Level.33『残されたクレープとたこ焼き』
その日は、酷く冷たい雨の日だった。
「―――」
乾いたアスファルトの濡れる匂い。
土砂降りの雨。
ザァザァと、地に落ちる雨音以外何も聞こえない。
花も、木も、草も、全部が泣いている。雨に打たれて泣いている。
俺は俗に言う『雨男』というやつだ。
入学式や卒業式。運動会から修学旅行。大切な日には決まって空が泣く。
親父が死んだ日も雨だった。
今日だって、ほら――。
「―――」
服は濡れるし、髪はベタつくし。
まるで空に嫌がらせされている気がして……。
だから俺は、そんな雨が心底嫌いだった。
雨なんて降らなければいいのに。
でも、お袋はそんな雨が好きだと言っていたっけ。
空が自分の代わりに泣いてくれてるみたい、と。そう言ってお袋はいつも笑っていた。
お袋が泣いている姿を、俺は一度だって見たことがない。
親父が死んだあの日でさえ、お袋は泣かなかった。
雨上がりの青空が、世界で一番澄んでいるのだと、お袋はそう言っていた。
今なら、お袋の気持ちが少しわかる気がした。
「―――」
どこかで雷が鳴いた。
雨は泣き止まない。
身体はとうに冷え切っていて、魂だけが変わらぬ熱を帯びている。
あの日の余韻が忘れられない。
あの人の姿が頭から離れない。
だから俺は、ここにこうして立っている。
前髪から雨水が滴り、鼻筋から顎を伝って地面に落ちる頃。
「そうかよ、好きにしろ」
そう言って、目の前の男は俺に背を向けた。
「次に会ったときにゃ、俺はテメェを殺すぜ」
それを最後に、男は歩き出す。
決別。そんな言葉が頭を過る。
遠ざかる男の背中に、俺は深く頭を下げた。
ああ、雨が降ってくれていて良かった。
俺の代わりに泣いてくれる空に感謝した。
❦
「――へいっ、お待ち! 380円ね! おおきにな兄ちゃん!」
頭にバンダナを巻いた40代の店主から、8つの茶色い宝玉の詰まった宝石箱を受け取った俺は、代金として380円を手渡した。
「お〜、うまそう!」
早速、茶色い宝玉のひとつを爪楊枝で刺し、傲慢にも一口に頬張る。
途端、焼き立て熱々の宝玉が、口の中で弾けた。
「あっつ、あっつ、うんまっ」
濃いめのソースが鰹節と相まって、幸せのハーモニーを奏でている。なんて、どこかで聞いたことのあるような食レポを乱用してみたり。
大阪に来た当初食べたたこ焼きはそこまで味の違いが分からなかったが、同じたこ焼きでも味付けや些細な食材の違いでこんなにも味が変わるものだと、大阪に住んで5ヶ月、ようやくそれが分かってきた。
「おっちゃんのたこ焼きソースが濃いめでめっちゃ俺好み!」
「おっ! 嬉しいこと言ってくれんな兄ちゃん! も一個サービスしたる!」
「ありがとおっちゃん!」
「おう! また買いきたってな兄ちゃん!」
溌剌とした店主のおっちゃんからもう一個たこ焼きを舟皿に追加してもらい、絶対また来ようと思いを胸に、俺はたこ焼き屋を後にした。
「相変わらずたこ焼き好きだね、萩くんは」
船皿に乗ったたこ焼きをパクパク食べていると、横からそんな声がかけられた。
見れば黄葉色の頭髪の美青年こと楓が、隣で美味しそうに苺クレープを頬張っているではないか。
「そのクレープ美味そうだな、楓」
「だめだよ。あげないからね」
「俺のたこ焼き一個あげるから。な?」
そう言って、俺はたこ焼きを差し出す。
「めっちゃうまいぞ、これ。ほら、食ってみ?」
事実、今まで食べてきたたこ焼きの中でも3本の指に入るくらい美味い。
たこ焼きの香ばしい香りが、楓の鼻孔を刺激する。
数秒の葛藤の末、はぁ、とため息をつき、半ば根負けしたかのように苦笑する楓。
「もう、仕方ないな。一口だけだからね」
「やたっ、さすが楓」
俺は小さく右手でガッツポーズを示した後、爪楊枝でたこ焼きをひとつ刺し、持ち上げた。
「ほら、あーん」
「あーん」
という掛け声と一緒に、口の中にたこ焼きを入れてやると、楓は「ほっほっ」と熱そうに舌の上で何度かたこ焼きを転がした。
もぐもぐもぐ、ごくん。
「え。すごく美味しいね、これ!」
「だろ?」
目を丸くして驚く楓を見て、なんだかこっちまで嬉しくなり、俺は胸を張って自慢気に笑った。
笑った後で、ふと思う。
あれ、これって間接キスじゃね、と。
いや、間接キスくらい男同士さして気にすることでも何でもないんだけど。バスケ時代は間接キスが普通で、ポカリのボトルは常に回し飲みが基本だったし。
だから今さら、間接キスくらい、どうってことは……。
「ん? どうかした」
問題があるとするなら、それは楓の容姿にあった。
白い肌と、きめ細やかな髪。小柄で身体の線は細く、女の子と勘違いするほど整った顔。
今日だってほら、何度か知らない男からナンパを受けてるし……あれ? じゃこれってデートじゃね?
傍から見れば、男女のカップルがイチャついているように見えてもおかしくはないこの状況。
だからだろうか。ちょっと意識してしまう自分に、罪悪感がこみ上げる。
いやいやいや、楓は男だ。男だぞ。
そっち系のジャンルに目覚めてしまったら最後、楓と友達のままでいられる自分に自信は持てない。
「はい、どうぞ」
差し出される、楓の食べかけの苺クレープ……。
バカ。何を考えてるんだ俺は!?
楓は男だ。男、男、男、男――。
暗示のように心の中で繰り返しつつ「あむっ」と一口。俺は楓のクレープに齧り付いた。
瞬間。
「―――っ!!」
口の中に広がる濃厚な苺の香り。
苺の酸味とクリームの甘さの絶妙なバランス加減。
口の中のたこ焼きの濃味が、苺クレープの甘さにリセットされるこの開放感。
「う、美味すぎる……!!」
悪魔的苺クレープの美味さの前に、間接キスがどうこう俺のちんけな悩みなどどこかに吹っ飛んだ。
「でしょ?」
楓が嬉しそうに破顔する。
「もう一口!」
「だめでーす」
「この通りっ」
両手を合わせてもう一口と粘ってみても、やはり楓はノーと笑顔で首を横に振る。
仕方ない。こうなったら俺のたこ焼きを何個か犠牲にしてでも苺クレープを――などと考えていると、
「おっ、美味そうなの食ってんなあお前ら」
そんな声に俺と楓が揃って振り向くと、視線の先では背の高い蒼髪男が俺達に向かって軽く片手を上げていた。
「プレゼント決まったんですか? 祥平さん」
「おおとも。この通りな」
そう言って青髪男こと祥平さんは、丁寧に包装された紙袋を掲げて俺達に見せてくれた。
「お母さんへの誕プレでしたっけ」
「そうそう」
今日は久々のオフ日。
最近は異界攻略ばかりであまりちゃんとした休暇が取れずにいたし、気分転換に遊びに行くかと楓と話していたところ、祥平さんがお母さんへの誕生日プレゼントを買いに行くとのことで、丁度良いし3人で行きましょうと言う形で現在に至る。
「お袋には散々迷惑かけたからなぁ」
紙袋に視線を落とし、祥平さんが染み染み言う。
祥平さんの家庭の事情はわからないけど、でも誕生日に息子からプレゼントをもらって喜ばない母親はいないだろう。
「喜んでくれるといいですね、お母さん」
「だな」
祥平さんは気恥ずかしさを隠すように、にかっと白い歯を見せて笑った。
「よし、そんじゃ飯でも行くか! 付き合ってもらった礼に焼肉でも奢るぜ」
「本当ですか!」
「さすが祥平さん、太っ腹」
「近くにうまい店知ってるからよ、お前らなんの肉が好きとかある?」
「ぼくはラム肉一筋です」
「いいなラム。萩は?」
「えっと、俺は――」
羊肉と、そう答えようとしたところで、
――ちりり、と。
首裏の薄皮を撫でられるような、そんな感覚。
酷く曖昧で、それでいてどこか明瞭な、そんな感じの――。
気づけば、能力が反応していた。
――《蒼藍の淡火》は、俺に向けられる敵意や殺意といった類の視線を読み取り、俺に教えてくれる。
加えて黒鎌の蟷螂種との一戦を越え、一段階進化した《紫麗の燐火》の敵意察知能力は、以前にも増して敏感になっている。
――敵意……!!
バッと後ろを振り返る。
昼下がりの市内の歩道。右を見ても左を見ても、あるのは賑やかな人混みだけ。
感知した敵意は次第に薄れて消える。
明確な敵意を向けられたのなら、敵意の出処を正確に読み取れるのだが、恐らく今の敵意は直接俺に向けられたものではなかったのだ。
敵意というより、悪意に近い害意だろうか。
何にせよ、警戒を怠るわけにはいかない。
努めて不自然ないよう、視線だけで辺りを警戒していると、
「ひと雨来そうだね」
楓の発言につられ、見上げた空は曇っていた。
さっきまで晴れていたはずなのに、いつの間に雲が出てきたのか、今にも降り出しそうだ。
「雨、か……」
ぽつりと、祥平さんが言った。
「少し嫌な予感がする。濡れる前に急ぐぞお前ら」
「ですね。急ぎましょ――」
その直後。
後に続く楓の言葉を遮るが如く、空間が歪んだ。
「な――!?」
「こいつは……ッ!!」
言葉そのままに、他に比喩のしようもなく、空間が歪曲し、闇に喰われる。
何が起こったのか、理解が及ばない。
ただ一つだけわかっていることは、これはヤバいという漠然とした危機感だけ。
「不味い、楓っ!」
「萩くん!」
咄嗟に、俺は近くにいた楓の手を取った。
視界のすべて。伸ばした腕も、掴んだ楓の手も、何もかもが円を描くように等しく歪んで、そして――。
そして俺達は、闇に呑まれた。




