。だから、こうするって決めたんなら、全力でやれ。全力でやれば、大抵なんとかなるもんさ」


 祥平自身、思い返せば様々な選択があった。

 親父が死んで、高校を中退して、不良仲間とつるんで、抗争の最中心象武装(オクトラム)が発現した。毎日好き放題遊び、なんとなくチーム我沙羅に入って、それで葵に椿姫に勧誘された。


 本当に、色々なことがあった。

 そのたび、祥平は選択を重ねてきた。

 後悔がないと言えば嘘になる。

 もっと利口な選択があったのもまた事実。

 けれど、その選択の全てが間違っていたとは思わない。だってよ――。


 最後の最後に俺は、可愛い後輩達を守りきることができたんだから。

 

「好きにやれ。迷ったときは、俺を思い出せ」


「―――っ」

「祥平、さん……っ」


 萩と楓が、肩を震わせる。

 ここは笑って頷く場面だろうに、まったく。

 そんな可愛い後輩ふたりを力いっぱい抱きしめたくとも、悲しいことにたったそれだけの余力が祥平には残されていない。


「なんてこと教えとんのや、お前は」


 それを黙って見守っていた葵が、苦笑する。


「へへ、何言ってんすか。それを俺に教えてくれたのは、葵さんじゃないっすか。ケツは俺が持つから、お前が正しいと思ったことをやれって」

「いったいいつの話や、それ。よう覚えとんな」

「葵さんの言葉は、全部覚えてますよ。なんてったって、葵さんは俺の憧れっすから」


 誰よりも強く、速く。そして誰よりも仲間思いな。初めて祥平が惚れた男が葵だ。

 

 祥平はズボンの右ポケットから、くしゃくしゃにひしゃげた煙草の箱と、銀のジッポライターを取り出した。


「ラスト……1本か」


 箱に入っていた煙草は残り1本だけ。

 なんて縁起がいいんだろう。

 震える指で煙草を咥え、ジッポライターの蓋を開けて親指をフリント・ホイールにかける。

 カチッ、カチッ、カチッ――。

 だめだ。音が鳴るだけで、火がつかない。


「たく、しゃぁないやっちゃな」


 祥平の手を葵の手が包み、勢い良くフリント・ホイールが回った。

 鮮やかな橙色の炎が、ジッポに灯る。


「あざっす、葵さん」


 軽く礼を言いながら、祥平は煙草の先端を橙色の炎に近づけた。

 すぐに煙草に火がつき、白夢の煙が浮遊する。

 大きく吸って、ゆっくりと口から煙を吐き出す。


「ああ、……染みるな」


 頭が、ぼおっとする。

 ニコチンが血管を拡張し、血流が加速する。

 構わずもう一口、煙草に口をつける。

 煙を吸うたびに、煙草が短くなっていく。

 煙草が短くなるたびに、命が消えていく。

 まるで、この煙草の火が消えるまでが、自らの寿命みたいに思えた。

 

「葵さん。俺、あのとき葵さんに拾ってもらえて、良かったっす。椿姫に入れてもらえて、葵さんと一緒に戦えて……葵さん、俺、すっげぇ楽しかった」

「……なに、改まって言っとんのや。そんなん言わんくとも、わかっとる」

「へへ、言わせてくださいよ。最後だし。言いたいんだ。今言わねぇと、もう言えねぇから。俺、葵さんに出会えて、ほんと良かった」

「それは……俺もや、祥平。お前と一緒に戦えて、ほんまに楽しかったで」


「へへ」と祥平は満面の笑みを浮かべた。

 葵の口からそれを聞けただけで、十分だった。

 もう、何も思い残すことはない。

 祥平は幸せだった。


「祥平さん、俺は……」


 歯を食いしばり、今にも泣きそうな萩が喉を震わせている。


「……生きろ、萩。そして強くなれ。大切な人間を守れるくらい強い男に」


 みんなじゃなくていい。たくさんじゃなくていい。世界中なんて大きいことは言わない。ただ身の回りにいる大切な人たちを護りたいと願う後輩に、祥平は自らの願いを付け足して、


「そしてどうせなら、ついでに泣いてる女の子も一緒に救ってやってくれよ」


 そう言って、祥平は笑いかけた。

 我ながら、少し格好良すぎたか。

 いや、最後くらい格好良すぎて悪いなんてことはないだろう。


「てか、この煙草、いつのだよ」


 口にして、考える。

 はて、何年前のだろう。

 もう忘れてしまった。

 頭が重く、いちいち考えるのも億劫だ。

 そんなの今はどうでもいいか、と祥平は笑う。

 睡魔が襲う。ああ、眠くてどうしようもない。

 もう一口、煙草に口をつける。

 ゆっくりと煙を吸い、惜しむように白い息を吐き出した。

 祥平は小さく肩を揺らして笑い、そして。


「ったく、湿気ってやがる――……」


 吸いかけの煙草が、地面に転がった――。

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