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レベル0のイレギュラー  作者: 椋鳥 未憐
第二章 椿姫
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Level.39『真紅の炬火』




「……ッ、はぁ、はぁ……ふぅ」


 まるで水に溺れた蛙みたいに、肺が新鮮な酸素を求めて喘ぎ、荒い呼吸を何度も繰り返す。

 何度も、何度も、そう何度も。

 けれど、何度繰り返そうとも大脳は満たされることを知らず、心臓は当然とばかりに絶えず酸素の要求を催促し続けてくる。


「こんなもんかよ、祥平よォ」


 ただ悠然と、【黒鬼】は祥平を見下ろしていた。

 その容貌魁偉然とした屈強な肉体には傷一つとついておらず、そればかりか息のひとつも乱していない。正しく豪鬼。

 遺憾の感情を帯びた漆黒の瞳を見上げながら、祥平は「へへ」と肩を揺らしてみせた。


「言ってくれんじゃねぇっすか……。こちとら身体中ガタガタだっつーのにまったく」


 心象武装(オクトラム)《グングニル》を地面に突き立て、杖代わりに立ち上がる祥平に漆木は頬を緩めた。


「ならどうする? 泣いて命乞いでもしてみるか?」

「へッ、漆木の兄貴もつまんねぇ冗談かますようになったじゃねぇっすか」


 ふらつく身体。倒れそうになるのを堪え、祥平は地面を強く踏み締めた。

 グングニルから発される紫電が、祥平の意思に共鳴するかのように迸る。

 

「そんなかっこ悪ィとこあいつらに見せるくらいなら、死んだほうがマシだぜッ!!」


 そして、再度駆ける。

 まるで電光石火の如く。稲妻に背中を押され、祥平の歩みが加速する。

 目にも止まらぬ速さの5連突き――からの身体を回転させ、遠心力を上乗せした横薙ぎが躊躇なく漆木の頭部を狙う。

 並のウェイカーならば、死んでもおかしくない威力の攻撃。それを漆木は軽々と素手で掴む。


「強がるんじゃねぇよ。その腕、折れてんだろ?」


 漆木はそう言い、槍を硬く握り締め、赤く腫れ上がった祥平の左腕に視線を落とした。


「折れてても、動かせねぇわけじゃねぇ。今強がんねぇで、いったいどこで男張りゃいいっつうんだ!」


 強引に槍を漆木の手から振り解くと、祥平は雷の速度で連撃を放つ。放ち続ける。

 頸動脈の流れる喉元。脆い鎖骨。心臓のある左胸。人体の急所のひとつ鳩尾。それらを的確に狙い、穿つ。

 されど、それらの攻撃全てが通じない。

 槍は黒く変色した漆木の肌を貫けない。

 漆木 哲也の心象武装(オクトラム)《不動明王》。全身の硬度を高める変異形態(ラグニス)の前に、祥平の槍撃は為す術無く全て弾かれてしまう。


「おらよ!」

 漆木の蹴りが、祥平の脇腹を捉えた。


「うが――ッ!?」

 蹴りの威力に耐えられず、祥平は無様に地面を転がった。

 これで何度目だろうか。地面の冷たさを味わうたびに、自身の無力さを噛みしめる。


「何度やっても同じことだ。テメェの攻撃じゃあこの俺に傷一つつけることも叶わねぇ。いい加減諦めて、素直に殺されろ」


「……俺の諦めの悪さは、アンタが一番知ってるだろ。漆木の兄貴」


 祥平は地面に爪を立てた。

 朦朧とする視界。

 紫電を使いすぎたのだ。

 身体は遠に、限界を超えている。

 少しでも気を緩めれば、そのまま身体の機能が全停止するのではないか。そう錯覚する。


「う、を……ぉッ」


 ダメだ、やめてくれ。これ以上は無理だと。

 頼むから……お願いだから。もう立ち上がらないでくれと。

 これ以上戦ったら、本当に死んでしまう。だから――。


「だから、立つんだろうが……ッ」


 何度も、何度も、そう何度だって。

 雨瀬 祥平という男は何度だって立ち上がる。


「死にたくねぇから戦ってんだ。死なせたくねぇから、戦ってんだ」


 全身の悲鳴をフル無視し、満身創痍の身体を更に酷使して。祥平は立ち上がる。


「大事なモンを守るのに、俺は戦う以外の選択肢を知らねぇから――」


 紫電が、鳴いた。

 今までの戦いとは比にならないほどの膨大な雷が、祥平の槍に収束を始める。

 

「だめだ、祥平さん……ッ!!」

「行かせねぇ!」


 異変に気づいた楓が祥平の元に駆け寄ろうとするも、その愚行の前に獏が立ち塞がった。


「黙って見てろ。テメェの兄貴が、男張ってんだからよ」

「くっ……!!」


 奥歯を噛み締める楓を横目に、獏は戦闘を中断し、祥平の姿を目に焼き付ける。


「祥平さん……」

 それに習い、萩も骨剣を降ろし、固唾を飲んで祥平の姿を見守った。

 外野に出来ることは何もない。

 祥平の想いを、覚悟を邪魔する無粋は許されない。



 雷鳴が鳴き、豪雷が轟く。

 瞳を焼くほどの光量。

 空気を焦がすほどの熱量。

 そこにある全てが、感電する。

 収束の過程で漏れた雷の破片が、周囲の残骸を次々に破壊して行く。

 それは、天の怒りそのものだった。

 漆木の表情から余裕が消える。

 

「テメェ……死ぬ気か?」


 収束する雷の中心。

 雷槍を掴む祥平の右手は、目を背けたくなるほど痛々しい。

 熱に焼かれ、肌が焼け焦げ炭化している。

 過ぎた力は己の身さえ滅ぼしてしまう。正にその言葉を体現しているかのように。


「死ぬつもりは更々ねぇ。やり残したこと、山ほどあるし。ろくに親孝行だってできちゃいねぇ。あと、帰ったらあいつらに焼肉も奢ってやらなきゃならねぇんだった」

「相変わらずだな。テメェも」


 かつてと何も変わらない。

 男を張り、己の信念に我を通す。自らを兄貴と慕う蒼髪の槍使いに、漆木は肩を揺らした。


「最後にもう一度だけ聞いてやる。チームに戻れ、祥平。そうすりゃ俺はテメェを殺さずに済む」


 そう、嘘でも祥平が漆木の言葉に頷けば、この意味のない殺し合いは丸く収まる。

 ただ一度、チームに戻ると言うだけで――。


「帰りたいと思える場所が、やっとできたんすよ」


 祥平は、にへら、と力ない笑みを浮かべた。


「クソみてぇな俺の人生の中でようやく。だから。俺はあいつらを……あの人を裏切れない」


 後悔など微塵も感じさせない、その黄色の瞳には、曇りひとつとない。

 何を言っても揺らがぬ決意が、信念を宿してそこに在る。


「俺はもう決めてんだ。あの人の元で戦うって。誰に何を言われようが、俺は絶対に曲がらねぇ。たとえ死んだとしてもだ」


 例え今限りの虚言だとしても、祥平は漆木の言葉に頷くことなどできはしない。

 

「曲がらねぇ、か。そうかよ。ああ、テメェはそういう頑固な男だったな」


 そんな不器用な男だからこそ、漆木は祥平を気に入っていたのだ。

 ならばと漆木は腰を据え、両腕を広げた。


「だったら仕方ねぇ。望みどおり殺してやるよ、雨瀬 祥平ッ!!」


 漆木の肌が、黒く変異していく。

 その硬度は、鋼をも遥かに上回る。漆木 哲也の心象武装(オクトラム)《不動明王》。


「来い、祥平! テメェの全てをねじ伏せてやる!」

「ああ、行くぜ! 漆木の兄貴ッ!!」


 そして、紫電が一際激しく弾け、祥平は音を置き去りにした。

 螺旋のように激しく渦を巻く紫電が滑走する。

 それを阻めるものなど何ひとつとして存在しない。限界まで収束された雷に示された、唯一の行路。雷が奔る。


「刺槍紫電〝丈御禍雷(タケミカヅチ)〟――ッ!!」


 その瞬間、祥平はひとつの雷と成った。


「「―――」」

 時として、ほんの数瞬。

 瞬きの合間の交戦。

 鮮やかな紫光が迷宮(メイズ)を包み、そこに居合わせた誰もが息を呑んだ。


「ぐぉ……ッ」


 黒く変異した鋼の肌を突き破り、肉を穿ち、祥平の槍が漆木の肩を突き刺していた。

 途方もない槍の威力。漆木の身体は迷宮(メイズ)の壁際まで押し寄せられていた。


「へへ、やってやったぜ。漆木の兄貴」


 祥平が、してやったり顔で頬を緩めた。

 血が滴り、ポタリポタリと地面に落ちる。


「ああ。テメェの一撃。確かに届いたぜ、祥平」


 漆木がそう言った直後「ぐふ」祥平は血を吐いた。

 漆木の右腕。人差し指と中指の中程までが、祥平の腹を抉っている。

 糸の切れた人形のように、祥平の身体が地面に崩れた。


「うそ、だよね。祥平さん……」


 楓は信じられないとばかりに首をゆるゆると左右に振り、膝をつく。


「―――ッ」

 獏は決して目を離そうとせず、爪が肉に食い込むほど強く、強く拳を握っていた。


「―――」

 祥平は動かない。地に倒れたまま。

 地面に染み込んで行く祥平の赤い血が、萩と楓に残酷な現実を淡々と突きつける。

 あまりにも不仕合せな、壮絶な戦いの結末。

 正義がどちらにあるかと問われれば、それは間違いなく祥平の方だろう。

 だが、今立っているのは【黒鬼】だ。その事実こそが全てである。


「これで終いだ、祥平。今楽にしてやるよ」


 地面に倒れ伏す祥平を見下ろしながら、漆木は穿たれた腕とは違う方の腕を振り上げた。

 途端、振り上げられた腕が黒く変色する。


「やめて……これ以上やったら、祥平さんが死んじゃうよ……っ!」


 眼前で行われようとしている無慈悲な殺戮を前に、堪らず楓は肩を震わせて叫んだ。

 だが生憎と、黒鬼は慈悲の心などといった純粋な心を持ち得ない。そんな重荷はとうの昔に捨てている。自らを【黒鬼】と名乗ったその日から。

 悲痛な静止の声など漆木は気にも止めない。

 

「―――っ」


 何を言おうと漆木が止まらないことを獏は知っている。

 故に獏は兄貴と慕った男の最後を黙ってその目に焼き付ける。歯を食いしばり、血が滲むほど拳を硬く握りしめて。


 誰にも漆木を止められない。


 祥平はここで漆木に殺されるのだ。


 ゆっくりと振り下ろされる死の鉄槌。


 緩慢に時間だけが過ぎていく。


 今にも動き出しそうな身体を戒める獏は見た。


 視界のわきを駆け抜ける、紫根の炎を――。


「な――ッ!?」


 瞬間、息を詰める。

 吸い込んだ息に喉を炙られる。

 誰もが動けない中、誰よりも早くその男は駆けていた。


――目の前で誰かを失うのはもうごめんだ!


 萩の胸を焦がす、この燃えるような感情は果たして憤怒なのか。いいや、違う。

 それは萩にとっての誓い。

 大切なあの人と交した大事な約束。

 それだけを原動力に、萩は剣を握りしめる。


――お願いだ、今だけでいい……。


 萩は己の内側へと意識を向けた。

 身体の芯で、熱を放ち続ける炎に訴えかける。

 

――頼む、弱い俺に勇気(ちから)を貸してくれ……っ!


 あれほど嫌い、憎んだ火種(オーラ)に願う。

 どうしても力が欲しいんだ。

 最強の一撃が、必要なんだ。

 あの漆黒の鎧に傷をつけるだけの強靭な一撃が。

 悪に対抗し得る勇気を俺にくれ。


 ふと、先輩の後ろ姿が脳裏に浮かぶ。


 次の瞬間。


「―――!!」


 突如胸の奥、身体の芯より熱が込み上げる。

 火種(オーラ)が萩の想いに応えるように、淡く燃ゆる紫麗の燐火(ブラウス・オーラ)が猛々しい唸りを上げて、雄々しく滾る紅蓮の焔へ姿を変えた。


――真紅の炬火(ブレイブ・オーラ)


 地を蹴り、萩は加速する。


「祥平さんから離れろ漆木ッ!!」


 真紅の炎を纏いし萩が、一直線に漆木の元まで距離を詰めた。


「テメェ!?」


 そこで漆木が自身に迫る真紅の炎に気づく。

 ――遅い。萩の手にする蜥蜴種(リザードマン)の骨剣には既に真紅が侵食し、紅蓮が渦を巻いている。

 握る剣に持てる全ての余力を注ぎ、この一撃に賭ける。萩は骨剣を振り抜いた。

 斬軌一閃――。


「紅蓮〝赤紫咲〟ッ!!」


 瞬間、世界から音が消えた。

 剣の通った軌道上が淡い紅光を放ち――転瞬、遅れて真紅の紅蓮が世界に息吹を噴き返す。


「っぅ……!?」

「んだ、この威力は。野郎、加減してたのか!?」


 その幻想の炎に温度は存在しない。

 燃えている、と。そう見せかけだけの幻炎。

 しかしその途方もない紅蓮は楓の肌を炙り、真紅の剣が獏の視界を焼くような錯覚を与える。

 それほど萩の放った一撃は凄まじかった。


「……はぁ、はぁ、ッ、……どうだ」


 力絶え絶えに肩で息をする萩。

 萩の持てる以上の全てを注ぎ込んだ渾身の一閃。

 これで倒れてもらわなければ困る、そう思いながら萩は目の前で濛々と烟る火煙を睨む。

 しかし――。


「ちッ、痛ぇなおい」


 萩の眼前。

 晴れた火煙の中に、今だ健在の漆木の姿がそこにはあった。

 くそ、と萩は呻く。

 当たり前か。祥平の決死の一撃でやっと貫けた漆木の漆黒の肌は、そう安安と傷をつけれるものではない。

 漆木は萩の一閃を防いだ右腕に視線を落とした。腕からは血が滴っているが致命傷には程遠い、が。

 ギっ、と漆木は萩を睨みつけた。

 

「テメェ……レベル4か5そこらのガキが、この俺に傷をつけただと?」


 漆木の漆黒の肌は鋼の硬度を上回る。

 最強の鎧と自負するその肌を、あろうことか自身よりも数段格下の小僧に破られたのだ。漆木のプライドに傷がつく。


「ガキが。テメェも祥平と一緒に殺してやるよ」

「――っ」


 力を使い果たした萩は動くこともできず、ろくに火種(オーラ)を発動することすらままならない。

 明確な殺意を宿した黒鬼が萩に殴りかかろうとした、まさにその直前――。

 


「――双心流 奥伝〝夜咫烏(ヤタガラス)〟」



 黒鬼の殺意は、閃く二つの刃によって遮られた。

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