Level.20『火種と名付けた翡翠の炎』
『ボォッ、ボォッ、ボォッ、ボォッ――』
筋肉質な褐色の体躯から生える土色の体毛。
獲物を睨みつける瞳は血のように赤い。
その太い豪腕に鉄の混紡を握りしめ、やつはしきりに鼻から粗い息を吐き続けている。
見た目が似ていることから鬼牙種とよく間違われやすいが、鼻につけられた特徴的なリングから、やつらは闘牛種と呼ばれている。
『ボォッ、ボォッ、ボォオオオオオオオオッ!!』
ミノタウロスの雄叫びに迷宮が共振する。
異界門レベル5。
ここはミノタウロスの迷宮である。
「ははっ! なんつう咆哮してやがる!!」
「笑っとる場合か。行くで」
通常レベル5の異界門ともなれば、攻略に丸一日を費やしてもおかしくはない。
いや、それが普通だ。
安全マーキンを取りながら着々と迷宮を攻略していく。しかも相手は体長3メートルを超える大型の怪物ミノタウロスだ。
俺も以前に一度だけ、ミノタウロスと戦ったことがあるが、一頭一頭の戦闘能力は凄まじく、あのときはレベル2のウェイカーが10人束になってようやく倒せるレベルだった。
にも関わらず、そんなミノタウロスの迷宮を椿姫は半日足らずで攻略し、ついには異界門主の元まで辿り着いてしまった。
てかポンポン倒しに迷宮を進むので、倒したミノタウロスの素材回収が間に合わない。
流石は精鋭の集う大型クランと言うべきか。
各々の戦闘力の高さ。
経験が違う。
踏んだ場数が違う。
何よりウェイカー同士の見事な連携。
『ボォオオオオオオオオオッ!!』
「はっはっ、そんな大振り当たるわけねぇだろ!」
「出過ぎや、祥平! タゲ取りつつ距離保てって何度言わせんねん! あと間違っても倒すんやないで!」
「わかってますよ、俺らはレベルアップした瑞希のサポートですもんね今回! 大丈夫です。角折るだけなんで!」
「ほんまにわかっとるんかお前!?」
「赤松さん、大丈夫です! いつでもイケます!」
「了解や! 下がるで祥平――っていいから角折ろうとすなあほ!」
「ちぇ〜、あとちょっとだったのに」
「おーけーや、トドメ頼むぜ瑞希! 一発かましたれ!!」
「行きます。ぴーちゃん《炎鳥突撃》!」
『ンブボォオオオ!?』
ボス部屋にいる複数体のミノタウロス1頭に対し、ウェイカーが3〜4人体制でパーティーを組み応戦している。
前衛のふたりがミノタウロスの注意を引き付け、その間に少し離れた位置から後衛が遠距離攻撃を放つ。
《幻想形態》。
かなりの威力の攻撃だ。
レベル4のウェイカーだろうか。
肩に乗る程度の大きさの小鳥が、炎を纏った突撃でミノタウロスの強靭な肉体を貫通した。
いや、でもそれは前衛のふたりがぴーちゃん(と呼ばれていた小鳥)の時間を稼いだおかげとも言える。
「よっ、さすが瑞希のぴーちゃん! 可愛いだけじゃない」
「ありがとうございます、祥平さん!」
「よっしゃ、ほんじゃ次行くで! 次!」
前衛の赤松と呼ばれていた出刃包丁型の心象武装を扱うアタッカーもそうだが、巧みな槍さばきを用いてミノタウロスを完全に翻弄していた祥平というウェイカーも凄まじい使い手だ。
ボス部屋で戦う他のウェイカー達も同様に、次々とミノタウロスを死体に変えていく。
中でも俺の視線を釘付けにしたのはボス部屋の最前線。鎧を身に纏い、両手に2振りの大斧を携える、黒い毛皮のミノタウロスだ。
『ヴヲォオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』
他のミノタウロスなんかとは存在感が違う。
個の実力が根本的に桁違いだ。
まるで牛魔王を想起させる風貌。
ひと目でわかる。
やつがこの迷宮の主だと。
別格だ。何もかもが。
俺は目が離せなかった。
呼吸を忘れ、ただ魅入る。
異界門主――通称"門番"と思わしき一際巨大なそのミノタウロスが、たったひとりのウェイカー相手に圧倒されている光景を。
「さっきからボォっボォっボォっボォっ鼻息うっさいねん、繁殖期かドあほ!!」
葵さんだ。
小柄な身体を器用に操り、門番の攻撃もとい猛撃をのらりくらりと躱してのける。
体長が4メートルはありそうな黒いミノタウロスと比べても、その体格比は約10倍以上。
なのにどうしてか、俺の目にはミノタウロスよりも葵さんの方が大きく見えた。
『ヴォ、ヴォオオオッ!!』
ミノタウロスが鬱陶しい蝿を叩き落とすかのように、全力で戦斧を振り下ろした。
ズガァーン、と地面を打ち砕く破壊音。
直撃すればレベル6のウェイカーでも無事では済みそうにないほど桁外れな威力。ともすれば、あのミノタウロスのレベルは6を上回るのではなかろうか。
しかしそれでも、その戦斧は葵さんに届かない。
『ヴォッ!?』
いつの間にか、ミノタウロスが振り下ろした戦斧の上に、葵さんが立っていた。
葵さんが1歩、踏み込む。
刃が閃き、空間が僅かに揺れる。
「双心流 上伝〝双刃陽炎〟」
葵さんが技名を口に出した直後、ミノタウロスの体躯に無数の切り傷が刻まれ、勢い良く血が吹き出す。
ミノタウロスが絶叫を上げる。
「すごい……!!」
すごいなんてもんじゃない……!
何回だ? 今何回斬ったあの人!?
早業だ。速すぎて今の一瞬で葵さんが何回ミノタウロスを斬ったのかすら目で追いつけなかった。
俺の呟きを聞いたのか、隣にいる楓が鼻を高くして言う。
「レベル7【双夜叉】柳鳥 葵。うちのクランのサブマスターだよ」
「レベル7……!? 速いわけだ」
俺がいた栃木ギルドに所属するウェイカーのレベルは5が最高だった。
レベル7ともなればもはや格が違う。恐らく日本に100人といないだろう。
そんな強者が今、目の前にいる。
戦っている。
武者震いがした。
俺もあの人の隣で戦ってみたい。
強くそう思った。
ボス部屋にいるミノタウロスは、ウェイカーの手によりそのほとんどが狩り尽くされている。
異界攻略は順調だった。
このまま何事もなく終了する。
誰もがそう思った。
その油断の隙間を死が付け込む。
『フンッ、フンッ、フンッ!!』
ウェイカー達と交戦する一匹のミノタウロスが、突如四つん這いになり角を突き出し体勢を低くした。
ミノタウロスの身体に刻まれた傷は深く、鼻息粗く消耗している。誰がどう見ても残り僅かの命だ。
されどその瞳は闘うことを諦めていなかった。
命尽きるその時まで本能のままに敵を殺す。
手負いの獣ほど危険なものはないと誰かが言った。
「ッ、突進そっち行ったで気いつけい蒼汰っ!!」
『――ボッ、ボォオオオオオオオオオッ!!』
アタッカーの赤松さんが叫ぶと同時、ミノタウロスが後ろ足で地面を蹴り、勢い良く駆け出した。
あの巨体からなる全体重を乗せた突進。
こうなったミノタウロスを止めることは困難だ。
「おっと、あぶないあぶない……って、そっちはっ!?」
ミノタウロスの突進を回避した若いウェイカーが、やつの進む進行方向に目を向け焦燥とする。
ミノタウロスとの戦闘に集中、もしくは油断していて誰も気づいていない。
突進を仕掛けるミノタウロスの向かう先には、最後尾の補給部隊がいるということに。
「あのミノタウロスこっち来ますけど……!?」
「うそ!? どどど、どうしたら……!?」
「おいお前ら! ぼさっとしてないで早く逃げろッ!!」
補給部隊は戦闘とは無縁の雑用部隊。
危険な迷宮の中でもウェイカーが守ってくれるから安全だ、なんて考えは甘すぎる。
迷宮に安全地帯などないのだ。
いくら派遣やアルバイトだとしても、ウェイカーであることに変わりはない。
あまりにも危機意識が薄い。
イレギュラーに対する反応も鈍い。
あまつさえ恐怖に腰を抜かす者さえいた。
そんな彼らのことなど一切厭わず、ミノタウロスは真っ直ぐ突き進んで来る。
「みんな下がって! ここはぼくが……!」
「――」
俺は背中に背負うリュックを粗雑に投げ捨て、そっと意識を自分の内側に向けた。
途端、蒼い炎が俺の身体から燃え滾る。
「えっ、ちょっと、萩く――」
『火種』と名付けた俺の心象武装の能力は主に身体能力の強化である。
そして2年間の特訓の成果により、炎の色が翡翠から蒼藍に一段階変化を遂げた。
もちろんレベルは0のまま。
しかし変化したのは見た目だけじゃない。
心象武装の熟練に伴い火種に付与される能力自体にも変化が生じた。
最初の炎《翡翠の癒火》には身体強化とは別に、傷を癒やす治癒効果が発現したが、火種使用中は常時治癒効果が働くため思いの外燃費が悪かった。
しかしこの蒼い炎こと《蒼藍の淡火》には、治癒効果の代わりに火種の消耗を抑える特殊効果が発現した。
いわゆる節約モードである。
おかげで火種の維持時間が格段に増加した。
そして――。
「はや……っ!?」
火種のバフを纏った状態の俺は、レベル3のウェイカーと同等の身体能力を発揮できる。
隣にいる楓よりも早く、俺は補給部隊の前、ミノタウロスの斜線上に躍り出た。
腰に下げてある剣の柄に手をかけ、白蒼色の刀身を鞘から晒す。
『ボォオオオオオオオオオオオオッ!!』
ミノタウロスが猛烈な勢いで迫る。
まさに猪突猛進だ。猪ではなく牛だけれど。
まともにぶつかれば一溜まりもないだろう。
正面から挑んでも加速の加わったあの巨体に吹き飛ばされて終了だ。
そもそも俺がひとりで倒せる相手ではない。
戦おうとするな。
俺がやるべきことは何だ。
背後の補給部隊を守ることだ。
『ボォオオオオオオオオオオオオオオオオッ』
注意すべきはミノタウロスの最大最硬の武器である、あの雄々しい双角だ。
あれだけ気をつけていれば、最悪死ぬことはない。
「……ふぅ」
息を整え、集中する。
剣はわざと構えず、挑発するように切っ先をミノタウロスに向けた。
そしていつでも動けるように身体から力を抜く。
『ボッ、フォオオオオオオオオオッ!!』
鼻息激しくミノタウロスが突貫してくる。
距離が詰まる。
圧迫感が凄まじい。
瞬きの合間に目の前にいる。
そして俺とミノタウロスが接触する寸前、衝突する手前でミノタウロスが俺の剣を払おうと頭角を僅かに傾けた。
その瞬間、雷の如く俺は動いた。
一瞬で地面を舐めるように体勢を低くし、傾いた角を下から剣で上に押上げ頭上に受け流す。
「ッ!!」
重い……!! けれど思ったほどじゃない。
受け止めることが無理なら受け流してやればいい。受け流すだけならその半分以下の力でどうにかなる。
急停止や急旋回といった小回りが効かないミノタウロスが、俺の脇を通り過ぎていく、そのすれ違いざま。
「フッ!!」
余計な力は要らない。
ミノタウロスの突進を逆に利用する。
俺はただそこに合わせてやるだけでいい。
イメージは置いてくる感じ。
『――ブフォオオオッ!?』
俺はミノタウロスの右前足を斬り落とした。
前足を失ったミノタウロスは大きく体勢を崩し、盛大に顔面から地面に突っ込んだ。
ミノタウロスは自らの自重と加速が乗った衝撃を顔面で受け止めながら地面を突き進んだ後に沈黙。
恐らくウェイカー達から受けたダメージが大きかったのだろう。
ミノタウロスにとっても残りの体力を賭した最後の猛撃だったのだ。
全開のミノタウロスと対峙していたなら、こう上手くはいかなかった。
「大丈夫ですか? 怪我とかないですか?」
火種を消した後、俺は剣を鞘に収めながら後方で尻餅をつく補給部隊の元まで戻った。
「あ、ありがとうございます!!」
「助かりました……!!」
胸を撫で下ろしながら彼らは口々にそう言った。
「良かった。無事でなによりです」
そう言って笑いかけると、やっと安心したのか彼らはへなへなと身体から力を抜いたようだ。
「無事でなによりなのはこっちの台詞だよ!」
そんな彼らの先頭からひとり、俺の近くに歩み寄ってくる人影があった。楓だ。
心なしか、少し怒っているようにも見える。
「いきなり飛び出すんだからびっくりしたよ……! まったく」
「ごめんごめん楓、つい身体が」
「無事だったから良かったけどさ。でも、萩くんほんとにレベル0なの? ミノタウロスの突進をあしらうなんて」
「いや、それには色々わけがあって……」
火種の説明をしようとしたその時、ミノタウロスと戦っていた数人のウェイカーが、俺達の方に走ってくる姿が見えた。
「おーい、お前ら! 怪我とかしてねぇかっ!?」
そして。そのずっと後ろ。
すでに異界主を倒し終え、ボスの死体の上に腰を下ろした葵が、どこか楽しそうに笑っていた。
「なんや、面白そうなんが入ってきたなぁ」
その紫紺の瞳が捉えるのは、楓の隣でウェイカー達に囲まれる枯葉髪の青年だった。




