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レベル0のイレギュラー  作者: 椋鳥 未憐
第二章 椿姫
35/132

Level.???『BE ,Ⅱ――地獄で嗤う黒鬼を前に、血濡れの夜叉は幽鬼と成り果て己の無力をその身に刻む』



 

 シタタタッ、と地面を靴底が叩く音が洞窟内を控えめに反響する。

 目にも止まらぬ速度で通路を疾駆するのは、黒髪で2本の刀を両手持ちした男。

 背丈は日本人の標準身長よりも少し小さく、身体は小柄で見た目は実年齢よりも若干若く見える。

 外は突然の土砂降りに、傘も刺さずにここまで猛ダッシュしてきた男の髪や服はずぶ濡れだった。

 走るたび濡れた髪から雨粒が背後に払われる。


「―――」

 ふと、男が瞳を細めた。

 眼前、進路上に2匹の蜥蜴種(リザードマン)が男の進行を妨害しようと立ち塞がっている。

 蜥蜴種は強固な鱗に全身を守られており、並のウェイカーではその鱗に傷ひとつつけることはできない。にも関わらず、男は一向に速度を緩めようともせず蜥蜴種に肉薄。


「どけ、――邪魔や」


 短く言い放つと同時、銀閃が閃く。

 鎧の硬さを誇る蜥蜴種の鱗がプリンのように滑らかな断面を見せ、2匹の蜥蜴種は即死。斬撃の威力にまるで男に道を譲るように後方へ吹き飛ぶ。

 文字通り斬り拓いた通路を男は進む。返り血を避けようともせず、頭から蜥蜴種の血を浴びながらも男が足を止めることは決してない。

 心の中で、男は祈る。


 ――頼む、間に合ってくれ。


 何事もなければそれでいい。

 迷宮(メイズ)内で出くわしたモンスターはLv.4の蜥蜴種(リザードマン)だった。

 約10日ぶりの休日中、ジムで鍛錬中に部下が異界災害(アビス・フォール)に巻き込まれたと報告を受け、急いでここまで走ってきたが、既に異界災害が発生してから1時間近くが経過している。

 

 いくら一般人も一緒に巻き込まれたからといっても、あのふたり(・・・)ならば苦戦したとて最悪の結末を迎えることはまずないだろう。

 せやから大丈夫やと男は自身に言い聞かせる。

 しかしその一方で、胸の奥に蟠る不安が拭えないのは何故なのか。嫌な胸騒ぎがする。

 経験上、こういった感はよく当たるのだ。

 そしてそこで、まるで男の不安を煽るかのようにして、迷宮を反響し落雷が轟いた。

 焦燥が増し、男の歩みを更に加速させる。

 



 邪魔なモンスターを斬って斬って斬り続けた、その先で――。

 急に視界が明るさを増す。

 ついで鼻を刺す強烈な血臭。

 ついに男は迷宮の最奥部、門番のいる間へと辿り着いた。

 そこで男は見た。

 地獄を見た。


「―――」


 人が死んでいた。

 女も、子どもも、老人も。

 老若男女問わずみんな殺されていた。

 一息に首を捻り折られ、胸が潰されている。顔面に張り付いた絶望が凄惨さを物語っている。

 転々と転がるのは蜥蜴種の死骸。

 美しい翡翠色(エメラルド)の鱗は所々が剥がれ、こちらは剣や槍で殺された跡が見受けられる。

 中央で息絶えているのは門番と思しき赤銅色(クリムゾン・レッド)の鱗の蜥蜴種(リザードマン)。鱗は何故か焼け焦げ、そこら中キズだらけだ。恐らく胸に穿たれた大穴が致命傷になっている。

 状況が飲み込めず、フリーズする思考。さっきからバクバクとうるさい自身の心音に紛れ、掠れて擦り切れそうな声が男の耳に入った。


「………い、さん……」


 弾かれるように声の聞こえた場所を見ると、見覚えのある黄葉色の髪の青年が壁に背をもたれて拙い呼吸を繰り返している。


「楓か……ッ!!」


 急いで駆けつけ、その場に膝を付く。

 あまりにも惨い有様に、思わず息を呑んだ。


「―――ッ、」


 酷いものだった。

 身体はぼろぼろで、全身青痣や切り傷だらけで、色白で華奢な青年の細腕は変な方向に折れ曲がっている。

 男は震える瞳で、青年の腹に深々と刺さった蜥蜴種の骨剣を見る。

 残酷なくらい美しい色濃い赤が、青年の服を染めている。

 致命傷だった。

 奥歯が噛み砕けんほど男は歯を食いしばる。


「ここで何があったんや楓!? なんで、なんでこんな……ッ」

「……すみ、ま、せん。……あ、おい、さん」


 力ない声が、途切れ途切れにそう呟き、そして青年の言葉は潰える。


「なぁ、楓……? しっかりせぇ! 死ぬな、楓!!」


 しかし男の声掛けも虚しく、黄葉色の前髪の隙間から覗く虚ろな瞳はもはや男を見てはいない。

 あれほど鮮やかに流れ出ていた流血は、拍動の停止とともに止まっている。

 青年との思い出が走馬灯のように脳裏を巡り、男の心を刃物で滅多刺しにする。

 声を押し殺し、男は低い天井を仰ぎ喘いだ。


「なんも守れてないやんかッ。なんのために俺は、俺は……ッ」


 死に際の言葉に謝罪を選ばせてしまった純朴な青年に対し、無力な己を呪わざるにはいられない。

 なぜもっと早く駆けつけられなかったのか。助けてやることができなかったのか。

 そのとき、天に向かって嘆く男は悪意ある嘲笑を聞いた。


「なんだ、本当に来やがったぜ」


 ゆっくりと男は背後を振り返る。

 そこには、黒い鬼がいた。

 身長は男よりもずっと大きく、体格もレスラーのように肉付きがいい。

 黒鬼が片手でナニかを持ち上げている。よく見ると、それは男のよく知る蒼髪の男だった。


「……祥、平」


 知らず、男の唇から声が漏れる。

 猫のように首根っこを捕まれ、地面から足が宙に浮いた蒼髪の男はされるがままに脱力仕切っている。まるでもう、死んでいるかのように……。

 夢なら覚めて欲しいと切に願う。

 悪夢以外の何ものでもない。

 地獄を作り出した元凶足る黒鬼は、何が可笑しいのかひとり獰猛な獣の笑みを深めてクツクツと嗤っている。


「テメェの部下は、今死んだとこだ」


 黒鬼が軽く腕を振り、蒼髪の男を放り投げる。

 蒼髪の男は緩い放物線を描きながら宙を舞い、ズシャ、と乾いた音を立てて男の目の前に転がった。

 恐る恐る、瞳を動かす。

 変わり果てた蒼髪の男の姿が、男の瞳に映る。


「必ず葵さんが来てくれるってよ、死ぬまで言ってやがったぜ、そいつら。まさか本当に来やがるとは思わなかったが」


 それになんの意味があるのか、黒鬼は口の中をモゴモゴさせた後、血と侮蔑の混ざったツバを足元に転がる坊主頭の青年の頬に吐きかけた。

 えも言わぬその青年もまた、既に事切れている。

 

「くだらねぇ裏切りもあったが、どうでもいい。退屈してたんだ、やろうぜ。舞台は整ってる。テメェが守るもんはもうここにはねぇ」


 クツクツ嗤う黒鬼が大きく腕を広げてみせると、見る間に鬼の肌が黒く変色していく。

 心象武装(オクトラム)変異形態(ラグニス)――身体の形状を変化させる類の形態。

 それで殺したんか。

 仲間を。部下を。一般人を――。

 刃のように鋭利な殺気が、空間を支配する。

 ゆらりと男は立ち上がった。

 ただひとり。目の前で貪欲に嗤う黒鬼以外、男の視界には入らない。

 憤怒と悲哀、そして絶望の入り混じった暗い瞳で、男は己の中の感情をそのまま吐き出した。



「許さへん、――殺したる」



 心象武装(オクトラム)は人の心の成長や変化に伴い、その形を変えていく。


 なぜなら心象武装とは、人の心を具現化した人間の秘めたる第八感、心の写し鏡である。


 希望に満ちた感情を糧に心象武装が成長すれば、本人の描いた理想により近い形で変化を遂げる。


 しかし相反して殺意や悪意といった汚れた負の感情を糧に成長すれば、それは本人の心根に張った増悪をそのまま形にするだろう。


 人の心とはえてして移り変わりが激しく、そして非常に繊細で未熟が故に、心象は容易に善にも悪にも成り代わる。



 ――心象覚醒第九感『真象武装(リベラティオ)』。



 男の手にするニ振りの刃が、負の感情を喰らい、覚醒と同時にその色形を変えていく。

 レベル7からレベル8に上がる境界線、心象は本人の心の『在り方』を体現し『真』なる進化を遂げる。

 左の短刀も右の長刀も等しく、反り返る日本刀独自の峰はそのままに、しかし光を浴びて美しく輝いていた銀閃の刀身は、禍々しい静寂を孕む漆喰の刀身へと姿を変える。

 まるで男の血濡れた心象をそのまま形にするかのように、心象武装が変化――否、進化した。

 

「幽蘭双忽〝血濡れ悼刀・通夜ノ晩〟」


 男の手にする二振りの漆喰の刃。

 その刀身を、赤黒い血が不気味に滴る。

 眼前。黒鬼は背筋に冷たいものを感じた。

 得体の知れない恐怖。

 悪寒が全身に纏わり付く。

 幽鬼に見えた。

 目の前の男が、黒鬼の瞳には幽鬼のように映る。

 まるで復讐に取り憑かれた亡霊だ。


「おいおいマジかよ……まさか『覚醒』しやがったのかテメェ……ッ!!」


 目覚めさせてしまった男――否、幽鬼を前に、黒鬼は即座に全身を心象武装で覆い固めた。

 レベル7とレベル8の間にある、心象武装の『覚醒』という名の絶対的な境界線。一線を画す強さの境地。黒鬼でさえ決して辿り着くことのできなかった次なる次元(ネクストステージ)

 以前とは別格――いや、別人だ。

 研ぎさまされていた殺気は消失し、今は無だけが広がる。何も感じない。何も感じ取れない。

 背中を伝う汗が冷たい。

 さっきまで昂っていた熱が冷え切っている。

 それどころか、耳鳴りが酷い。

 逃げろという警鐘。

 幽鬼は感情を殺した瞳で黒鬼を見据えている。

 ここまで違うのか……ッ。

 だが、まだ黒鬼にも十分勝機はあるはずだ。

 所詮は成った(・・・)ばかりの身。

 覚醒した力を使いこなせるわけがない。

 黒鬼が誇る最強の盾を、あの華奢な刃が貫けるとは到底思えない。

 勝てる、と。

 そう誤信してしまった自分を黒鬼は後悔した。


「双心流――」


 刹那、幽鬼が動く。

 否、分裂した。

 黒鬼の瞳にはそう見える。

 右にひとり、左にふたり。そして中央からもまたひとり。合わせて4人の幽鬼が黒鬼に躍りかかる。


「ハッ、残像か! 覚醒したテメェの新しい能力はよぉッ!!」


〝不動一尊金剛明王〟


 黒鬼最大最硬の防御。

 モンスターレベル7の鬼牙(オーガ)でさえ、この最硬の鎧に傷一つつけることなどできはしない。

 4人の幽鬼が、黒鬼の懐に潜り込む。

 感情を殺した目。

 まるで修羅のようだ。


「双心流 奥伝〝夜咫烏〟」

「双心流 奥伝〝月華美刃〟」

「双心流 奥伝〝御霊蝶羽〟」

「双心流 奥伝〝帳姫菊〟」


 4つの残像から放たれる斬撃の嵐。

 その全てが一分の隙も容赦もなく、黒鬼に叩き打ち付けられる。

 まるで雨の中佇む地蔵のように、斬撃の雨に晒される。

 果たしてこれは残像なのか。

 自らを切り刻む刃は全て本物だ。

 虚影ではなく、全て実像。

 これが男の真なる能力。

 頭が回らない。

 もはや思考すらままならない。

 斬撃を凌ぐことで精一杯だ。

 ――だが。


「グ……ッ、ッおおぉぉァァッ!!」


 黒鬼はすべてを受けきった。

 放たれた斬撃のすべてを。

 身体中から血が流れるが、しかし致命傷には至らない。

 勝ったのだ。

 黒鬼最強の盾が、幽鬼の最強の矛に。


「ハハァッ、こんなもんかよォ双夜―――」


 そこで、黒鬼は聞いた。


「――双心流 絶伝」


 背後。

 刀が鞘に納められる音。

 背筋が凍る。

 まだだ。

 まだ、幽鬼の攻撃は終わっていない。


「〝血濡れ葬送 彼岸・玖善憐冥花〟」


 刀身が鞘に収まった――直後。

 黒鬼の胸が深く裂ける。

 吹き出る紅は、彼岸花の色をしていた。

 蜥蜴種の返り血が一筋、幽鬼の髪から垂れる。まるで血涙を流しているかのように。

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