Level.26『値千金の男』
「――何って、お前。『捌切』知らねぇの?」
他を代表して、祥平さんが「マジかお前」みたいな目で問いかけてくるが、残念ながら初耳な単語に俺は首を横に撚るばかり。
だって聞いたことがないのだから仕方ない。
「『捌切』っていうのは、つまるところ世界的ウェイカー装備ブランドのことだよ」
そんな俺に、楓が補足を付け足してくれた。
「へぇ、ウェイカー装備ブランド、ねぇ」
そう言いながら、俺は手元の白蒼剣に視線を落とす。
剣は変わらず、刀身から薄蒼の光沢を放ち続けている。心無しか『やれやれ、ようやく俺の価値に気づいたのかお前』なんて言われているような気がしないでもない。
まぁ、あの姉さんが俺に送ってきたものなんだから、きっと普通の剣ではないのだろうとは思ってはいたのだけれど。
「しかも、多分これ刀次郎本人の作品やなぁ」
「ええええっ、ま、マジっすかぁッ!?」
続く葵さんの発言に、またしても祥平さんが声を大きくした。
「【黒炉鍛冶】捌切 刀次郎の作品なんて言やぁ、世界にも数える程しかない一品じゃないっすか!」
「はぁ、これそんなに凄い剣だったんですね」
今いちピンとこないが、祥平さんや楓の反応を見る限り、かなり有名なブランドらしいということは理解できた。
なんだ、そんな有名品だったのかお前。ごめんな、大根切ったり野菜の皮むきしたりして。と心の中で謝っておいた。
「素材も恐らく一級品。売れば間違いなく10億は下らんな」
「へぇ――……」
と、興味なさげな返事をした後、そこで一瞬俺の思考が止まる。
「じゅ、10億もするんですか!? これぇぇ!?」
値段を知って仰天した。
そりゃ祥平さんや楓が驚くわけだ。
10億っておいおい、たかがウェイカー祝いになんてもの送ってきやがったんだあの姉は……!?
想像の中でウィンクしてくれる姉に向かって俺は叫んだ。
「……お前の姉ちゃんいったい何者だよ」
「ウェイカーですけど、一応。その、レベル8の」
「「あー……」」
レベル8と聞いた途端、祥平さんと楓が納得したように頷いた。
それだけ、レベル8というのは規格外の存在であることに違いないのだが……。ウェイカーに成り立てのド素人に送っていい代物でないことは確かだと言えよう。
「どうりで野菜の切れ味が良かったわけだ……」
「え? 野菜?」
俺のつぶやきは、隣にいる楓だけにしか聞き取れなかったようだ。
「織﨑っちゅー名前、どっかで聞いたことある思っとったけど。【黄金桜】の弟やったか。スッキリしたわ。ま、盗られんよう気つけとくことやな」
貴重品の管理に注意を促す葵さん。
もし俺の剣が10億もする『捌切』作品と知れば、いくらクランの人間と言えども欲に目がくらんで窃盗に手を染める可能性がぜろとは言い切れない。
それを葵さんは言っているのだ。
今一度、俺は手元の剣に視線を落とした。
「でもこれのせいだったんですね。なんだか腑に落ちた気がします」
「――?」
「今日赤松さんに『よっ、一千万!』って言われて何のことか気になってたんですけど、なんだ捌切のことだったんですね」
異界攻略が始まる前、にやにやしながら赤松さんがそんなことを俺に言ってきたのを思い出す。
価格は少しばかり違うが、恐らくこれのことを言っていたのだろう。
「葵さん、もしかして話してないんすか?」
「事前告知したらつまらんやろ」
「ま、たしかに」
「なんの話ですか?」
「んや、こっちの話や」
そう言って、葵さんと祥平さんはなんだか含みのある笑みを見せたのだった。
❦
その日の夜。
今日も今日とて萩達との模擬戦を終えた葵は、帰りにまだ灯りの灯るクラン本部2階にあるクランマスター室に足を運んだ。
「こない遅くまでおつかれさんです、茜さん」
「ん、葵か」
クランマスター室では、長い黒髪を頭の後ろでお団子にした女が、窓枠に座って煙草を吹かしているところだった。
「明日の異界攻略の段取りしてはるんですか?」
「せや。ここ最近ギルドからうちに回ってくる異界門の数が多くて参るわ」
「ま、仕事があるんはええことやないですか」
「うちとしてはな。けど異界門なんて危なっかしいもん、ほんとはない方がええんやろけど」
短くなった煙草を手元の灰皿に押し付け、茜は箱からもう1本煙草を取り出し口に咥えた。
「吸いすぎやないですか? 身体に悪いですよ」
「身体には悪いやろけど、吸ってへんと気ぃ悪くすんねん。葵も1本吸うてみ。頭くらくらして余計なこと考えんでようなる」
「それは、この前死んでった木肌のことですか?」
「――――」
葵の言葉に茜は応えず、代わりに口に咥えた煙草に火をつけた。
長いまつ毛に縁取られた瞳を下目使いに煙草を見つめるその表情が、葵は好きだった。
一口目を吹かし、二口目を長く肺に入れる。これは茜の癖でもある。
それからゆっくり時間をかけて「ふぅ」と淡い吐息とともに吸い込んだ煙を口から吐いた。
「そうかもしれんな」
「――――」
「木肌のこともそうやし。今まで散っていったみんなのこともそうや。みんなようやる、クラマスなんて。こんな重いもん、よくもまぁ平気な顔して背負えるん尊敬するわ。うちは煙草に逃げんとやってられへん」
茜の吐露を、葵は黙って聞いている。
気の強い茜がこうして煙草の煙と一緒に弱音を吐き出す相手も、葵以外にいない。
それは茜が葵に心を開き、一際の信頼を置いているからこそだと言えよう。
そうしてそこに励ましや反論といった慰めの言葉を葵は口にしない。茜がそれを求めていないとわかるから。
だから葵は黙って茜の言葉を聞いている。
ふいに、茜のその薄紅の瞳が葵に向けられた。
「あんたはうちをおいて死ぬんやないで、葵」
月明かりを背に、流し目を送ってくる茜に対し、葵は口元を緩める。
「もちろん死ぬ気はないですけど。俺が死んで茜さんが泣いてくれはるんやったら本望やなぁ」
けらけらと嬉しそうに振る舞う葵に、茜は苦笑ぎみに「あほ」と肩の力を抜いた。
「そう言えば、聞いたで。葵が派遣賭博やるなんて珍しいな」
「そりゃ俺だってたまにはギャンブルしとうなりますよ」
「しかも満期終了までに大金かけたんやろ? 下で笑っとったで。ついに葵さんの頭おかしなったんちゃうかってな」
「ははは、誰ですかそないなこと言うたんは」
それに3、4人心当たりがあり「後で個人レッスンやな」なんてつぶやく葵に、茜が楽しそうに瞳を細める。
「勝つ自信、あるんか?」
「そないなもんないに決まとりますやん」
さらりと葵は断言した。
「ただ」と葵は続ける。
「俺はイレギュラーいうんが好きなんです」
そう言った葵はどこか面白そうに、悪戯っぽい笑みを浮かべる。指が頬に伸びたのは、きっと無意識ではないのだろう。
「それで執拗にイジメて辞めたらどないすんねん。本末転倒やろ」
「そんときはそんときやないですか。俺の見る目がなかったっちゅうだけの」
「……レベル0のイレギュラー、か」
そう呟き、茜もまたギルドから送られてきた派遣の求人票を見つけたときのことを思い出した。




