Level.2『ウェイカー』
頭には2本の角が生えていた。
口元からは鋭い牙が剥き出し、瞳は縦長で人型をした体躯は黒い毛皮に覆われている。
『グガアアアアアアアアアルルルッ!!!』
「「「――――!!?」」」
異界門の――黒穴の淵から1匹の鬼が出現した。
「鬼牙種、か……」
異形の怪物のことを、父さんはそう呼んだ。
俺自身、本物を見たわけではないから細かいことは分からないが、自衛隊の人々と比較しても鬼牙はかなり大きい。体長は軽く5、6メートルを超えるのではないだろうか。
そんな怪物が突然目の前に現れた。
シンと静まる現場。静寂は一瞬だった。
鬼牙の赤い瞳がギョロリと動く。
『『う、うあああああモンスターだああああッ!?』』
我先にと鬼牙に背を向け逃げ出す野次馬達。テレビの中から発狂にも似た悲鳴が飛び交っている。
自衛隊員が銃を構え、警察官が民間人の避難を進めた。
『鬼牙種です! 見えますか見えますでしょうか!? 異界門が出現してからおよそ2日、停滞と静寂を保っていた門が開きました!! 2日目にしてこれは異界崩壊の前兆なのでしょうか……ッ!?』
こういう現場に慣れているのか、はたまた意地か。周囲が混乱する最中、テレビリポーターが逃げずに熱くリポートを撮り続けている。
そのおかげで異界門の映像は途切れず、鬼牙の脅威が中継され続けていた。
『――火炎連弓ッ!!』
最前線、自衛隊の前に立つウェイカーのひとりが等身大の弓を振り絞り、5つの炎の矢を放出した。
飛来する5つの炎矢が鬼牙に衝突し爆ぜる。だが、
『――ガルルルウウウウウッ』
鬼牙の強靭にして頑丈な肉体には傷一つ残らなかった。
『くそ、ノーダメージかよ……ッ!』
『レベル3の私達じゃ鬼牙なんて無理ですよ!?』
『ギルドの予想じゃ門が開くのは明後日のはずじゃなかったのか!?』
『口よりも手を動かせ新人! 俺達の役割を忘れるな!!』
ウェイカー達が鬼牙に応戦するも、その尽くが意味をなさない。鬼牙との絶対的なレベル差の前に、手も足も出なかった。
「――あたし、行かなきゃ」
見てられないとばかりにテーブルに箸と茶碗を置き、勢い良く凛夏が立ち上がった。
「待てよ凛! 相手はレベル7の鬼牙だろ? 凛のレベルじゃ……」
咄嗟に止めに入る俺に、しかし凛夏は真剣な面持ちで言う。
「レベルなんて関係ない。あの人達は今助けを求めてる。"誰かが助けに行けばいい"じゃない。だってあの人達が求めてる誰かは、私達〝ウェイカー〟なんだから」
「……凛」
続く言葉が、見つからなかった。
一般人を守る能力者として。炎獅子のクラン名を背負うウェイカーとして。
どこまでも真っ直ぐに。ひたすら純粋に。
そんな妹の姿が、俺には少し眩しすぎた。
テレビ画面の中では今もウェイカー達が鬼牙に立ち向かい、テレビリポーターが熱弁を荒ららげる。
そして無傷の鬼牙がよだれを垂らしながら周囲の様子を伺っていた。
胸を張る凛夏から逃げるように視線を落としかけたそのとき――、画面上空より赤羽が舞い落ちた。
『――やれやれ。鬼牙1匹に何をやっているのですか?』
直後、艶やかな炎が舞った。
『―――グギャアアアアアアアアッ!?』
悲鳴と吐血とを撒き散らしながら、鬼牙が絶叫を上げ地面に沈む。一閃だった。倒れた鬼牙はピクリとも動かず、その生命を停止した。
羽の形をした炎が幾百枚と画面の中を舞い、チリリッと地面を焦がして消え行く一方、状況の把握もままならない自衛隊員や一般人が時を凍らせた。
『熱――ッ!? これは、いったい何が起こったのでしょうか!? 巌のような鬼牙が一撃で倒れました!!』
画面が大きくブレ、何度か左右を往復し、それからふたりの男女をカメラが捉える。
ひとりは薄紅色の髪に細剣を携えた女と、もうひとりは陽炎の髪色をした背に翼が生えた男。
ふたりは揃って赤と白を基調にした、背に獅子の模様が施された制服を身に纏っている。
「あ、緋羽さんだ。怜華さんもいるし」
俺と同じく、テレビに目を奪われていた凛夏が声を弾ませた。
「凛夏の知り合いか?」
「凛夏の彼氏か!?」
「クランの先輩と副団長だよ」
「先輩か」
「彼氏か、彼氏なのかぁ凛夏ぁっ!?」
「だから副団長と先輩だってお父さんっ」
話も聞かず嘆く父に、凛夏は呆れ顔を浮かべる。
『立ちなさい。鬼牙如きに何を恐れることがありますか? 我らは獅子。鬼さえ喰らう炎獅子です!!』
『もう大丈夫っす、安心してくださいみなさん〜! 炎獅子副団長 炎藤と緋羽が到着しました。1匹足りとも俺らの後ろには通しませんのでどうぞご安心を』
薄紅色の女が鬼牙に怯むクラン団員に活を入れる一方、陽炎の男がにこやかに頬を緩ませ一般人に安心と安堵を与える。
『あれはまさか……レベル7炎獅子副団長【紅剣姫】炎藤 怜華と同じくレベル7【不炎鳥】緋羽 翔!!』
『どもっす〜♪』リポーターの声に反応し、陽炎の髪の男――緋羽がカメラに向かって手を振った。
『緋羽、おまえは緊張感が欠けています!』
『副団長は笑顔が足りてないんすよ、ほらもっとこうニコっとしないと怖がられちゃいますよ? せっかくの美人が台無……』
『――なんですか? 斬られたいんですかあなた? 刻まれたいならそう言いなさい緋羽』
『あ、はい、すみません。何でもありません』
炎藤、緋羽と呼ばれる2人のウェイカーが現場に駆けつけたのを確認し、凛夏の表情が目に見えて緩む。
その直後、謀ったかのようなタイミングで凛夏のスマホが鳴った。
「もしもし凛夏です。……はい。テレビで今見てます、……はい、……はい。わかりました、すぐ向かいます」
電話の相手は間違いなく凛夏の所属するクランのメンバーだろう。
早口にそう応えると、凛夏は通話を切った。
「じゃ、そういうわけだから。あたし行くね」
「凛、ウェイカーの『シキサキ』覚えてるか」
父さんの言葉に、すぐにも駆け出して行きたそうな凛夏は「ええ……」と渋い顔をする。
「それ、今言わなきゃだめ?」
「だめ」
「ええ……」
言いながら、凛夏は横目で俺を見る。
「おい、なんで俺の方見てため息つくんだよ!?」
「知らないし。自信過剰、被害妄想。キモイ」
「流石にひどくない!?」
凛夏は面倒くさそうにまたため息をつき、
「シにそうになった時こそ笑顔が基本。
キれそうになっても冷静対処。
サいごの最後まで諦めない。
キっとわたしは大丈夫。
……ってか、これほんとに役に立つの? 全部気合じゃん」
「それが大事なんだよ。相手は鬼牙種だ、気をつけろよ!」
「うーん。わかった」
まったく納得していなさそうな返事をする妹に、俺は「凛」と呼びかけた。
「頑張れよ」
たったひとこと。もっと他に気の利いた言葉をかけてやれたら良いのに、と我ながら思う。
「うん、……………ありがと、お兄ちゃん」
それだけ言うと、凛夏はすぐに茶の間を後にして行った。
小声で呟かれた最後の方の言葉は、俺の耳には聞こえなかったけど。
「ママー! 異界攻略行ってくる」
「何いってんのあんた。異界攻略は明日でしょう? 気が早すぎよ。いいから早く寝なさい」
「ちーがーうー! 門が開いたの! 今!」
「え、そうなの? ならすっごく大変じゃない」
「だからそう言ってんじゃん!」
風呂から上がったのか、廊下から凛と母さんの会話が茶の間まで届いてくる。
「よしっと。それじゃ、俺も明日朝練あるから寝るよ」
「おう、おやすみ」
「おやすみ」
父さんに挨拶をし、俺は食器を持って茶の間を後にしようとした。
「なぁ、萩」
「ん?」
名前を呼ばれ、俺は振り返る。
父さんは右手を持ち上げ、俺に向かって拳を出した。
「お前もインハイ、頑張れよ。仕事休みとれたら見に行くからよ。もちろん母さんと凛夏も連れてな」
父さんの言葉に俺は「今どき家族総出で応援来るなんて恥ずかしいだろ」と、笑いながら出された拳に拳をぶつけ、茶の間を後にした。
「ありがとう、父さん」
その言葉は誰にも聞かれないよう口の中だけで呟いた。




