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レベル0のイレギュラー  作者: 椋鳥 未憐
第二章 椿姫
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Level.27『トラウマ』




 それから毎日のように、仕事終わりは祥平さんと楓と一緒に葵さんの特別レッスンを受けた。

 クランのサブマスターたる葵さんはほぼ毎回異界攻略(レイド)に参加するが、クランの方針として異界攻略(レイド)に参加したウェイカーは次の日、原則的に休暇日が設けられる。

 原則的、というのはこの場合、異界門(アビス)が多発発生していない時のことを指す。


 火事や事故と同じだ。日夜世界中に発生して止まぬ異界門(アビス)ではあるが、そうそう毎日同じ地域に発生するのは珍しい。

 しかし大型クランである椿姫は、関西に出現する多くの高レベル異界門(アビス)をギルド本部から任せられるため、実際それほど休めるわけではない。


 そしてそれは正規雇用のウェイカーの話で、派遣ウェイカーとして雇用された俺には無縁の話。

 だから祥平さんと楓が異界攻略(レイド)休みの日でも、俺は変わらず派遣ウェイカーとしての通常業務(にもつもち)にせっせと勤しんだ。

 そしてそんな日の終わりは、葵さんと1対1での模擬戦で今日という日を締める。その繰り返し。

 


 ――椿姫に採用されて2ヶ月が経った頃。


「準備できたようやし、開くで!」


 今回の異界門(アビス)レベルは4。

 天草色の異界門(アビス)を縛る、深緑色の鎖を葵さんが壊し、いつものように俺達は門を潜った。


 門を潜った先に広がっていたのは、深緑溢れる緑々とした光景。

 広大な自然がそこにはあった。いや、広大というより『高大』といったほうがこの景色には相応しいのかもしれない。

 手付かずの自然。人の手が加わらない荒れ放題にして伸び放題の草々が俺達を迎え入れた。


「なんだか小人になった気分だね」


 隣で辺りを見渡す楓がそう呟く。

 小人になった、とは妙な言い方ではあるけれど、楓の感想もあながち的外れではない。

 なにせ、俺達は今、人の背丈を悠々と超える5メートル近い草々に囲まれているのだから。

 見たこともない種類の草々だが、形状は草むらに生える雑草とよく似ている。あれらを何十倍も巨大化させたものがそれだ。

 だから俺達が小さくなった、という楓の感覚もわからなくはなかった。

 しかし間違いなく言えることは、やはりここは地球とは違う生命の生きる異界なのだということ。

 どうしてか、胸の内がざわざわと騒ぎ始めた。


「――――」

 ふと、どこからか草の掠れる音が聞こえたきた。

 ガサガサと、草むらを掻き分ける独特な音。


「総員、警戒。いつでも動けるようにしとき」


 すかさず葵さんの注意喚起が異界攻略(レイド)メンバーに伝えられる。

 門と補給部隊を背に円陣となり、ウェイカーが編成された部隊毎にいつでも心象武装(オクトラム)を起こせるよう、周囲に警戒を向ける中で、


「……萩くん、どうかした?」

「いや、ちょっと。なんだか嫌な気がして」

「体調悪いんだったら無理はするなよ。誰かと変わってもらうか?」

「いえ、そういうのじゃないんですけど」


 俺の顔色の変化を見逃さず、心配の言葉をかけてくれる楓と祥平さんに大丈夫ですと応じると、俺は白蒼剣を鞘から引き抜いた。

 深呼吸し、落ち着けと自分に言い聞かせる。

 大丈夫、いつも通りやるだけだ。集中しろ。

 その間、草むらから聞こえる擦過音は次第に音を大きくしていく。

 同時に俺の心音も数を増す。

 自分でも分からない不安がひたひたと込み上げる。

 どうしてここまで狼狽えているのか。

 椿姫に来てからレベル4の異界門(アビス)は何度も攻略してきたはずだ。それだというのに、何を今更怖がる必要があるというのだろう。

 果たして俺は、何に怯えているんだろうか。

 しばらくして、草の擦過音が途絶えた。

 額を、脂汗が伝う。


「―――」

 静寂に包まれる空間。

 心臓が早鐘を打ち、恐怖が焦りを加速させる。

 右に視線を向け、続いて左を見る。それから正面に視線を戻した、直後――。


『――キキィィィィィィィィィッ!!』 


 目の前の草むらから、翡翠の体躯が躍り出た。


 それは2メートルを超える巨体だった。

 それは細く靭やかな身体をしていた。

 それは4本の足を持っていた。

 それは2本の触覚がついていた。

 それは無機質な黄色の瞳をしていた。

 それは2本の大鎌を携えていた。

 そしてその大鎌が、俺には死神の鎌のように見えた――。


「――ぁ」


 途端、俺の視界を染め上げる鮮烈な記憶。

 鉄臭い■の匂い。生臭い死の香り。

 嗚咽と悲鳴。涙と断末魔。

 赤く染まった■の海。

 眼下に積み重なる。死体、死■、■■――。

 吐き気と、恐怖と、それから、あとは――。

 伸ばされる、赤い手が空をきる。

 親友の、悲痛な顔。

 石のように重たい身体は動かない。

 後悔と、懺悔と、未練と。それから、それから――。

 ぬるりとした液体の感触がした。

 練習着の下、白い肌が真紅に溺れていて。

 ■がどうしても止まらない。

 そして大切な人の■で、真っ赤に染まった俺の――。


「萩――ッ!!」

「――っ」


 葵さんの言葉を耳にし、俺の意識は『あの日』から強引に引き戻された。

 眼前の草むらから飛び出してきたのは、翡翠の鎧を纏う腕2本脚4本、都合6本の手足を持つ異形の怪物。


「お、うおおおおおッ《蒼藍の淡火(グレイス・オーラ)》ッ!!」


 次の瞬間、俺は全力で蒼炎を滾らせ、迫りくる死神の鎌を白蒼剣で受け止めていた。


「ぐッ、ぅぉ……!」


 衝撃に腕が痺れ、心が削られる。刻一刻と摩耗する。

 あの日の恐怖が俺の動きを鈍らせる。


『キィ、キキィィィッ!!』

「く……ぅっ!」


 モンスターの本能が俺の恐怖を嗅ぎとったのか、死神は振り下ろした鎌に更に自重を乗せた。

 やつの無機質な瞳が、俺という存在を根本から震え上がらせる。

 全霊の蒼炎が、押し負け始めた。


「――ぅ、をぉぉぉッ!!」


 雄々しく咆哮し、恐怖を噛み殺す。

 己の全存在意義をかけ、やつを否定する。否定しなければならない。でなければ俺は――。

 悪夢の再来に負けじと、更に火力を上げた。

 蒼炎が色鮮やかに輝き、勢いを増す。迫りくる必殺を押し返す。だが。


「――ッ、ぁ」


 押し返せる、と思った俺の視界の端で、もう一方の鎌が持ち上げられるのが微かに見えた。

 途端、恐怖に喉が小さく鳴るのがわかった。

 そうだ。そうだった。死神の鎌は1本じゃない。

 いつか遠い日の光景と重なる。

 まるでデジャヴだ。

 ゆっくりと鉄の大鎌が死神の肩に担がれる悪夢を俺は幻視した。そしてすぐ、鎌が振り下ろされるのも。

 やばいッ、死――

 

「――やらさせやしないさ」


 確かな死を幻視した直後、しかし喉元に突きつけられた濃密な死は、軽やかに響いた美声によって振り払われた。

 黄葉色の髪が、鮮やかに舞う。

 直後、振り下ろされようとしていた大鎌が、第二関節から先、真っ二つに両断された。


『ギギィィィィィィィッ!?』


 黄葉色の髪の美青年こと心象武装(オクトラム)の能力で身体成長した楓に腕を切り落とされた翡翠の怪物が、鼓膜に突き刺さる甲高い悲鳴を上げながら1歩後ずさる。

 そして後退した怪物のその背後。


「俺のことも忘れてもらっちゃ困るぜ」

『キ――』

「――(おせ)ぇ」


 怪物が背後の存在に気づくよりも早く、祥平さんの長槍が怪物の肥えた腹と脳髄を貫通する。


『ギッ……』


 声にもならぬ断末魔を残し、頭蓋を失った怪物が黄濁色の体液を吹きながら地に崩れた。

 無機質な黄色の瞳は光を失い、虚ろとなったそれを確信した途端、俺の足腰から力が抜けた。


「しゅ、萩くん! 大丈夫!?」

「おい萩、どっかやられたのか!?」


 地面に白蒼剣を突き立て膝をつく俺を見て、慌てた顔の楓と祥平さんがすぐさま駆け寄って来てくれたが、生憎それに反応する余裕は今の俺にない。


「――ッ、はぁ、はぁ、はぁ……ッ」


 呼吸が荒れ、今にも爆発しそうなほど脈打つ心臓。それを抑えつける左手も弱々しく震えている。

 理由は明白だ。

 忘れるはずもない。

 忘れられるはずがない。


「――――」

 俺は動かなくなった翡翠の怪物を凝視した。

 それは苦しくも俺の全てを踏み躙り、俺から大切な者達を奪った蟷螂(カマキリ)の姿をしたモンスター蟷螂種(マンティス)だった。

 俗にいう『トラウマ』というやつだ。

 あの日から1年以上も経つというのに、心に深く刻みつけられた傷はまだまだ塞がりそうにない。

 瞼を閉じればあの日の地獄がありありと目に浮かぶようだ。


「はぁ、はぁ……っ」

 マイナスに偏る思考を振り払い、俺は乱れた呼吸を整えることに集中する。

 恐怖と不安、悔恨と後悔。大きく息を吸い、2倍以上の時間をかけてゆっくりと、それらを吐き出していく。

 それを何度か繰り返す。


「どう、落ち着いた?」

「……うん、だいぶ。ありがと楓、もう大丈夫」

「良かった」


 気を利かせて背中をさすってくれていた楓に礼を言い、なんとか落ち着きを取り戻せた俺は、疼く左腕の古傷に触れながら顔を上げた。

 

「すみません。いきなりだったんで、少し驚いちゃって……」

「なんだなんだ萩。らしくねぇな、どうした。調子悪いんだったら正直に言っていいからな」

「いえ、ほんとにもう大丈夫ですから」

「そう、か。なら……良いんだけどよ」


 そう言うと、祥平さんは俺から視線を外した。

 改めて周囲に目を向けると、辺りにはカマキリの残骸がいくつも転がっている。

 戦闘終わりのウェイカー達が、それぞれにハイタッチや言葉を交わす中で、


「いきなりだったもんね。あれは誰でもびっくりするよ普通」


 と、雰囲気を取り持つように楓が微笑んだ。

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